11/16 面

 ひさしぶりに姉さんを書斎から出した。

 リビングのソファに一緒に座って、窓の外を眺めながら紅茶を飲んだ。もらいもののいい茶葉を使ったけれど、姉さんはほんのちょっぴり、舐める程度だ。でも楽しそうに見えた。

 わたしの膝の上には姉の長い髪が広がり、その中心に白い顔がある。まるで膝の上によくできたお面を置いているみたいに見えた。

「いい香りねぇ、なぁ子ちゃん」

 姉が呟く。「なぁ子ちゃんが買ってきてくれたの?」

 そういえばどうだったろうと考えて、わたしはこの茶葉が、死んだ薫くんがくれたものだったと思い出した。今の今まですっかり忘れていたのだ。

「なんだかこのお茶、なぁ子ちゃんが買ってくる感じじゃないわね」

 姉が呟く。「それより薫くんの好みよ。こういうのは」

 どんな顔をしたらいいのかわからなくなって、表情が固まってしまう。普通に「そうね」と応えればいいのに、それができない。このまま薫くんとかずみちゃんの話になってしまいそうな気がして、それが怖ろしい。

「なぁ子ちゃん、お面みたいな顔してるわよ」

姉が小さく、ころころと笑った。

「ねぇ、なぁ子ちゃん。私、なんでかわからないけど、よく思い出せることと全然そうじゃないことがあるの。この紅茶は薫くんの好みだってことは覚えているのに、たとえば私たちの母さんのことなんか、ほとんど思い出せないの。でもたまに、小鳥だとか、オルゴールだとか、そういうものを見るとね。頭の中にある抽斗が少しだけ開くような感じがするの。ねぇなぁ子ちゃん、私たちのお母さんってどんなだったかしら」

 姉がわたしを見上げる。この先に行ってはいけない、と何かが胸の中で警鐘を鳴らす。

「わたしもほとんど覚えてないの」

 わたしがそう答えると、姉は「生首みたいなこと言うのね」と言って、さっきよりも少し大きな声で笑った。

 普段の姉ではない。こんなふうに喋って笑うなんて、まるで別人みたいだ。


 ふと思った。姉がずっと綺麗なお面みたいに黙っていてくれたらいいのに。

 一拍遅れて、そう思った自分に寒気がした。

 わたしは、姉をそんなふうに見ていたのか。

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