11/12 湖
『薫、今いないの。かずみを連れて旅行に出かけて、まだ帰ってないのよ』
薫くんの家に電話をかけると、叔母が出た。相変わらず諦めたような口調だった。「なにか連絡はあった?」
『ない』
まるで他人事のような口ぶりだった。
「わかった。またね、叔母さん」
電話を切ってから、果たして「また」はいつになるのだろうか、とふと思った。
親しいようでいて、わたしは薫くん個人の連絡先を知らない。必要なときは彼の家に電話をかけるか、そうでなければ薫くんが自分から訪ねてきたものだった。いずれ連絡があるだろうと思って待つしかない。
家の前の坂を歩いていた薫くんの姿が目に浮かんだ。そういえばあのとき、彼はあのボストンバッグを提げていただろうか。覚えていない。
「ねぇ、なぁ子ちゃん覚えてる? むかし、お父さんの書斎にあった飾り棚の中に、女の人の首があったの――」
姉はこのところ、ふいに目を覚ましては、壊れた機械のようにほぼ同じ台詞を繰り返すようになった。姉は姉なりに、昔のことを思い出そうとしているのかもしれない。虫食い状態の記憶を補おうと、そのパーツを探しているのかもしれない。
(よくないよ、奈々子さん)
薫くんにそう言われたとき、もっと詳しく話を聞けばよかったかもしれない。どうしてよくないと思うのか。どうしてかずみちゃんの記憶を上書きしようとしているのか。
次に会えたときにはきっと聞こう。鳴らない電話を眺めながらそう考えた。旅行に行っているのなら、そのうちまた土産を持って訪ねてくるかもしれない。
坂を下ってきた薫くんはきっと、わたしの見間違いだったに違いない。
叔母から薫くんの訃報が届いたのは、翌々日のことだった。
旅行先の地方にある湖のほとりで、何かに喉元を食い破られて死んでいたらしい。
『かずみが見つかってないの』
電話の向こうの叔母は、生気のない声でそう言った。
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