第170話 「……キスしたいって顔してるよ?」

「わー、誰もいなーい!」

「いたら困るだろ……」


 一階から二階、二階から三階。

 三、四と階段を上って俺たちは階段の終わりである屋上への扉がある少しだけ広いスペースへとやってきていた。

 俺より一段先に到着した早霧が大きく一歩を踏み出してその場で両手を広げてクルクルと回り、白く長い髪が屋上への扉についている曇りガラスから差し込んだ光を浴びて輝いている。

 綺麗だとは思ったけど、一緒に舞っているのが夏休みの間に溜まったであろう大量のほこりだったので何とも言えない気分になった。


「長谷川たちの話がいつ終わるかわからないし、あまり時間は無いからな?」

「むぅ……」


 俺の言葉に早霧が不満そうに頬を膨らませる。

 あからさまな表情も可愛いんだが、今は部活中なのを思い出してほしかった。


「こういうのはムードが大事だと、早霧ちゃんは思うのです」

「空いた時間じゃなくて部活が終わった後にすれば良いと、蓮司くんは思ったぞ」

「じゃあ、何で来たの?」

「そ、それは……」


 カウンターをしようと思ったらクロスカウンターを決められる。

 何で来たかと言えば、俺たちはキスをする為に来ていたからだった。


「蓮司もしたいから、でしょ?」

「……ああ」

「素直じゃないなぁ」


 何も言い返せない俺に早霧は笑う。

 文字通り悪戯な笑顔はこんな時でも俺の心臓を高鳴らせた。

 

「蓮司も長谷川ぐらい素直になれば良いのに」

「長谷川は素直過ぎるだろ……」


 俺は思い立ったら全てのプランを捨てて告白に全力勝負を賭ける男にはなれない。

 ていうか俺だって最近はかなり素直になってると思うんだけどなぁ……。


「……久しぶりだね?」

「え?」

「蓮司と、こうして屋上前に来るの」

「……だな」


 微笑む早霧の視線に耐えられなくなった俺は目線を逸らす。

 久しぶりって言ってもまだ全然経ってないけど、俺だってこの場所にはかなりの思い出があったので確かに久しぶりに感じた。

 早霧と何かあるたびに俺はここに連れてこられて、それで隠れてキスをする。

 あの時の俺は親友の意味を思い出せていなくて、どうして早霧は親友って言いながらキスをしてくるんだとか、どうしたら早霧に勝てるんだとか、そういうことを考えていた。


 その最新の思い出すらも懐かしく感じるのは、夏休みに入って過ごした早霧との時間が特に濃密だったからじゃないだろうか。

 早霧にキスをされてからの学校生活も俺史上一番濃かったけど、それよりも一緒に寝て起きて過ごした日々の方が比べ物にならないぐらいに濃かったんだ。


「……キスしたいって顔してるよ?」

「は? え!?」

「蓮司、切なくなると口をギュってするんだもん。気づいてないの?」

「ま、マジか……?」

「うん。それでその後にね、いつも……キス、してくれるの」


 ――トンっ。

 いつの間にか詰め寄ってきた早霧に追いやられた俺の背中が扉側の壁に当たる。

 目の前には淡い色の瞳が俺を見上げていて、その奥底には期待が込められていた。


「……キス、好きだよな」

「……蓮司のせいだよ?」


 気づけば俺の首の後ろに早霧の手が回っていて、俺も早霧の腰を抱いていた。

 今までと同じ場所で、だけど前とは違う心境で、俺たちは見つめ合いそっと目を閉じて。


「――んぅ」


 またいつものように唇を重ねる。

 触れた唇の柔らかさと湿り気が、頭の中に極上の幸せを運んできた。

 もう何度もキスをしているのに、キスをする度に早霧のことを好きになっていく。

 いつもよりもっと静かな校舎で漏れる吐息は、今この世界に俺と早霧しかいないんだと錯覚させるには十分だった。


「大好きな蓮司だから……蓮司とする、キスが好き」

「…………」

「んっ!」


 一度唇が離れる。

 息継ぎをしながら言ってくれたその言葉で嬉しくなって、俺はもう一度早霧の唇を自分の唇で塞いだ。

 さっきがお互いの気持ちを確かめる為なら、今度は俺から求めるように、重なった唇の隙間から舌を口の中に入れていく。


「ぁ……んっ……ちゅる……れ、れんりぃ……」


 舌を絡めながら喋るのは難しそうで、舌っ足らずとはこういうことを言うのかと思った。

 そんな一瞬の感動も、切なげに俺の名前を呼ぶ早霧の姿にかき消されていく。


「ぷはっ……はぁ……はぁ……」


 不意打ちの舌を入れるキスに呼吸が続かなくなった早霧が口を離した。

 荒い息で俺を見上げる顔はこの一瞬で赤く染まっていて、白く長い髪がより映えて見える。

 そして何より、見慣れた制服という姿が背徳感を更に加速させていた。


「……がっつきすぎ」


 潤んだ瞳が俺を見上げる。

 文句を言ってるように見えても、早霧の身体はずっと俺に抱きついたままだった。


「……嫌だったか?」

「……嫌じゃないから、言ってるんだもん」

「――んっ!?」


 今度は早霧から、俺の唇を塞いできた。

 押し当てるようにぶつかった唇も、柔らかいから気持ち良いだけで。


「……急にされるとビックリするでしょ」


 早くも三度目のキスは、一瞬のキスだった。

 唇を離した早霧は、目をとろんとさせながらも悪戯に笑う。

 それはとても可愛いくて、でもしてやられたのが悔しくて、今度は俺の方から仕返しをしてやろうと思った。


「ちょっと待って……。お茶、飲みたい……」

「あ、あぁ……」


 だけどそれは寸前のところで止められる。

 いくらキスに夢中になっていても、我慢できないものがあった。

 それは暑さだ。

 いくら屋根の下とは言え、校舎の奥の奥の行き止まりである階段の一番上は空気の流れなんて無くて熱がずっと籠っている。

 しかも隣には屋上からの日差しが差し込む扉があって、そんな中で抱きしめ合いながらキスをすれば、俺達の身体なんて簡単に汗だくになってしまった。


「ん……んくっ……」


 早霧がペットボトルに口をつけて、喉を鳴らしながらお茶を飲む。

 この暑さと早霧とのキスに脳をやられた俺は、その仕草ですらエロく見えた。


「……飲まないの?」

「の、飲むぞ!?」

「あ! ま、待って!」

「えっ?」


 そんな俺の邪な視線に気づいた早霧が俺を見て首を傾げる。

 俺はヤバいと思ってペットボトルを開けようしたけれど、それを早霧に止められてしまった。


「……私が飲ましてあげる」

「自分で、飲めるけど……」

「……いーいーかーらー」


 押しが強い。

 こうなった早霧は何を言っても止まらないのを知っている。

 だから無理だと判断した時点で俺の手に持っていたスポーツドリンクは早霧の手に渡っていて、早霧はペットボトルのキャップを開いた。


「……じっとしててね?」


 そしてそう微笑んで。

 早霧は俺に飲ませる為のスポーツドリンクを、自分の口に含んだんだ。

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