第126話 『さっちゃん』

『さっきお祭りで歩いてた時にさ、射的の景品の中におっきなぬいぐるみがあったんだよ! 天気が良くなったらさ、一緒にやろうよ!』

『うん……』


 どれぐらいの時間が過ぎただろうか。

 俺は大雨が降りしきる神社の中で、早霧に色々な楽しいことを話し続けていた。


 どういう話をしたら早霧は喜んでくれるんだろう?

 どうすれば早霧は笑ってくれるんだろう?

 考えるだけで楽しくなって、懐かしく思う。


 そう、この感覚には覚えがあったんだ。


 俺は物心つく前から早霧と一緒だった。

 それは俺の両親と早霧の両親が、俺たちが生まれる前から家族ぐるみの付き合いをしていたからだ。


 そして早霧は、生まれつきずっと身体が弱かった。

 

 早霧にとってそれは、辛くて、寂しくて、苦しくて。

 でもそれで両親を心配させないように、隠れて涙を流していたんだ。


 それを俺は見たくなかった。

 だから俺は毎日、早霧に会いに行って、寂しくないように励まし続けたんだ。


 外であった楽しい話をすれば、気分だけでも一緒に外に出れると思ったから。

 いつか一緒に外に出て、元気で笑顔になった早霧の隣にいたいと思っていたから。


『う、うぇぇ……』

『ど、どうしたのさっちゃん!? やっぱり寒い!?』

『ちが……ちがうの……』


 朧気になっていく意識が、早霧の泣く声にグイっと引き戻される。

 振り向いてみたら早霧は上半身裸で体育座りのまま、俺が渡したシャツに顔を埋めて震えていた。


『れんくん……ごめん……ごめんね……!』

『だ、だからさっちゃんは何も悪くないよ!』

『ううん……ひっぐ……ちがう……ぐすっ……ちがうの……!』


 泣き出した早霧の背中を擦ろうとしたけど、上半身裸だったため思わず手が止まってしまった。

 その間も早霧は顔を伏せながら首を横にふって泣きじゃくって言葉を続ける。


『こんな時なのに……れんくんが怪我してるのに……私……すごく嬉しいの……!』

『……さっちゃん?』

『む、昔みたいにたくさんお話してくれて……嬉しくて、胸の中がポカポカして……こんなこと思っちゃ駄目なのに……れんくんは今すっごく苦しい筈なのに……ずっとこうだったら良いなって思っちゃう……私、すごく嫌な子だから……!』


 それは、ぐちゃぐちゃの感情だった。

 俺が早霧とこうしている時間にやすらぎを覚えていたのと同じぐらい、いやそれ以上に早霧はこの状況を心地良く思ってくれていて……だけどそれが逆に、早霧を苦しめていたんだ。


 だって早霧は誰かの痛みや苦しみがわかり寄りそえる、とても優しい子だから。


『……うん。良いよ、嫌な子で』

『…………え?』


 だから。

 俺は後ろから、その震える背中を優しく抱きしめる。

 雨に濡れ冷えてしまった身体はとてもか弱くて、こうしていないと何処かへいなくなってしまいそうだった。


『さっちゃんが嫌な子でも、僕はずっと一緒にいるよ』

『…………っ!』

『だって僕はそれ以上に、さっちゃんの良いところを知ってるから』


 泣き虫なところも。

 寂しがり屋なところも。

 可愛いものが好きなところも。

 インドアだけど実はワガママでお転婆なところも。

 甘いものが好きなところも。

 ちょっとした仕草が可愛いところも。

 怪我した猫を助けようとする優しいところも。

 人のキスを見て顔を真っ赤にしちゃうところも。

 その白くて長い髪がすごく奇麗なところも。

 淡い色をした瞳に吸い込まれそうでずっと見ていられるところも。

 喜怒哀楽がハッキリしているその透き通るような声も。

 俺といるといつも笑顔でいてくれて明るい気持ちになれるところも。


 全部。

 俺は全部、知ってる。


『僕もね、ずっとこうしてたいなって思うもん』

『…………ほんと?』

『うん! だって今日さ……こうしてさっちゃんと二人っきりでゆっくり話せるの、今が初めてだし!』


 迎えに行った時は早霧の父さんと母さんがいて、バス停までは近所の人や通行人がいて、バスに乗ったらお祭りに行く人たちがいて、神社に来たら大勢の人がいた。


 りんご飴屋のおじさん、クラスメイト、愉快なお姉さんと優しいお兄さん、白猫。


 何かをするにも誰かがいて、目的があって、こうして早霧と他愛ない話をする時間が無かったんだ。


『僕はさっちゃんと一緒にいてお喋りするの、好きだよ』

『……うぅ……ぐすっ……!』

『さっちゃんは僕とお喋りするの好きじゃない?』

『……すき……好き、だよ……大好き……!』

『良かったぁ』


 ああ、安心した。

 心が満たされていく。

 俺が好きなことを早霧も好きでいてくれて、本当に良かった。


『さっちゃん、まだ寒い?』

『……あったかい』


 前に回していた俺の手に、早霧の手がそっと重なる。

 小さくて華奢な女の子のその手は、冷えた身体と一緒でとても冷たくて、カキ氷のようにヒンヤリとしていた。


『……こんなにあったかくて、良いのかな?』

『うん』

『……こんなに嬉しくて、良いのかな?』

『うん』

『……こんなに幸せで、良いのかな?』

『うん』

『……でも私、れんくんに迷惑かけてばかりで……何もお返しできてない……!』


 ああ、本当に。

 早霧はすごく優しい。

 幸せに慣れてなくて、幸せを感じることが不安なんだろう。


『……お返しなら、もうもらってるよ』

『…………え?』


 後ろから抱きしめているせいで顔は見えない。

 でもその声はまた震えていた。

 だから俺は言わなくちゃならない。


『…………』


 例え意識が、朦朧とし始めていたとしても。


『……僕は、さっちゃんと一緒にいれるだけで嬉しいよ』

『で、でも……!』


 理由なんて、考えれば山ほどあった。


『……ねえ、さっちゃん?』


 お祭りが楽しみすぎて、徹夜をしてしまったこと。


『……一緒にいてくれて、ありがとう』


 そんな体調で無理をしながら、お祭りに来ていたこと。


『……たくさんお話しを聞いてくれて、ありがとう』


 大雨でずぶ濡れになって、走り続けたこと。


『……元気になってくれて、ありがとう』


 盛大に転んで、顔中を怪我してしまったこと。


『……笑顔になってくれて、ありがとう』


 雷雨の中、早霧を安心させるためにずっとやせ我慢をしていたこと。


『……さっちゃん』


 心配が安心になって、ホッとして。

 その反動で身体が、心が、限界を迎えだしていたんだ。


『……僕と』


 でもそれは、それだけじゃ、俺が言葉を止める理由にはならなかった。


『……僕と、親友でいてくれて、ありがとう』


 だって俺は、早霧が笑顔でいてほしい……それだけだから。


 だから――。


『……これからも、ずっと一緒だよ』


 

 ――ちゅっ。



 それは初々しい、純粋な、子供のキスだった。

 唇と唇ではなく、舌を絡める情熱的なものでもない。


 頬にそっと触れるだけの、優しいキスだ。

 そして俺の、本当のファーストキスだった。


『…………え、あう……えう!?』


 重なっていた手が離れて、俺がキスをした自分の頬を早霧が触った。

 さっきまでのネガティブな感情は、真っ赤になった顔によって全部吹き飛んだようだった。


『れう、れうう……れ、れれれれれんくんっ!?』


 ああ、良かった。


『ちゅ、ちゅー……! れんくん……ちゅー!?』


 早霧が、元気になってくれて。


『れんくんが、私に、ちゅ、ちゅー……』


 本当に、良かった。


『えへへ、えへへへへ……!』


 やっぱり早霧には、笑顔が一番だ。


『ね、ねえ……れ、れんくん……? も、もう一度――』


 ――ドサッ。


『――え?』


 あれ、何か冷たいな。


『れん……くん?』


 ずぶ濡れになった早霧の冷たさじゃなくて、木の床の冷たさだ。


『れんくんっ!?』


 早霧の声が、聞こえる。


『れんくん、大丈夫っ!?』


 視界が揺れる、景色がぶれている。

 でも、早霧は見えている。

 ……泣いている。


『やだよれんくん……! れんくん、起きてよぉ……!』


 駄目だ。早霧、泣いちゃ駄目だって。

 俺は早霧にずっと笑っていてほしいんだ。


『れんく――! れん――!』


 俺が、守らなきゃ。

 早霧の笑顔は、俺が守らなきゃ。


『――――! ――――!』


 そう強く願ったのを最後に。

 ついに限界を迎えた俺の意識は、心地良い闇の中に消えていった。

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