第92話 「――ひにゃあああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!??」

 ムードとは、とても大事なものである。

 それは心を許した幼い頃からの幼馴染と喧嘩から仲直りをして久しぶりのキスをした後も同じだと、俺は痛いほどに思い知る事になった。

 勝負は俺の負け、しかし悔いは無い。

 負けこそはしたがあそこまでされて期待に応えないのは違うと思ったし、何よりも俺が早霧にキスをしたかったんだ。


「……蓮司の馬鹿」

「……すまん」


 ……で。

 問題はそこから。

 今現在俺は進行形で拗ねた早霧から罵倒を受けていた。しかもただ受けているんじゃなくて同じベッドの中で早霧が俺を後ろから抱きしめながら、俺の耳元で囁かれるように罵倒されていた。


「……馬鹿、蓮司の、馬鹿えっち」

「……すまん」


 何だこれ。

 今朝までの俺だったら間違いなくこう言うだろうが、今現在の勝負に負けた俺にはそれを言う資格はなかった。


「……馬鹿」

「……すまん」


 さて。

 このままだとただの罵倒と謝罪の平行線の長期戦になってしまいそうなので、少しだけさっき起きたことを思い出しながら原因を探ろうと思う。

 一度拗ねた早霧はしばらくこのままな筈だから、それぐらいの余裕はありそうだ。


 そうあれは、俺が風呂場で早霧にキスをしたすぐ後からにさかのぼる――。


  ◆


「――んっ」


 静かな浴室に響いたのはキスでも塞げない愛しい人の吐息だった。

 久しぶりのキス、触れ合う唇と唇。

 待ち望んでいた感触は脳を震わせ心が満たされていく気分で。シャワーに濡れた俺の唇とリップクリームで潤いのある早霧の唇が重なる。

 水と油は混ざらないと言うが、そんな事は無い。異なる二つの湿り気が混ざり合うキスはとても気持ちよくて、もっともっと、したくなった。


「んっ……ふぁ……」


 合間に早霧が息をしようとするがその時間さえも惜しかった。

 息継ぎで開いた口を塞ぐように唇を重ねると、それから逃げるようにまた唇が離れていく。


「んぅ……ま、まって……」


 待たない。

 唇と唇の追いかけっこが始まる。追いついたらタッチの代わりに唇が触れ合って、捕まえるようにその唇を唇で挟んだり。


「……ぁっ……やっ……んっっ……」


 遠ざかる背中に手を回して、それ以上動けないようにしてキスをする。

 こぼれる吐息と甘い声がキスをする度に聞こえて、まるで久しぶりにご褒美を貰えた子供のような気分になった。


「……はぁ……れん……んんんぅ……!」

「んん!?」


 けれどそれは長く続かなかった。

 ついに呼吸が限界になった早霧が両手で俺の胸に手を押し当て、身体ごと唇を離されてしまった。


「……はぁ……ひぃ……ちょ、ちょっと……くるしい……」

「す、すまん……」


 肩を上下させ真っ赤な顔で息をする早霧を見て謝りこそしたが、俺の興奮は収まらなかった。

 何せ喧嘩してから本当に久しぶりのキスだ。もっとしたい。キスをして、もっと可愛い反応をする早霧を見ながら早霧を感じたかった。


 俺の頭は完全にキスに支配され、早霧が息を整え終わるのを待っていた時だった。

 不意に少しだけ寒気がして。


「――ハッ、ックション!」

「え、えっ!?」


 思いっきりクシャミをしてしまった。

 興奮の中でも生理現象は防げないらしい。いや少しでも落ち着いたから出てしまったのかもしれない。

 そういえばシャンプーをシャワーで流してもらってから、身体を拭いていなかったので濡れたままなのをこの時ようやく思い出した。。


「だ、大丈夫っ!? か、風邪ひいてないっ!?」


 そしてそんな俺にいち早く詰め寄ったのが早霧だ。

 早霧は子供の頃からずっと病弱だったから、人の体調が悪くなることを誰よりも気にする。自分がその辛さを知り尽くしているから。

 ユズルが夏風邪をひいた当初もめちゃくちゃ心配していたし。


「あ、ああ……少し冷えただけ――」


 言葉の途中で、バサリと何かが落ちる音がした。


「……えっ?」


 それは、心配して俺に両手を伸ばしてくれた早霧のバスタオルだった。

 途端に目の前に広がるのは、全世界の男子が夢に見るであろう、女子の、学園一の美少女の、幼馴染の、綺麗な素肌で。


「…………」

「…………」


 そして、ゆっくりと、俺と早霧の視線が、固まったまま下に降りていく。

 膝立ちの早霧、浴室のタイルに落ちたバスタオル。

 成長した幼馴染の、発育良く育ったその隠されていた全てが、目の前にあって。


「ひっ――」


 それと同様に、俺が腰に巻いていたタオルも落ちていた。

 キスの気持ちよさによる興奮から、男なら避けられないその生理現象は……早霧と一緒で、全てをさらけ出していて。


「――ひにゃあああああああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!??」


 狭い浴室に、早霧の悲鳴が響き渡ったのは言うまでなかった。


  ◆


「……蓮司の馬鹿」

「……すまん」


 そして、今に至る。

 俺はベッドで後ろから早霧に抱きしめられながら耳元で罵倒を受けていた。

 ムードとは、とても大事である。

 もしあれが互いにキスに夢中になっていたのなら、もしかするともしかして最後までいっていたのかもしれない。

 だが一瞬でも一度落ち着いて、そして俺の体調を心配してくれた早霧の意識がそっちに行った瞬間に不可抗力とはいえお互いに全裸を見せ合えば……反射的にビンタの一発を食らうのもやぶさかではないだろう。


 俺の幼馴染はバスタオル一枚で風呂場に侵入してきたりキスをねだってきたりするいが、昔からずっと恥ずかしがりやなのだ。

 嘘みたいだが嘘だったら今回も、かなり前にダボダボTシャツのユルユルな首元から胸が見えた時も、止まっていなかっただろう。

 だから俺は甘んじて早霧の罵倒を受け入れているところだった。


「……心配、したのに」

「……すまん」


 それを言われると、本当に何も言えない。

 早霧が体調を気遣ってくれたが片や俺は興奮していたとか、状況的に仕方ないかもしれないが事実は事実だった。

 反論こそしないが、誰か冷静でいられた俺を労ってほしい。

 今も背中に大きくて柔らかい感触が当たっていて大変なんだ。


「……あ、あんなに、なっちゃうの?」

「……ノーコメントだ」


 俺にだって黙秘権ぐらいあったって良いだろう。

 不意に訪れた幼馴染の知的好奇心による羞恥プレイはノーセンキューだ。


「……だ、だって昔見た時と違っ」

「それ言ったらお前は昔と同じでツル」

「むうううううううううううううううううううっっ!!」

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!?」


 仕返しに俺も見た事実を言おうとしたら抱きつく力がめちゃくちゃ強まった。

 絞まる。

 首じゃない、俺の腹が。


「れ、蓮司のえっち!」

「し、仕方ないだろ!」


 もはや破れかぶれ。

 でも事実だし。色々な感情が混ざり合った言葉を吐き出した。

 仲直りが出来て嬉しい、キスが気持ちよかった、成長した裸を見て、見られてしまった、勝負に……負けたんだよなぁ。


「…………」

「……む、無言で後ろから足を絡めるの止めてくれ」

「……だって、えっちなんだもん」

「…………」


 理由になって無かった。

 むしろ、同じベッドの中で後ろから抱き着いて足を絡め出した早霧の方がえっちである。

 でも言わない。だって俺は勝負に負けたんだから。


「……蓮司の、匂い」

「……あ、おい!?」


 勝負に勝った早霧は俺の背中に顔を埋めてくる。

 匂いって言ったって、今日は同じボディソープを使った筈で変わらない筈だ。


「…………」

「……さ、早霧?」

「……すぅ……すぅ……」

「……またかよ嘘だろ!?」


 そして、寝息が聞こえてきた。

 本日二回目である。

 けれど今度は前からではなく後ろから抱きついた状態で、寝た。

 自由すぎる。


「……すぅ……すぅ……」

「……俺だって、抱きしめたいのに」


 当然返事は無く、寝息しか帰ってこない。

 仲直りはできたが、勝負には負けてしまった。

 嬉しいような、悲しいような……波乱万丈の長い長い一日が終わりを告げる。

 背中に感じる、世話が焼ける幼馴染……いや親友の体温に包まれながら、俺の意識も次第に闇に溶けていった。

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