第60話 「んー!」
朝のホームルーム前に教室で一波乱を起こした早霧によって連れてこられたのは職員室……ではなくて階段の頂点にして終着点。屋上への扉前の小スペースだった。
引っ張り続けられたネクタイが解放され、ようやく自由を与えられた俺がやる事は決まっていて。
「お、お前なぁ!」
「ん!」
「な、に……?」
教室のアレは何だ、どうしたんだお前、先生に呼ばれてるんじゃなかったのか。頭に思いついた質問が全部、早霧の笑顔によってかき消された。
閉ざされ続けている堅く重い扉の前で、暗いスペースの中で輝く太陽のような笑みで両手を広げながら詰め寄られる。
背中が冷たい壁に触れるのは時間の問題で、追い詰められた俺を前にして早霧は後ろ手を組んで。
「んー!」
俺を見上げて、唇を向けて、瞳を閉じた。それがキス待ち顔だと分からない俺では無いが、俺の頭の中は疑問でいっぱいだった。
「――んっ」
とりあえず一回、キスをしてから考える事にした。朝一番の唇はみずみずしくて柔らかかった……じゃなくて!
「どうしたんだお前!?」
「どうしたって、何が?」
キスをしても結局思考は更新されず、思いついた中で最も重要なものから聞く事にした。しかし早霧は俺に肩を掴まれたまま、キョトンと見上げているだけである。つい数秒前まで重なっていた薄桃色の唇に視線が吸い込まれるのを我慢して俺は言葉を続けるのだ。
「き、教室で抱きつくなんて……今まで、しなかっただろう?」
キスをするようになってからめちゃくちゃ好意を向けてくるようになった早霧だが、それは二人きりの時だけだ。教室や部室等、誰かに見られるような場所ではやらないという一線が引かれていた……筈である。
朝の通学路等、例外はあったがそれでもクラスメイト達がいる教室でする事はなかったのに。
「嫌だった?」
「い、嫌じゃないが……お前は?」
直球だ。
「嫌じゃないよ? だって蓮司と一緒だもんね!」
「お、おぉ……」
直球過ぎて、これ以上何も言えない。早霧が良いならそれで良いかと思ってしまうのは俺の悪い癖なのかもしれない。
いや、だって……こんな事言われて嬉しくない筈が無いだろうが。
「だ、だが教室を抜け出す必要あったんむっ!?」
「……んぅ」
続く言葉は、唇によって塞がれた。
キーンコーンカーンコーンと、チャイムが流れる音だけが響いて。その音の途中で、唇がゆっくりと離れていく。
「……だってこの顔、誰にも見せたくないもん」
それは俺の顔なのか、赤く染まった早霧の顔なのかは、分からなかった。
けど俺は最初から完敗で、そんな顔でそんな事を言われたら許すしかなくて。
俺もその顔は、他の誰にも見せたくないと思った。
◆
チャイムが鳴る中をダッシュで教室に戻ってからホームルームを経て授業が始まった。
夏休みを目前にして行なわれたのは午前授業で、その短い間でさっきのあれは何だったと噂好きのクラスメイト達から詰められるような事は……無かった。
何故かと言えば、早霧が俺から離れなかったからだ。
「ねえねえ蓮司、教科書忘れちゃったから机くっつけても良い?」
「……別に良いが、珍しいな」
「うん! 今日の全部忘れちゃった!」
「全部っ!?」
ホームルームも。
「ねえねえ蓮司、今……机の下で手を握ったらどうなるかな?」
「なっ……お、俺が、ノートに、書けなくなるな、右利き、だから……」
「私が書いてあげるよ?」
「な、なら……良いか……」
授業中も。
「ねえねえ蓮司、何処行くの?」
「え? い、いや……トイレ、だが……?」
「じゃあ私も行くー! 親友だしね!」
「お前と一緒にか!?」
「入り口までだよ?」
「な、なら……良いか……?」
休み時間も、ずっとだ。
心臓が高鳴ったままあっという間に放課後になり、俺は狭い部室で大きく息を吸ってから。
「何なんだアイツっ!?」
「何か知らんが大変だな、赤堀」
思いっきり、吐き出した。
特別教室棟一階の一番奥にある元倉庫。自分らしさ研究会の部室には俺と長谷川がいた。
久しぶりの男二人。早霧とユズルは掃除当番なので、今だけは心置きなく男同士の友情を育める貴重な時間だ。
「……ようやく解放されたが、今日の早霧はおかしくないか?」
「いやお前もだけど?」
「…………」
友情が早速崩壊しそうだった。
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