第32話 「……入る?」
ただ夜に幼馴染の家に行くだけなのに、何故か夕食を終えた俺はシャワーを浴びて意味も無く身体を三回も洗っていた。
多分これは夏だからだ。そう、夏のせい。
決して、変な期待をしている訳ではない。
「……すぅー……くっ……!」
指が震えていた。
ただ玄関のインターホンのボタンを押すだけなのに極度の緊張状態だった。
蒸し暑い夏の夜、玄関下を照らす灯りの下でまた変な汗が滲んできたような気がした。
早霧と妙な雰囲気のまま別れた。このボタンを押せば、また再会出来る。
アイツはまだ気にしているのだろうか、それともいつもみたいにあっさり元通りになっているのだろうか、俺だけが気にしているのだろうか、そうじゃなかった場合どうしたら良いんだろうか。
頭の中で意味の無い想像だけがグルグルと回転していく。このままでは一生この場で立ち尽くしてしまいそうだ。
それはまるで、俺と早霧の関係のように……。
「……ええいっ!」
積もりに積もったそのモヤモヤを掻き消すように、俺は意を決してインターホンのボタンを押す。
十七年生きてきて、一番気合を込めたインターホンの押し方だった。
『ピーンポーン……ピーンポーン……』
家の中からチャイムの音が聞こえてくる。それから少し遅れて、ガチャっと鍵が開く音がした。
「…………ども」
「…………おう」
開いた玄関からそっと顔を出した早霧は、どっちとも言えない反応だった。
「……入る?」
「……呼んだのお前だろ」
「……それもそっか」
「なぁっ!?」
意味があったのか微妙なやり取りの後に早霧が玄関を開く。
全開になった玄関の中にいたのは、あの日と同じダボッとしたヨレヨレ白Tシャツとそれに隠れたショートパンツ姿の、あまりにも無防備な幼馴染だった。
「え、なに……どしたの?」
「お、お前その格好で出てくるのは無用心すぎないか!?」
「へ、平気だよ! 蓮司じゃなかったらちゃんとジャケット羽織るし!」
俺が平気じゃないんだよ。
部屋着がだらしないのは昔からだが、俺に言われてから急にユルユルの襟を押さえるんじゃない。ドキドキするから。
「ま、まあとりあえず入って……」
「お、お邪魔します……!」
バタンと玄関が閉じると、早霧の匂いがした。
いや、これじゃあ変態みたいだ訂正する。嗅ぎ馴染んだ、早霧の家の匂いに包まれた。
……あまり変わらない気がする。
「そ、そんな改まって言わなくても」
「し、親しき仲にも礼儀ありだろう! 夜にお邪魔するんだから!」
「私しかいないから気にしなくて良いのに……」
そう言いながらスリッパを履いた早霧がペタペタとフローリングの廊下を進んでいく。
……私しか、いない?
「あ、ソファ座って待ってて」
「え、あ、おう……」
連れてこられたのは二階にある早霧の部屋……ではなく一階にある広いリビングだった。
入って真正面に四人席の木製テーブルがあり、右側にはカーペットの上に白長のソファーとガラス張りのローテーブルに七五インチの大型テレビ。
何故俺がテレビの大きさを知っているかと言うと、新しくなったテレビが凄い大きいと早霧がくどいぐらいに自慢してきたからだ。
俺の家とは比べ物にならないぐらい広いリビングという落ち着かない環境の中で、緊張バクバクの俺はソファーの端に借りてきた猫のように座る。
早霧が言っていた通り、時間が時間なのに他の家族は誰もいなかった。
それが俺の緊張を更に加速させる。
誰か助けてくれ。
「なに飲むー?」
反対側のキッチンから聞こえてくる早霧の声がやけに響いた気がした。
「な、なんでも大丈夫だ!」
「それが一番困るんだけどなー」
そんな事言われたってこの状況で味なんて分かる訳ないだろう。それなのに喉だけは渇いていて、人体と言うのは不思議である。
自分の家というテリトリーに俺を引き込んだからか、早霧の様子はいつも通りに戻っていた。
その代わり、俺は自分でも分かるぐらい緊張しまくっている。膝に乗せた腕がこれでもかと震えまくっていた。
「はいおまたせどうぞ」
「お、おう……」
ゴトッとガラス張りのローテーブルに置かれたのはパチパチと気泡が弾ける半透明な紫色の飲み物。そう、炭酸ぶどうジュースである。
何故このタイミングでぶどうジュースなんだお前?
早霧は気にする様子無く、ソファーの端に座る俺の隣にチョコンと座った。
ソファーの上に足を乗せて、膝を立てた状態で、身体を丸めながら、ほとんど密着した状態で。
「…………」
「…………」
グラスの中で、炭酸がパチパチと弾ける音だけが響いていた。
「…………」
「…………」
……近くないか?
わざわざ端に座ったのに、何で隣に座ってきたんだコイツ?
いや、肩当たって、やっぱり髪長くて白っ、ふわりと良い匂いがして、首元はダボダボで、無防備で、綺麗な鎖骨が見えて……。
「……き、緊張するね?」
「おぉっ!? お、おう……」
不意に話しかけられてめちゃくちゃ驚いてしまった。ジュースを持っていなくて本当に良かった。
「れ、蓮司でも緊張するんだ……」
「そ、そりゃあ……」
手で横髪を掻き分けて、チラッと淡い色の瞳が俺を見上げる。その仕草だけで、胸が高鳴る。
顔を向けただけで俺の視線はその薄桃色の唇に吸い寄せられてしまった。
「じゃ、じゃあ……そろそろだし……」
横髪から手を離して、長い髪がサラサラッと流れていく。まるで金縛りにあったように、俺の身体は動かなくなって。
「み、見ようか……!」
なすすべも無く、幼馴染の言いなりになるしかなかった。
その細く色白な手がテーブルのリモコンへと伸びていき……ん?
『地上波初放送! 全米が恐怖した! ゾンビパニックVS呪いの井戸の少女!!』
七五インチの大型テレビが映し出したのは、アメリカのショッピングモールの中心に突如現れた井戸を取り囲む……ゾンビの集団だった。
ん? んん?? んんんんんん?????
「ひゃぁっ!? こ、これ見たかったんだ……!」
「あ、あぁ……おお?」
ビクッと跳ねた早霧は、めちゃくちゃ真剣な顔でソファーの上にあったクッションを二つ重ねてぎゅっと抱きしめていた。
え、ウチ来るって、そういう……?
家に人いないって、そういう……?
緊張してるかって、そういう……?
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