第6話 「ここなら、良いよね?」
「ねえ親友」
「なっ!?」
ホームルームが終わった瞬間に、それは訪れた。
昼休みが終わってから一度も顔を合わせてくれなかった早霧が、さっきまでの事は何も無かったかのような笑顔を向けてきた。
しかも、親友呼びで。
「ちょっと」
「お、お前っ!?」
彼女の手が俺のネクタイを掴む。
ここは教室。しかもまだホームルームが終わった直前であり当然他のクラスメイトが全員いる状態で親友呼びからのネクタイ掴み。
俺が親友という言葉に頭を悩ませているのは、俺と早霧の親友という言葉の認識が違うからだ。
片や家族同然の心を許した友人に対して、片やキスをしていい相手に対して。
そして早霧が俺を親友と呼びネクタイを掴むのはファーストキスの時と同じ状況であり、ここにはまだ皆がいた。それなのに早霧は止まる事無く、俺のネクタイを引っ張るのと同時にその妖精のような美貌を近づかせて――。
「来てよ」
「……は?」
――その顔が、目の前で止まった。
いやそれだけでも大事件である。目の前に学園一の美少女の顔があるんだぞ。それも教室という公共の場所で。俺だって、これが何を意味しているか分からない筈が無い。
「……え、チュー? チューした!?」
「い、いやしてないっ! セーフだ! 何か八雲さんが赤堀を睨んでる!」
「あ、あぁー! ビックリした……」
「え、でも距離近くない? やっぱりあの二人ってそういう事なの!?」
「けど親友って言ってなかったか!?」
当たり前のように教室が大騒ぎになった。彼らには俺と早霧がどう映っているんだろうか。考えるだけで怖ろしいものである。
俺にだって、分からないのに。
「ほら立って」
「ま、お前っ……く、首がっ!?」
誰をも魅了する笑顔が離れても、ネクタイを掴む手はそのままだった。この状態のまま俺は早霧に引っ張られていく。
「あの赤堀が何も言わずに引っ張られてくぞ!」
「うわ何か犬みたい!」
「え、え……どっちの趣味? どっちの趣味なのアレ!?」
「う、羨ましい……俺も八雲さんにあんなプレイしてもらいたかった!」
「お、幼馴染の秘密の関係……!?」
あることないこと騒ぎ立てる愉快なクラスメイト達のアレやコレやを耳にしながら俺は早霧に引っ張られて教室を後にした。飛び交う憶測の中身については考えないようにしておく。
「お、おい早霧!?」
「早くしないと人が来ちゃうよ?」
俺のネクタイを引っ張って廊下を進む幼馴染の勢いが止まらない。早歩き、首が絞まる。他のクラスのホームルームが長引いているのか、歩く生徒がいないのだけは本当に助かった。
……助かって、いるのか?
「階段、危ないから気をつけてね?」
「い、いや離してくれれば歩けるがっ!?」
まるで昼休みの仕返しのように階段を上らされる。
早霧が前を進んでいるので、身長さ故の苦しさは階段の段差が和らげてくれた。けど重要なのはそこじゃない。
「あー、緊張した」
「お、お前なぁ……!」
俺達がたどり着いたのは階段の終着点、屋上に続く扉の前の開けた空間だった。
漫画やアニメなんかでよくある屋上だが、現実はその限りではなくこの学園の屋上も閉鎖されている。
「ここなら、良いよね?」
閉鎖されているという事は、誰も来ないという事だった。
「まっ――」
「んぅっ」
返事をする前に、唇が重なった。
三回目、誰もいない階段の奥でネクタイを引っ張られながら。
「……これは、今日の分」
「……お、おま、おまえ」
柔らかな唇が離れていく。俺を見上げる色白の頬は、朱に染まっているように見えた。
三回目ともなれば予想はしていた。しかしキスなんて一日二日で慣れる筈も無く俺の心臓は高鳴り続けていて。
「んっ!」
「んんっ!?」
そこに四回目が訪れた。さっきよりも勢いのある、長めのキス。
「…………」
「…………」
それが、ゆっくりと離れていく。
俺は、見上げてくる早霧を無言で見つめる事しか出来なくなっていて、階下からは放課後の喧騒が響き始めていた。
「……これは、さっきのお礼」
「……あ、あぁ」
さっきとは、昼休みの事だろう。
けどお礼がキスなんて不純だ……なんて考える頭は無かった。
キスだけで、キスをされただけで、幼馴染がどんどん可愛く見えてしまっているのだから。
「ねえ」
ネクタイを掴んだままの幼馴染が潤んだ瞳で俺を見つめる。
こんな表情、見た事が無かった。泣いている所は何度も見た事があるが、それとは違う熱の篭った視線で俺を見上げて。
「親友」
俺の事を、親友と呼んで。
「――んっ」
五回目の、キスをした。
このキスの意味は、教えてくれなかった。
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