65話:彼女の意図

(こ、これは……偽聖女は⁉)


 濃い紫の煙幕により、彼女の姿は見えない。

 どうにかして逃げ出したのか、そのままクズに巻かれているのかすらわからない。


「……ッ⁉ いない⁉ おのれ……っ‼」


 紫のカーテンの向こうから、ユスティアナさんの怨嗟えんさの響きが聞こえてくる。

 察するに、彼女は煙の向こうで拘束されていはずの偽聖女に斬りかかったのだろう。

 だが、手応えはなかったらしい。

 まったく手段はわからないが、見事逃げおおせられてしまったようだ。


「ぎ、ぎぎぃ……」


 俺の側に居続けてくれているリンドウさんが、不安そうに身じろぎする。

 彼女がどうやって脱出したのかは気になるが、そうだね。

 今考えるべきは、俺とこの子の安全を図ることか。

 逃げ出したと見せての各個撃破とか、可能性として考えておくべきだ。


『り、リリーさーん‼』


「ぎ、ぎぎぃーっ‼」


 二匹でとにかく助けを叫ぶ。


「きゅーっ!」


 さすがは、聴覚にも優れるリリーさんなのでした。

 俺たちのヘルプを聞きつけて、煙の向こうから颯爽と登場してくれた。


(や、やれやれ)


 俺は額の汗を拭う的な気分だ。

 この子がいれば、大抵のことがあってもどうにかなる。

 さらには、ユスティアナさんを始めとする人間さんたちが集まってくれれば、安心はより一層なのだけど……あら?

 俺は目の前の煙を注視する。

 紫の中に、人影のようなものがボンヤリと浮かびあがった。

 どうやら、早速合流出来るみたいだね。


『あっ、ここでーす! ここ!』


 リリーさん、リンドウさんもまた、「きゅーきゅー」「ぎーぎー」と呼びかける。

 人影はすぐに、表情がうかがえるほどに近寄ってきた。


「良かった、良かった。大声をあげていただいたおかげで苦もなく辿り着けました」


 俺が間近にすることになったのは聖女のような笑みだ。

 黒い外套がいとうをまとった彼女──偽聖女が俺たちの前に姿を現した。


(……ふーむ)


 俺は思わず、リリーさん、リンドウさんと顔を見合わせる、

 声をあげるのにはこういうリスクもあったわけね。

 いやー、なんとも失念していたなぁ。


(ど、どうする?)


 現状、こちらの戦力は少なくない。

 俺の神格解放はガス欠だが、リリーさんにリンドウさんがいる。

 だが、どうやって拘束から抜け出したのかも含め、相手は未知数だ。

 軽々しく挑んで良い相手ではない。

 再び、助けを呼ぶ。これが現状では一番大事に違いない。


『み、皆さ……っ‼ へ?』


 だが、俺は意思の叫びを中断することになった。

 驚いたと言うよりかは、毒気を抜かれたというのが正しいか。

 彼女はどこかあどけない仕草で、唇の前で人差し指を立てていた。

 いわゆる、しーっ! ってやつだよね。

 続いて、彼女はニコリと首をかしげる。


「気を利かせていただき、ありがとうございます」


 俺はあらためて彼女を見つめる。

 いっそ無邪気とも思える振る舞いであり、俺のイメージする異常な邪教徒とは遠い感じがあるよな。 

 魚顔の死体を変貌させ、触手ギンチャクとして操ったという事実はある。

 だが、今の彼女はお茶目な普通の女性と言った印象であり、今までの言動から察するにどうにも……。


『偽物……なんですか?』


 ユスティアナさんの見解には異を唱えたくなるのだ。

 この人は、彼女の知る聖女当人であるんじゃないか?


「まぁ……ユスティアナにとっては偽物のようなものでしょうね」


 俺が真偽を疑っている彼女は、そう口にしてどこか寂しげな表情を見せた。

 ただ、そんな表情も一瞬であり、にわかに真剣な眼差しを見せてくる。


「横槍が入らない内に手短にお聞きします。人々に力を貸しているようですが、それは何故?」

 

 実際のところ、こんな質問に答える必要はないし、答えている場合でもない。

 助けを呼ぶのが行動としては最善であって、賢明なリリーさん、リンドウさんは「大声出します?」って俺の指示を待ち構えている。

 ただ、彼女の眼差し、口調は驚くほどに真剣であり、真摯なものであったのだ。


『そ、それは俺やこの子たちが一緒にいたいからで……あの人たちが困っていたからで……』


 雰囲気に押されるようにして、思わず答える。 

 彼女はわずかに首をかしげる。


「外なる神格とは思えないほどに普通な理由ですね? 肥えさせて、貴方たちで食べようとしているのでは?」


 俺は咄嗟にブルンと体を左右に振る。

 それは邪推も良いところである。

 リリーさん、リンドウさんにしても、「なわけがない」と首を左右にしている。

 彼女は「ふむ」と呟き、形の良いあごをさする。


「演技といった雰囲気はありませんねぇ。だとすると……何故? 貴方たちはどうにも、この集落での生活に終始しているようでした。貴方に善性があるとするなら、この世界に対してなにかしらの行動に出るのが普通では?」


 俺はどうしようもなく慌てることとなった。

 妙な問いかけであるが、不思議と責められているように感じたのだ。

 俺の脳裏には、白い空間における女性の姿が浮かんでいた。

 想像上の彼女は、俺のことを非難の眼差しで鋭く見つめてくる。


『そ、それは……知らないんですよ』


「知らない?」


『ここの外が実際どうなっているかなんて、俺は全然』


 思わず、言い訳がましい言葉を発する。

 糾弾が返ってくるような気がして俺は身構えるのだが、そんなことはなかった。

 目の前の彼女は、濃い苦笑を端正な顔に浮かべたのだ。


「なるほど。ユスティアナが貴方に囚われているのではなく、貴方がユスティアナに囚われていましたか」


 不思議なことを口にすると、彼女は悩ましげに腕を組む。


「となると、これは……そうですね」


 不意に頷くと、彼女は再び笑みを浮かべる。


「では、貴方たちを招待いたしましょう」


 俺は思わず『へ?』と声をあげる。


『しょ、招待?』


「えぇ。貴方の言う外の世界に、私が連れ出してさしあげます」


 若干、心惹かれる提案だった。

 ユスティアナさんが語ってくれなかった現実を知ることの出来るチャンスに聞こえたのだ。

 もっとも、さすがに聞こえただけであり、『はい、よろこんで!』とはならない。


『申し訳ありませんが……』


 彼女は「あら?」と首をかしげる。


「応じてはいただけないと?」


『当たり前です。俺たちに襲いかかってきた貴女を信用出来るはずがありません』


 俺は、彼女がくだんの聖女当人ではないかと疑っているが、現状として敵であることは疑っていない。

 多少魅力的に聞こえたとして誘いに乗れるはずがない。

 しかしまぁ、彼女は不服らしい。

 困ったように眉根を寄せる。


「そうですか、応じてはいけませんか。信用できないという点には納得しかありませんが」


『そもそも目的が分かりません。ユスティアナさんがおっしゃったように、生贄って話なんですか?』


 色々と不思議な発言があれど、目の前の彼女が邪教の一員であるのなら、意図はその辺りが妥当だろう。

 しかし、違うのだろうか?

 彼女は苦笑を浮かべる。


「うふふ、まさか。私は貴方に……」


 俺はぐねりと体をかしげる。

 彼女は何事か言いかけたまま、しばし黙り込んだ。

 そして、真顔となって口を開く。


「生贄……そうですね。生贄です。私は貴方の敵です」


 正直、不思議な態度に見えた。

 今までの友好的な態度とは裏腹であり、あえて俺に敵視されようとしている印象すら受ける。

 ともあれ、生贄が誘い文句とあっては、いよいよ乗るわけにはいかない。


(まずは助けを呼ぶだよな)


 今度こそとして、俺は意思の声を張りあげようとする。


「私が貴方の拘束からどうやって逃れたのか? 気になりませんか?」


 だが、俺はまたしてもその機会を逸した。

 笑みと共に発された不意の問いかけに、俺は『へ?』と意思をあげる。


『こ、拘束からどうやって逃れたのか?』


「人間の体とは不自由なものです。少し縛られたぐらいで、すぐに動けなくなります。ただ……」


 彼女は笑みのまま、きつく閉じられた外套の前に指をかける。


「きゅーっ!」


「ぎ、ぎぃっ!」


 なにかを察したのか、二匹が俺の前に出て、彼女に対して立ちはだかる。

 かまわず、彼女は外套の前をはだけさせた。

 そこに見えたのは……目?

 目蓋のない、魚眼めいた無数の目が、俺たちをじっと見据えてきている。


『に、逃げてっ‼』


 俺は思わずあの子たちに叫んだが、遅かった。

 黒い何かが溢れ、怒涛の勢いで俺たちに押し寄せてくる。

 ふと潮の匂いがした。

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