いくら最強格闘家の俺といえども、いきなり世界最高峰のサッカーチームに入れってのは流石にムリでしょ?

きんちゃん

栄光は何処なんだよ?

1話 新チャンピオン鷹輪ゲイト!

(……ここだ!)


 今が栄光を掴むその瞬間だ! などという余計な気持ちは微塵も入らなかった。

 ここが世界最高峰のMMA(総合格闘技)の舞台であるWFCであること。対峙する相手がライト級王座を5度防衛してきた現絶対王者ムルハドメゴフであること。そしてこの試合が彼とのライト級のタイトルマッチであること……。


 そういったストーリーや背景は微塵も頭に上らなかった。

 ただただいつものスパーリングと同様、機を捉えたと思った瞬間には勝手に自分の身体が動いていた。




 俺はリーチが長い。子供の頃はひょろ長い体型を友達にからかわれることもあってそれがコンプレックスでもあった。だが今ではこの骨格に産まれたことに感謝している。筋肉は後からいくらでも付けることが出来るが、骨格は修正のしようがない。この体型があったから俺が勝ち進んで来れたことは疑いようのない事実だ。

 相手のパンチが届かない位置からパンチを当てる……一言で言葉にするほど実行は簡単ではないが、それが可能となった大きな要因の一つに俺の体型があったことは間違いないだろう。


 今回の試合もそうだった。

 MMA(総合格闘技)とはほぼ何でもアリの格闘技だ。むろん殺し合いでもケンカでもないから細かいルールは様々にあるが、1対1徒手空拳で戦うならばほぼほぼ何をしてもよい。

 パンチやキックといった打撃を主体に戦う選手もいるし、レスリングのような相手をグラウンドに押さえ付けることが得意な選手もいる。あるいは首を絞めたり、腕や足の関節を狙うのが得意な選手もいる。

 時代の変遷とともにMMAも恐ろしいほどのスピードで技術体系を進化させてきたのだ。


 俺の今回の相手ムルハドメゴフはダゲスタン出身者らしく圧倒的レスリング力を武器に君臨してきた現役の絶対王者だ。だが俺はこの試合一度もムルハドのテイクダウンを許さなかった。

 それが出来たのは何よりも最初の打撃の攻防において俺が有利に立てたことが大きい。   

 様々なスタイルの選手がいてもMMAはスタンド(立った状態)から始まるという点は共通だ。組技、寝技に移行する前の段階に、必ず距離を取ってスタンドでの打撃勝負の段階があるということだ。


 そこで俺のリーチが生きた。今まで何度も勝利に導いてきたこの両腕が今回も俺を救ってくれたのだ。

 タックルに来ようかというムルハドのほんの一瞬のタイミングに左のジャブが何度も突き刺さる。それでも強引に距離を詰めて組み付いて来ようとする動きには、俺の得意の膝蹴りが彼の脇腹にカウンターで入った。

 その後も俺はジャブやローキック、左ミドルや三日月蹴りなどで距離を取りつつ、一度もテイクダウンを許さなかった。もちろんムルハドからも鋭いパンチが飛んできたが、最初の攻防で俺が先手を取れたことが大きかったのだろう。

 その後も1ラウンドはスタンドの勝負に終始した。それはつまり俺が1ラウンドを優勢に進めポイントを取ったということだ。




 そして勝負は2ラウンドになってからである。

 ムルハドはさらに強くプレッシャーをかけてきた。1ラウンド何度も俺の有効な打撃が入っているはずだったが、ダメージなどまるで無いかのような圧力のかけ方だった。多少の被弾には構わず絶対に組み付いて来ようという強い覚悟を感じさせるものだった。

 だがそれすらも俺たち……俺たちというのは俺とチームであるセコンド陣も含めてのことだ……には予想済みのことだった。ジャブから左のショートモーションのカーフキックを当てて、俺は相手の右側に回るようにステップを踏んだ。

 プレッシャーを強めてきたムルハドに対し、牽制の軽い打撃を出しながら横に回って逃げる動きに見えていたことだろう。恐らくは対峙するムルハド自身にもだ。


 そこで俺はステップと身体の向きを急激に変え、この試合まだ一度も放っていなかった右ストレートを打った。

 渾身の力を込めて、というわけではない。

 インパクトの瞬間までは拳も握り込まず、ちょっと一発出してみるか……と軽い気持ちで軽く打った右ストレートだ。その右ストレートがムルハドの顎をピンポイントで打ち抜き、彼は一瞬ふらつきマットに膝を付いた。


 ムルハドがダウンをしてからも俺は奇妙なほどに冷静だった。

 MMAではダウンをしてもそれでレフェリーが試合を止めたりはしない。片方が完全に続行不可能になるまで試合は続くのだ。

 当然倒れたムルハド相手に俺も追撃に行く。ここが勝機と見た俺は上から殴って完全に試合を終わらせるつもりだった。

 だがダウンをしたといってもムルハドは歴戦の猛者だ。意識がどれほどはっきりしていたのかは定かではないが、倒されてからの防御の動きも当然身体に染み付いている。上からパンチを出した俺の手首を掴み、それ以上のパウンドを打たせないように反応した。


 だがその動きすらも俺にははっきりと見えていた。手首を掴まれた瞬間、自らの身体ごと倒すようにして肘打ちを当てた。流れるような移行には流石のムルハドも対応出来ず、驚くほどすんなりとその顔面に肘が入った。

 そしてその瞬間に俺はロックしているムルハドの脚から自分の脚を抜き、マウントポジションを取った。




「マウント取った瞬間に会場は爆発していたぜ! ムルハドがマウントを取られたことなんてこのWFCで今まで一度もなかったんだからな!」


 後からコーチのマイクが教えてくれたが、流石にその瞬間の会場の歓声までは覚えていない。目の前にだけ集中していた。


 そこからも「身体が勝手に動いた」というのが本当に実感だ。

 マウントを取ってからの俺は上から肘、パウンド(グラウンドでの上からのパンチ)を落とし続けた。その最中も実に冷静だった。打撃は何度も当たっていたが、度々手首を掴まれたためフィニッシュするほど強い打撃を打つスペースはなかなか作れなかった。だからこの打撃をあくまでエサとして次の技を決めにいかなければならないことも理解していた。


 そして相次ぐ俺のパウンドを嫌ったムルハドが再度左腕を伸ばしてきた時が、その瞬間だった。

 すぐさま俺はその腕を取り、一般的に最も有利とされるマウントポジションを捨てて自らの身体を左側に落とした。脚を使い全力でムルハドの身体を押さえ付けると彼の左腕を思いっ切り伸ばした。

 腕ひしぎ十字固め……アームバーという名前の方が覚えやすいだろうか……は最もポピュラーな関節技の一つであり、俺の得意技の一つだった。


 アームバーが完全に極まったことはムルハドもすぐに理解したはずだ。だが絶対王者としての意地なのか、あるいはダゲスタンの血が屈服を拒むのか……彼はすぐにはタップをしなかった。

 だがそれでも俺がさらに力を込めると、逃げようがないことをすぐに悟ったのだろう。ムルハドメゴフは右手でマットを叩き、レフェリーが試合終了を告げた。






 いつの間にか試合が終わり自分が勝者となっても、俺はどこか自分が自分じゃないみたいだった。

 自分が自分が操っている他人であるかのような客観的感覚と、格闘技を始めてから今までの苦労が一瞬のうちに脳裏を駆け巡り、泣き叫びたくなるような感情が同居している。そんな奇妙な感覚だった。


「さあ、会場に来ている紳士淑女の皆さん!! それに世界中でPPVを見ている100万人の視聴者の皆さん!! 日本から来た新たなるライト級チャンピオン|鷹輪ゲイトだ!!」


 ついさっきまで俺とムルハドメゴフが試合を行っていたオクタゴンに人気インタビュアーが上がって来て俺を紹介した。

 会場の観客は割れんばかりのスタンディングオベーションと足踏みや指笛でそれに応える。

 インタビュアーの言った100万人というのがどれほど正確な数字なのか、アメリカ人特有の誇張なのかは俺にははっきりとは分からなかった。だがWFCのファンが世界中にいるというのは紛れもない事実だ。世界中に格闘技団体は無数にあれど、ここWFCが世界最高峰の総合格闘技の舞台であることは誰もが認める事実だ。


「ハーイ、ゲイト。素晴らしい勝利本当におめでとう! ベルトを巻いた今の気分はどうだい?」


「最高だよ。本当に最高だ……。何て言葉で表したら良いかわからないくらいさ……」


「ここまでの道のりはタフなものだった?」


「ああ、そうだね。……いや、どうだろう? 昔のことはもう忘れてしまったさ」


 俺としては観客に対するサービスのつもりなど無く、単に自分の実感を述べただけだが……その言葉に会場が大きく沸く。かつて今の俺以上に発する言葉を待ち望まれている人間がこの世に存在しただろうか? そう思うほどの会場の反応だった。

 もちろん脳裏では過去の苦しいこと辛いことも無数に思い出されたが、それすらも今は俺を祝福してくれているような幸せな感覚だった。


「これでアジア人としては初めてのWFCチャンピオンとなったわけだけど?」


「ああ、そうだね。このベルトにはそれだけの重みがあるんだね……。でも試合中はそんなこと全然頭に上らなかったよ。目の前の最強の相手にだけ集中していたからね」


 俺が腰に巻かれた黄金に輝くWFCのベルトをポンポンと叩くと、再び会場は熱狂した。


「OK。試合が終わったばかりだけど次の目標は? 誰か戦いたい相手とかはいるのかい? 今までは追う立場だったけどこれからは狙われる立場になるからプレッシャーもあるね。でも絶対王者だったムルハドメゴフを君は今日倒してしまったし、この試合に至るまでの過程で君はほとんどの上位ランカーを倒してしまっている。となるとライト級からウェルター級に階級を上げるということも考えているのかな?」


「さあね、もちろん誰にも負けない自信はあるけど……。でも今さっきタイトルマッチが終わったばかりなんだぜ? 先のことは置いといて少し休ませてくれよ」


 インタビュアーの質問が込み入ったものになってきたので、俺は両手を上げてやれやれというポーズを示した。それだけで再び会場が湧く。


「OK、ゲイト。その通りだね。とにかくゆっくり休んでくれ! 日本には帰るのかい?」


「ああ、そうだね。長い間日本のミソスープも飲んでいないからね。しばらくは日本に帰ってバカンスだよ」


「OK。とにかく今日は本当に素晴らしい勝利おめでとう! ヘイ、会場の皆さん! この日本から来た最高のチャンピオンに改めて大きな拍手をお願いするよ!!!」


 インタビュアーが俺を指して拍手をすると、再び会場からは割れんばかりの拍手や口笛、声援が再び飛んできた。

 それは昔、プロになりたての頃に会場で感じていた格闘技特有の殺気立った熱狂とは少し異なり、もっと温かい応援に思えた。


 そこには人種も言語も越えた純粋な感動が間違いなくあった。



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