第5話『葬られた過去』
美由紀は胸のざわめきを必死で抑え込みながら鐙子に尋ねる。
「何する気?」
「書くのよ……“夢”を」
そう言うと、鐙子は台に置かれた紙を一枚手に取った。
「やめなさいよ! 本当だったら鐙子が死ぬことになるのよ!?」
すると、鐙子は肩を揺らしながら笑い出す。
「わたしは死なないわよ」
笑いを堪えながら、自分の胸ポケットから出したペンを使って紙に書き始めた。走らせたペンの動きが止まると、即座に紙を美由紀に目の前に突き付ける。その紙を見た瞬間、愕然とした。
「鐙子……あなたっ」
紙には本人の名前ではなく、“谷山尋実”と書かれてある。夢を書く欄には“息子に会いたい”の文字に、美由紀は思わず鐙子を睨み付けた。
どこまで、この女は非道なのだろう。
「なによっ、睨まなくても良いじゃない。別にあなたが死ぬ訳じゃないんだから……それとも、ここに美由紀の名前書く?」
その発言に、口から出掛けた反論の言葉を飲み込んでしまった。不謹慎だけど、本当のところ自分の名前で無かったことに安堵してしまう。
わたしも鐙子も、同類だ。
二十年前、千佳子をいじめのターゲットに決めたのも、石段から突き飛ばしたのも、土に埋める提案をしたのも全て鐙子。
尋実とわたしは、鐙子が怖くて従ってしまった。逆らえば、どちらかが千佳子のようになっていたかもしれない。自分の身を守ることに必死で、わたし達は千佳子を見殺しにした。
わたし達は犠牲者ではなく共犯者。
千佳子を殺した事に変わりはない。
鐙子さえいなければ、こんな苦しみを長年に渡って背負う事も、隠し続ける事もなかった。
今さら後悔しても遅すぎると理解している。わたし達が千佳子を殺した事実はもう消えることなどない。
美由紀の脳裏に、あの日の光景が浮かぶ。
千佳子は大人しくて、ひとりで読書をするような物静かな子だった。だから、鐙子にとってはいじめやすいタイプだったのだろう。
教科書を隠したり、机に落書きをしたりと、はじめは幼稚な悪戯程度だった。けど、それは月日が経つほどにエスカレートしていき、過激さを増していく。トイレに連れ込んで水を浴びせたり、お金を奪ったりと、千佳子にとっては地獄の日々だったに違いない。
そして、この人気のない神社は鐙子にとっては絶好の場所だった。放課後には必ず千佳子をここへ連れてきては、意味もなく罵り殴った。
そんな中、千佳子はされるがまま。どんなにひどい事をされても無抵抗だった。鐙子が何故あそこまで千佳子をいじめることに執着したのか、今もよく分からない。
そして、あの日が訪れた。
神社でいつものように殴る蹴るの暴行を受け続ける千佳子。いつもなら抵抗しない相手に直ぐ飽きてしまうのだが、その日の鐙子は異常だった。あの時ばかりは千佳子も身の危険を感じたらしく、途中で逃げ出した。
石段近くまで逃げたものの、鐙子に捕まり、揉み合っているうちに悲劇は起こる。あまりにも抵抗する千佳子が面白くなかったのか、最後は鐙子自ら手を下した。突き飛ばされ、足を踏み外した千佳子は一瞬のうちにわたし達の視界から消えてしまう。
階段下で頭から血を流し、動かなくなってしまった千佳子。目は見開き、宙を仰いでいた。あの瞳は今も記憶の奥底にこびり付いている。
彼女が死んだと思い込んだ鐙子は、なんの躊躇もなく穴に埋めた。犯した“罪”ごと、わたし達はあの穴に全てを葬ってしまった。
翌日、帰ってこない千佳子を心配した両親とともに警察が学校へ訪れる。目撃証言を取り始めたが、あの日の事を見ていた人は誰も現れなかった。わたし達は運が良かったのかもしれない。
月日は流れ、捜索もいつの間にか打ち切られてしまう。千佳子のお母さんが幾度となく学校へ出向いては千佳子の事を聞き回っていたらしいが、わたし達に疑いの掛かる証言は一切出てこなかった。
クラスメート達は気付いていた筈なのに、全員がいじめについて語ることなく、口を噤んだ。それを言ってしまったら、次は自分たちがいじめのターゲットにされると思い、言えなかったのだろう。
それほど、鐙子は怖い存在だった。
そんな彼女暗黙してしまったわたし達は、被害者であり、加害者でもある。
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