五感の研究と某国

森本 晃次

第1話 嗅覚の研究

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年7月時点のものです。


 人間というのは、好きな臭いと嫌いな臭い、どちらも感じることができる。たぶん、動物もそうなのだろうが、言葉が喋れないので、

「臭い!」

 と叫んだりはしない。

 ただ、なるべく近づかないようにしながら、警戒はする。臭いによって、感じるものもあるだろうからである。

 ちなみに、

「におい」

 という言葉を漢字で書くと、

「匂い」

 という字と、

「臭い」

 という字になる。

 前者の、

「匂い」

 は、基本的にいい匂いなどの時に使う言葉である。

 別の言い方をするならば、

「香り」

 という言葉でも表されるであろう。

 芳香剤ななどのような、甘い香りであったり、柑橘系の香りなど、甘い香りはそのままで十分なのだが、柑橘系の場合は、ちょっと嫌な臭いを中和する感覚の時に、使うものだと思っていた。

 だから、逆に、同じ芳香剤でも、トイレのちょっと酸味の強い臭いの場所で、ローズなどの甘い香りを漂わせると、きつい臭いが勝ってしまうことで、甘い香りが却って、臭く感じられてしまうのではないだろうか?

 そういう意味で、柑橘系のような香りは、酸味にうまくマッチして、臭いを中和してくれる。

「きつい臭いには、きつめの臭いでしか対応できない」

 ということになるのだ。

 芳香剤などの、いい香りの時には、

「匂い」

 という言葉を使うのだ。

 逆に、臭いがきつい時、気持ちのよくない匂いの時はなんというだろう。

「くさい」

 というではないか。

 これを漢字で書くと、

「臭い」

 になる。

 つまり、気持ちのよくない、不快に感じる臭いというのは、

「臭い」

 と書くのである。

 汚物の臭い。工場などの産業廃棄物、さらには、人間や動物の体臭など、いろいろな悪臭というものがある。

 それを中和するような芳香剤であったり、臭い消しのような化学製品が、一杯開発されている。

 ただ、だからと言って、

「臭いもの、すべてを否定する」

 というのはどうなのだろう?

 害虫などが寄ってこないようにするために、わざと、悪臭を放つということも、普通にやっていたりする。悪臭も、使いようによっては、いろいろあるということだ。

 そんな臭いについて、研究しているところがあるという。それも、国家が絡んでいる研究所で、ある意味、国家の重要機密に値するところで、本来は日本には関係のないことなのだが、某日本の同盟国から、要請されてやっていることだった。

 いや、要請などという生易しいものではない。半強制的で、完全に主導権は向こうに握られている。

 しかも、国民はおろか、政府内ですら、知っている人間はごく一部という、そんな組織だった。

 なぜ、そこまで極秘にするのかというと、それが、明らかな軍事目的の組織だからである。この組織において、ほとんどの作業や案件は国家機密である。

 それ以前に存在自体が国家機密で、ただ、ウワサというのは、存在するもので、まるで、中学の頃などにあった、

「学校の七不思議」

 に近いものがあった

 それと似た感覚が、政府の中にあり、どこかきな臭いものが、漂っていた。

 もちろん、研究員は、政府に関係のない人間たちで、いろいろな大学から、より優れた人たちを集めた、超エリート集団なのだ。

 中には、ノーベル賞候補と言われる人もいて、上司の中には、ノーベル賞受賞、あるいは、同等の栄誉を持った人がたくさんいた。

 ただ、相談役という名目で、非常勤の取締役となっている人に、政府の要人がいたりした。

 だが、それも、無理もないことであり、ある程度徹底された組織になっていた。

 それもそのはず、この組織の実質的な運営は、某国の軍部である。

 ある意味、この組織は、

「某国軍部の直轄」

 といってもいいかも知れない。

 だから、日本政府も口出しができない。

 しかも、この組織の運営資金のほとんどを拠出しているのが、日本政府ということで、どれだけ理不尽な組織かということは分かるというものだ。

 その国家予算の名目は、

「国防費」

 であった。

 ただ、国防費だけであれば、あまりにも巨額な金額を国防費として計上しなければならず。さすがに、そこまではできない。

 そこで、某国との話の中で、

「日本が、わが国から輸入する兵器を、計上から、かなり安く購入できるようにしましょう。その差額を、研究所の運営にあてればいい」

 という提案が某国国防相からなされた。

「それはありがたい」

 ということで、政府の研究所維持団体からは、二つ返事で了承された。

 だが、これだけでも拠出できるものではない。何とか政府の予算だけではなく、党の政治資金からも拠出されるのだが、ここが面白いところで、政府としては知らない人も多いのだが、実は、党の方では、知っている人が多いのだ。

 つまり、党の政策として、このプロジェクトは成り立っているのだ。

 政府を当て医できないのであれば、党に頼るしかない。某国の軍部が眼をつけたのは、日本の、

「政権与党」

 だったのだ。

 実は日本は、最近まで、他の党の組織票というものを当てにして、

「連立政権」

 を確立していた。

 その党は、ある宗教団体を母体にしていて、信者だけでなく、労働者などの票も持っていたので、

「よほど、母体が問題でも起こさない限り」

 組織票というものは、固定票だったのだ。

 それを当てにした与党第一党と、組織票だけでは、どうしても与党にはなればいので、

「連立でもいいので、与党として名を連ねたい」

 ということであろう。

 それぞれの党の利害が一致し、与党による独裁がずっと続いてきたのだ。

 ただ、それだけ、与党第一党とはいえ、

「連立でなければ、過半数維持は難しい」

 ということであろう。

 それだけ、今まで政治が流動的だったということもあり、さらには、スキャンダルや、大問題となるようなことを、頻繁に起こしてきて、政府を信じられないと思っているという人も多いということだろう。

 つまり、それだけ、国民の政治離れが進んできているということで、実はこれは、政権与党としてはありがたいことであった。

 口では、

「国民の政治離れを何とかしないといけない」

 といってはいるが、実は、彼らには組織票があり、必ず入れてくれる最低限の票はあるのだ。

 だから、当選するには、分母が小さい方が有利にきまっている。それを思うと、口で何と言おうとも、投票率が低い方が、選挙では優利なのだ。

 さらに、国民が政治に関心を示さないと、国民に対して極秘なことも進めやすい。これほどありがたいことはない。

 昔のヒトラーなどのように、

「独裁国家」

 を作ろうとすると、民衆の爆発的な人気が必要となるが、民主国家における政権を維持するという程度のことであれば、過半数でいいのだから、連立を組んでいる間は、そこまで選挙といっても、躍起になる必要はないだろう。

 ただ、政権を取ってからの、政府内での力関係ということになると、

「一票でもたくさん、票を得る必要がある」

 というのは当たり前のことで、そのための選挙活動である。

 つまり、選挙運動で、国民が見ているところと違うところを見ているということだ。

 すでに先を見越して動いているというのは、さすが政治家というところであろうが、正直、政治家にもピンからキリまでいて、

「本当の政治家」

 といえる人もいれば、政治に関しては、ある意味、どうでもいい人も多く、まるで、

「客寄せパンダ」

 といってもいいような、

「タレント議員」

 などもいる。

 ある選挙区で、対抗議員が強いので、しょうがないから、ネームバリューだけで連れてきたタレントを当選させるというようなことをするのだ。いくら、

「過半数くらいは大丈夫だろう」

 と言われていても、いつ何が起こるか分からない。

 スキャンダルなどというのは、突然に発生するもので、マスゴミなどは、選挙を狙ってわざと暖めていたネタを選挙中などに暴露して、与党が不利になるようなことをすることもあったりする。

 マスゴミというのは、報道に携わっているということで、その会社の方針というものがある。

「右寄り、左寄り」

 などというのも、その一つで、今までに、そんなマスコミのやり方に翻弄されてきた政治家がどれだけいたことだろう。

 有名な政治家が、スキャンダルにまみれたかのような報道をされ、言い訳ができないところに追い込まれ、辞職に追い込まれる。

 そのたび、野党から追及を受け、ひどい時は、

「内閣不信任案」

 などというものが出されることもあるが、中には、闇雲のスキャンダルのたびに、不信任案を出していては、その存在感が次第に薄くなっていくというもので、それほど、政治家、特に政府与党の議員には、スキャンダルはつきものだと言えるだろう。

 何しろ、

「政治家で、叩いて埃の出ないような人はいない」

 と言われている中で、必死になって政治家のスキャンダルを追いかけるジャーナリストがいるわけだから、丸裸にされてしまうのも、当然のことだろう。

「世の中、食うか食われるか」

 まさに、マスゴミと政治家というのは、そういう関係なのだろう。

 そんなマスゴミから、何としてでも機密を保持しないといけないのだから、この研究所も大変なことだ。

 ここでの研究員に、ある意味自由はない。

 研究所を出ることは、よほどの理由がなければ敵わない。

 もっとも、ここで研究をしている学者というのは、

「俺たちは研究さえできれば、それでいいんだ」

 と思っている人が多い。

 結婚する意志のない人、あるいは、結婚はしたが、すぐに別れた人、さまざまだった。

 すぐに別れた人は、一般の人たちの離婚とは、少し違う。

 普通、離婚というと、どちらかに、

「不倫や浮気」

 あるいは、

「浪費癖がある」

 などという具体的な理由がないのであれば、

「性格の不一致」

 というものが一番大きかったりする。

「今まで恋愛期間中には、気付かなかったものが、結婚したとたんに見えてきて、それが、許せない」

 ということも非常に多いだろう。

 それが、新婚旅行という、共同生活の最初の段階で気づいてしまった時、

「成田離婚」

 などという言葉が生まれることになるのだ。

 だが、そもそも彼らには、他の人と、最初からまったく違っているのだ。

 そんな彼らと、

「お付き合いをしたい」

 と思ったとしても、交際期間の最初の段階で、

「これはダメだ」

 と女性側は思ってしまうだろう。

 それに、交際するにあたって、男性も女性も、

「少しでも長く交際して、お互いのことを分かり合いたい」

 ということから、最初は、本性を出さないようにしているに違いない。

「探り合いの中での交際」

 ということになる。

 それは、いわゆる、

「恋愛ゲーム」

 といってもいいだろう。

 シミュレーションゲームが好きな人であれば、

「リアルなゲームだ」

 と思う人もいれば、それどころか、自分たちがやっていることが、人生を決めることだという認識がないままに、知り合っていくのだから、当然、相手の本質など、分かるわけもない。

 自分が、

「本性を出さないようにしよう」

 と思っているのだから、当然相手も同じことを考えているはずで、何と言っても、

「策士たるもの、自分がすることはピンと来ても、相手にされることには疎いものではないだろうか?」

 という言葉通りではないだろうか?

 自分の策に酔ったり、溺れたりすると、相手が同じことを考えていたとしても、気付かない。

 それを気づくことができなければ、

「軍師」

 などという仕事はできないのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、

「結婚は幸せの絶頂だ」

 と思っているとすれば、その人は盲目になっていて、相手のいいところしか見えなくなってしまい、いや、見ようとしないのかも知れないが、それを思うと、一番自分が、無防備になっているということに気づかないのだろう。

 ただ、今の時代は、自由を求める人が増えたのか、それとも、昔のように、

「家の存続」

 などということを意識していないからなのか。

 昔のように、土地、財産を親が残してくれているということはなくなったので、

「家の存続」

 というのは、その時点で、もうすでにないものだと思っているだろう。

「せめて、墓くらいは守ってやるか?」

 とでも思っていれば、御の字というものではないだろうか?

 そんなことを思っていると、結婚をしない人も、当然のごとく増えてくる。

「そもそも、結婚って何なんだ?」

 と考えるのだ。

「結婚して、一人の女性を運命の人と思って、ずっと一緒に暮らしていく?」

 考えただけでも、ゾッとする。

 確かに、結婚すれば、運命だと思っている人を独占できるし、慕ってもらえる。新婚時代は、それこそ、スイートな気分でいられるだろうが、そんな気分がいつまで持つというのだろうか?

 人間というのは、

「飽きが来る」

 という動物である。

 結婚してから、自分が好きな人を独占し、

「その人とだけセックスをしていれば、それでいいんだ」

 と、本当に言い切れるだろうか?

 その人だけを愛すればいいということで、他の女性を抱くことはなくても、次第に、女房に対しての魅力も半減してくる。それが一種の、

「飽き」

 というものなのだろうが、最初は、

「毎日でもセックスをしたい」

 と思っていた気持ちが、

「疲れもあるし、週に2,3回でいい」

 と思い始めると、そこからは、どんどん慣れのようなものになり、マンネリ化していくのだった。

 マンネリ化が、そのうちに、束縛になってくる。

「他の女性を好きになってはいけないんだ」

 という、戒律を自分で課すことによって、余計に、まわりの女性が可愛く見えてくる。

 自分が年を取るのと一緒で、きれいだった奥さんも、次第に年を取ってくる。

 考え方も、マンネリからなのか、それまで、

「自分に合うような特別な女性だ」

 と思っていたのに、いつの間にか、

「その他大勢の考え方ではないか?」

 と考えるようになり、結婚した時の、

「自分にとっての、自分だけの特別な人」

 というものがなくなってきた。

 そうなると、

「結婚というものの何が大切だったのか?」

 というものが分かった気がした。

「そうだ、新鮮さだったのだ」

 と思う。

 新鮮だったからこそ、好きになり、自分にとって、相手にとっても、自分を特別に思ってくれるという感覚が、相互にあることが大切だったのだ。

 最初に100の状態から始まれば、時間が経つにつれて、どんどんパーセントが減っていくのは当たり前のこと。そうなると、

「結婚って、ゴールじゃなかったんだ」

 と、改めて気づくことになる。

 確かに、最初は、

「結婚がスタートラインだ」

 と思うのが当たり前のことであり、

「結婚することで、ここから、一緒に歩いていくのだ」

 という、当たり前のことを思ったはずなのに、気持ち的には、結婚が最高潮で、後は落ちていくだけだった。

 ある意味、結婚式という儀式も悪い影響を与えているのかも知れない。披露宴などでは、二人のなれそめから結婚までをビデオ化して流したりして、まるで、成功者の軌跡をたどっているかのようではないか。

「勘違いするな」

 という方が無理だと言えるのではないだろうか?

 しかも、本来の、

「式」

 では、これから先の運命をともに分かち合って、

「健やかなる時も、病める時も……」

 という、神父の言葉を聞いていながら、披露宴になると、すっかり宴会ムードになる。

 さらに、披露宴では自分たちが主役のはずなのに、ひな壇に飾られた人形のように、食事もできず、

「どっちが主役だというのだ?」

 という理不尽さを感じるかも知れない。

 そうなると、まわりの宴会ムードと打って変わって、自分たちはどうなのだ? と思うだろう。

 しかし、実際には、みんな誰もそんなことを思わない。それは、今まで結婚式で、花婿花嫁として、ひな壇にいる人の姿を散々見せられて、

「いずれは自分があの場所に」

 という憧れだけで、結婚を夢に見るようになるからに違いない。

「結婚は人生の墓場だ」

 というが、実際にそうである。

 交際期間とは、まったく違う時間が過ぎていき、結婚というものがどういうものか、どんどん、坂道を転がり落ちていくのだ。

 その坂にはストッパーはなく、そのかわり、誘惑が潜んでいるのかも知れない。

 意外と、そんな時に限って、気になる異性が現れて、密かに自分を想っていたりするものだ。

 そのことを知ることになると、

「結婚しているのが、足枷になるなんて」

 と思うものだが、逆のことが起こったりもする。

 不倫に至る相手が、

「既婚者だから、却って安心」

 と思う人もいるだろう。

 既婚者だから、包容力があると思う人、さらに、

「結婚している相手だったら、奥さんにバレても、男が誘惑してきた。あるいは、強引に迫ってきたと言えばいい」

 とまで考えていたりするだろう。

「結婚なんて、何が楽しいんだ」

 とそれまで想っていたことが、すべてひっくり返るように、結婚に対しての不満を、我慢しなくてもいいと思うようになる。

「もし、女房にバレて、離婚することになっても、この女と一緒になればいいんだ」

 と思うかも知れない。

 しかし、そんなに甘いわけはない。奥さんも浮気相手がいれば別だが、そうでない場合は、離婚の際に、慰謝料が問題になってくる。

「それでも、この女が俺を受け入れてくれる」

 などというのは、それこそお門違いというもので、

「この人は既婚者だからよかったのであって、奥さんとこんな問題を起こすのなら、こっちから払い下げだわ」

 と、離婚が成立したとたん、女の態度が一変して、鬼の形相になることで、男は自分が一人になったことに初めて気づくだろう。

「ここまでくれば、さすがにどんなバカな男でも、懲りただろう」

 と思うだろうが、逆にここまで気づかなかった男だ、まだまだ甘いことを考えているのかも知れない。

 そんなことを考えると、

「世の中には、どこまでもバカな人間はいるものだ」

 と思い、哀れに感じていいのか、それとも、惨めな恰好を見せつけられることで、嫌悪感だけを持てばいいのか、分からなくなってくる。

 ただ、同じことが、自分に起こらないとも限らない。

 分からないと思っている人間こそ、自分がどの運命に向かっているか、想像もつかないものである。

 普通の人は、ある程度いくつかの想像をし、そのどれかに向かっているから、今後のことを考えることができるのだ。その想像ができないのであれば、その向かう先というものが見えてこないのも当たり前のことで、

「俺は離婚して自由になったんだ」

 と思い、結婚はこりごりだと思ったくせに、ほとぼりが冷めると、またしても、可愛い女の子が現れると、その先に、

「結婚」

 というものを考えるという、愚かな動物なのだ。

 そんな時代なので、研究に没頭している人は、

「結婚」

 などという言葉とは無縁だと、誰もが考えていることだろう。

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