煙への転生と定着、旅その様

煙にも様々な色、匂いなどがある。

煙草の煙、可燃物を燃やした時に出る煙

湯けむり、砂煙、黒煙、狼煙

実際にはなさそうだが曲名にある紫の煙

火事の際には命を奪う事もある煙

煙の発生から人の視界から消える時間は想像以上に短い。

只煙としての形態として見えなくなるだけでこの地球上には

いつまでも留まるのである。

窓を閉め切った部屋で長期間喫煙を行うと如何に換気扇を回そうとも

必ずヤニ汚れとして視認出来るようになる。

高速回転している換気扇から綺麗に煙が流れているように見えていても

必ず羽がヤニで汚れる。煙は物質の速さには弱くそれでなくても

煙の、煙としての形態の寿命は短い。

ただ空気と煙の主成分が切り離されるだけで消えるわけではないのだ。

煙草はヤニであるが食文化においてこの発想を逆に利用した料理方法がある。

それは燻製だ。香り成分の高い木材を燃焼させその香りと煙成分を

食材に張り付けるとでも言おうか。所謂風味と苦みなどの成分を後から

食材に足すことで新たな食材の食べ方を開拓したのである。

しかも燻製された食材は保存期間も長く出来る利点もある。

恐らくそれは食材の周辺を、ここでは敢えてわかりやすくヤニと

表現させていただくが、がコーティングするのである。

あらかた燻製品は黄色みを帯びる。

この黄色味を帯びた物質が腐敗の進行を遅らせるのである。

広い地球規模で考えてみても見えないだけで何処かに存在したままなのである。

物質を燃焼させるという事は物質の細分化を促す行為でもあり

その時の狼煙として煙が放たれる。

だがしかしこの狼煙はそもそも必要だったのか?

例えば薪を暖炉で燃やして部屋を暖める。だが薪を燃やすには酸素が消費される。

そして必ず煙を逃がす煙突なりの換気機構が必要になってくる。

それは命に係わる事だからだ。百歩譲って酸素を消費するにしても

煙って必要なのか?如何に香り立つ木材だとしても煙が目に入れば沁みるし

急激に吸い込めば必ず拒絶反応が起こる。勿論人体内部に入れば様々な

弊害が待ち受けている。すべてお上の仕業なら端から無くすことも

可能だったのではないか?それらを丁寧に説明されることもなく

ただただ人類の犠牲と失敗においてのみ容量が示され学んできたのだ。

禁断の組み合わせで成り立つ煙は毒となり人を蝕む。

煙は視認できなくなるともう人が感知できなくなり極小化しありとあらゆる

隙間に入り込む。ただ風のご機嫌次第によって。

これに関連すると風と酸素も同意語となる。

人は呼吸をする。よく考えてみて欲しい。吸い込むという動作は酸素を

体内に取り込む重要な動作であり意識的にしている時は少ないはずである。

吸うだけでもダメだし吐くだけでもだめ。そのどちらかのバランスが崩れると

人体は正常に機能しなくなる。脱線してしまったが人がこの動作を必要とする限り

この煙を吸い込むという可能性を否定出来なくなり見えないながらの

人体における影響をはらんでいるのではないか?それが只の木材だったとしても。

今も何処かで煙立っている。

ただ空気の流れ、風が無い所での煙の流れは芸術だ。

地球上の誰もが保有出来ない程の儚い芸術品ともいえる。

その儀式を行ったものだけが見られるお上からの贈答品と捉えるしかなさそうだ。

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