記憶の宮殿

書庫に据えてある机の引き出しをゆっくりと開けた。

すると白い闇に視界が覆われ記憶の深層への旅が始まった。

車窓から飛び込んでくる長閑な田園風景、ガタンガタンと

一定のリズムで心地よい振動が体に伝わってくる。

何処かの田舎の路面電車のようだ。

車内はおおよそ木造で昔ながらの作りで、独特な機械油の匂いが

鼻腔を刺激してくる。悪くない。

引き上げ式の窓を開けると何処か懐かしい匂いが飛び込んできた。

稲が既に刈り取られた田んぼ、まだ刈り取られていない田んぼ。

この列車は何処に向かっているのでしょうね、母さん。

母さんが握ってくれたお握りを片手に行き先を決めない旅に出ましたね。

アルミのラップに包まれたお握りに巻かれた海苔が湿りを帯びて

パリッとした食感はとうに失われたが、寧ろ、

しなっとした海苔のほうが好みなのだ。

一口頬張る。

塩味も丁度いい。

更に食べ進めると濃い緑色の高菜が飛び込んでくる。

至高である。

田舎の原風景、懐かしい匂い、母さんのお握り、汽車の揺れ、

食べながら男は涙を堪える事ができなかった。

せっかくのかあさんのお握り塩加減が

涙の塩分で台無しじゃないか。

三つあったおにぎりを一つ平らげ、残りは丁寧に油抜きが施され、

鮮やかな虎模様に彩られた竹で編まれた弁当入れにしまった。

懐から取り出した煙草に火を付けようとするが

車窓から飛び込んでくる風に邪魔され中々火が付かない。

ダンヒルのライターを手で覆いようやく火が付く。

深く深く吸い込んだタバコの煙が男の体を刺激する。

ゆっくりと口から煙を吐き出す。

そういえば母さんも同じ銘柄を吸っていましたね。

見ていて煙草が似合う女性でしたね、母さん。

あのときはベランダでしたね。

子供ながらに何故かしら、布団に残った煙草の匂いが好きでした。

何処までも優しい母さんでしたね。

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