第4話 きちゃった

第四話 きちゃった



「はぁ……」


 なんだか、今年になってから、やたら溜息ためいきをつくようになったな、ってしみじみと思う今日この頃。


 季節は夏前にまで差し掛かっていた。少し動くと汗をかいてしまうような気温だ。

 特に今は午後過ぎなので、できれば室内に退避はしていたいところ。けど。後少し時間がてば茉莉まつりちゃんの学校は下校時刻なので、じっとしていられない。汗ばむのもいとわず、玄関で掃除をしていた。

 そんな毎日だ。


 なんか……茉莉ちゃんの誘惑攻撃を耐えすぎる日々を送ってしまったせいか、私は爆発寸前だった。


 だって。

 あんなに可愛い女の子が誘ってくれているのに、それを断らなければいかず。私が我慢すればするほど、茉莉ちゃんの悪戯いたずらはエスカレートしていくし。

 彼女のことを、好き、って思えるほど、私はもう陥落寸前だった。いや、もうしている、といっても過言ではない。


 でも、もう自分にウソを付くのも限界だった。

 茉莉ちゃんは、あの日一緒にベッドに入ってから、定期的に私の部屋に泊まりに来るようになったし。

 私が意地を張れば張るほど茉莉ちゃんの攻撃は激化してくので、自分にダメージとなって返ってくるのだ。ていうか、私だって好きで意地を張りたいわけではない。年の差がいけないんだ。

 

 四六時中、茉莉ちゃんのことを考える生活になってしまっていた。

 まるで中毒だ。

 茉莉ちゃんは、じわじわと私に毒を与えてきていたのかもしれない。毎日毎日、微量ずつ(全然微量じゃなくて致死量ギリギリを盛られていた気がするけど)、私をむしばませてきたのだ。彼女の努力の甲斐あってか、私は茉莉ちゃんなしではすぐに発作ほっさが起こってしまう。いやまあ。彼女が悪いわけではなく、欲に弱い私がいけないだけ。


 が。もう言い訳もむなしい。自分に素直になるべきときがきたのかもしれない。


 茉莉ちゃんの顔を見に行きたい。

 学生生活を送っている茉莉ちゃんの素顔を覗きたい。


 私は、無駄に玄関の掃き掃除をしていた手を止め、ひたいにうっすらとかいていた汗をぬぐう。

 そして、一世一代の勝負をかけるかのごとく、「よし!」と気合いを入れるのだった。





******



「うーん……これで大丈夫かな……」


 私は、そわそわとしながら姿見すがたみの前に立っていた。

 滅多めったにしないおめかしをして、フォーマルな衣装に身を包む。そして、慣れない化粧におかしな点はないか入念にチェックをしているところだった。

 授業参観に向かう親は、こんな気持ちなのだろうか。


 ……居ても立っても居られなくなった私は、茉莉ちゃんの通う学校をひと目見たくなってしまったのだ。


 ストーカーもいいところか?

 いやいや、預かっている子の私生活が気になるだけだし。

 でも、実際、用事のない大人が中学校の周りをうろついていたら、変質者として通報されてもおかしくはない。このご時世、こういった事案には厳しいからね。


 まあ、私には、茉莉ちゃんを迎えにきた、っていう伝家の宝刀があるので、たぶん大丈夫。うん。


 そこまでして会いに行きたいのか、私。

 でも、会いたいんだからしょうがない。気持ちは理屈ではないのだ。


 そして、これを期に、私も茉莉ちゃんにストレートにぶつかっていけたらな、って思う。

 ひとまず自分の気持ちを整理できた私は、一人納得してから、中学校に足を向けた。


 学校は、田舎道の先にあった。

 私は学生時代に特別思い入れがあったわけではないが、それでも学校を目に映すと、懐かしい感覚が訪れる。校舎というものは記憶を蘇らせてくれる効果でもあるのだろうか。


 といっても、私が通っていた中学校と、茉莉ちゃんの通っている学校はまったくの別物だが。

 田舎道に立地しているのは共通しているけれど、外観は、違う国のモノか、と思ってしまうほど。


 真っ白な外壁は、汚れなんて知らないかのような清潔さを保っている。噴水と庭園が備わった校庭は、まさにお嬢様学校といったおもむきだ。

 私、余裕で通報されてしまうのでは?


 校門の隣には詰め所があって、警備も充実している。

 ここで変に狼狽うろたえてしまっては、怪しさが増すばかり。


 私は、誰かを待つていを装って、電信柱の隣にたたずんだ。

 

 学校は下校時刻を迎え、にわかにざわついている。部活動に期待を寄せる元気な声や、放課後のお喋りに花を咲かせる女生徒の軽快なボイスが鼓膜こまくを震わせてきた。

 次いで、昇降口からぞろぞろと学生さんたちが吐き出されてくる。


 う。

 いざとなって、足が震えてきた。


 だって、わざわざ茉莉ちゃんを迎えにきているの、なんかおかしいし。思いつきで飛び出してきちゃったはいいものの、実際に会う段階になると、脳内が真っ白になる。基本的に、チキンハートなのが私なのだ。


 しかも、今なんておめかしまでしてるし。絶対、いじられるに決まってる。

 それが茉莉ちゃんの前だけならばまだしも、彼女はお友だちが多いし。たくさんの中学生の前ではずかしめを受けるために、わざわざ会いにきたのか、私。ドMなのかな?


 無意識のうちに、きびすを返そうとする。

 身体も反転しかけて……。


「あれ? おねーさんじゃん」


 唐突に、声をかけられた。

 もちろん、とっても聞き覚えのある……。


 やってしまったかな、と冷や汗をかきつつ、振り返った。


「あ……茉莉ちゃん……今、学校終わり?」


 私は、かろうじて浮かべた笑顔で茉莉ちゃんを迎えた。絶対引きつってるぞ、これ。なんでこんなに無理して会いに来てしまったのだろうか。


 背の小さい茉莉ちゃんを見下ろすようにして眺める。まるで、地面に咲き誇る一輪の花だ。

 学生服姿の彼女は、周囲と比べると、やはりとびきり可愛い。美しく、汚れを知らなそうな校舎ですらかすむ神々しさだ。

 後ろに付き添っている女学生たちは従えているようにさえ見えるし、茉莉ちゃんの主役っぷりを際立たせている。


 茉莉ちゃんは、最初は呆然と私を見つめていたが、次第にいつもの小悪魔然とした笑顔になっていく。彼女は、お友だちがいることも忘れてしまったのか、私をいじめたがっているようにも見えた。を描いた唇からは八重歯が覗き、今すぐにでも罵倒を浴びせてきそうだ。


「うん、今終わったトコ。あ、みんな、今日はおねーさんが用あるみたいだから、先に帰っててよ」


「じゃ、また明日ね、茉莉さん」


 どうやら茉莉ちゃん、空気を読んでくれたのか、はたまた私をいじめるには一人が都合がいいのか、友だちとの別れを切り出した。


 そうして二人っきりになると、茉莉ちゃんは特に何か言うでもなく、私をニヤニヤと見つめている。


 夕暮れの校舎と、帰り道に雑談を咲かせる学生たちを背景に、私たちはしばし無言だった。

 う。無駄にドキドキする。まるで、校舎裏で告白されているかのような空気である。いや、されたことがないから、想像でしかないけど。

 うぅ……。いったいこれから、何を言われるのだろうか。


「おねーさん、何か急ぎの用でもあったの?」


 ようやく口を開いた茉莉ちゃんは、本当はそうは思っていないような口ぶりで尋ねてきた。どうせ、あたしに会いに来たんでしょ? とでも言いたげだ。いや。それは私の脳内が勝手に思い描いた茉莉ちゃん像だけども。


「う……。え、えっと、あの……。き、きちゃった」


 適切な言い訳が思い浮かばなかった私は、愚直にも告げてしまう。

 恥ずかしすぎる。

 こんなの、夜中思い出して、布団の中でジタバタしちゃうやつだ。学生か、私は。


「やば、おねーさん、今のすごい可愛かったよ♡ ふーん♡ あたしに会いたくなっちゃったんだ?」


 どうやら、今の受け答えは茉莉ちゃんの琴線きんせんに触れたらしい。彼女は極上の笑顔とともに、軽く飛び跳ねている。スカートのすそひるがえり、小躍こおどりでもしそうなその姿は、何よりも愛らしい。

 茉莉ちゃんを見るためだけに外へ出て、良かった。むくわれた気分に勝手に浸ってしまう。


「ま、まぁ……その……。学生生活を楽しんでる茉莉ちゃんも、見てみたかったというか……」


「えーっ? そんなことのために、わざわざおしゃれしてきちゃった、とか。可愛すぎじゃん。じゃーさじゃーさ、放課後デート、しよっか?」


 目を細め、嬉しげに提案してくる茉莉ちゃん。彼女は私の腕を引っ張り、完全にその気のようだ。当然、デートに誘われた私も、浮足立つ。が、ここは学校の前だ。怪しい行動はご法度はっと


「ま、茉莉ちゃん、あんまりくっついたらダメよ。後、学校の前なんだから、大声でデートなんて言うのもダメだってば」


「おねーさんの意見なんて知らないし。あたしに会いに来ちゃうくらい、我慢できなかったくせに♡ じゃ、どこいこっか?」


 茉莉ちゃんに主導権を握られるの、もはや快感すら覚えてしまいそうなのは、ヤバい。

 けれど、グイグイ引っ張ってくれるの、今度はどんなことしてくれるんだろう、って予感がしてきて、ワクワクしながら身を任せてしまうのである。

 ……年齢が半分以下の女の子に任せてていいのか、って気持ちもあるにはあるけど。私たちの関係はこれでいいような気もする。


 どうやら、周囲からは家族関係と見られているらしく、特にざわつかれたりはしなかった。

 それもそうか。いくらなんでも、私たちの歳の差を、初見で恋人関係と見抜ける人は、いないか。だったら、もうちょっと堂々と腕を組んでもいいのだろうか……。


「どこって言われても……。放課後デートなんて、何をすればいいのか……」


 ぱっと思いつく放課後デートは、漫画では定番の喫茶店とか、ファーストフードなのだろうが。例えバレにくい関係だったとしても、学生で溢れかえっている場所にわざわざ向かうのも気が引ける。


「んー。じゃあおねーさんがよく行く本屋さんとかでもいいよ」


「え。そんなところでいいの?」


「おねーさんには、おしゃれな場所とか期待してないしね♡ それに、どーいうところであんな本を手に入れてるのか気になるし」


「まあ、だいたいはネット通販とかだけど……書店にも行くは行くわね。じゃあ、そこでいいなら……」


 別に、怪しい書店ではないしね。茉莉ちゃんが喜んでくれるかどうかはわからないが、ただ単に一緒にブラブラするだけなのも、デートだよね。

 それに、本を見るだけならば別段、やましいこともない。18禁コーナーに入らなければいいだけだ。私は利用しない場所だし、何も問題がない。えっちな百合漫画も持っているには持っているけれど(むしろ大半がえっちなやつではある)、それらは通販が主だ。

 ならば職務質問されることもないだろうし、いくらでも言い逃れできる!


 とにかく。

 今日は勇気を持って茉莉ちゃんのところに来てよかった。今回こそは"デート"を満喫してみようと思う。


 私と茉莉ちゃんは腕を組んだまま、夕焼けに染まる道を歩き、商店街に向かうのだった。





******



「ふーん、こんなはじっこに置いてあるもんなんだね。あたし全然知らなかった」


 本屋の一角で、茉莉ちゃんが独りごちった。

 彼女の言葉通り、百合漫画のコーナーは、だいたいがすみのほうにひっそりとしていることが多い。

 とはいえ、これでも立場は向上したほうなのである。一昔前は、本当に目立つことがなく、漫画を置いてくれているだけで有難がったものだ。それが今や、しっかりとコーナーを作ってもらえるレベルにはなったのである。


 が、それでも、茉莉ちゃんのような一般少女の感性からすると、通り過ぎてしまうレベルみたいだった。新作とかは平積みされていることも多いので、なげいてはいけないよね。


「茉莉ちゃんも、漫画、興味出てきたの?」


 ひっそりとした本屋さんでは、会話もままならない。私は、小声で尋ねていた。

 本屋って、あんまりデートに向かないのかな。好きな人と好きな本を眺めるの、けっこういいな、って私は思うけど。お喋りするのには不向きだ。茉莉ちゃんなんかは、口を動かすの、好きそうだし。


「ま、それもあるけどね。おねーさんがどういう場所に行っているのかも、気になったかな」


 ナチュラルに私に興味がある的なことをささやかれると、体温が上昇してしまう。私、本当にチョロいのかもしれない。いや、茉莉ちゃんが魅力ある少女なだけだよね。

 しかも、今なんて手を繋ぎながら一緒に百合漫画を探しているし。うぅ、手のひらが汗ばんでしまう。恥ずかしい。


「興味が出てくれたなら、嬉しいな……」


 素直な感想だった。

 単純に、趣味を共有できるのって、素晴らしいことだしね。しかもその相手が恋人だというのならば、どれほど幸運なことだろうか。私は今、幸せの最中にいるのかもしれない。

 なぜ今まで茉莉ちゃんのことを我慢しようとしていたのか疑問にさえ感じる。これまでの自分が愚かに思えた。


 本屋では、茉莉ちゃんにも読みやすそうな百合本を何冊か購入して、帰宅することにした。

 今日はただの平日だし、遅くまで遊ぶわけにもいかない。それに、寮での夕飯もある。

 だからといって一緒にいられる時間が少ないわけではなく、今日はごくごく自然に、私の部屋に茉莉ちゃんがいた。

 もちろん、夕飯の後も。


 どことなく、私の部屋が甘々とした恋人の空間のように思える。それは単に、私の気の持ちようが違うだけであって、以前からも茉莉ちゃんといる時はこうだったのかもしれないけれど。私は今になって実感しているのだ。


「おねーさん、とうとうあたしのこと我慢できなくなっちゃったんでしょ?」


「う……。まあ、それは、そうなんだけど……」


 テーブルで向かい合って会話を交わしてみるが、私は茉莉ちゃんの顔を直視することができなかった。

 もじもじとうつむき、早口で答える。視界をさえぎる前髪がやけに鬱陶うっとうしく感じて、無駄に何度も払い除けてしまう。

 こんなの、初恋の小学生よりも、しどろもどろだ。茉莉ちゃんのことが好きだと認めてからは、受け答えすらもままならないのだから。


「そっかそっか。ようやくか~。じゃあさじゃあさ、今はもう、えっちしたくて、たまんない、って感じ?」


 茉莉ちゃんは、テーブルの上に身を乗り出して、はしゃぎながら聞いてくる。まるで、お誕生日プレゼントを出された子どものような爛漫らんまんさである。尋ねてくる内容は子どものものではないけど。


「茉莉ちゃんは、そればっかりね。……んー……でも、えっちなことは、特にしなくても平気、かな……」


 私も、あごに手を添えてしっかり考え込んでみたが、やはりムラムラするみたいなことはなかった。そりゃ、毎日同じベッドとかで寝てたら、そんな気が起こる日も訪れるかもしれないが。

 今はそれよりも、緊張のほうがすごいんだもの!

 相手の目さえ見ることができないのに、えっちなんて、夢のまた夢だ。犯罪にビビるのとは、また違う怖さがあった。

 だって、私は恋愛初心者で、相手は中学生だし。

 えっちな漫画を読んでいると、いいな、尊いな、って思う気持ちは多いけれど、自分がその役になるのならば、話は別だ。

 

 恋人としての茉莉ちゃんに向き合ってみたら向き合ってみたで、心臓がバクバクして何も行動に起こせない苦難が待ち受けていたのである。

 情けない大人この上ない。

 まあ、下手にがっついて、中学生相手にえっちなことを要求するよりはマシかもしれない。


「う~ん……。おねーさんって、だいぶビビリなんだね」


「茉莉ちゃんは、そんなにえっちなことしてみたいの?」


「んーっと……あたしがしたいってゆーか、おねーさんが慌ててる姿が見てみたいかなあ」


「まあ、それなら、今も慌ててるというか……」


 茉莉ちゃんは、その返答では不服なのか、唇をとがらせていた。どんな表情でも可愛らしいのだから、ずるい。


「おねーさん、話すだけで慌ててるようじゃ、いつまでたってもえっちなことしたくならないだろうから、あたしで色々慣れるしかないよね。しょーがないから、休みの日はデートの日ってことで決定ね」


「え……。う、うん。よろしくおねがいします……」


 私が素直に頭を下げたためか、茉莉ちゃんは面食らったように押し黙る。またしても、付き合いたてのギクシャクとしたような空気が流れてしまった。

 うう、私のせいで気まずくなってるような。


 茉莉ちゃんも同じことを感じたのか、今夜は私の部屋で寝泊まりすることはなかった。

 正直、この状態で一緒のベッドで寝て、また素足を絡められたりしたら、どうなってしまったのかは気になるところだ。心臓が爆発してしまったのではないだろうか。

 いくらなんでも、襲いかかったりはしないだろうけれど。だってチキンハートだし。


 で。

 二日経過した土曜日、さっそくの休日を迎えることとなって。

 

 正真正銘、恋人としての茉莉ちゃんとデートが始まるのだった。

 私の中ではまさに、開戦、といった様相である。

 茉莉ちゃんからしてみれば、今までしてきたデートも、きちんとしたデートだったのかもしれないが。そうだったとしたら、申し訳なかったな、とは思う。


 私のビビリ具合も、デートを経験して改善されるといいが……。

 何より、恋人らしく振る舞えればいいなあ。

 設定としてなのかもしれないけれど、茉莉ちゃんは恋人なのだから。相手も喜ばせられるようになれないといけないよね。


 私自身のこともそうだけど、茉莉ちゃんも満足させるべく、私はデートにのぞむのであった。

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