聖女の呪い。幼馴染の想い。

炭石R

想い (前編)

 ――スパンッ!


 スライムの核が光を失って、スライムは崩れ落ちた。


「お疲れ様です、ヤイン様。お怪我は無いですか?」


 それを見たクシュナが、すかさず近寄った。スライムの体液は、少しでも付着すれば皮膚を溶かし、身体に毒が入る。

 聖女であるクシュナが心配するのは当然だけど、私が怪我をした時とは、明らかに態度が違う。


「平気だよ」


「一応確認しますね!」


 クシュナがヤインの鎧を脱がせた。そして割れた腹筋が晒されるのを横目に見ながら、私はスライムの核を回収する。魔術で核を持ち上げて、水で体液を洗い流す。


「マシャ、ありがと」


「お疲れヤイン。今ので依頼達成だし、もうそろそろ帰る?」


 ポーチの中には、スライムの核が14個。宙に浮いている物を合わせれば15個だ。


「そうだな。少し早いけど、帰ろうか」


「うん、分かった」


「確かに怪我は無いみたいですね、安心しました!」


 ヤインの腹筋を撫で回していたクシュナが、ようやく顔を上げた。


「クシュナもありがとう。そろそろ帰ろう」


「はい!」


 クシュナがヤインの腕に抱き着いた。二人が並んで歩いている。その少し後ろを、私は一人で歩いた。






「これがスライムの核15個で、こっちは他の素材。今日見かけたのは、スタンワームとミストディグが6匹ずつ、イシノテが4匹ね」


 ギルドで達成報告と、魔物の素材の換金、そして遭遇した魔物の報告もする。


「何か異変はありましたか?」


「いや、いつも通り」


「ありがとうございます」


 ギルド職員が報告書を書いた。冒険者から集めた情報と、ギルドから出す偵察隊で魔物の動向を把握しているらしい。




「……あの、いつまでそのパーティーに居るつもりですか?」


 報告も終わって素材の鑑定が終わるのを待っていると、ギルド職員が口を開いた。


「はあ。またその話?私が誰と組もうと、貴女には関係無いでしょ」


「で、でも、マシャさんならもっと上位のパーティーに――」


「前にも言ったけど、あいつは私の大切な幼馴染なの。離れるつもりは無いわよ」


「……そうですか。残念です」


 言いたい事は理解している。今のパーティーは最低ランクだから、私の魔術はほとんど意味が無い。

 それでも、ヤインは小さい頃からずっと隣に居る大切な幼馴染で、私の好きな人。離れたくない。






 最初に違和感を覚えたのは、二年位前だと思う。ヤインが弱くなった。

 戦闘の要であるヤインが弱くなれば、当然パーティーの評価にも影響して、ランクを下げられた。ヤインは納得していない様子だったけど、弱くなっているのは事実だから仕方が無い。


 そして、半年前。再びパーティーランクを下げられる事になった。ヤインは更に弱くなっていて、もう一人の剣士は58歳だった。魔術師と聖女が居ても、前衛に安定感が無ければ生存率は極端に下がる。だから、仕方が無い。

 ランクが下がると、受けられる依頼も少なくなり、収入が減る。四人分の生活費を稼ぐのは不可能になって、剣士はパーティーを抜けた。


 こんな現状を打開しようとパーティーメンバーを募集した事もあったけど、ヤインは弱い、ヤインは汚いと噂になっていて、逆に私とクシュナが勧誘されてしまった。

 私はヤインが汚いなんて、今でも思ってないけど、先週、手を握られると同時に悪寒がして、振り払ってしまった。私は誤解だと説明したけど、それから少しだけ、ヤインとの距離が開いてしまった。


 ほんと、何でこうなっちゃったんだろう。






「終わったよ」


 ギルドの隅に居た二人に言う。汚いと噂されるようになってから、ヤインは人と関わるのを嫌っていて、クシュナは常にその隣に居る。


「ありがと、マシャ」


「うん。私はこのまま屋台に行くけど、ヤインはどうする?」


「俺は、もう宿に帰るよ。タオルが欲しい」


「分かった。ご飯はいつものでいい?」


「ああ、ありがとう」


 私は魔術でタオルを濡らしてから、ヤインに渡した。


「待ちなさいよ」


 クシュナがヤインの後ろを歩こうとしたので、肩を掴んだ。一人で三人分のご飯を持つのは大変だし、ヤインは今から体を拭くつもりだ。絶対に行かせない。


「冗談に決まってるじゃないですか。それより、私に触らないで下さい」


「そう、ならいいけど」


 ヤインとギクシャクしているのもそうだけど、クシュナとの関係も改善したい。

 私達が魔物に襲われていた馬車を助けた時に、唯一生きていたのがクシュナで、それがきっかけでパーティーに加わった。最初は仲良く出来ていたけど、次第にヤインへの好意を隠さなくなって、パーティーが三人になって以降は、私にキツく当たるようになった。


 この事はヤインも気にしていて、クシュナの態度を変えようとはしてくれているけど、ヤインの強く言えない性格と、クシュナの都合良く解釈する悪癖。解決する兆しは一向に見えない。






 ――コンコン


「入っても平気?」


 部屋に着いたのでノックをした。私の魔術書とクシュナの祭具を置くから、ちゃんとした宿に泊まるしかなかった。でも三部屋分の宿代なんて到底払えないから、一部屋に三人で泊まっている。


「……うん。いいよ」


 布が擦れる音の後に、返事があった。私達が買い物をしている間、ずっと体を拭いていたんだと思う。それだけ、汚いと噂されてるのを気にしてる。

 冒険者は依頼によっては何日間も体を拭けない事もあるから、気にする必要なんて無いのに。誰がこんな悪質な噂を流したのか。


 ――ガチャッ


「久しぶりです、さっきぶりですね!」


「やめてくれ、クシュナ」


 返事が聞こえると、クシュナはすぐに扉を開けてヤインに飛びついたけど、ヤインは予想していたのか、それを躱している。


「もう、恥ずかしがらなくてもいいんですよ?それに、安心してください。、絶対に汚いなんて思いませんから」


「私も思ってないわよ」


 と強調して言ったクシュナに、思わず反論する。


「じゃあ、何であの時、手を払ったんですか?それも、あんな嫌そうにして」


「それは違う、本当に違うの。あの時も言ったでしょ。信じて、ヤイン」


 私はヤインの目を見て、伝える。


「……そうだよな。ごめん。本当に悪かった」


 ヤインに抱きしめられた。良かった。これで元通りだ。私達は幼馴染だから。喧嘩しても、何があっても、絶対に一緒に居る。


「っ!早く夜ご飯を食べましょう?!」


 クシュナの叫び声が部屋に響いた。


「…………そうだな。その前に、クシュナ。二人で話したい事があるから、付いてきてくれ」


「分かりました!」


 クシュナが私に嘲るような視線を向けていたけど、少なくとも、クシュナが期待するような内容では無い。ヤインの表情は、真剣だったから。






 少しすると、クシュナは俯いて、ヤインは疲れた様子で戻ってきた。


「マシャさん。今まで、すみませんでした」


 私との事を注意してくれるとは思っていたけど、ここまで変わるとは思っていなかった。


「うん。これからも、よろしくね」


「よろしくお願いします」


 正直に言えば、今も顔を見せないクシュナは、信用していない。でも、ヤインが注意してくれたから。ヤインの事は信じてる。




 今夜の食事は、楽しかった。相変わらず三人だと狭い部屋で、床に屋台のご飯を並べて食べた。でも今日は、ちゃんと三人で話せていたから。

 そして、今はベッドの上。この部屋にはベッドは一つだから、いつも通りヤインが真ん中で、私は右側、クシュナは左側に寝ている。私がヤインの手をこっそり握ると、まだ起きていたみたいで、握り返される。

 こうしていると、まだ私達が小さい頃の、あの日を思いだす。昼間はヤインと一緒に居たけど、夜はお互いの家で眠るから別々で。私は一緒に寝たいと言ったけど、両親は頷いてくれなくて。そんな時、ヤインが私のベッドに潜り込んできた。日が沈んだ暗闇の中、私の為に来てくれたと思うと幸せだった。


 私がヤインへの恋心をハッキリと自覚したのは、あの日だと思う。











 痛い。


 指先に趨る激痛で、私の目は覚めた。


 けど、瞼が開かず、身体は動かない。


 あれ?息も……出来ない?











「――シャ?!マシャ!大丈夫か?!」


「……ん?」


「良かった……。すごい苦しそうだったんだぞ?」


 気が付くと、目の前にヤインが居て、心配そうに見つめられていた。


「そうなの?何ともないと思うけど」


「なら良かったよ。起き上がれる?」


「うん?……っ!」


 ヤインの手を取り、起き上がろうとして気付いた。下半身に広がる生温かく、湿った感覚。慌てて視線を向けると、私の下半身を中心に滲みた跡があって、ヤインのズボンも濡れているのが分かった。


「ご、ごめん!私、もう大人なのに……」


「俺は気にしないから平気だって」


「私も、全く気にしてないですよ」


 クシュナも、ヤインの後ろから顔を覗かせて言ってくれた。


「クシュナは廊下に出て、マシャは壁の方を向いててくれ。俺は先に着替えて外に出るから、そしたらマシャも着替えてくれ」


「うん、分かった」


 ――バタンッ


 クシュナが廊下に出て、私はヤインに背を向けた。依頼の最中はもちろん、こういう時でもヤインの指示は的確で、本当に頼りになる。




「じゃあ、洗ってくるね」


「あ、私も手伝いますよ」


 二人とも着替え終わって、汚れた物を洗いに行こうとしたら、クシュナに声を掛けられた。正直に言えば手伝ってもらうのは抵抗があるけど、今までは考えられなかった事だ。


「うん、ありがと」






 二人で、宿の近くにある川へと向かう。その時だった。

 脚が前に出ない。転ぶと思って受け身を取ろうと思っても、腕が動かない。地面が迫ってくる。


 ――ドンッ


 幸いにも洗濯物が顔から激突するのを防いでくれて、地面も舗装されていない。それでも全身は痛くて、何より、未だに身体が動かない。息を吸う事すら出来ずにいた。


「あ、息していいですよ」


 クシュナの声が聞こえて、初めて息を吸う事が出来た。それと同時に、鼻を突く臭いを感じる。


「あはは、自分のおしっこまみれの服に顔を押し付けて、必死に呼吸して。とっても惨めですよ?」


 これはクシュナが原因なの?何で嗤われているの?

 痛い。臭い。怖い。思考が纏まらない。


「せっかくだし、そのまま聞いてもらいましょうか。端的に言いますね。


 ……は?

 クシュナは何を言っているんだろう。


「あ、それだけじゃないですね。この街からも出て、二度とヤイン様に近付かないで下さい。当然、手紙も禁止ですから」


 そんなの、嫌に決まってる。心ではそう思っているのに、口から出ない。


「ちなみに、返事は聞いてませんよ?命令ですから。私の言う通りにしないなら、このまま殺します」


 ヤインへの好意でこんな事をしているんだろうけど、無駄。ヤインに愛されているのは、世界でただ一人。私だけだから。


「マシャさんを殺して、ヤイン様の記憶を消して、私がヤイン様の幼馴染になるんです」


 ……は?


「私を殺すならどうぞご自由に。同時に、ヤイン様も死にますけどね」


 ……。


「納得してますか?それとも驚いてますか?私、呪術の勉強をしてたんです。貴女が動けないのも、呪いですよ?」


 もしかして……。


「ちなみに、ヤイン様には周囲に弱いと思われる呪いは掛けましたけど、実際に弱くしたのは模擬戦の時だけです。本当は強いのに、可哀想ですよね。私だけが味方なのに、ずっとずっとずっとずっとずっと。隣には貴女が居た」


 ヤインには悪い事をしたと思う。でも、クシュナをどうにかして、謝れば全て解決する。だって、私達は幼馴染だから。


「先週やっと、ヤイン様がマシャさんを捨ててくれると思ったんですけどね。もう我慢できません」


 ――シャリンッ


「今の音、聞こえましたよね?」


 痛い。


「ふふ、痛いですよね?ゆっくりと刺してあげます」


 痛い。痛い。

 腕に刃物が入ってくるのが解る。


 ……ジャリ


「ほら、地面に届いちゃいました。腕を貫通しちゃってますよ?このまま回してあげましょうか?」


 ――グチャ……


 痛い。痛い。痛い。

 骨と当たっているのか、ガリガリという音が腕から伝わってくる。


「んー、硬くてこれ以上、回せなさそうです。もっと頑張りますね?」


 ――グチャッ、グチャッ


 痛い。痛い。痛い。痛い。

 傷口が拡げられる感覚。音で腕の中を掻き回されているのが分かってしまう。


「あ、面白いこと考えちゃいました」


 これ以上、何をされるのか、考えたくもない。


「このまままだと指が入っちゃいますよ〜」


 グチュ……


 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。

 腕に指が入ってくる。刃物とは違って、暖かいのが気持ち悪い。


「うわ、人の骨を触ったの、初めてです。ザラザラしてるんですね」




「なんでしょう、これ。紐みたいのが出てきちゃいました」




「……あれ?またお漏らしですか?大人なのに恥ずかしいですよ?って、気絶しちゃってますね」




「ずっと」

 ――ドスッ

「貴女を」

 ――ドスッ

「恨んでました」

 ――ドスッ

「幼馴染ってだけなのに」

 ――ドスッ

「当たり前のように」

 ――ドスッ

「隣に居るから」

 ――ドスッ

「私はいつまで経っても」

 ――ドスッ

「ヤイン様の」

 ――ドスッ


 ――ドスッ


 ――ドスッ

「一番には成れない」

 ――ドスッ


 ――ドスッ


 ――ドスッ


 ――ドスッ


 ――ドスッ


 ――ドスッ


 ――ドスッ


 ――ドスッ




「ふう……。やっとスッキリしました」











「――さい。起きてください」


 怖い。

 上からクシュナの声が聞こえる。


「早く起きないと、また刺しますよ?」


 私はあの痛みを、恐怖を思い出した。


「ぉ、起きて、ます」


「なら良かったです。約束してくれますよね?明日、パーティーを抜けて、この街からも出てくださいね?」


「……分かり、ました」


 クシュナに屈した訳では無い。でも、今は従うしかない。ヤインが殺されるか、ヤインに忘れられるか。そんな二択は選べないから。


「じゃあ、動けるようにするので、早く洗ってください。この事がバレたら、その時点でマシャさんを殺して、ヤイン様の記憶を消しますからね?」


「分かりました……」


 クシュナの言った通り、私の身体は動くようになった。治療はしてくれたみたいで、痛みも無い。恐る恐る右腕に視線を向けると、真っ赤な血溜まりが出来ていた。


「あ、血もちゃんと洗い流してくださいね」


 私は急いで地面や腕についた血を洗い流して、洗濯物をした。






 日が昇り、部屋に光が差し込む。

 昨日の夜中。洗濯を終えて宿に戻ると、ヤインは起きて待っていてくれたけど、何も聞かれなかった。

 私はヤインの隣に横になって、ずっとパーティーを抜ける理由を考えていた。でも、ヤインが納得する理由は一つも思い浮かばなくて、ヤインとの想い出が頭を駆け巡って、結局、一睡も出来なかった。


 私が冒険者を辞めたいのなら、ヤインと一緒に辞める。

 私がどこかに行きたいのなら、ヤインと一緒に行く。

 私が何かをしたいのなら、ヤインと一緒にする。


 何を考えても、ヤインの隣に居る未来しか視えなくて、私が一人で冒険者を辞める理由にはなり得なかった。


 だから、覚悟を決めるしかない。






 ヤインとクシュナが起きたから、大事な話があると言って、すぐに宿の裏に連れ出した。多分、今の私を見られたら、ヤインに何かあったと気付かれてしまうから。


「大事な話って何だ?」


「あのね、私、パーティーを抜けようと思うの」


 私が嘘を吐く時は、左肩が下がるとヤインは言っていた。だから、下がらないように気を付けて、あくまでも自然に。私は本音を言っている。そう自分に言い聞かせる。


「昨日は咄嗟にああ言ったけど、やっぱりヤインは汚いよ。臭い。もう堪えられないの。近くに居たくない」


 ごめんね、ヤイン。気にしているのに。

 でも、これしか無かったの。普段のヤインなら絶対に信じないけど、今なら信じるかもしれないから。


「解った」


 ――ジャリンッ


「駄目っ!」


 ヤインが剣を抜いたのが解った私は、慌ててクシュナを庇った。


「ッ!退け、マシャ!クシュナが原因なんだろ?!」


 今からでも説得する方法は無いかと、必死に考える。でも、身体が動かなくなった。視界が揺らぐ。


 ――ドサッ

 ――ガシャンッ


 私は倒れて、ヤインも倒れた。


「息していいですよ。そうですね……、ヤイン様は、首から上も動かしていいでしょう」


「おい、クシュナ。何でこんな事をしてる」


 怒りに満ちた声が聞こえた。こんなに怒っているヤインを、私は知らない。


「ヤイン様、見ててくださいね」


「おい!止めろッ!!」


 ――ドスッ


 痛い。熱い。

 ナイフが深く腹に刺さったのを感じる。

 このまま私は殺されて、クシュナが私の代わりに幼馴染として生きるの……?


「ヤイン様には3つ、選択肢があります。このままマシャさんを殺されて記憶も失うか、私を殺してヤイン様も死ぬか、私と二人だけのパーティーに変更するか。どうしますか?」


「そんなの……。待ってくれ、分かったから!止めてくれッ!」


 ――ドスッ


 痛い。熱い。苦しい。痛い。

 呼吸をするのが難しい。


「ど う し ま す か ?」


「クシュナと二人のパーティーに変更するから、もう止めてくれ」


 ――ゴフッ


 ああ、通りで苦しかった訳だ。自分の血で溺れそうになっていたんだから。


「マシャ!お願いだから、言う通りにするから、早く治療をしてくれッ!」


「んー、私のこと、愛してるって言うならいいですよ?」


「クシュナ、愛してる」


「ふふふふ、ありがとうございます」


 ヤインが慌てて発した今の言葉は、私でなくとも嘘だと分かると思うけど、クシュナにとっては違うらしい。


「マシャさん、動いていいですよ。早くこの街から出てってください」


「ゲホっ、はあ……。はい。分かりました」


 腹の痛みが消えて、身体が動くようになった。まだ残っていた血を吐きながら、急いで返事をした。

 私とヤインは最後に一瞬だけ目を合わせて、別れた。

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