第4話

「すみません、誰かトイレに入ってたりしますか?」

 杏沙乃の声がして思わず立ち上がった。急に個室が狭く感じて、身体を縮こまらせる。せっかく逃げたのに来ないで欲しかった。ノックの音がする。

「菜連ちゃん? 違う?」

 もし全然違う人だったらどうするんだろう。何度かノックされたので同じ数叩き返した。最初は三回普通に叩いていたのが、だんだんリズムが足されていく。人が入っていますよ、とノックを返す。同じリズムになるように、しっかりと聞いた。

 足音で杏沙乃が離れていく分かったから鍵を開けて顔だけ出した。杏沙乃は、トイレの入り口に立っていた。

「やっぱ菜連ちゃんだ。最後のノックわかった? アナ雪マネしてみた」

 思いっきり顔をしかめても、杏沙乃はもう何も言わなかった。しんどいなら来なければ良いのに、ニコニコしている。

「次体育だからさ、一緒に着替えに行かない?」

 大きく首を横に振ると、骨が鳴った。なんか痛いと思ったら、気づかない内に親指で人差し指の爪を押している。爪の隙間になにかが入り込んでいる気がしてがすごく気になる。体育に行かなくても良いから着替えだけ行こう。まだ授業終わってないから私一人だと更衣室入りづらい。スマホを見ると授業が終わるまで、あと十分ぐらいあった。サボってきたの? と訊きたかったけど、喋れないから疑問はそのまま流れていく。


 女子更衣室には、一時間目に体育だった人が既に居た。みんなキノコのように膨らみながらシャツや体操着を下に通して着替えている。

「最近盗撮あるじゃん。あれどうやって撮ってるんだろうね」

「確かに。めちゃくちゃブラ見えてるやつばっかだし、まじでどっから撮ってるの? って感じ。しかもなんかエモいフィルターかけてるのが一周回ってキモすぎだよね」

「あーあれね。なんか自分に酔ってる感じでしょ。顔見えないから誰だか分かんないけど、可哀想だよね。盗撮なんてクソなことして」

「そういうのが売れるのかもよ」

「やめてよ鳥肌立つんだけど。分かんないなー、女子高生に対する需要」

 盗撮されないように気を遣っているから、いつまでもモゾモゾとしている。体操着に着替えるのは簡単だけど、汗をかいてから制服に着替えるのは大変そうだった。私がスカートのホックを外して普通に着替えようとすると、杏沙乃が慌てて私のスカートを掴んだ。

「菜連ちゃん、先ズボン履いて! 私たちも一応ね、自衛っていうか、なるべく写真に撮っても価値のないような格好を心がけた方がいいかなって思うの。だからなるべく隠れて」

 それってつまらない被写体になれってこと? 杏沙乃は体操着を上に着て、慎重にボタンを外していた。苦肉の策が盗撮者のやる気を削ぐとは思えなかったけど、私は黙ってハーフパンツを履いてからスカートを脱ぐ。

 杏沙乃といると、溜め込まなければいけないことが多すぎて、イライラする。制汗剤が次々と匂ってくる。石鹸の匂い、オレンジの匂い、なんか甘ったるい匂い。締め切った部屋で匂いが混ざると臭い。

 いずれ脱ぐんだから上は面倒だし、普通に脱いでしまおうと思ってシャツのボタンを外すと、杏沙乃が目の前に立った。すごく近くて着替えづらい。誰かが押しのけるようにして更衣室から出ようとするからもっと近くなる。

「嫌かもしれないけど、これで着替えて」

 杏沙乃がなんとなく私の胸を見て、逸らしたのが分かった。ムッとしたけど気づかないふりをしてボタンを全て外し、体操着に着替える。盗撮があるんだったら、みんな制服で体育すれば良いのに。更衣室のドアが開くと、爽やかな風が混沌とした匂いをかき混ぜていった。

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