第58話 解かれる封印 1
「オーゼ、お願いがあります。私の記憶の封印を解いてください」
領主らに報告を――と話しかけたところ、ミルーシャ様がそう告げられた。
「だがそれは……ミルーシャ、君が辛いのではないのか?」
「ええ、ですがルシアだけに辛い思いをさせたくありません」
「えっ」
彼女は今日の日付を聞くとルシアに向き直る。
「ルシア、貴女は今、地母神様の加護によって心を守られています。あと十日ほど、新月の夜には加護が失われます。貴女は罪の意識に
「そう……なんだ」
ハッとした彼女はミルーシャ様に縋るような目を向けた。ここ数日のルシアの不安はそのことだったのだろう。
「大丈夫ですよ、ルシア。私と一緒に乗り越えていきましょう。大丈夫、私たちにはオーゼがついているでしょう? そしてエリン様も」
ミルーシャ様が私に手を差し伸べる。
「――オーゼのエリン様への一途な想いを常に感じていました。愛されているのですね」
「私は…………ミルーシャ様、貴女に嫉妬していました…………」
「私もですよ。ですがそれ以上に、オーゼが愛する素敵な方だと信じておりましたし、実際にそうだと感じます」
それでも渡したくない。
世の貴族の女性はこんな時、どうしているのだろうと考える。
「――さあ、オーゼ。お願いします」
オーゼが彼女の胸元に触れると、魔力がオーゼに戻って行く感じがある。
途端に、彼女はよろけ、倒れかかり――。
「ミルーシャ!」
「ミルーシャ様!」
――ルシアとルハカが支えた。
「大丈夫。辛い思い出があっても、ちゃんと幸せになれるって、笑えるようになれるってルシアに見せてあげます」
そう言った彼女は佇まいを正し、
◇◇◇◇◇
ミルーシャ様はあの後、領主らにルシアのことを詳しく話した。邪神に身体を乗っ取られ、心まで堕ちそうになっていたこと。神託に従ってそのルシアを助けるために自分が戦場に赴いたこと、そしてそのルシアが自分の命を助けたことを改めて説明した。
領主らはレハン公の言葉で理解はしていたが、ミルーシャ様からの言葉で心から納得した様子だった。
その後、我々一行は領境で馬車に乗り換え、領主らと共にルメルカ王都を目指すことに。ルメルカ様への謁見と、果たすべき役目のためにとの話だった。オーゼは領境で合流したゲインヴという元
道中、領主や貴族の屋敷に泊めさせてもらったが、どこでも歓待を受け、ゆっくりする時間は無かった。ルメルカ王都には七日目の昼過ぎの到着となった。
あの巨大な神殿のかつての禍々しさは完全に拭い去られていた。地の底へ向かうかのようなあの忌まわしき長い廊下は、今や神の寝所へと続く荘厳な回廊と化していた。遠征の際には無かった採光口がいくつも見え、神殿のある岩山の外壁に沿ってくりぬかれた回廊がぐるりと廻っていることがわかる。回廊の壁や柱の装飾はそのままだが、こうも印象が違うものかという変わり様だった。
神の座の間は以前と違って明るかった。あの天井の高い所からの光はもちろん、壁や天井に永続の光が満たされていた。床も鏡のように磨かれた美しい黒石が敷き詰められていたことがわかる。あの時は思いもしなかったが、いま不用意に走ったりすると滑るやもしれない。そして神の座には見た目幼い少女が座っていた。
レハン公の導きの元、皆が神の座の前に静やかに歩を進め、少女の前で跪く。
「地母神ルメルカよ、今代のラヴィーリヤ様をお連れしました」
「ああ、よく来た。吾が娘が選んだラヴィーリヤ、顔をよく見せておくれ」
本来であれば、傍に控える神巫が言の葉を降ろしてくるところだが、ルメルカ様自身が言葉を発せられた。私や一部の領主らは驚きを隠せなかった。
私はおずおずとした足取りで歩み寄る。
「エリン・ラヴィーリヤにございます」
「ああ、吾が娘によく似た凛々しい子だ。そして勇者だけでなく聖戦士の加護も得ておるのか。はてさて、これは先代の依代の悪戯か、それとも吾が娘の気まぐれかのう」
「私は加護をふたつ賜ったのでしょうか」
「ああ、それも
表情豊かなルメルカ様は本当に孫娘かのように接してくださった。
「――吾が愛娘もよくぞ戻ってきた。おいで」
ミルーシャ様が頭を伏せたまま進み出てくる。
「――顔をお上げ。何も恥じることはない。神託の先、幸運をつかみ取ったのはヌシ自身だ。よくやった。定住を望むのならば、ロワルが南、ワルサラの地をヌシの夫となる者に与えよう」
「感謝いたします、
ルメルカ様がミルーシャ様に触れられると、彼女は恍惚とした表情を見せる。
「ルメルカ様、私は勇者としてそのロワル、つまりは現ロバル、それから北のシャンクルーを返還させようと考えております。せめてもの償いに」
「ふむ。然らば吾が言の葉を授けよう――勇者エリンよ、その二領の領主となり、東西二国の安寧を齎すのだ。戻されても吾が国は人が足りぬ」
「御意のままに」
ルメルカ様は私とミルーシャ様を交互に見つめ、満足そうに微笑む。
「宜しい。お下がりなさい」
私とミルーシャ様は元の場所へと後退った。
「――ヌシら三人も無事帰ってきおったか。乳飲み子は役に立ったか?」
「ええ、御助力無くしては邪神討伐は為しえませんでした」
オーゼとルハカ、それからゲインヴが揃って頭を下げる。
「重畳重畳。よく事を為してくれた。乳飲み子は引き取っておく。もう必要あるまい」
「ありがとうございます。――その、ルメルカ様、ひとつお聞きしても?」
「なんじゃ? 言うてみい」
「エリン・ラヴィーリヤに掛けられた過剰な祝福は、如何にすれば祓えるでしょう」
「先代の依代の祝福か。あれは祓えん。しかし子の一人でも
「やはりそうですか。承知いたしました」
私の名がオーゼの口から出てはっとなり、そしてルメルカ様が答える。
子を生せば――それはつまるところ呪いであり祝福であったものがどういった性質のものなのか、いくらか察せられてしまう……。
「それからヌシに頼んだ役目じゃが、あれはしばらく先に延ばす。民をこのまま捨て置けんからの」
「
女神さまの傍に控える神巫が口を挟む。
「黙れ神巫よ。いずれこの依代は果実の精だけ食らうようになる。味気ないものじゃ。今くらい楽しんでもよかろう」
「であれば、東で採れる果実なども献上いたしましょう」
オーゼが答えるとルメルカ様はぱぁっと顔を輝かせる。
「まことか! 期待しておるぞ!」
「母神さま、自重してくださいませ……」
結局のところ、オーゼの果たすべき役目は先に延ばされた。
その後、国を統べる王の座にはレハン公、アラン・ルワイエス殿が就くこととなった。公であればうまく国をまとめてくれることだろう。我々は十三の月の朔日まで王都に滞在することとなった。それはつまり月に二度訪れる、多くの魔法、加護が解かれる日だった。
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朔日、つまり月の一日の新月の日ですね。
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