第57話 目覚めの口づけ

 ロバル領については私の権限でガナトを更迭し、ロージフを臨時の領主代行に据えた。さらに捕らえたガナトの代理、戦士長、彼に迎合した貴族二人を共に王都へと送った。聖剣があるにも拘わらずガナトは不満がありそうだったため、彼らが勇者と認めたルシアにも同席して貰った。国軍についてはグレムデンに命じて王都へと引き上げさせ、金緑オーシェの団員を数名、王都に遣わせた。



「すまないルシア。時間をかけてしまって」


 臨時の執務室にルシアとロージフに来てもらっていた。

 大部屋の執務室ではロバル領のかつての文官を集めて、この先ひと月程の予定を立てさせていた。オーゼの調べでガナトが領地の利益の多くを個人でせしめようとしていたことが判明したからだ。


「ううん、いいんです。姉さんが執務をちゃんとこなせてるところを見られて安心しました。それにガナトの処分はいい気味です!」


 ルシアは以前よりも角が取れ、物言いも柔らかくなった。ただ時折、物憂げな表情を見せることが少し心配だった。あの後、すぐにでもミルーシャ様の所へ連れていってあげたかったが、ロバルを放置していくわけにもいかなかった。


 ミルーシャ様――そう、ルシアと話した後、彼女が地母神の聖女様だと聞かされたのだ。


 私はつまり、聖女という加護があるような女性に対して嫉妬していたということになる。聖女というと一般には心清らかで慈しみに溢れ、各地を転々とし人々を救うような存在だといわれることは知っていた。それを聞かされた時は恥ずかしくて両手で顔を覆ってしまい、しばらくオーゼに会わせる顔が無かった。でも、それでも彼女はオーゼを好きと……。


 考え込んでいるとロージフが心配して気を利かせてくれる。


「エリン様は精一杯やっておられましたよ。そもそもの要求が無茶なのです。誰も彼もが縁談の話を持ってきて自分の都合の良いようにエリン様を利用しようとしていたわけですから。ルシアの時はジルコワルが力を持ち始めていたから断れていただけです」


 ロージフにはあの後、ルシアの希望で輝きの手レイ・オン・ハンズを左手に施していた。時間を置いたためか、左手の再生には酷く疲れを伴ったが何とか元に戻すことができた。ロージフにはもちろん感謝されたが、それ以上にルシアが泣いて喜んでくれた。これならミルーシャ様の深い傷も癒すことができるだろう。



「目途が立った。残しておいた国軍の工兵に町の復興の指導は任せられる」


 そう言ってオーゼが執務室にやってきたのは依代の討伐より四日後だった。


「ミルーシャの所へ行けます?」


「ああ。金緑オーシェ赤銅バーレの主力は王都に引き返させよう。虚栄の勢力は潰えたと思いたいが、王都に残る虚栄の花の影響も全く無いとは思えない」


「こちらもひと段落できそうです。あとはお任せください」


 ロージフはそう言って私たちの出発を促した。



  ◇◇◇◇◇



 我々は再び強行軍でロハラ領境まで戻った。強行軍とは言っても、幽霊馬スティードに依る移動のため、慣れた我々にはむしろ短時間での移動となる分、楽まであった。それに今回は久しぶりにオーゼの後ろに乗せてもらったこともあって、時間はあっという間に過ぎた。


 ただそれでも、ロハラが近くなると胸の鼓動が速くなっていった。


 ――やっぱり引き返したい――そんな言葉まで口から出かけた。


 先触れを出していたためか、大型テントパヴィリオン周りにはレハン公を始め、ロハラや近隣の領主たち、それからアザールの領主までもが既に集まっており、我々を出迎えてくれた。


「勇者様の此度の邪神討伐、ならびに加護の回復に、我々一同、心よりお慶びを申し上げます」


 レハン公の言葉に一同が頭を下げてくる。突然のことに面食らってしまった私は慌ててしまう。


「頭をお上げください、皆さま。私の国は愚かにもあなた方の国へ攻め入ったのです。そのような国の勇者が、頭を下げることこそあれ、逆に下げられるなどあってはなりません」


「いいえ、勇者様は大きな勘違いをしておられる。勇者様の加護はヴィーリヤ様の娘としての加護だけを意味するものではありません。我らがルメルカの孫娘をも意味するのです。勇者様の加護は我らをも救うものなのですよ。現に我らの聖女様を救いに来てくだされた」


「しかしそれは結果的なものであって――」


 ――私などは――そう言いかけて思いとどまった。私はラヴィーリヤとして気高く在らねばならない。そう諭されたではないか。


「――いえ、皆様の希望で在り続けられるよう、加護に恥じぬ行いを心がけて参ります」


 レハン公やアザール公は微笑みで返した。

 私の横にはルシアが進み出てきた。


「私、先達ての戦いでは虚栄の軍勢に手を貸すなどという醜態を晒しました。何とお詫びを申し上げてよいか。どのような報いでも受ける所存でございます……」


「オーゼ殿の妹君のルシア様ですな。貴女も大きな勘違いをしておられる」

「勘違い? ですか?」


「ええ、ここに居る領主たちは皆、貴女に感謝しておるのです。お忘れですか? 領内に蔓延る化け物共を退治されたのは貴女でしょう。特に大蛇ワームをはじめ、巨大な化け物どもは貴女が居なければ退治できなかったというではありませんか。領民の間では救世主として謳われておりますぞ」


「ですが私は千の剣の怪物スコラハスを……」

「それを聖女様が貴女を想って庇ったのでしょう。聖女様の行いを無下にはできません。――もしそれでも胸のつかえが残るというのであれば、何卒、未だ領内に残る化け物どもを排除していただければ」


「は、はいっ! 喜んで!」


 おお――と領主たちは声を上げ、それぞれがルシアに握手を求めた。


「レハン公、それについては三戦士団も向かわせるつもりです。彼らもまた償いを望んでおります」

「それは心強い。勇者様に感謝を」


 レハン公はまた、オーゼに視線を移す。


「――オーゼ殿、これで無事、名誉が回復されるな」

「まだ国王陛下が首を縦に振るかはわかりませんが、ここまで来られたのも公の力添えあっての結果です」


「なに、居心地が悪いなら我らが国へ来ると良い。未だ領主不在の土地も多い。すべきことは多いぞ」

「ええ、もしもの場合はエリンと共に参ります」


「それは期待してしまうな」


 オーゼと親しげに話すレハン公はそう言って笑った。



  ◇◇◇◇◇



 大型テントパヴィリオンでは私とオーゼ、ルシア、ルハカの四人でミルーシャ様の石像の前に居た。事が事のため、領主らには外で待って貰っていた。


「エリン、本当にいいのか?」

「え、ええ。もちろん構いません」


 私は石像の左肩に触れオーゼを待っていたけれど、躊躇するオーゼが気になって目を泳がせていた。


「お兄さん、その物言いではエリン様を不安にさせるだけです。もっと余裕をもってどっしり構えてください」

「兄さん、気を持たせないでキスくらい早くしてあげてください」


「わかった。わかったから向こうを向いていてくれ」


「こ、後学のために観察を……も、もちろん解呪の……」

「ミルーシャが心配なのですから観てるに決まってます。早くしてください」


 オーゼは私にちらちらと視線を送ってきていた。


「わ、私がこれだけ決意してるのです! これ以上、情けない姿を晒さないでください」

「わかった、エリン」


 そういうと、オーゼは石像の前に屈みこみ、彼女の顎に手をやり顔を近づけた。

 私はその瞬間が見ていられず、肩の傷に意識を集中させる。

 やがて鈍色の石肌に赤みが差すと、口づけの水音が耳に入る。

 輝きの手レイ・オン・ハンズに力を篭めると大きく裂けた傷口は見る見るうちに塞がっていった。



「やっと口づけしてくださった……」


 そう話した彼女を見ると、オーゼの頬に右手を触れさせていた。

 オーゼは慌てて私の方に顔を逸らせようとしたので私は左手で無理矢理彼女の方を向かせる。


「――お慕いしております、オーゼ」


 呼び捨てにした言葉が胸を突くと共に、やはりオーゼと彼女はこれまで何もなかったのだという安心を齎した。


「すまな――」


 言いかけたオーゼの唇を、頬に添えていた手の人差し指で止める彼女。


「お返事はもう少し先までお待ちします。今は余韻に浸らせてくださいね。それとも、聖女の唇を奪っておいて、雰囲気を壊すようなことを仰るつもりですか?」


「いや、それは――」

「ミルーシャ!」


 オーゼの返事を待ちきれず、ルシアが割って入ってきた。

 ルシアを抱きとめるミルーシャ様。

 私も少し下がって二人を見守る。


「ルシア。無事でよかった」

「ミルーシャも。ごめんね、ごめんね。助けてくれてありがとう」


「ルシアはいい子だからきっと大丈夫だと思ってました」

「そんなことない。私がもっと素直でいれば済む話だったの。ごめんね」


 ルシアはまるで母親にそうするかのように甘えていた。


「ミルーシャ様、よかったです。ほんとに」

「ルハカも無事でよかった」


 ほら――と彼女はルハカを迎え入れ、一緒に抱きしめる。


「(オーゼは落とせましたか?)」

「(それがまるで相手にされなくて……)」


 ――と、二人で囁き合っていた。


 オーゼはというと、いつの間にか私の隣まで来ていた。

 私に申し訳なくでも思ったのだろうか、彼は私に口づけをしようとしたが、――オーゼ、それは不誠実よ――と、今だけはほんの少し、意地悪をしてみた。







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 拙作の聖女はいつも、どこまでが神託なのかわかりませんね。


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