第27話 三日三晩の想い
「わたくしの、負け……ですか?」
気が付いたとき、オーゼお兄さんが身を屈めて私を見ていた。
寝ている私の頭の後ろは柔らかかった。
「あんなもの、仕掛ける方が有利に決まってる。決まった順番で置けばいいだけの話だ。それだけルハカが冷静さを保ててなかったというだけで」
「それでも……やっぱりお兄さんはすごいです」
「――それに、何となく負けて良かった気がします」
「そうか。元に戻ったみたいだな」
体を起こすと、後ろで抱いてくれていたのはミルーシャというあの女性。
私のよれよれの服は胸元が少しだけ
「――それでその衝動に通じる感情を封じた。高慢さだとか怒りだとか、たぶんその辺の何かだ」
胸元を覗いてみると、話しに聞いていた赤い結晶があった。
「洗脳ですか?」
「そうだ。だがそれは自身で外すこともでき――」
スッ――。
「あっ」
「ああっ」
「ほんとだ、外れました」
私の体を外れた赤い結晶はさらさらと砂になって消えていく。
するとあの衝動がじわじわと首をもたげる。
「ルハカ!」
「何でも興味を持ったら試してみる。他人の言葉を鵜呑みにしない」
昔、そんな感じのことをお兄さんが言っていたから。
「……そうだな」
そういってお兄さんは溜息をついた。
その後、私の激しい衝動をもう一度封じてくれた。
「ありがとうございます。なんだか……その、ホッとした感じです、今」
「そうか……その衝動が何か調べているんだ。確信に近いのだが、それが原因でこの国の領主たちは堕落し、地母神を堕とした。何か覚えてないか、変わったこと」
「ん……さっきまで感情を支配されていてまだ頭が澄んでないので……」
「そうか。何か思い出したら言ってくれ。それからその……エリンの事だが……」
「あっ、申し訳ありません。盗み聞きしてしまい……」
「いや、それよりもどうやって知った?
「あっ、それは私の
「はぁ、そうか、なるほど。――ミルーシャ、聖域も使っておいてくれ」
お兄さんがそう言うと、女性は
召喚された存在が力を及ぼせなくなる結界。
「それに……」
「ん?」
「仲のいい男と女があんな場所に籠ったら何をするかくらい見当が付きます。エリン様もあの様子でしたし……私だってもう大人なのですから……」
「そうか……そうだな」
「――エリンのことは誰かに?」
「まさか。ルシアにも話してませんよ、こんなこと……言えるわけ無いじゃないですか。気になって仕方なくて、いざその場にいると見たくなくなって、――でも音は聞こえてくるの。自分の耳を塞いでも
途中から私は誰に言うとでもなく呟いていた。
涙がぽろぽろ溢れて止まらない。
後ろの女性が……ミルーシャ様が抱きしめてくれる。
あたたかい……。
「――エリン様が錯乱して……最後に、お兄さんがエリン様を助けてやるって」
「ああ、エリンは自分を殺してくれと
「――普通なら体力が尽きればそこまでだが、エリンの勇者としての魔力がそれを許さなかった。オレの魔力は領主たちに分け与えてやっていたからそこまで及ばず、エリンは高潔の戦女神の勇者としての自分を、その行いを恥じて死を望んだのだ。だから記憶と色に連なる欲情を封じた」
「でも、そんなこと……どうなるか結果はわかっておられたでしょうに」
「ああ、それでもエリンを助けてやりたかったんだ」
「私の記憶も消してくださって構いませんよ?」
「そんなに都合よく気軽に使うような加護じゃない……」
「そうでしょうか。どんな力も使い手次第だと思います」
「そうか……」
ふふ――とお兄さんは自嘲気味に笑う。
「――いずれにしてもルハカの記憶を消すつもりはない。記憶を消したのはエリンとミルーシャと、あと何人か。そう多くない」
「ミルーシャ様もですか?」
ミルーシャ様は頷く。
「オーゼに聞きました。私の居た屋敷を襲った男はジルコワルというそうです」
「ジルコワル……」
「そうだ。奴は聖戦士の加護があるにも拘わらず、裏では略奪を行っている。金目の物から女まで。もちろん戦争なら略奪も珍しくないが仮にも我々は勇者一行だったからな」
「そんなことをして明るみに出ないものなのでしょうか?」
「ミルーシャの話や
「確かに辺境に居る間は
「そうだ、オレも見た。おそらくそいつらが略奪品の運び出しを行っている。
「わたくし! 辺境に戻ってお調べしましょうか?」
「ルハカ……ありがたいが、今お前が戻ってもオレに洗脳されてると疑われるだけだ」
「確かに。ではわたくしに今すぐ何かできることを命じてください」
「ルハカはとりあえず水浴びをしてからだな。着替えも必要だ」
はっとして自分を見れば服がよれよれなだけではない。裾は擦り切れていてボロボロ。手は汚れて浅黒く、足は底の抜けたブーツ。おまけに擦り傷だらけ。髪に至っては藁束のよう。こんな格好ではお兄さんが化け物と見紛うのも無理はない。しかも――。
「わたくし、臭いますか……?」
臭い。改めて胸元を覗き込むと、青カビのチーズを塗りたくったような臭いがする。もう別の意味でボロボロと涙が溢れてくる。
「大丈夫、エリンで慣れてるし愛着すらある」
「オーゼ! 何てこと言うの、年頃の女性に向かって!」
お兄さんはミルーシャ様に怒られて、私にぺこぺこと謝っていた。
大好きなお兄さんの謝る姿がなんだかおかしくて、泣きながら笑っていた。
◇◇◇◇◇
「ミルーシャ様は、その……」
私はミルーシャ様が湧かせた泉で体を清めて貰っていた。
彼女は甲斐甲斐しく私が体中に付けた傷を綺麗に清めてくれていた。
「様はおやめくださいませ」
「でも、位の高い加護をお持ちなのですよね? 巫女様とか聖女様とか」
「そんなに偉いものではないのです」
「お兄さんをずっと助けてくださってたんですよね。それだけで私にはそう呼ばせていただく意味があります。それに……ルシアからはミルーシャ様が洗脳されてるって聞いてましたけど、論理的に考えてその可能性は低いです」
「そう思われます?」
「お兄さんは女性に対して愛想のひとつも言えない朴念仁です。エリン様を大好きなお兄さんが、洗脳なんてリスクを冒してまで女性を囲う意味がありません。それに、お兄さんがその気なら、加護の力でもっと早くにハーレムでも築いているでしょう」
「ぷっ、そうかもしれませんね」
クスクスと笑うミルーシャ様。
「ミルーシャ様は、お兄さんが好きなのですか?」
「ルシアと同じことを聞くんですね。そういうお年頃ですね」
「私はもう成人です!」
「我々のような魔力の扱いに優れた者は、市井の者のようには参りませんよ」
「エリン様とお兄さんのようにですか?」
「あれは少々……例として特殊ですし、そういう意味ではございません。魔王討伐に長い時間を使ってしまったのです。あなた方はこれからゆっくり大人になれば良いのですよ」
「そうですか……あ、それでお兄さんのことは?」
「そうですね、ルシアには昔からの憧れだと答えましたが、今は……」
「今は?」
「子種のひとつでも頂けないかと目論んでおります」
「わぁ、大胆」
二人して笑う。
ミルーシャ様は冗談なのか本気なのか、そんなことを仰っていた。
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この世には匂いフェチからでなければ得られない養分があるッ!
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