第10話 パンと塩のスープ

「兄さん?」


 下宿の裏手、中庭の井戸の傍、ベンチで横になっている人影。

 日向ぼっこでもしていたのか、探していた兄はそこで眠っていた。


「もうっ!」


 あれだけ心配して必死に探していたのに、当の本人はなんと呑気なことか!

 頭にきた私は膝の上に飛び乗ってやった。


「ぐあっ!」


 慌てて首を起こし、こちらを見てくる兄。

 寝ぼけ眼をこすって顔をしかめてくる。


「なんだルシアか」

「なんだとは何です!」


「いや、とうとう見つかっちまったのかとなあ」

「どうして教えてくださらなかったのですか! 部屋に居た女とイチャイチャするのを邪魔されたくなかったのですか!」


「ん? ミルーシャとはそういう関係じゃない」

「兄さんまで名前呼びして! 何なのですあの女は!」


「なんだろうな。毎日のパンを分けて貰っているが」

「女のヒモですか!」


「まあなんだ、しばらくのんびりしていたかっただけだ。四年の遠征の疲れくらい癒してもいいだろ?」

「それは……わかりますけれど……でも、私を除け者にして女遊びなど……」


「そんな金があるか。彼女はちょっと助けてやって、その後どっちも所持金が尽きて困っていただけだ」

「ガネフに頼れば良いではないですか」


「元部下に金の無心なんぞできるか」

白銀ソワールは解体されましたけど報酬はたくさん入っているでしょう?」


「やつらも金はほとんど受け取らずに故郷へ送っている。あれでも親思いなんだ。魔王領に近い領地の出身者も多い」

「意外ですね」


 ふぅ――と溜め息を漏らす。


 そのまま、私は兄さんの体の上に覆いかぶさり、胸の上に頬を付ける。

 嫌がったり逃げたりしないでいてくれる。久しぶりの兄の温もりは安心できた。

 ようやくひと息付けたように思えた私はしばらくそのままで居た。



「――わかりました。では、兄さんは私が養ってあげます」

「……お前こそルトレックの家を継がないといけないだろう」


 私は両手をついて体を起こす。


「兄さんが帰らない以上、継ぐつもりはありません! だいたいお父様は私たちを送り出した時点で従兄弟を養子に取ってるでしょ?」

「まあ……そうだが、お前が帰った方が喜ぶだろ」


「報酬の半分でも送ればお父様も納得されるでしょう」

「一応、帰ることも少しは考えておいてやれ、父上のために」


 私は勢いをつけてベンチから立ち上がった。うっ――っと兄は呻くがお構いなし。


「それで? 兄さんはいつまでこんなところで暇を持て余すつもりですか?」


 ベンチで寝ころんだままの兄に向かって首を傾げた。


「いや、そろそろ起きようかとは思っていたところだ」


 兄は笑みと共に体を起こす。

 きっと、ごろごろしている間も何か考えていたのだろう。

 いつだってそうだ。兄は私たちが思い付きもしないようなことをやってのける。


 兄さんはやっぱりそうじゃないと!



  ◇◇◇◇◇



「ギードラさんは帰られましたよ。あちらも準備は整ったそうです」


 その後、ベンチで兄と話し込んでいたら、さっきのミルーシャとかいう女がやってきた。


「そうか。ありがとうミルーシャ。――ルシア、ミルーシャだ。――ミルーシャ、妹のルシアだ」

「さっき会いました」

「ふふっ、会いましたね」


「それで? 兄に何の目的があって近づいたんですか?」

「おいおい」


「そうですね……運命の出会い……とでも申しましょうか」

「ミルーシャもルシアを揶揄わないでくれ」


「私、オーゼに……オーゼ様に助けて頂くために遥々故郷から旅して参りましたの」

「助けるって? 兄もさっき言ってましたけど、何を助けて貰ったんです?」


「さあ? 忘れました」

「はあ? どういうこと?」


「どういうことでしょうね。ふふっ」


「むぅ……。あっ! あと、本当に兄と体の関係は無いんですね?」

「ええ。おそらくは」


「おそらくって!?」

「おいおい、よしてくれ……」


「冗談ですよ。オーゼは誘っても乗ってはきませんから。間違いなく」


 ミルーシャという女は本当に兄と体の関係を持ったりしていないらしい。最初は男を誑し込むような女と思っていて警戒していたけれど、実際話してみると柔らかい物腰の女性で私が何を言っても笑顔で受け止めてくれる。何だか調子が狂う。



  ◇◇◇◇◇



「ええと、あのう……ほんとにパンだけ?」


 そして次はこれ。

 兄は確かにパンを分けて貰っていると言っていた。

 そして夕飯にしようかと兄が言うので部屋に戻ると本当にパンだけだった。


「いや、塩のスープもあるぞ」

「塩だけでしょ! せめて塩漬け肉とか無いんですか!」


 岩塩を溶かし込んだ水を兄が小魔法キャントリップで温めただけ。

 兄は父の方針で普段から質素な食事に慣れている。おまけにこの四年間、まともな食事もとらずに平気な顔をしていたことが度々あった。けど、それにしたってこれはない!


 そしてそれだけではない。これに毎日付き合っているらしいミルーシャもまともではない。こちらもパンと塩のスープだけで平気な顔をしている。


「一度だけ豪勢な食事をいただきましたが、それ以外はずっと焼しめたパンと水だけで故郷からここまでやってまいりましたし……ほら! このパンは柔らかいのですよ?」


「ええ、確かに柔らかいですけどね……」


「女神さまのお恵みなのです」


 信仰が深いのか、彼女はそう言ってニコニコとしている。


「やっぱりこんなのダメです! ちょっと待っててください!」


 私は下宿を飛び出すと、大通りの酒場まで走った。

 そこで酒と干し肉、腸詰を買って、ついでに金を積んでフライパンとマグカップを三つ買い取り、マグにスープを入れて貰うと下宿へと戻った。戸口の前で――開けてください!――と叫び、中へ入るとテーブルにダンとマグを置いた。


「兄さん、フライパン温めてください!」


 フライパンをテーブルに置いて腸詰を並べる。


「おいおい、これじゃあテーブルが焦げる。ちょっと待ってろ」


 兄さんは浮場フローティングディスクの魔法でテーブルの上の物を浮かす。荷運びに便利な魔法だけど付与魔術エンチャントメントなので私は苦手。小魔法キャントリップで熱されたフライパンがジュウジュウと腸詰を焦がす。


「はああ、何日ぶりでしょう」


 ミルーシャは両手を合わせて口元を覆い隠し、目を輝かせている。

 質素な生活には慣れてそうでもおいしい物には目がなさそう。


「そもそもミルーシャは予定きっかりしか金を用意しなかったのがおかしい。少しは余裕を考えろ」

「食べさせてもらってる人がいう言葉ではありません」


 何の話かは知らないけれど、兄が世話になっているのは事実のようだ。


「ほら、焼けたから食べてください。スープもどうぞ。干し肉もありますから」

「ありがとうございます。ルシアさんに感謝と女神の祝福を」

「ああ、ありがとうな。ルシア」


 二人とも、それはそれはおいしそうに食べるので私は咎めるのも馬鹿馬鹿しくなった。



  ◇◇◇◇◇



「それで……エリン姉さんのことはどうするんですか?」


 私が宿に帰ると話すと、兄が送ってくれると言う。道中、下宿では聞けなかった話をしていた。砦の牢でも話をしようとしたけれど、兄は何も話してくれなかった。


「そうだな……できれば傍で見守ってやりたかったが……」


「兄さんは姉さんを大事には思ってるんですよね」

「そりゃあな」


「でも、姉さんは兄さんに襲われたって思ってます……」

「そうだろうな」


「言い訳をするつもりも無いんですか? 私にも」

「そうだ」


「姉さんは記憶が無いって言ってましたけど、姉さんも兄さんとのこと頼ってましたよね、あのとき」

「…………」


 兄は答えなかった。でも、あの時、確かに姉さまは兄だけを傍に置いた。


「兄さんは何か隠してますよね?」

「…………」


 やはり答えない。兄はこういう嘘が下手だ。だから黙る。


「じゃあひとつだけ答えてください。――それは誰のためなんですか?」

「エリンのためだ」


「それならいいです」


 その後、宿までは無言だった。

 宿に着いた私は兄に礼を言い、兄は帰っていった。

 私は部屋に戻り旅支度をする。兄が動くなら早いだろう。







--

 やっぱりファンタジーと言えば塩のスープですね!(?)

 ガチに塩だけのスープ、なかなか出す機会がなかったので本望です!

 そしてパンです! ベタですけどパンが出ました!

 食材を山ほどかかえたルシアもかわいいですね!

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