9 血の雨に踊れ③

「ミッシングリンク?」


 ―――ミッシングリンク。言葉としての用法は色々あるが、主に古生物学においての意味で用いられることが多い。ある古代種から現在の種に至る進化の過程においてその中間形の種の化石や痕跡が見つかっていないことを指す。


「そして、あの女はホモサピエンス人類と新たなる種の中間にあたる存在なのです」


 ムジナはそう言うとニアの質問を一切無視して部屋を出た。そして、非常用階段を上ると屋上全体を覆うようにプールが広がっていた。


「キュクロプスのもう一つの目はあそこにあります」


 小さな指が頭上を指す。

 水面から立ち込める湯気の遙か遠くに冴え冴えと白く光る月があった。


「”それ”が現れたのは3年前のことです」


 月の周回軌道上に突如一つの星が生まれていた。

 巨大太陽フレアによって引き起こされた大停電から地上が復旧した直後だった。

 設置者は不明。

 その目的も不明。

 各国の宇宙機関や国際機関は接触を試みたが全て失敗。

 その後、ハッカー集団が直接アクセスを試みたものの、ハッカー集団ならびに彼らの所属していたであろう情報機関のサーバー設備はその全てが物理的に破壊されたという。


『旧人類に干渉する意思は無し』


 機械仕掛けの星はたったそれだけのメッセージを残して今も沈黙を続けている。

 ”monolith”と名付けられたそれは現在も不明点だらけだが、たった一つだけ判明していることがある。

 ―――それは地球上で生活するたった一人の少女と相互リンクを続けていること。


「それがイー?」


 ムジナは首肯した。


「キュクロスは”monolith”の生体型インターフェースとしての側面を持ち合わせているのです。歯に物が挟まったような言い方ですが、キュクロプスは生物学的には99パーセントホモサピエンス人類だと推測されています。それは誰よりもその身体を堪能したニア様が一番わかっているのでは?」

「ま、まあね……あれは紛れもなく人間だと、思う……」


 ムジナは蔑むような視線を送ったが、構わず話を続けた。


「とにかくそれがキュクロプスが旧人類の延長に過ぎない根拠です。アレがミッシングリンクだというのなら、同じく”ハイブリッド”であるあなたも私も、ミッシングリンクでしょうね」


「ハイブリッド? 車じゃなくて?」


 横文字の多さにそろそろアレルギー反応が出そうだ。というか、出ている。


「ハイブリッドといってもそれぞれ意味は違います。あなたは生体パーツと機械の身体に人間の心と記憶を宿しているの対して、私はデジタル化された精神を機械仕掛けの人形に移植している。共通するのは私もあなたも元は人間だということ。決してAIや機械が自我を持ったわけではない。同じようにキュクロプスも始まりは人間です。ですが、アレの場合は魂のフレームが人間と大きく異なります。仮想体と実体の両方の特性を持つのです」


 ムジナはプールの反対側に設けられた休憩スペースに進むとパラペットの縁を掴んだ。


「あれをご覧なさい」


 階下ではイーが相変わらず出鱈目に暴れまくっている。その足元には仮面と仮面の持ち主のの残骸が散乱し、赤い色の液体がエントランスを染めていた。


「あの仮面たちは全て私の身体ボディです。身体ボディの中に分割された私の思考が収納され、それぞれの私の意思で動いているのです。やろうと思えば、今、殴り倒された者と入れ替わることはできますが、まあ無意味でしょう」


 幼女の前の妖艶な女の姿をニアは思い出す。つまりは最初に七号棟で案内していた狐面も同じムジナだということだ。まさしく「顔無し」の名に偽りはない。そして、それとは別にイーが人殺しをしているわけでないことにホッとしてしまった。


「何をホッとしているのです? 人殺しの方がよほどマシなのですよ。通常であれば”私たち”はどんな人間にも負けることはありません。たとえ動くのが指一本だけであっても動き続けられます。しかし、キュクロプス相手にはそういかない。アイツは仮想世界の魂を直接狩ることができるのです」

「それはどういう―――」

「あのバケモノは実体であり仮想でもあるのです。つまりはこういうことですよ、あのバケモノが仮想体を殴れば、そのまま仮想体および仮想体の持ち主にダメージを与えられるのです」

「まさか…………!?」

「原理については聞かないでくださいよ。それだけヤツはデタラメな存在なのです。おかけで私は為す術もなく自分の楽園を破壊されるのを指を加えて見ているというワケです。まったく、あなたがあのバケモノと関わりを持っていたばかりにとんだ災難ですよ!」


 そのときだった。

 最後の仮面を殴り倒したとき、イーがふと空を見上げた。

 50メートル以上の距離はあり、照明も湯気も月明りだってある。

 しかし、確かに目が合った。


 イーはニッコリと笑うと『お姉さま』と唇が動くのがわかった。


「ニア様。あなたも災難でしたね。いや、むしろ幸運なのでしょうか。もしあなたを完全に殺せる存在がこの世にあるとしたら、あの女だけなのですから」


 ニアは自分のことを不幸な存在だと思っていた。

 天文学的な確率で不運が不運を重ねた末に生き返ったのだと思っていた。

 しかし、さらに不運が重なるとしたら?

 それは―――。

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