クランクイン

 シナリオの再点検も終わりいよいよクランクイン。記者会見は福岡であったのだけどアリスも呼ばれた。これはシナリオコンペのグランプリ受賞者だから。そうそう作品タイトルもあれこれ案があったのだけど、


『蒙古襲来』


 これは元寇を使うと弘安の役までイメージしてしまうからと、シンプルに蒙古襲来絵詞から取ったもの。元寇は今では歴史教科書にも使われて定着してるけど、この言葉の成立はかなり新しいらしい。


 江戸時代に元史が輸入されて、対戦国の国名が元だったのが読書階級に定着して元寇が作られたとか。この辺は元側も過渡期ではあったみたいで、フビライが送った最初の国書には、


『大蒙古国皇帝』


 こうなってるんだよ。だから当時の国名としてはモンゴルで漢字で蒙古だったはずなんだって。これが元になったのは文永八年と言うから文永の役の三年前の事になるらしい。この時だって漢字では大元だけどモンゴル語では大元大モンゴル国(Dai-Ön Yeke Monγol Ulus)だからモンゴルないし蒙古と呼んでも間違いとは言えないぐらいかな。


 鎌倉時代には最初の国書で大蒙古国皇帝とあったから、蒙古が定着して蒙古襲来とか、蒙古合戦とするのがポピュラーだったみたいなんだ。作品タイトルを考えた時に元ではなんかインパクトに欠けるし弱そうな気がしたから蒙古にしてみた。サキ監督も、


「蒙古と言えば蒙古タンメンが思い浮かぶだろうから強そうだ」


 それは、ずれてると思ったけど、元より蒙古を使うのは賛成した。ただし作中では元軍と呼ばせてる。これはちょっとしたこだわりで、日本に来たのは元軍ではあるけど、モンゴル軍とは言えないと思ったから。この辺は日本の勝因にもリンクするからね。



 記者会見ではキャスティングも発表されたんだけど、ちょっとした注目を集めていたのはヒロイン役が誰になるかだった。これは他の配役が事前にある程度わかっていたのに、ヒロイン役だけわからなかったからなのよね。このヒロイン役もサキ監督は、


「見ただけで男がすべてを投げ出しても守りたくなるような存在感が欲しい」


 言わんとするところはわかるけど、パッと思いついたのが桐原萌絵と広田琥珀。二人とも今が旬みたいな売れっ子だし、演技派としても有名だもの。そういう予想はマスコミサイドにもあって、どちらになるかの憶測記事まで出てたもの。


 キャスティングは順番に発表されていった。全員じゃないけど主要キャストは呼ばれていて、名前が呼ばれるとステージに出てきて、意気込みとか話すスタイルだ。やがて、


『清姫役は・・・』


 清姫とは少弐景資の妹で宗盛明の許嫁になり、平景隆も想いを寄せるヒロイン役の役名なんだ。ちなみに『きよひめ』じゃなく『さやひめ』と読むのだよ。


『尾崎美里です』


 会場はどよめいたなんてものじゃなかった。まさか、まさかのサプライズとして良いと思う。だって誰も出演するなて予想すらしてなかったもの。尾崎美里は女優じゃない。ここもややこしいな、女優としての実績はあるけど、女優業は片手間というか、一回しか出演したことがないのよね。


 尾崎美里の本業はフォトグラファー。それもオフィス加納の専属プロなんだよ。写真界ではオフィス加納の専属プロと言うだけで一流どころか超一流の証になるらしくて、尾崎美里はそれだけの地位と実力を持っていると言えば良いのかな。


 じゃあ、たった一回の出演映画の評価はどうかと言えば、これまた伝説級のものがある。なにしろ滝川作品に素人で抜擢されて主役にまでなってるんだもの。映画だって大ヒットして、ブルーリボン賞まで獲ってたはず。そんな尾崎美里の呼び名は、


『実在する妖精』


 アリスも尾崎美里が主演した幻の写真小町は見たし、映像の中の尾崎美里は妖精に見えたのは白状しておく。だけどあれは映像の中のもので、いくらなんでも現実ではあそこまではないだろうと思ってたんだ。


 だけどステージに現れた尾崎美里はまんま実在する妖精にしか見えなかった。ステージに立っているだけで光輝くオーラを感じるもの。今日なんて紅一点状態だからなおさらだ。夜にはレセプションもあってアリスも出席したからサキ監督に聞いたんだ。


「渋られてな。最後はツバサ先生まで出馬してもらった」


 前回の映画出演の時も騙し討ちみたいな恰好で無理やりだったんだって。そこに尾崎美里もやってきて、


「サキ先輩、約束は守って下さいよ。ミサトだって忙しいのですから」

「仕事に関してはツバサ先生にも協力してもらって調整してもらう」

「それがアテにならないと言ってるのです。アカネ先生の話も聞いてます」


 そこからおおまかな撮影スケジュールについて聞いたのだけど、


「さすがにすべて順撮りとはいかない」


 順撮りとはシナリオの順番で撮影していく手法のこと。この手法のメリットは、シナリオの順番に撮られているからあとで編集しやすいのはまずある。映画って短いシーンの切り貼りだけど、順撮りなら前後を繋いだ時にスムーズになるからね。


「役者も作品に感情移入しやすいのも大きいしな」


 順撮りに対して中抜きもあるんだよ。これはある場面で必要なシーンをまとめて撮ってしまう手法のこと。たとえば、家の中のシーンがあれば、出勤時と帰宅時を続けて撮影してしまうと言えばわかってくれるかな。


 順撮りなら朝の家のシーン、会社のシーン、帰宅してからのシーンと撮る事になるけど、中抜きをすれば撮影効率は良くなる。


「かつて早撮りの名手とされた監督は、家のシーンなら、一度で必要なシーンをすべて撮ってしまったの話が残ってるぐらいだ」


 中抜きで難しいのは各シーンのつなぎで、ヘタクソがやるとギクシャクして見るに耐えないものになることもあったとか。とは言うものの、順撮り派の監督だって中抜きは併用する。あくまでも原則として順撮りにしようぐらいかな。


 でもさすがにこれだけのアクション大作、戦争巨編となると順撮りにこだわれない部分は出て来るよね、だって撮影場所だってロケを多用するもの。ロケ地だけど当初は北海道を考えていたみたいだけど、


「どうしても北海道と九州では風景が違い過ぎる。それと元寇映画だからロケをするなら九州でやって欲しいの福岡市サイドの要請もあったからな」


 スタジオ撮影はどうするのかと聞いたらオフィス加納でセットを組んで撮影するそう。だから大雑把なスケジュールとして、屋内部分をオフィス加納でまず撮ってから、次にロケ撮影に移るぐらいで良さそうだ。


 こういう撮影の手順とかもシナリオライターなら把握しておくのは重要なんだ。映画でもドラマでも予算は大きいから、シナリオで無茶書いたら嫌がられるどころか降板させられる。予算に応じたシナリオを要求されるのは日常茶飯事だもの。


 それと撮りやすさもある。あっちこっち動き回らなくてはいけないようなシナリオも嫌がられる。手間かかるものね。動くのはシナリオ上、必要だとしても、効率的に動けるぐらいの配慮は必要だ。


「そういう配慮、配慮が作品を小さくするのだけどね」


 難しいところだけど、シナリオライターも格がある。売れっ子クラスになると当たる確率が高いから、少々無茶を書いても良いだろうけど、アリスみたいななんとか中堅にやっとこさ顔を出したクラスなら、いかにクライアント様の御機嫌を損ねないようにするのが優先されるんだ。


「それは、どこでも同じだよ。でもこの映画が当たればアリス君も売れっ子の仲間入りになるからね」


 なって欲しいよ。というか、ちゃんとした作品の依頼をちゃんとした価格で請け負いたい。シナリオライターと言っても映画やドラマの脚本だけを書いてるわけじゃない。アリスならゲームのシナリオの依頼も多いのよね。


 ゲームのシナリオを下に見てるわけじゃないけど、アリスが書きたいのはやはり映画だ。せめてドラマ。そういう依頼を受けられるようになり、さらに依頼される仕事の中で選べるようになるのが夢かな。それはそうと懸案の製作費は?


「この映画はサキのこれまで積み重ねて来たすべてを出し切るつもりだ。歳からしても集大成になる。中途半端な妥協はしたくない」


 それは意気込みとしてわかるけど、


「良い映画を作るには、良いシナリオ、良いキャストに恵まれるのは必要条件だが、本当の名作にするにはさらなる十分条件を獲得しないといけない」


 十分条件とは、


「満足できる撮影期間と、自分のイメージを実現できる製作費の確保だ。これをいかにして勝ち取れるかが名監督の条件として良い」


 そんなことを言ってもスポンサーだって無い袖は振れないし、打ち出の小槌を持ってるわけじゃないよ。


「そこをなんとかするのが監督であり、プロデューサーだ。妥協した芸術など評価されるわけがないだろう」


 だいじょうぶかな。

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