手直し
それからオフィス加納に日参しながらシナリオの総点検と手直しに明け暮れた。
「映画は本がすべてだ」
滝川監督みたいに台本無視が平常運転みたいなのもいるけど、サキ監督は撮影前に少しでも完成度を上げたいタイプで良さそうだ。この辺は製作費の問題も大きいのも確実にある。
アクション大作だから大道具にしろ小道具にしてもとにかくカネがかかるなんてものじゃない。撮り始めて構想が変ったりすれば、追加費用がどれだけ膨らむか想像するのも怖いぐらいなんだよね。
映画は既に準備段階に入っていて、オフィス加納に行くと衣装や鎧兜の試作品が入り始めていた。アリスも見せてもらったのだけど、サキ監督のチェックはとにかく厳しいのよ。厳しいと言っても時代考証的な厳しさじゃないかな。そういう部分もあるけど、
「生活感がどれだけ撮れるかが重要ってことだよ」
時代劇は今でも大河はあるけど、サキ監督に言わせると衣装は浮きすぎてるって。そりゃ、当時だって小綺麗な衣装を着ることもあっただろうけど、
「普段着もあるし、そうそう毎日着替えたり、新しいのを着れるわけがない。上なら上の、下なら下の着こなれとか、くたびれた感が混在するのが生活感だよ」
鎧兜もそうみたいで、鎌倉武士なら大鎧だけど、これは武士が自前でそろえるものなのよね。これが安いはずがないし、安くないから先祖伝来の鎧ってのもあるし、傷んだら修理を繰り返してたはずだし、さらに言えば色だって褪せてるのもあるはずだって。
「屋敷のセットも嘘臭すぎる」
大概は白木作り風のセットになるけど、あれでは新築にしか見えないって。白木で作っても歳月で色も褪せるし、襖や畳、調度なんかもそうならないといけないとしてた。そんな方針だから、それこそ一着出来たらチェックして、次の注文が出て来る感じだ。それも単に古びてたり、汚れている感じだけじゃダメみたいで、
「肉眼で見るのと、映像で見るのは同じじゃない。肝心なのはどう映るかがすべてだ」
そんな調子だから台本の点検もまさに重箱なんだよね。アリスがどういうイメージでこれを書いているかを根掘り葉掘りなんてレベルじゃなく確認されまくったもの。ちょっとでも曖昧なところがあると、
「すべてのシーンはつながって行くのが映画よ。どこかに少しでも違和感があれば、そこからノイズが起こり、全体を台無しにする」
そりゃそうだと思うけど、絵コンテも交えながら撮られるシーンのすべてにチェックが入る感じだ。それでも後半の博多決戦のシーンは、
「ここはある程度任せてもらうしかないね。これだけの規模の撮影となるとアクシデントは必至だし、そのアクシデントを活かすのもまた映画だ」
合戦シーンはとにかく矢が派手に飛ぶシーンが多い。元軍なんて猛烈な矢の雨をひたすら降らせる設定にしてるもの。だから大量の矢を降らせる装置まで作ろうとしてた。そうなると矢にも工夫が必要になって、
「刺さって怪我人ならまだしも死人が出たらさすがに困る」
日本軍は騎馬からの騎射になるけど、
「これについては黒澤が確立している」
そういう手法があるのかと感心したけど万全の手法じゃないらしく、
「七人の侍では本当に刺さってしまって大怪我したのも出たし、蛛の巣城では三船敏郎は殺されそうになったと黒澤の下に怒鳴り込んでいる」
怪我人も死人も出ませんように。ここのところ、サキ監督と取り組んでいるのは序盤のシーンの手直し。アリス脚本でもここで宗盛明、平重隆、少弐景資の三人の個人的な友情関係を後の伏線にしてるところだ。
「この設定は秀逸だと思うのだが、盛明が生き残ってしまう理由が弱い」
盛明は対馬から逃げ、壱岐からも落ち延びて少弐景資と博多決戦に臨むのだけど、対馬では一族全滅になるし、壱岐だって友である景隆を置いて博多に落ち延びるのだよね。
「一族の血を絶やさないようにするのは当時的には立派な大義名分になるのかもしれないが、現代人にはもう一つピンと来ないと思う。対馬はまだしも壱岐では死ぬだろう」
だから鎌倉武士として壱岐でも戦ってから落ち延びる・・・・
「そこも問題だよ。対馬はいきなりだったから戦って逃げ延びたのはわかるじゃない。でも壱岐なら最初から博多に逃げる選択もあるじゃないの」
そこについては、サキ監督とあれこれ考えた末に、盛明が壱岐に到着ししたのは元軍が來る三日前ぐらいにすることで落ち着いた。つまりは逃げる間もなく元軍が襲ってきたぐらいだ。
「もう一回使っても良い気がする」
対馬の設定を? あれは逃げるために郎党や盛明の兄弟が順番に引き返して時間稼ぎをやるやつだけど、
「盛明と景隆は友人だ。景隆は渋る盛明を説き伏せ、景隆は自分の命で盛明を博多に落とすのだよ」
サキ監督が言うには、景隆に何があっても盛明を博多に行かせる理由が欲しいとしてた。もちろんアリスだって考えてた。宗家の血筋を遺し、博多に元軍襲来の情報をもたらすためだ。
「それは理だ。行動原理が理であっても良いが、ここまでの修羅場だ。情の理由が必要だ」
そこで少弐景資、平景隆、宗盛明の関係の見直しが行われたんだ。三人は歳が近い幼馴染にしてるけど
「そこだが、景資は設定として三人の関係でも少し年上の兄貴分にしたい。景隆と盛明は同い年ぐらいだ」
それぐらいは可能だけど、
「この三人の関係に恋の要素を入れたい」
まさかの三角、いや四角関係とか、
「ちょっとした三角関係だ。盛明と景隆は少弐景資の妹に惚れるとする」
ここもドロドロの三角関係を展開させる映画じゃないから、恋の行方は景資の妹と盛明が許嫁になるぐらいで手を打つのか。
「だがな景隆にも景資の妹への想いだけは残るぐらいだ、ここもかつて愛した女の幸せを願う程度にしておく」
芸が細かいよ。そういう設定にしておけば、対馬から逃げ込んで来た盛明をなんとしても博多に行かせようの情のモチベーションが景隆に出てもおかしくない。盛明だって最後のところで、
「そうだな、景隆にお前が守らずして誰が守るぐらいの決めゼリフを聞かされて、泣く泣く博多に逃げるのに同意するぐらいだ」
これで盛明は一族の死、友人の死を背負って博多に着き、死に物狂いの奮戦をするモチベーションにつながっていくし、
「妹の幸せを願う景資の心遣いのシーンの演出も強く出来るはず」
サキ監督が気にしていたのは、日本軍が戦うモチベーションにもあるみたいだ。そりゃ、功名手柄を挙げての恩賞狙いはある。竹崎季長なんてそうだよね。それに鎌倉体制はまだまだ盤石だから、幕府の命に素直に従ったのもあると思う。でもサキ監督はそれだけにしたくないみたい。
「恩賞狙いは当然あったと思うけど、博多で戦った元軍は強かったんだよ。そんな元軍に勝ったモチベーションが恩賞狙いだけだったはさもしすぎる」
サキ監督は博多の日本軍は強大な元軍を見て、日本を意識したとしたいみたい。
「武士ってね、あくまでも自分のために戦う種族じゃない。一所懸命だって、自分の領地のために命さえ懸けるって意味でしょ。戦ったり、守ったりする範囲はその程度の連中だったのよ」
それが日本という国を守るために戦う意識が生まれたのが元寇じゃないかって。
「だけどね、ここでお国のためみたいな方向性は嫌なのよ。第二次大戦の時だってお国を守るはスローガンではあるけど、戦って死んでいった兵士が本当に守りたかったのは、家族や愛する人、友人、知人だったはず。そういう人を守るのが国を守るにつながっているはずなの」
サキ監督が言うには、人が本当の勇気を揮い、命まで差し出せるのは自分のためではないとした。誰かのため、それも愛する人のために戦う時にこそ発揮されるはずだって。だからこそ盛明に恋が必要だし、景隆もそう。
そういう命のバトンが景資につながれ、このバトンの想いが日本軍全体に浸透して行われたのが博多決戦になる映画にしたいのか。でもここは大事だよな。娯楽映画に思想を強く打ち出すと大概は失敗しる。そりゃ、説教臭いだけの代物にしかならないもの。
でもね、思想も必要なの。これは戦争映画でもあるから、誰のために戦い、誰のために死ぬかだ。そこを共感できないと、
「単なるチャンバラ映画になっちゃうからね」
アリスも盛り込んだつもりだったけど、
「尺の関係もあるけど、もうちょっとシンプルでストレートな方が良いと思う。映画の命はリズムだからね」
大車輪で手直しさせてもらった。
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