弘安の役と石築地

 コトリさんの元寇の見方がおもしろい。だってまさかの二段階戦略だって言われて目を剥きそうになったもの。


「フビライかって英雄やからな」


 そこまで壮大な戦略を立て、それを実行させたのはたしかにタダ者じゃない。それでも第一段作戦の文永の役は失敗し、大宰府を占領して北九州に巨大な前進基地を作る事が出来てないのよね。


 弘安の役での焦点はあれこれ見方があるけど、元軍は上陸戦による決戦を最後まで躊躇ったのはあると見ても良いかもしれない。そりゃ、石築地がずらっと並んで、そこを日本軍が守ってるもの。


 東路軍の戦力だけではこの防衛線を突破は困難とみて、主力である江南軍の到着をひたする待ったのが史実の展開でよいはず。だから江南軍を待つ東路軍の船団に小舟で攻め寄せる、


「小競り合いばっかりやっとったんが弘安の役や」


 単純に言えばそうなってしまう。そりゃ、壱岐での逆襲戦もあったりするけど、しょせんは局地の小競り合いに毛が生えた程度だものね。あの時に江南軍がさっさと合流して上陸戦をやっていたら、


「壮大過ぎる上陸戦が歴史に刻まれたやろ」

「あの規模の上陸戦が次に現れるのはノルマンディー上陸作戦になるからね」


 ひょぇぇ、元軍の規模ってノルマンディー上陸作戦に匹敵するのか。


「そうなるねん。だからこそ、弘安の役の勝因は文永の役にあると見るべきや。文永の役で橋頭保を築き損ねたから、弘安の役はそこから始めなあかんし」

「それを行うはずの東路軍がビビっちゃったのよ」


 ビビったのやっぱり石築地があったからじゃないの?


「たしかに博多湾に石築地を築いたのはすごいと思うけど、防壁ってね、いくら堅固でも守る者の戦意一つで変わるのよ。どんな難攻不落の要塞でも戦意が低ければタダの壁にしかならないの」


 そっかそっか、戦国第一の堅城と呼ばれた小田原城でも、海内無双とまで畏怖された大坂城だって落ちてるものね。それに比べたら石築地なんてしょぼい防壁になるかも。


「防衛戦は難しいねん。石築地いうてもかなり長いもんやんか」


 ミニチュア版だけど万里の長城みたいなものだよ。


「攻める側はどこ攻めてもエエねん」


 コトリさんに言わせると石築地は横一線の防御ラインであって、


「縦の深さがあらへん」


 縦深陣地って言うらしいけど、要するに第一線の石築地を破られた時に第二防御線以下が基本的に存在しない体制だって。そこまで作れなかったのは仕方ないと思うけど、


「それはそうや。そやけど、横に長い一線防御やんか。元軍はその防御線のどこでも集中攻撃できるんよ」

「そういうこと。日本軍だって長い石築地に薄く配置されてるじゃない」


 厚い薄いは相手との相対関係になっちゃうけど、東路軍だって万単位の軍勢がいるわけで、そんな大軍に一点突破を目指されたら守り切れないかもしれない。もし突破されたら元軍は石築地の裏側に回り込んで来るよね。


「石築地は線みたいな壁やろ。裏に回られたら弱いやんか」

「そうなったら、日本軍は石築地を破って侵入してきた元軍を押し返さないといけなくなるじゃない」


 そうなるしかないけど、そうなってしまったら負けたも同然の気がするけど、


「そこまでは東路軍かって考えたはずや」

「でも怖くてやらなかったのが弘安の役じゃないかな」


 はぁ? どうしてよ、そこまで行けば博多の日本軍を総崩れにもって行けそうじゃないの。


「結果で言うたら東路軍はやってへんやろ」

「戦略と言うより戦術に自信が無かったんじゃないかな」


 どうでも良いけど戦略と戦術ってどう違うのよ。


「戦略は戦いの目標や。弘安の役やったら、海岸で守っとる日本軍を蹴散らし大宰府を占領して前線基地を作るのが戦略で、その時にどうやって具体的に兵を動かし、戦うかが戦術や」


 日本軍から見たら大宰府を占領させないようにするのが戦略で、そのための元軍による上陸作戦を阻止する石築地を作ったのが戦術になるのかな。なんかわかったような、わからないような。


「石築地を突破したら、そこに出来た穴を塞ぐために日本軍が集まって来るのは東路軍の司令部かって読んでたはずや」

「そこで行われるのは平地での野外決戦になるじゃない」


 元軍は石築地の裏側に集まってるから、そこでの戦いは平地決戦になるのはわかるけど、当時世界最強の元軍じゃないの。たとえ日本軍が逆襲に来たって迎え撃って踏み潰せば済む話のはず。


「そやから文永の役があるやんか」

「そう繋がるじゃない」


 なんのこっちゃ。それはともかく、石築地が役に立ったから弘安の役の元軍は博多に上陸出来なかったんだのよね。


「そう見るのが通説やが」

「そこだけじゃないと思うのよ」


 でもさぁ、守るのなら防壁がある方が有利じゃない。対馬だってちゃんとしたお城があればもっと頑張れたはずだよ。この辺はまだ鎌倉時代だから、江戸時代の城みたいなものはまだなくて、


「それはそうや。せいぜい搔き上げの土居ぐらいの時代や」


 これは自分の館の周りに堀を掘って、掘った土で土塁を築いたものだって。これだって防壁にはなるだろうけど、それこそ壁一枚の防御拠点だ。


「当時の合戦の思想で籠城戦は乏しかったからな」

「まだ正成が登場してないものね」


 日本で籠城戦で成果を挙げた最初の例が千早赤坂城の攻防戦かもしれないってか。それ以前はないものね。


「そんなことあらへん。前九年の役の時かって河崎柵とか厨川柵の戦いがあるやんか」

「保元の乱の時の崇徳院側が籠った白川北殿の攻防戦も籠城みたいなものよ」


 たく歴史オタクはスノブだな。


「オタクやあらへん歴女よ呼べ」

「わたしは歴史じゃなく温泉美少女よ」


 わかった、わかった。でもさぁ、なんたら柵の戦いが籠城戦になるのか、ましてや保元の乱の時はお城じゃなくてお屋敷の攻防戦じゃない。


「まあな。籠城戦を戦い抜くことで歴史を動かしたのは千早赤坂城からかもしれん」


 それに前九年とか保元の乱とか言っても籠城側が負けてる事が多いはず。だから鎌倉武士も合戦とは手勢をかき集めての野外決戦が常識だった気がする。


「まあそうやねんけど」

「行きたいんでしょ」

「もちろんやけど、やっぱりバイクやったら無理あるねん」


 コトリさんはバイクを停めて名残り惜しそうにしてる。案内には金田城跡ってなってるけど、


「この城は天智天皇が白村江の敗戦の後に作らせた城塞の一つや。大宰府の水城や大野城とかの一連のもんで、かなり立派なもんらしい」


 白村江の決戦に敗れたから今度は逆襲を心配したのか。この時に作られたので有名なのはコトリさんが挙げた大宰府の水城や大野城だけでなく十か所以上もあったそう。よっぽど怖かったんだろな。対馬は最前線になるから金田城が築かれたそうだけど、しょせんは古代の城だから、


「そりゃ、近世の城と較べたらあかんやろうけど、高石垣で築かれた立派なもんやってんで」


 古代に石垣なんかあったんだ。


「あるわい。神社やお寺にあるやろが」


 そうだった。だったら、だったら、そうして元寇の時に利用しなかったのよ。そりゃ、時代がかなり違うけど、こういう時のために作った城でしょうが、


「その通りやねんけど、八世紀には廃城となって、後は荒れるがままやったらしいわ」


 この役立たずが!


「そう言うたりな。戦争の道具なんか準備しただけで使わへんのが最高の結果や」

「こんな城が健在だったら、ずっと半島と戦争状態だったことになるじゃない」


 それはそうなんだけど、なんだかもったいないな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る