縛り上げてでも

 朝のトレーニングの後、オーレリーがパンケーキを食べながら言う。

「昨日のシアラだがな」

「あ、どうしてる?」

 スパイであることがバレて逃げ出したところを助けたわけだが。


「こちらの食い物がうまいというんで、目の色を変えて食事を食べてるな」

 ……エスファーデンから来た人はみんなそんな感じかあ。


「で、こちらで暮らすとなれば衣服やら身の回りのものなども揃える必要があるだろ? とりあえず、今日は買い物や食事でゆっくり過ごせばいいと思うのでな。サスキアと買い物に行ってもらってはどうかと思っている」

「今後どうするかはその後でゆっくり考えようか」

「そうだな」


 オーレリーたちが帰ろうとしているところを、サスキアだけ呼び止める。

「何でしょう?」

「あのな、買い物に行くならオーレリーも絶対誘え。これから暖かくなるから、春物の私服は絶対必要だ、とか言って強引にでも。な?」

「あ、はいはい。心得ました」とサスキア、笑顔で応じる。

「シアラの服とか日用品はこれで」と、少しばかりの資金を渡す。

「了解です。任せて下さい」

 よしよし。サスキアは常識もあるし、頼りになるなあ。



 さて、エヴァンス家にお披露目パーティーについての助言をお願いしていた件について返答がある。そのあたりの頃合いを把握している人を派遣するとのことだったので、折り返し、明日の午後にお願いしたい旨を返答する。


 チジーがやってきて、レイモンド商会としてもスートレリア王国との交易を本格的に始めたいという相談。これは先日、ローザさんとも話をした件だが、ゾルトブールの内乱の直後、倉庫でだぶついていた穀物の在庫をレイモンド商会が買い取ったような経緯もあるので、最悪でも相談くらいには乗ってくれるんじゃないかという見込みだ。

 まあ、チジーに任せておいたら大丈夫な気がするな。


「スートレリアへの販路をどうこうするという件とは別に、やっぱりデレク様がナタリーを連れてゴーラム商店に挨拶に行くべきじゃないですかね」

「そう?」

「そろそろ混乱も収まりましたし、頃合いじゃないですか?」

「確かに、挨拶も無しで他人様のお嬢さんをずっと預かっておくのも……」

「でしょ?」

「ゾルトブールに行くなら、シャデリ男爵の所にも顔を出したいよなあ」

「もし行くとすると、往復だけでも2週間以上は見ておかないといけませんが」


 ふと思い出す。

「あれ? 俺、4月から学院に行くんだっけ」

「そうですよ。しっかりして下さい」

 はっきり言って忘れてたよ。


「そうなると、お披露目パーティーの後にゾルトブールに行く時間はないよね。その前なら、すぐにでも出かけないと、親父殿が聖都に来るのに間に合わないじゃん」

「あら。どうします?」


 やばい。

 しかし、この機会を逃すと、ゾルトブールに挨拶に行くほどの時間が取れるのは学院の夏期休暇の時くらいしかないから、しばらく後回しになってしまう。


「……まだ2月末だから、行って来れないことはないな」

 気がついて良かった。


「チジーも行くよね?」

「ええ。でも、あたしもですけど、デレク様も全行程をまともに馬車で行くという気はありませんよね?」

「まあね。でも、馬車は1台、ちゃんと行って帰って来る必要があるよな」

 場合によっては、この前ダズベリーに行った時のように、馬車ごとストレージに格納して時間短縮を図ればいいだろう。


 そんな相談をしていたら、行政官を任せているシャロンが書類の束を持ってやって来る。書斎の机の上に書類を積み上げて言う。

「急いで承認を頂きたい案件がこれ、ご検討頂きたい案件がこれ、ちょっと目を通して頂くだけで結構な案件がこれ、です」

「……それぞれ、かなりの分量のような気がするけど」

「ニールスの件でお忙しくされていた期間の分も溜まってますから」

 うわあ……。これをひとりで片付けるのはしんどいなあ。


「近々ゾルトブールに出かけようと思ってるし、春からは学院にも行く予定だから、もうちょっと効率的に仕事を進めたいよね? 俺が書類の隅から隅まで見るんじゃなくて、誰かサポートしてくれる人に内容を把握してもらって、最終判断だけ俺がやる、っていうのはどうかな?」

「そうですね、内容自体は私が見ておりますが、確かにもう一人誰かサポート役がいた方が効率的ですね」


 ふと、泥人間スワンプマンにやってもらおうかと思ったが、いやいや、彼らは将来的な視点という点が決定的に欠如しているからダメだな。


「……誰か適当な人材はいないかねえ?」

「そうですねえ……。クロチルド館でそういう仕事を探している人はいないのですか?」


 すると話を聞いていたチジーがこんなことを言う。

「あの、RC商会で見習いをしてるエステルとアデリタですけど」

「うん」

 2人とも、ディムゲイトの麻薬農園で助けた後、女性たちのサポート役をやってもらっていた。その後、聖都に出てきてローザさんのRC商会で働いていたはずだ。


「エステルは貿易商で働いていたことがあるので、仕事ももう一人前といった感じみたいですけど、アデリタは貴族の庶子なので、どちらかというと行政官や書記官みたいな仕事が向いてるのかもなあ、って最近言ってるんですよ」

 アデリタは赤い髪の聡明そうな女性だ。


「へえ。でも、アデリタの実家は船会社とか言ってなかった?」

「ですから、帳簿の管理なんかは問題ないんですよ。ただ、やってみたら商売は自分にはあまり向いていないかも、だそうです」

「じゃあ、もしかしたらアデリタに、シャロンや俺のやっている仕事のサポートをお願いできる可能性があるってこと?」

「そうですね。ローザさんの所から引き抜くみたいな形になるので、ちょっと相談は必要だと思いますけど。あたしはこれからクロチルド館へ行きますから、その気があるならこちらへ顔を出すように言っておきます」


 アデリタなら俺が転移魔法なんかを使うことも知ってるから、身近で事務仕事のサポートをしてもらうのに打って付けじゃないかな?



 まずは、シャデリ男爵、つまりジェインの所へ急ぎの手紙を送って、都合の良い日時を問い合わせる。

 その後、シャロンに手伝ってもらいつつ、せっせと書類を片付ける。

「こっちの書類は、デレク様をここに縛り付けてでも今日明日中になんとかしたいので」

「うひー」

 キリキリと働いてから昼食。


 昼食後、書類の束を前にひとりで半ば呆然としていると、シャトル便でアデリタがやって来た。書斎に入ってもらうと、なぜかゾーイも一緒に付いて来る。


「お久しぶりです。デレク様」

 アデリタはディムゲイトにいた頃よりも、ずっと垢抜けて綺麗になった感じだ。今日はグレーのコートの下に、いかにも知的な事務官って感じのスーツを着ている。身体のラインが見事だなあ。


「チジーに聞いたんだけど、商売方面より貴族の仕事のサポートをしたいんだって?」

「ええ。なんか、穀物の相場が上がった、下がった、とか言っているよりも、街道の整備を進めるとか特産品を農家に広めたいとか、そんな仕事の方をやってみたいと思うようになりました」

「ローザさんのRC商会の方はいいの?」

「はい、事情はお話ししてあります」

「じゃあ、しばらくシャロンの下について仕事の内容を把握したらいいかな?」

「はい、そうさせて頂けると有り難いです」


 早速、シャロンを呼んできて……、と思ったら、ゾーイがいかにも悪巧みを考えているような素敵な笑顔でこんなことを言う。

「デレク様。ちょっとリズ様を呼んで頂けます?」

「え? ……まあいいけど」

 イヤーカフで呼ぶと、リズが自分の部屋からやって来た。

「何をするのかな?」


 ゾーイが言う。

「さて、このお屋敷で働いてもらうかを決める前に、我々も交えてどんな人物なのかをよく知っておかねばなりません。少しリズ様にもお話を聞いて頂いた方がいいのではないかと思うのです。カリーナとズィーヴァの時もそうしましたよね」


 あ。


 ゾーイは澄ました顔だが、内心の期待を隠せないようで少し笑顔が漏れる。

 リズ、状況を察したようで俺に向かって言う。

「そうだよね。テッサード家の大切な仕事を任せるんだから、あたしもどんな人かよく知っておきたいなあ。デレク、


 えー。やるの?

 ゾーイとリズは期待いっぱいといった表情。

 当然、アデリタは何だか分かっていない。多分、単なる面接みたいなものだと思っているんだろうなあ。

 確かに、アデリタが誰かにそそのかされて屋敷の仕事をやりたい、と言い出したという可能性は否定できない。そういった心配は今のうちに取り除いておくべきだな(自己弁護終了)。

 『尋問上手』を起動。


 俺から質問。

「えっと、カリーナとズィーヴァが先にメイドとして働いているんだけど、メイドとしてということではないんだね?」

「ええ。商取引だけではなく、公文書、税金などについても勉強しましたので、そういった知識を活かしたいと考えています」

 うんうん。なるほどね。


「でも、それなら他の貴族の屋敷なんかで働くという選択肢もあるわけじゃない? ここで働きたいと希望してくれたのは?」

「やはり、農園で助けて頂いたデレク様に是非とも恩返しがしたいからです。それに、ズィーヴァたちの話を聞くと、ここでの暮らしぶりがとても楽しそうでしたので」

「なるほど」


「誰かに言われて、デレクやテッサード家の秘密を探ろう、とか思ってる?」

「まさか。そんなことはありません」

「アデリタは俺が魔法を使うことを知ってるじゃない? 他の人にそれを言って自慢したいなんて思わないかな?」

「そんなことをしたらデレク様にご迷惑がかかります。絶対にそれはありません」

 やれやれ。一安心。


「俺もまだ貴族としては頼りないから、時々は苦労することもあると思うんだ。でも、一緒にやってくれると言うならお願いしたいな」

 さて、これで終わりにしようかな、と思ったら、アデリタが俺をじっと見つめながら言う。


「デレク様と一緒にする苦労ならなんでもありません。それに、将来的にはですが、デレク様に子種を頂戴して、可愛い子どもに恵まれたら幸せだなあって考えています。もちろん、デレク様があたしなんかに目も向けて下さらないかも、って不安にもなりますけど、でも、いざとなればデレク様を縛り上げてでも! ……なんて考えると、身体の中から明日への希望のようなものが湧いてくるんです」

「はあ?」


 ゾーイは両手を握り、うつむいて目をつぶっている。リズは座って右手で額を押さえたまま、ずっと下を向いている。何か言いたいことを我慢しているようでもあり、笑いを堪えているようでもある。


 ここで『尋問上手』を解除。


「アデリタの希望はよく分かったよ。これからもよろしくね」

「はい。ご指導、よろしくお願いします」


 リズが紅潮した顔で言う。

「デレク、アデリタを指導してあげるのね?」

「え、その、まあ。シャロンにもお願いするけど」

 ゾーイ、澄ました顔で言う。

「デレク様、アデリタにはをして頂きますようにお願いします」


 そんなことは分かってるって。

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