王宮のスパイ

 今朝は随分と冷え込んで、遠くに見える山には冠雪も見える。


 トレーニングに行くと、常連のメンバーに混じってゾーイがストレッチなどしている。

「おはよう。ゾーイがこの時間にいるのは珍しいな」

「ええ。エメルとジャスティナがいないので、色々な当番が少々ずれたり、あたしが代わりに入ったりしているものですから」

「あ、それはご苦労様」


 毎朝トレーニングをしていると言うだけあって、身体にピッタリしたトレーニングウェアを着ているゾーイは、なかなかなプロポーションである。

「あら。ありがとうございます」

 げ。久しぶりにやってしまったな。口から出ていたようだ。


 トレーニング後、例によってパンケーキを食べているとリズもやってくる。

「おはよう、デレク。一昨日の夜から何かやってたみたいだけど?」

「ああ、セーラに頼まれたやつだよ。あれはとりあえず終わった」

「ほほう、『女の武器』で籠絡ろうらくされた件ね」


 コーヒーを持ってきてくれたゾーイが食いついてくる。

「『女の武器』で籠絡ろうらく、という素敵なフレーズが聞こえましたけど」

「いやだなあ、冗談に決まってるじゃん」


 ちょっと顔色を窺ってみると、オーレリーは何のことだか分かっていない模様。


 そうだ、ゾーイにも名前のことを聞いてみよう。

「ゾーイはラカナ公国にしばらくいたこともあるよね。ムーンフォードとか、デュハルディ、それからスフィンレックという名前の人を知ってる?」

「いえ。そういう珍しい名前の人は知りませんねえ」

 とすると、ゾルトブールの方の名前なのか?


 すると、一緒にパンケーキを食べていたサスキアが言う。

「デュハルディって人はエスファーデンにいましたよ」

「へえ。貴族とか?」

「いえ、普通に街で武器屋とかをやってたと思います」

「ほお。ゾルトブールとかエスファーデンの方の名前なのか」


「それが何か?」とゾーイ。

「いや、どうも歴史から抹消された一族、みたいな感じらしいんだけど」

「へえ。そんな人がいるんですか」

「いやあ、それが謎でねえ」


 午前中、少し気が向いたので、子供たちが勉強をしている様子を見に行ったりする。

 子供たちは基本的に午前中は読み書き、算数の勉強。さらにお昼の後、最近は希望者で裁縫や料理なんかに取り組んでいるらしい。よしよし。


 昼近くになって、ハワードがやって来た。

「デニーズ経由でもらっていた、ほら、ウィカリースが狙われているっていう情報」

「あ、はいはい」

「昨夜だけど、本当に刺客がやって来て」

「おっと」


「ウィカリースが夕食を終えて自宅に帰るのを尾行して、人通りのない路地で襲おうとしたところを、逆に捕縛したと報告があった」

「へー。ウィカリースの身辺警護は誰が?」

「騎士隊に依頼してね、こっちも2人組。相手のうちの1人は魔法士で、少々苦戦したらしいが、2人とも捕縛できた。現在のところ、ガッタム家から指令が来て襲っただけで、事情は知らないと供述している」

「なるほどね」


「ただ、襲われた側のウィカリースがすっかりビビってしまって、洗いざらい背景を説明しているというんだ」

「へえ」

「罪を認めて知っていることは全部話すから、ガッタム家の目が届かないどこかの片田舎に配流ということにしてくれないか、というんでね。検察を呼んで事情聴取をしている最中らしい」

「ほう。ガッタム家としては逆効果だったというわけか」

「これで、要職にある誰かと繋がっていることが分かったりするかもしれない。まずは情報を迅速に流してくれたデレクに感謝だ」

「いやいや、聖王国に犯罪組織が巣食っているとしたら見過ごせないよな」


 続報があればまた知らせると言って、ハワードは帰って行った。


 昼食を食べてから、リズやナタリー、カリーナがやっている通称『裁縫部』の新作の進捗状況を見せてもらったりする。

「おー、キュロットスカートだねえ」

「どうです、これ」

「春に向けて、いい感じじゃない?」

「子供が外で遊ぶのにもいいですよね」


 そんなのどかな会話をしていると、突然、イヤーカフにオーレリーからの音声が入る。

「デレク、エスファーデンの王宮で何か騒ぎだ」

「え? 何があった」

「ネコの視線で見ていたのだが、メイドが1人、騎士隊に追われて逃げ出している」

「メイドが騎士隊に? どういうことだ?」

「分からんが、メイドは魔法が使えるようでな、必死の抵抗をして王宮の庭に逃げ出している」


 意味がわからんが、ちょっと見に行ってみるか。

「ちょっと俺も見に行く。王宮の中庭か?」

「そうだ」


 書斎のソファに座って、カラスの視線で見に行ってみよう。

 ……高い位置からエスファーデン王宮の中庭が見える。どうやらカラスは王宮の屋根に止まっている。


 メイド姿の女性が猛然とダッシュして中庭を駆け抜けて行く。その後ろから騎士が2名走って追いかけているが、こちらは甲冑を着ているので足はそんなに速くない。

「待て!」

「ここから逃げられるものか!」


 あれ? あのメイドは前からちょっと気になっている可愛いメイドだな。名前は確かシアラ。

 何があったんだろう? つまみ食い……程度では騎士に追われたりはしないよなあ。


 しかし、こういう時はとりあえず女性の方を助けるものだ、と日本のアニメから教えてもらった(←本当か?)。

 一応、助太刀してもいいように、カラスの「発射台」にとしてファイア・バレットをセットしておく。騎士隊が悪者とは限らないし、どうせ甲冑を着ているから、攻撃よりは威嚇が目的である。


 シアラは中庭を抜け、厩舎の方へと走る。

「あ。馬で逃げる気か?」

 さっきから追いかけている騎士2名は、そろそろバテてきたようで、近くにいた衛兵に指示を出す。

「あの女を追え!」

「はっ」

 騎士よりは身軽な格好をした衛兵が3人ほどで追いかける。


 シアラは厩舎の前に繋がれていた馬に駆け寄ると、結えられていた縄を手早く解き、飼い葉桶に足をかけてヒラリと馬に跨って走り出す。

「うわ。裸馬に乗って逃げ出したぞ」とオーレリーに伝える。

「え? 鞍もあぶみもなしか?」

「そうなんだ」

「それは普通のメイドではないな」

「俺もそう思う」


 カラスと感覚共有したまま、馬の後を追いかける。


 馬はそのまま通用門の方へ。門は開けっぱなしだが、左右に門番がいる。

 遥か後方から声がする。

「その女を逃すな!」


 城壁にもたれてぼんやりしていて門番は、猛然と走ってくる馬に驚いて手に槍を構える。しかし馬は速度を緩めない。

 あー、これはやばいな。


(ファイア・バレット)


 現場の門番や衛兵から見ると、多分何もない空中からいきなり火球が飛んできたように見えるんじゃないだろうか。表情は分からないが、きっとシアラも驚いているに違いない。

 火球は左右の門番を直撃。2人の門番は驚いて後ろへ飛び退く。門番は簡単な革鎧を着ており、火球を食らったものの負傷はしていないようだ。


 その隙に、馬は通用門を突破して城外へ走り出る。


 脱出に成功したと思われたが、今度は騎士隊が馬を出してきた。その数4頭。

「待て! 無駄な足掻きはやめろ!」

「逃げ切れると思うなよ!」


 城から出て、街道をひたすら東へ逃げるシアラ。街並みを駆け抜け、農地や牧草地が広がっているあたりまで来た。しかし、馬が全速力で走り続けられるのはせいぜい5分くらいなものである。馬の速度が次第に落ちてくる。

 街道が丘を避けて右に大きくカーブを描く場所で、後ろから追う騎士隊からは死角になると考えたのであろう、シアラは馬から降りると馬だけを先へ走らせる。自身は茂みに紛れて追跡をやり過ごそうという考えか。

 しかし、馬に誰も乗っていないことに騎士隊も気づく。

「馬を捨てたぞ!」

「付近を探せ!」


 シアラは急いでその場から離れようとするが、騎士隊のひとりに見つかってしまう。

「いたぞ、あそこだ」


 シアラは耕作地の中を走って逃げるが、足元がどうやらぬかるみである。必死に進んで、小屋の中に逃げ込む。

 騎士隊も耕作地に入って追いかけようとするものの、甲冑を着たままではズブズブとぬかるみにハマるだけである。

「お前、そこで見張っていろ! 残りは右側から迂回する。続け!」


 どうやらぬかるんでいる耕作地を避けて回り込む模様。こりゃいかん。


 追いかけて来たカラスくんも疲れただろうが、もうひと働きしてもらいたい。

 小屋の屋根に止まってもらうと、屋根はほとんど崩れ落ちており、小屋というより放棄された廃屋である。下を見ると、泥だらけになったシアラは何やらナイフを取り出している。どうするのかと見ていたら、首筋に当てて、あ、ヤバい。


「もし、そこのメイドのお嬢さん」


 カラスから声優の葵由紀さんの声。

 明らかに騎士隊の声ではない、ちょっと気の抜けた感じの女性の声に、あたりをキョロキョロとするシアラ。

「え? 誰?」


「何か事情がおありのご様子。お話して頂ければ力になれるかもしれません」

「誰だか知らないけど、最初からこうなることは覚悟の上。止めないで!」

「別に死ななくてもいいんじゃないですか?」

「あいつらに捕まったら死ぬより惨めで苦しい目に遭わされるに決まってるじゃない」

「でも、せっかく逃げて来たのに」

「こうやって自分の手で終わりにするためよ。生き長らえようとは思ってないわ」


「ねえ、シアラ・ブルトンさん」

「え? なんであたしの名前を?」


「王宮から逃げて来たってことは……スパイ、とか?」

「まあ、そうね。内乱を終わらせようと思って色々画策したんだけど、バレちゃったのよ」

「実家あたりに帰ることはできないんですか?」

「無理ね。実家に迷惑がかかるから。あたしがここで死ぬのが一番の解決策」


 それは困ったなあ。


 迂回してきた騎士隊が廃屋に近づいて来る。


 オーレリーに簡単に状況を説明。

「今騎士隊に追われててね。すぐにも捕まっちゃいそうなんだ。本人は死ぬって言って聞かないんだけど、オーレリー、どうする?」

「本人が死にたいなら止めないが、事情は聞きたいな」

「うーん」

「デレクはどうせ助ける気なんだろう?」

「あー」

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