セーラ、スートレリアへ

 夕方になり、セーラを船に帰すことにする。

「ダークくん、誰かそばにいる?」

「いえ、私一人です」


 船に転移すると、ベッドにボーッと腰掛けているもう一人のセーラ。

 今日は天気も良く、船はあまり揺れていない。

「他の人はどうしてる?」

「かなり船酔いも改善したようで、まだ気持ちが悪いとか言ってるのはセーラ様だけですよ、とか笑われています」

「え?」

 ちょっとショックを受けるセーラ。どうやらセーラが聖都で呑気に過ごしている間に、同行者は船の揺れにだいぶ身体が慣れている模様。

「まあ、あと1日だし」と慰めるものの、すでに顔色が少し悪いセーラ。


「ダークくんは気持ち悪くなったりしないの」

「大丈夫ですが、他の人から質問されたら『気持ち悪い』と答えていました」

 まあ、そういう約束だったからな。


 セーラが詠唱。

泥人間帰還せよリターン・スワンプマン、ダーク!」

 ダークくんはふっといなくなり、服だけがその場にふわっと落ちる。


「あー。明日はスートレリアかあ」

「色々楽しいことや刺激的なことがあるんじゃないか?」

「そうね。前向きで行くことにするわ」


 セーラと抱き合って長いキス。


「何かあったら連絡してよ。すぐに来るから」

「何もなくても連絡するわ」


◇◇◇◇◇


 翌日の午後。

 快晴の天気の元、海軍自慢の大型帆船は予定通りスートレリア王国に到着。


「セーラ様。ピクトンに到着です」と船長が挨拶に来る。

「あら? レプスートではなくて?」

「はい、長旅でお疲れでしょうから、本日はピクトンでゆっくりお休み頂き、明日、レプスートにご案内します。レプスートまでは馬車で2時間弱ですので、午前中に出発して昼には到着です」

「それは有難いですね。外洋の船旅は初めてでしたから、体調がやはり……」

「はい。今日はもう歓迎行事のような大袈裟なことは致しませんので、どうか宿でゆっくりなさって下さい」


 これは本気で嬉しい。

 体調が万全でないのに、形式だけの歓迎行事に長々と付き合わされるなど、ゲストのことよりホスト側の体面のことしか考えていないような日程というのがある。それに比べれば、「何もしない」というのは素晴らしい。


 案内された宿は外国の賓客も迎えるための立派なものだったが、室内は静かで落ち着いている。

 部屋で少し休憩した後、食堂に通されてセーラたち一行だけで食事をとる。


「ああ、美味しいわね、これ。何ていう料理なのかしらね」

「この魚、聖都では見たことがないけど、身がプリプリしていて甘いわね」

 同行したヘレンは、早速料理の種類や食材についてメモをとっている。


 食事がひと段落したところで、セーラが切り出す。

「イヴリン、実は黙っていたんだけど……」


 ニールスのモスブリッジ邸で発生した事件について、概要を説明する。

「え! そんなことが……」

 自分の生家に起きた大事件に驚愕するイヴリン。


「ごめんなさいね。『耳飾り』で情報は入っていたんだけど、あなたに伝えたら、帰るにしろ帰らないにしろ、かなり悩ませることになると思って。しかも、事件が判明した当初は現場に急行したヴィオラですらどうしたらいいか、打つ手がなくて困惑していたらしいのよ。だから……」

「いえ。配慮して頂き、有難うございます。……もう解決したんですよね?」

「ええ。一昨日になるけど、ジミー卿、オリヴィアをはじめ、家族の方々は救出されて、今はヴィオラと、それからマーカスが現地にいると聞いているわ」

「そうでしたか。それは一安心です」

 そうは言うものの、イヴリンの表情はこわばっている。


「でも、こちらでの滞在は予定では1ヶ月くらいにはなるでしょう? その間中、あなたがモスブリッジ家やニールスのことで思い悩んでいるのは良くないと思うのよ。だから、あなたは帰って、ニールスのヴィオラのところへ行きなさい」


 するとイヴリン、目に涙を溢れさせて言う。

「ありがとうございます。でも、私のお役目が……」

「何言ってるのよ。あたし自身もモスブリッジ家のことをずっと気にするのは嫌よ。あなたがあちらに行って頑張っているから大丈夫だ、と思ったら安心できるわ。あなたの後任については、もうハワードの方からお母様に相談していると思うから、その後任が来てから帰るということでどうかしら」

「ありがとうございます。……う、う、わあああああん」

 日頃のシャキッとした様子とは打って変わって、感情を表に出して大泣きするイヴリン。他のメンバーも少し瞳が潤んでいるように見える。


◇◇◇◇◇


 俺の方は、ニールスの騒ぎで放っておいた色々な雑用が溜まっている。


 午前中から早速、行政官のシャロンが書類を抱えてやって来る。

「デレク様。風邪っぽいのは治りましたか?」

「もうすっかり大丈夫」

「では、こちらの案件からです。これは……」

 うーむ。もう少しダーク君に裁量権を与えてもいいかなあ。しかし、下手な決定を下されたりするのは心配だし、留守番中にどんな案件にどんな決定をしたのか、後から知識のすり合わせをすることになったら余計な手間か。やっぱり自分でやるしかないよなあ。

「……ということになっています」

「あ。ごめん、ぼーっとしてた」

「しっかりして下さいよ。……あ、セーラ様のことでも考えてたんですか」

「え、分かる?」

「もう、しょうがないですねえ」

 いかんなあ、頭が仕事モードになかなか切り替わらない。


 今日は子供たちと一緒に昼食を食べる。

 黄色い髪のコニールが言う。

「ねえ、デレク様。最近パスタとか、簡単なお料理が多いような気がするんですけど」

「え、でもあたしはパスタが好きだから全然いいわ」と妹のリクシーが言う。

「うん、ちょっとエメルとジャスティナがご用事でいないからね。ノイシャもしばらくラヴレースのお屋敷に行ってたし」

「へえ。二人はどんなご用事?」と赤い髪のソーニャが言う。

「知り合いの貴族のお家がちょっと忙しいって言うから、お手伝いにね」

「大変だね」

「うん。困った時はお互いに助け合わないとね」

 子供と話をする時は、ちょっと大袈裟かもしれないけど、人間として大切なことは何か、みたいなことに気をつけないといけないような気がする。話している間にも、自分の日頃のだらしなさを反省したり。


「今日のデレク様は普通のデレク様だ」とリタが言う。

「え?」

「一昨日くらいかなあ。デレク様は具合が悪いとか言ってて、何か変だったよ」

 あ。ダークくんが身代わりだった時か。

「そっか。それはごめん。どんな風に変だった?」

 赤い髪のスノーニがすかさず言う。

「えっとねえ、お説教くさいことを全然言わないんだよ」

 そこかよ。

 しかし、なるほどね。泥人間スワンプマンは人と人の関係を作ろうとしない、という話だったから、子供相手だと説教くさい話をしない、みたいなところに違いが出るのか。


 そういえば泥人間スワンプマンのカプセルを水に漬けてから3日目じゃなかったかな。名前を付けないと。


 リズを呼んで名前について相談。

「デレクは、同じ系統の名前で『ダーク』にしたじゃない。あたしはじゃあ、リズと近い『エリザベス』でいいかな」

「俺はどうしようかなあ。……ディックでいいや」

「簡単だね」

「泥人間1号、2号、とかよりいいだろ?」


◇◇◇◇◇


 一方、ここ数日あちこち隠密で動いていたハワード。

 ロングハースト男爵の件はどうやら山場を越えて、後はそれぞれの担当部署に任せればいいことになった。


 今日はスートレリアからの使節団と定例の会合である。使節団は目下、ラヴレース邸内に宿泊してもらっている。


 まずは同席したホワイト男爵から一言。

「申し訳ありません、ここ数日バタバタしておりまして」

「いえ、我々は聖都のあちこちを見させて頂いたり、比較的のんびりさせて頂いております。国内のことを優先して下さい」

 使節団の代表はラングレー公爵の息子のクロードである。


「国王陛下との会談ですが、予定通り明日の午後となっております」

「了解しました。お骨折り頂き、ありがとうございます」


 ハワードから大使館を新設する件について。

「大使館ですが、やはりスートレリアも大国ですから、聖都内に適当な土地を見つけて堂々とした大使館を新築するのがよろしいのではないかと存じますが……」

「ええ、ゆくゆくはそのように考えております。ただ、新築となりますと準備から完成まで少々時間がかかります。そのような場所探しと並行して、当面の業務を行う場所、つまりは仮住まいの場所があったら良いのではないかと考えております」

「なるほど、それはごもっともです」


「実はここ数日、私どものスタッフ、それからスートレリアからこちらに来て暮らしておる者もおりますので、そういう者たちとあれこれ物件を見て回りました。少々勝手が過ぎた真似かもしれませんが……」

「いえ、最適と思われる場所があればそれが一番です」


「私ども、本国とは船で行き来することになりますので、シナーク川の船の便が利用できますと大変便利です。そう考えまして探しましたところ、聖都の東地区と呼ばれるあたりに良い空き物件がありまして、現在そこを賃貸契約しようと考えております」

「そうですか」


 あれ? 東地区? ハワードはちょっとその地域が気にかかる。

「詳細な話になって申し訳ありませんが、東地区のどのあたり……」

「えっと15番地と聞いています」

(げ)

 ハワード、声に出そうになったが、辛うじて止めた。

 13番地事件があったあたり、つまり現在クロチルド館と呼ばれるようになっている建物のあたり、だよな?


 クロード卿の隣に座っていた担当者らしい男性が言う。

「あの辺りは昨年、大きな事件があって注目されたと、こちらに住んでいる者に聞きました。今はすっかりにぎやかな感じで治安も問題ないようですので」

「え、ええそうですね。すっかり様変わりしています」


 クロード卿、比較的上機嫌な様子で話を続ける。

「私も現地を見に参りましたが、市の中心にも近いですし、交通の便も問題ありません。当面は賃貸契約ですが、もしあの場所が気に入ったということになれば買い上げて、あそこに大使館を新築するのも良いかもしれません」


 デレクが何と言うか分からないが、これを機に東地区の再開発をさらに進めたらいいかもしれないな。

 その際にはデレクのところからも協力金を出してもらおう。

 こっそり、ちょっと黒いことを企むハワードである。

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