クロストーク
ニールスのモスブリッジ邸から、ホワイト男爵の使いという人物に会うために出てきたタチアナ・スラットリー。どうやら金塊を積んだ沈没船の話らしい。
馬車に乗ってクレセント・ホテルに向かう時、ふと思った。
(そういえば、あたし、最近満足に風呂にも入ってないわよね。ちょっと香水でも使っておこうかしら)
ホテルに真っ直ぐ向かう川沿いの道ではなく、商店街と交差する道を通るように御者に頼む。確かその四つ辻の近くに香油や香水を売る店があったはずだ。
四つ辻の近くに来たところで、少々道が混み合っている。時刻は1時半近く。昼食から戻る人、これから遅い昼食をとる人などが行き交っている。
馬車が混雑のために少し止まった時、タチアナの脳に突然会話が飛び込んでくる。
「……何をしているかと問われるなら、峠の秘湯で見た素敵な大胸筋などを思い出してボーっとしていました」
「あのな」
「えっと、広域公安隊から合計10名を出してもらって、予定通りに2時に突入です」
え? 何これ。
タチアナの『読心』のスキルは、対面した相手の考えが把握できるというものである。こんなに鮮明に会話の内容が脳内にやってくるという経験はない。
会話はまだ続く。
「モスブリッジ邸にはヴィオラとあたし、……それから広域公安隊から6人。もう1グループはシャーリーとマーカス、従者3人と広域公安隊から4人です」
「懸念材料だった『読心』の
え? あたしの話をしてる! どういうこと?
仕組みとかは見当もつかないけど、誰かが何らかの方法で会話をしている内容が、あたしの『読心』のスキルに引っかかっている、の?
馬車の中から伺うと、ここは広域公安隊の詰め所に近い。
前後の事情はさっぱり分からないけど、どうやらあたしがスキルを持っていることはバレている。そこでウソの話でおびき出されて、その間に広域公安隊とモスブリッジの娘のヴィオラが屋敷に突入するらしい。
「あと、きっちり同じ時刻に突入する必要があるけど?」
「マーカスが『時刻の腕輪』を持っていたので、それとこっちの時計で2時ちょうどに突入予定です」
もうじき2時になる。
どうしようか。
数秒間、ここ数年で一番というくらい集中して考える。
……逃げよう。
そもそもガッタム家の海賊と一緒に働いているものの、別にガッタム家に恩義があるわけじゃないし、広域公安隊とかが屋敷に突入したら海賊側にも犠牲者は出るだろう。あたしもそこで死んだらしいってことになれば、むしろラッキーじゃない?
人生、やり直せるかも。
とりあえず、あたしの身代わりで誰かにホテルに行ってもらって、あたしはその隙にサクッと逃げよう。今ならまだ港からミドマスに向かう定期船は出ているだろう。
この近くで身代わりになりそうなのは……。この通りの裏のアパートにザカリーがいるはず。時刻から考えてそろそろ屋敷に定期報告に行く用意をしてるんじゃないかしら?
ホテルの担当者に頼んで、少し馬車を止めてもらう。
小走りでアパートに向かうと、ちょうどザカリーが向こうから歩いてくる。
あたし、ツイてるんじゃない?
急用があるから屋敷に戻るけど、どうやら金塊を積んだ沈没船の話があるらしいよ、とザカリーに伝える。
ガッタム家の中で金塊といえば、ナルポートから忽然と消えたというバグダールの財宝のこと。ザカリーも俄然乗り気の様子。本当の話なら褒美がもらえそうだし、もしかしてチャンスに恵まれたらおこぼれにありつけるかもね。
でも、あたしはそんなものに興味はない。
手持ちのわずかな金しかないけど、スキルを使ったらなんとかなる。海賊のいない街へ行って、名前も変えて、目立たないように普通に生活しよう。
ザカリーを代わりに馬車に押し込むと、あたしは振り返りもせずに港に向かって走った。
さようなら、ニールス。そして、せいぜい頑張れよ、パラス・レクサガン。
◇◇◇◇◇
ロングハースト別邸で見張り役を排除した後、俺は泉邸で待機していた。
「モスブリッジ男爵とその家族の救出、成功です」とアミー。
「オリヴィアも無事よ。マーカスと一緒に屋敷から出てきたわ」とセーラ。
「タチアナの件でヒヤッとしたけど、ともかく成功したようでよかった。じゃあ俺はニールスへ行って、ゾーイとシトリーを連れてくるよ」
俺はまず、ニールスの商店街、例の居酒屋の近くへ。
居酒屋の周りは、国境守備隊の隊員と思われる制服姿のいかつい男たちが取り囲んでおり、後ろ手に縛られた海賊たちが次々に連れ出されている。おお、ちゃんと仕事してるじゃん。国境守備隊が動かないようなら、ニールスの検察にも連絡を入れようと思っていたが、これなら大丈夫かな?
ただ、たまたま昼間から飲みに来ていた連中が捕縛され、そうでない連中は難を逃れた可能性が高い。とはいえ、町中にいる海賊を一人残らず捕縛することは不可能だし、ここに来ていた全員が罪人かも分からない。『裏技大百科』を譲ってもらったエゴンという、今や引退した海賊も言っていたが、全員が悪人というわけでもないらしいしな。
ただ、一回捕まった奴は広域公安隊が作った調書が残っているはずだから、後は国境警備隊に捜査してもらいたい。
警ら隊の詰め所に行ってみると、誰もいない。……悪事が発覚して逃げたのか? ただ、こちらは隊員の名前も分かっている。指名手配でもして捕まえて欲しいところだ。
クレセント・ホテルに転移すると、ゾーイとシトリーがちょっと疲れた様子でイスにもたれている。
「やあ、お疲れ」
「あー、想定外のことが発生すると数倍疲れますね」
「ザカリーは?」
「どうやらこちらの話を聞きながら『耳飾り』で通信していたようですが、金貨しかないという話を聞いて興味を失ったようでした」
「よしよし」
「しかし、海賊連中が気にしている財宝って何ですか?」とゾーイに追及される。
「えっと。……秘密で」
「あの金のインゴットはどこから来たんですか?」とシトリー。
「あのー。……道を歩いてたら、知らないおじさんにもらった」
「んなわきゃあないでしょ」とゾーイが容赦ない。
ゾーイとシトリーを伴って、泉邸に帰る。
「今日はゾーイとシトリーはもうお役御免でいいよ」
「いえ、メイドの人数が足りませんので」
「そんなに頑張らなくても……」
「じゃあ、新入りのデレクくん、やっといてくれる?」
「そのプレイはもう終わったよねえ?」
「あー。あれは楽しかったなあ。またそのうちやりましょう」
「えー」
シトリーも言う。
「またやりましょう」
「あ、……うん」
「しかし、屋敷から引っ張り出すことには成功したものの、タチアナはどこに行ったんだろう? どこかで捕まってるのかな?」
「ザカリー本人も、どこかで捕まっているかもしれませんね」
ヒナに情報が入っていないか聞いてみよう。
「はい、ヒナ・ミクラスです」
「ザカリーあたりから報告が上がっていないかな?」
「はい、ホワイト男爵の使いから難破船の情報があったものの、ナルポートの財宝とは関係がないと判断した模様です。その後、モスブリッジ邸に定時連絡に向かったところ、屋敷を占拠していた海賊が討伐されたことが分かり、さらに拠点としていた居酒屋にも捜査の手が入ったことを報告しています」
ザカリー自身は捕縛されずにいるのか。運のいい奴だな。
「ガッタム家からの反応は?」
「直接のコメントはありませんが、ザカリーには引き続きニールスの状況、特にロングハースト家がどうなっているかを報告するように指示が出ています」
そうだ、オーレリーがガッタム家の様子を見ているかもしれないな。
「オーレリー。デレクだけど、今日はガッタム家の様子は見てないの?」
「ああ。今日はエスファーデンの方を見ていた」
「そっちの方はどうなってる?」
「毎日のように小競り合いを繰り返しているが、大きな変化はないなあ」
「今日、ガッタム家の様子を見に行ってみたら、面白いものが見れるかもしれないぞ」
「ほほう」
ハワードのそばにいるノイシャに、作戦が成功裏に終わったこと、ロングハースト家の長男の身柄も確保したことを連絡。同様の連絡はヴィオラからデニーズ経由で届いているとは思う。
セーラもアミーもすでに感覚共有を切って、疲れた様子でソファに座っている。
「いやー。オリヴィアが助かってよかったわぁ。しかし、マーカスとオリヴィアが好き同士だったとは知らなかったなあ」とセーラが言う。
「え? そうなの?」
「うんうん。もうねえ、2人で抱き合って涙、涙よ」
あれ? そういえばハワードが何か言ってたな。
マーカスはシャーリーに半ば強引に連れて来られたみたいな説明をしてたが、シャーリーもその辺は気づいていたということか。なるほど。
アミーがモスブリッジ男爵の救出後の様子を教えてくれる。
「ジミー卿とグレッグはぐったりしててねえ、回復までしばらくかかりそうですよ」
「奥さんたちは?」
「2人の奥さんは比較的元気」
「そっか」
「でもねえ、屋敷にいた人たちは半分以上殺されちゃったみたいなのよ」
「えええ」
「残ったメイドもね、昼間は働かされて、夜はひどい目にあってたらしいです」
「うわー……」
「だから、ヴィオラの消沈ぶりは見るに堪えない感じ」
「……そっか」
セーラが言う。
「ジャスティナとエメルはどうするの? まだモスブリッジ邸なのよね?」
「さっき話をしたけど、モスブリッジ邸はひどい有様なので、ヴィオラはしばらくはホテルに宿泊してジミー卿とグレッグの看病に当たるらしい。ジャスティナとエメルは、しばらくヴィオラと一緒に過ごしてあげたい、と言っている」
「ああ。それがいいわね。……それでね」
セーラがいったん言葉を切って言う。
「デレクも、この後少しでいいから、ヴィオラを励ましに行ってあげなさいよ」
「……。そうだな。ありがとう、そうするよ」
その後オーレリーから連絡。
スケラ・ガッタムが烈火のように怒り狂って、周囲の者たちがビビりまくっていた、とのことである。
「念入りに準備した作戦があっけなく失敗しただけでなく、手に入るはずだったロングなんとかの裏金もダメになったらしい。それから、幹部クラスが何人か捕縛されたり討伐されたりしていて、被害甚大らしい。いや、確かに面白い見せ物だったぞ」
「オーレリーとサスキアが教えてくれた裏金の情報が役に立ったんだよ。ありがとう」
「そうなのか。じゃあ、これからも時々ネコになってウロウロすることにしよう」
「うん、よろしく」
夕食が終わった頃、エメルに連絡を入れてから、ヴィオラたちが宿泊することになったクレセント・ホテルへ。
「あ、デレク様。ヴィオラはここにいます」
「ありがとう」
部屋に入ると、ベッドの上に座って呆然としているヴィオラ。
「ヴィオラ……」
ヴィオラはこちらを振り返るなり、立ち上がって抱きついてくる。
「デレク、デレク。わあああああ」
これまで我慢していたのだろうか。俺の胸に顔をうずめて号泣するヴィオラ。
「執事さんも、メイド長も、あたしが子供の頃から知ってる人たちが……」
「もう言わなくていいよ」
「ごめんね、本当はデレクにお礼を言わないといけないのに」
「泣きたい時は泣いたらいいよ」
「わああああん。デレクぅ。わあああああん」
子供のように大きな声で泣くヴィオラを、俺はずっと抱きしめていた。
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