タチアナ・スラットリー

 タチアナ・スラットリーは、生まれつき『読心』のスキルを持っていた。


 向かい合った人物の考えていること、感じていることが分かる。小さい頃からその能力は当たり前だと思っていたが、大きくなるにつれ、周囲が自分を疎ましい目で見ているのを感じるようになる。そのため、家族ともいつの間にか疎遠になり、他人との接触は表面上の最小限のものにとどめるようにしてきた。


 人間は誰でも考えていることは似たり寄ったりで、当たり前だが好ましい点もあれば醜い点もある。自分のスキルは、人と深く付き合わなくてもその人のことが分かるという、それだけのものだと考えるようにしている。


 ただ、この能力はちょっとした悪事を働くには都合がいい。小ずるい、フェアでない生き方だとも思うが、「あるものは利用する」と割り切って、これまではスキルを使ってうまく立ち回ってきた。


 数年前にガッタム家にスカウトされた。スキルを見抜くスキル、というのを持っている人間がいるらしい。スキルを知られてしまったら、海賊からの誘いを断ることは不可能だ。


 海賊とはいっても、多くの構成員は一般人とそれほど違わない。ただ、罪の意識が薄い人間、品性下劣な人間、自分をコントロールできない人間、自分の頭で考えられない人間の割合は高いと思う。

 だが、それよりも本当に恐ろしいのは、文字通り「人らしい心がない」人間である。スキルで心を読んでも、ほぼ「何もない」のだ。そういう人間は、人が傷ついたり、死んだりすることに意味を見出さないし、必要があれば、あるいはなくとも殺す。

 そういう種類の人間は、人生という吊り橋のあちこちの腐った踏み板のようなものではないかと思う。知らずに踏み抜く人も多いだろうが、自分は『読心』のスキルがあるおかげで、そういう人間とは距離をとることができる。スキルは自分から人並みの人生を奪った元凶ではあるが、この点に関してだけは感謝している。


 現在は海賊団の準幹部といったところだ。今回の任務は聖王国のモスブリッジ家の屋敷を乗っ取り、男爵家を失脚させることである。

 作戦の全体はパラス・レクサガンという魔法士が指揮をとっている。根っからの悪人ではないようだが、権力欲が強く、自分の魔法の能力に自信を持っているせいか部下への当たりが強い。好みのタイプの男はあからさまに贔屓ひいきするし、すぐに連れ込んでヤっている。はっきり言えば好きなタイプではない。


 タチアナの役目は屋敷の警備の管理と、屋敷の執事かメイド長のような顔をして来客を追い払うことである。

 タチアナがこの役割を担っているのは、もちろん『読心』のスキルを持っているからである。このスキルの能力を最大限に活かし、重要な来訪者は丁寧に対応し、そうでない相手はそれなりに対応して、結局追い返すのである。

 門番を含め、屋敷内の警備にあたる海賊たちはタチアナの指揮下にある。だが、文字を読み書きできる数名を除き、ほぼ全員、ボンクラである。ボンクラは何人いても、壁の穴を塞ぐ漆喰の役目くらいしか果たせない。


 昨日は朝から、馬車がどうのこうのと騒ぐ男が来たり、午後は聖都から騎士なんかが来たりしてうるさかったが、今日は今のところ来訪者もなく、実に静かだ。


 昼食をとってから室内でウトウトしていたのだが、そんな平穏を破るかのように、門番が慌てた様子で部屋へ駆け込んでくる。


「あ、あの。ホワイト男爵からの……」

「あーもう、しつこいな。ホワイト男爵からの使いは追い払いなって言っただろ?」

「それがですね」

 門番は1枚の金貨を取り出す。


「どうしたんだい、それ」

 タチアナは少し興味を引かれる。


「ホワイト男爵からの用件は、こんな財宝を積んだ船が海に沈んでるらしいから、共同で出資して引き揚げませんかって話だって言うんです。春になって海が穏やかになった頃に引き揚げる予定だが、どうもモスブリッジ家は最近、使者のメッセージにも返答がない。直接会って話がしたい、だそうです」


「えー? 本当かい? なんか嘘くさいねえ」

 半信半疑の様子のタチアナ。

「でも、これ……」


 門番から金貨を受け取ってよく見る。デームスール王国の金貨である。質が悪いので聖王国ではあまり出回っていない。

「待てよ。……これって、もしかしたらあのナルポートの? だとしたら大変だな。その使いは帰っちまったかい?」

「いえ、まだ門の所に」

「ふむ」


 その沈没船が、行方不明になっていると噂のバグダールの財宝を積んでいたという可能性はないだろうか? それをうっかり見逃してしまったら、ガッタム家から叱責を受けることは確実だ。いや、叱責どころでは済まない可能性もある。

 その担当者に会い、本当の話なのかを『読心』のスキルで確認したらいいのではないだろうか。怪しい話だと分かったらそのまま放っておけばいい。


「まずはその使いに会ってみるか」

 タチアナは立ち上がると門まで出ていく。


 門には2人乗りの馬車と使いが一人。

「私、クレセント・ホテルの者です。ご宿泊のホワイト男爵家の方から依頼されて参りました。詳しいお話はホテルにて、と仰っておられます」

 タチアナは『読心』のスキルで確認する。男がクレセント・ホテルの接客担当というのは本当だ。


「そのホワイト男爵家の人間は、なぜ自分でここには来ずに、ホテルで話をすると言うのかね?」

「申し訳ありません。それは口外しないお約束になっておりまして」


 タチアナはクレセント・ホテルからの使いの記憶に、驚くべき情景を確認した。

「なるほど、分かった」


 タチアナは門番に言う。

「重要な案件だ。今からホテルまで行って、ホワイト男爵家の方にお会いしてくる」

「はい、了解しました」


 タチアナはホテルが差し向けた馬車に乗り、屋敷を出て行った。

 時刻はちょうど1時くらいである。


◇◇◇◇◇


 時刻を少し遡って、お昼前の11時半くらい。


 ゾーイはホワイト男爵家からの使い、クロチルド・ウェイトと名乗ってクレセント・ホテルにやって来た。お供として俺とシトリー。


 ホテルのフロントで、係員が丁寧に出迎えてくれる。

「これはこれは、ホワイト男爵の。本日はどういったご用向きで?」

「これから打ち合わせで部屋を使いたいのだけれど。小さめの部屋で結構ですので用意して頂けないかしら」

「承知致しました」

「ところで、後で部屋に、マネージャークラスの信用できる方を1名、よこして頂けないかしら。重要な案件のメッセンジャーをお願いしたいのよ」

「承りました。ではまず、お部屋にご案内致します」


 しばらくして、部屋に男性が1人やってきた。


「接客係の責任者を務めております、スピルマンと申します。ウェイト様、今日はどのようなご用件で御座いましょうか」

「まあ、そこに座って頂戴。これは重要な案件なので秘密厳守でお願いしたいのですが、大丈夫ですよね?」

「はい、私どもクレセント・ホテルはお客様の信用が第一で御座います」


 ウェイトことゾーイ、身を乗り出して話す。

「実は、ウォローズ岬のあたりで沈没船が見つかってね。それは珍しいことではないんだけど、積んでいるものが尋常ではない可能性があって」


 ウォローズ岬は南大海に突き出した岬である。デレクたちが夏に海水浴を楽しんだプリシード島とは、タフツ湾をはさんだ反対側ということになる。ウォローズ岬はほとんどが山地で、山の湾側がホワイト男爵領、反対側がモスブリッジ男爵領になっている。

 岬の突端も険しい岩場で、沖にある2つの島との間は海の難所として知られている。このあたりで交易船が遭難するのはよくある話なのだ。


 ウェイトは1枚の金貨を取り出す。

「まずはこれ。漁師の網にかかったんだけど、ほら。聖王国では使わない金貨でしょ」

 スピルマン、受け取ってしげしげと眺める。

「確かにこれはデームスール王国の金貨ですね。使えなくはないですが、こちらで使うにはややこしい換算をしないといけません」


 悪貨は良貨を駆逐する、とは言うが、それは同じ価値で取り引きされる貨幣の場合である。デームスールの金貨は質が悪いことが知れ渡っているので、他国で使うには一定比率で割り引かれるのだ。この計算が面倒なので、他国での使用は敬遠されている。逆に、デーム海諸国はこの金貨を使う経済圏を形づくっているらしい。


「で、本当に見てもらいたいのは……」

 ウェイトが合図すると、壁際に立っていたお付きの男性(俺)が重そうに革製のバッグを持ってくる。

「その金貨の後で苦労して引き上げてみたのがこれなのよ」

 バッグから出て来たのは金のインゴットである。

 一瞬、言葉を失うスピルマン氏。

「……拝見してもよろしいですか?」

「どうぞ」


 スピルマン氏がインゴットの表面を見ると、ナリアスタ国ナルポートの刻印が押されているのが分かる。

「ナリアスタのもの、ですね」

「ええ。それでね、これを引き上げるだけでもかなりな時間と労力を費やしているんだけど、これ以上資金を投入してこれ以上のものが得られるかは不明なわけ。ただ、場所としてはモスブリッジ男爵領からも遠くはないので、春になって海が少し穏やかになったら、共同で引き上げをしてみませんか、という打診をしているんですけどね……」

「はい」


 ウェイトは不満そうに言う。

「このところ、モスブリッジ男爵と連絡がつかないのよ。何回も使者を送ってるんだけどね、追い返されるような有様で」

「あ」

 その噂はスピルマンも聞いたことがある。人当たりが良く、領民からの信頼も厚い領主の一家なのだが、ここ数日、まったく屋敷から出て来ないと言うのだ。ホワイト男爵からの使者も、ここ数日で何度もこのホテルに宿泊している。そういうことか。


「今日はだから、この現物を持ってお伺いして、直接お話しをしようと思ったわけなんですけど、……何やら最近ニールスの街は治安が悪いというじゃないですか」

「ええ、残念ながらそのようです」


「ですから、お願いと言いますのはね、私どもはここでお待ちしておりますから、申し訳ありませんけれどスピルマンさん、メッセンジャーとしてモスブリッジ邸に行って、屋敷の責任者の方をお連れ頂けないかしら? 現物を持って屋敷まで出向くのは不安が大きいですから」

「分かりました。では、急ぎモスブリッジ邸まで参りまして、どなたか責任者の方をお連れ致します」

「よろしくお願いしますね」


 スピルマン、丁寧に一礼をして部屋から出て行く。


 ウェイトことゾーイは俺の方を見て言う。

「これはうまく行ったんじゃないですかね?」

「うん、ありがとう。ゾーイに頼んで正解だったよ」

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