ザ・システム

「ところで、さっきから俺の身体をあちこち撫で回すのはやめてくれないかな」


 17歳のデレクくんには刺激が強いです。もう、あれがアレするからやめて。


「人の身体って、初めて触るから珍しくて」


 ああ、なるほど。

 ……いや、納得してどうする。


「さてそれで、だ。そもそもこの部屋は何?」

「この部屋は魔法システム管理室、です」


「は?」


「デレクくんはさあ……」


「あのー、君のことはリズって呼ぶから、俺のこともデレクって呼び捨てにしてくれると話しやすいんだけど。それと、ご主人様もやめて」


「きゃあー、恋人みたい。いいね、それ。ね。デ・レ・ク。ベッド……」とリズが言いかけるのを遮る。


「ああもう、ベッドには行かないから」

「ええー、もうー」

「耳に息を吹きかけるのもやめてよ」

「デレク、顔真っ赤」


 ザ・システムさんは天使にどんな教育をしているのか。


「……管理室って何?」

「あのね、まずこの世界にザ・システムがインストールされて」

「ちょっと待て。インストールって言った? インストールって。ザ・システムと言うのは制度や仕組みじゃなくてソフトウェアシステムなの?」

「ザ・システム全体のことはよく知らなーい」

「はう」

「それで、魔法の仕組みもその時にインストールされたわけなのよ」

「ちょ……えええ?」


「だから。魔法はこの世界に後から付け加えられたの」



 驚愕の事実である。


 この世界にデレク・テッサードとして生まれて17年。

 空から雨が降るように、朝になれば太陽が昇るように、可愛い女の子には自然に目が行ってしまうように、世界には魔法があるのが当たり前だと思っていた。


「ユウマのいた世界には魔法はなかったでしょ」

「今朝見た夢では……確かにそうだったな」

「ユウマはゲームという小さな世界を作っていて、そこには魔法があることになっていたよね」

「うん」

「ザ・システムの魔法、つまりこの世界の魔法は、ユウマの作っていたゲームのソフトウェアを元に作ったものだそうよ」

「えっ……」


 絶句。なんだって?


「だからね、この世界の魔法の体系は、だいたいが、ユウマがあちらの世界で作ったものってこと」


 ちょっと待て。ストップ。情報を整理するんだ、俺。


 そもそも今朝見た夢が本当かどうかも分からない。何か精神魔法的なもので騙されているんじゃないか。

 最初に転生者とか言っていたけど、あれもどうなんだろう。


「ちょっと考える時間をくれないかな」


「ねえねえ、あたし、町に出てみたいんだけど」


 こいつは人の話を聞いてないな。



「服がないだろ。今着ているのは本当に間に合わせで、それで人前に出たらおかしいからな。っていうか、さっきソファを出したみたいに服もパッと出せばいいじゃないか」


「あたしもそう思ってね、さっき試してみたらみんなダメになっちゃっててさあ」

「どういうこと?」


「服を色々取り揃えたのが、こっちの時間軸で言うと300年くらい前らしいのね。で、さっき取り出してみたら劣化してて、触ったらボロボロに崩れちゃって」

「え、時間軸? 300年前?」


 またまた混乱する話が出てきた。この空間は外部とは時間の流れ方が違う、といった話なのか。


「デレクを迎えに行くだけだし、まあいいっかー、それより早く行かなきゃー、早くデレクに会いたいなー、って感じで」

「でもソファとかは?」

「ソファなんかはこの部屋の収納庫にあるんだけど、服みたいな消耗品はデレクのいた空間で調達して、そのままあっちにあったみたい。こっちの空間に持ってきて保管しておけば良かったはずなんだけど、前任者? がサボった? のかな。あっちの収納庫で300年経過してしまった、ということね」


 ふと不安に駆られて聞いてみる。


「ここから元の部屋に戻った時に、あっちの時間がすごく経過してしまっているなんてことはないの? 浦島太郎みたいに」

「あー、そのうらやましいタローさんがなんだか知らないけど、ここはあちらの時間軸に従属しているから大丈夫だよ」


 ちょっと安心。しかしどういう仕組みなのか。


「前任者とか言ってたけど、この部屋は300年以上も前から何かに使われていたということなのかな」

「具体的にはわかんないけど、この空間はもっと前から使われていたはずだよ」


 時間と空間? 生まれ変わりと関係あるのかな?


「俺は転生者だって言ってたよね」

「はいはい」

「優馬が死んでから、もう数百年経過しているってこと?」

「それはわからないみたい」

「わからない?」

「そもそもデレクの世界とユウマの世界の時間の流れ方は違うみたいなので」

「同じ宇宙空間に存在しているのではないの?」

「宇宙と空間がどう関係するのかわかんない」


 空間という概念は知っているのに宇宙空間は分からんのか。


「たとえば、夜空の遠くのどこかの星に、優馬の暮らしていた街があったりしないのか、という話」

「知らないけど違うと思います。なんか物理法則自体が少し違うらしいですよ」

「げ。まじか」


「だーかーら、町に出てみたーい。外が見たいよお。美味しいものを食べてみたいいいいい。お腹すいたよお」


「人工生命も腹が減るの?」

「命あるもの、エネルギーを摂取しないと動けないですよ。これは宇宙の絶対真理です」


「あーはいはい、だけどその身なりでは絶対に無理」

「えー」

「ほら、リズは美人さんだからさ」

「うんうん」

「みんなに注目されるよね、絶対。その時に男物のブカブカの服を着ていたら怪しいじゃない」

「そう?」


 俺の服を着ただけだと、存在感のあるお胸さんが歩くたびにゆさゆさするし、胸の先っちょも何か自己主張しているし、ヤバい。

 こんなエロいオーラが全開のお嬢さんと一緒に外に出たりしたら注目されすぎる。警ら隊に秒で捕まるレベルでヤバい。


「だから、やりたいことに優先順位をつけて、順番に片付けて行こう。オーケー?」

「わかった」


 よし。

 さっきは話の通じない3歳児かよ、と思ったが、筋道を立てたら分かってくれそうだ。


「まず、おなかが減っていたら何も手につかないだろうから、1番がご飯」

「うんうん」

「次に服をなんとかする。服がなんとかなったら、町に出てみる。この順番だ」

「うんうんうん」


 そろそろ街でテイクアウトの昼飯を売り始める時間だ。


「とりあえず俺の部屋に戻ろう。そしたら俺だけ外へ出て急いでランチを買ってくるよ」

「美味しいものある?」

「あるある。俺のオススメを買ってきてやるよ。で、まずは、どうやってさっきの書斎に戻るのか教えてくれよ」

「そんなもん、あそこに行こう、えいっ、って思えばすぐだよ」

「は?」


 リズは俺の手を掴んで立ち上がる。そして、まるでそこに壁やドアがあるかのように、もう片方の手を空中にかざした。たちまち手の位置を中心に白い空間が現れる。

「はい、こっちに来て」


 リズの隣に並ぶと、周囲がさっきの白い霧のようなもので覆われる。

「この空間が転移ポッドというもので、術者が直接転移するんじゃなくて、行きたい先にポッドが連れて行ってくれる感じ」

「ほう」


 リズがまた片手をかざすとそこにドアができて、開くとさっきの書斎だった。

 ドアから出て、後ろを見るとそこにはもうポッドはない。


 すごいな。


「何これ、魔法みたい」

「魔法ですけどね」

「使い方を教えてくれるって言ったよね?」

「あーはいはい、ご飯が先」

「分かったよ。いいか、出かけてくるけど、絶対に建物から出るなよ。出たら昼メシは抜きだ」

「ちぇーっ。こっそり抜け出そうと思ってたのに」


 やはりな。だんだんリズの考えそうなことが分かるようになってきた気がする。そしてあまり強く念を押すと逆効果になる予感がするので、この程度でやめておく。

 ああ、これって小さい頃の俺と一緒だな、と妙なことに思い至る。小さい妹がいたらこんな感じかなあ。……いやいや、俺には妹属性はない(と優馬の記憶が必死に否定している気がする)。


 リズが書斎のイスにちょこんと座っているのを確認して、外へ出る。

 あれ? さっきまで能天気全開だったのに、何だか心細そうだったな……。


 今日から入居する事務所兼住宅は、ダズベリーの町の表通りから折れて川の方へ抜ける通りを少し入ったところにある。商店街から見ると裏通りにあたり、人通りはあまり多くない。

 表通りは名の知れた商店、商社の事務所、両替商、人気の服飾店やレストラン、喫茶店などが並んでいる。一方、商店街はもっと庶民寄りで、八百屋、パン屋、肉屋、チーズ専門店、雑貨店などのさまざまな店のほか、酒場や洗濯屋などが雑然と並んでいる。

 表通りや商店街には、これらの商店の店員や事務員向けに、テイクアウトの弁当を販売している屋台がいくつか出ているし、レストランや定食屋でもランチを販売してくれるところがある。

 まだ昼飯には少し早い時間だが、ピークの時間帯を前にそろそろ準備が始まっている。


 俺のオススメは、商店街の中の、こじんまりしたパン屋だ。ここが昼の時間帯に向けてハムやチーズの挟まったサンドウィッチなどを作っている。特に、肉と野菜を挟んでちょっと辛めのソースをかけたヤツがお気に入りだ。

 ただ、女の子が辛いものが好きかどうかは分からないので、何種類か適当にセレクトしておく。イチゴのタルトもあったので買っておこう。

 コーヒースタンドもある。2人分のコーヒーを背の高いカップに入れて、こぼれにくいような紙製の容器に入れてくれる。リズの分は砂糖とミルクを比較的多めに入れておいた。


 細い路地を通ると、パン屋との往復はあっという間だった。

 リズはおとなしく待っていたようだ。偉いぞ。


 書斎はあまり広くはないが、メインのデスクとイスの他に小さい丸テーブルとイスが1つある。まだ家具以外はないのでがらんとしている。


 まずは大人しくイスに座らせて、紙袋からサンドウィッチを取り出す。

「わあ、何それ」

 期待に目をキラキラさせている。


「サンドウィッチと、それとデザートでタルト。これはコーヒー」

「あたし、これ食べていい? いただきまーす」


 口いっぱいにサンドウィッチを頬張る。

「なにこれ、うま」

「それは何より」


 物も言わずモリモリ食べている様子は、リスが木の実をせわしなくかじっているような愛らしさがある。

 俺はお気に入りの辛いソースのサンドウィッチをつまんで、コーヒーをゆっくり飲む。


 さて、食事の次は服をなんとかするんだったな……。


 ぼんやり考えるがあまり良いアイディアはない。俺が女物の服を買いに出るのは明らかにダメだし、リズに男物の服を着せて外出させるのも避けたい。

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