夢に見た生活

 貴族の長男は、後継としての教育のため、父親や行政官から所領の運営について直接指導されることが多いが、次男以下の男子をはじめ、爵位の継承順位が低い子弟は何かしらの実務に就くことが多い。


 伝統的によくあるのが、国境守備隊や警ら隊に数年程度所属すること。兵役みたいなものだ。あるいは、聖王国の首都である聖都には高等教育機関である「学院」がある。ここに入学して何らかの学問を修めることもある。

 聖都に近い所領で、さらに腕に覚えがある場合は王宮の騎士団に所属することもあるようだが、ここは辺境伯領。聖都からかなり遠い。


 守備隊の主な任務は隣国との国境の峠にある検問所の警備や出入国者のチェック、犯罪者の取り締まり、国境周辺のパトロールなどだ。

 半年ほどで訓練及び見習いの期間は終わり、今は国境守備隊の一員として通常の任務についている。



 今朝見た明晰夢は一体何だろう?

 頬杖をついてテーブルを睨みつけていると、メロディがやって来た。


「デレク様、パンのお代わりはいかがですか?」

「うん。もういいよ、ありがとう」

「昨晩は遅くまで起きていらっしゃいましたか?」

「え、あ、興味深い文献を読み始めたら止まらなくてね。心配かけてすまないな」

「デレク様は昔から変わりませんね。……では、ごゆっくり」


 一礼をしてメロディが去っていく。スカートから見える足が可愛いなあ。


 朝食を食べ、コーヒーを飲みながら考える。


 まずは現状の確認だ。俺はデレクで、国境守備隊の隊員で、今日は非番だからこうして遅い朝食をとっている。

 メイドのメロディが俺を覚えているのだから、この認識で間違いない。


 次に、降ってわいたようなこの「三日城 優馬」の記憶だ。記憶は非常にはっきりしていて首尾一貫しており、夢物語とは考えられない。優馬が高校で習った源氏物語や数学の複素平面の概念も覚えている。


 この2つの記憶は、たとえば、中学も高校も「自分の学校」だったように、または引越しする前の自宅も引越し後の自宅もどちらも「我が家」だと覚えているように、違和感なく共存している。


(生まれ変わりってやつ?)


 だが転生なら、幼児のころから前世の記憶を話し始めると聞いたことがある。17歳にもなっていきなり前世の記憶を思い出したりするかな。

 だいたい、この世界と優馬の暮らしていた世界は全然違う。科学技術や産業のレベル、生活習慣などを考えると、こちらの世界は中世ヨーロッパくらいなのではないだろうか。

 時間的に順序が違うと思うし、そして何よりこの世界には魔法が存在する。


(もしかして、ゲームでよくある異世界転生ってやつ?)


 だが、異世界に転生するにしても、普通は一回死ぬだろ。んでもって、神様的なキャラが現れて「すまんすまん、間違って死なせちゃったよ」とか言うのが定番だ。

 だが、優馬の記憶にはそれはない。最後の記憶が何なのかはあやふやだが、闘病中だったり、逆恨みで殺されたり、通り魔に刺されたり、ましてやトラックにはねられたりした記憶はない。


(召喚されて勇者になる的な?)


 どこかの異世界に召喚される場合、召喚の前後で人格は同じままじゃないかなあ。

 だから、三日城優馬がそのまま召喚されるならわかる。そして王城の儀式の場で王女様に魔王討伐を依頼されたりする……。

 だがここは王城ではないし、そもそもこの世界に魔王の脅威が迫っているなんて話は聞いたことがない。


「魔王……ねえ」


 魔王はかつて存在したらしい。数百年も前の話で、すでにおとぎ話である。それ以来、魔王というものが現れたことはない。

 ちなみに魔王軍に打ち勝った勇者が建国したのが隣国のラカナ公国だそうだ。そしてこの国はレキエル聖王国だ。……ん?


「レキエル聖王国!」


 思わず口に出してしまった。


 我に返って周囲を見渡すが、周りにメイドも誰もおらず、シーンとしている。

 レキエル聖王国って、優馬が作っていたゲームの舞台として設定された国の名前だったはず。


 ……落ち着いてよく考えよう。作成していたゲームの中に転移した、みたいなこと?


 確か、あのゲームは中世ヨーロッパ的な社会で、まだ蒸気機関や鉄砲の発明もない、農業や牧畜が中心の世界という舞台設定だった。確かにこの世界はそんな感じだ。


 この世界は、モノやサービスの売り買いには貨幣を使っているので、経済や交易はそれなりに発達していると思われるが、製鉄などの重工業はまだ発展していない。

 交通手段はせいぜいが馬車と帆船だ。そのほかのインフラもほぼない。電気やガス、もちろんネットなどあるわけもない。


 あ、上下水道は一応ある。運河から水を引き込んで、各家庭が洗濯やトイレに使える程度の水は供給されている。ただし、飲み水としては使えないので、一回煮沸するか、井戸水を使う。

 あとはワインかビールを飲む。15歳くらいからワインやビールを普通に飲むのも、ヨーロッパ風な所か。


 夜間の照明はロウソクやランプよりもかなり明るいランタンを主に使っている。優馬の記憶では、ガス灯や電灯が発明されるまで、夜はかなり暗かったはずだが、この世界では夜も室内ならばそこそこ明るい。外は真っ暗なので、夜は基本的に出歩かない。


 レキエル聖王国の王都は「聖都」と呼ばれている。聖都には国王のいる王宮と、王宮と同等な権威を持つ教会が存在する。

 近隣にはゾルトブールとかアドニクスとかいう国がある。

 しかしラカナ公国なんて国はゲームでは設定されていなかったはずだ。ちょっと違う部分があるように思われる。


 そしてこの世界には魔法がある。


 ゲームの魔法に関しては優馬が構成を考えて、実装も行なった。

 魔法は、火、風、水、土などの属性とレベルが存在するというありがちな設定が基本だ。たとえば風系統の初級魔法は突風を起こすエアロ・ストームだ。水系統の初級魔法は水の球を出すウォーター・ボール。そのほかの名称や設定もこの世界の魔法と合致している。


 メロディがコーヒーを淹れたポットを持ってきてくれた。


「コーヒーのお代わりをお持ちしました」

「ありがとう」

「デレク様は今日からあちらの新しいお屋敷ですか?」

「屋敷というほど広くはないけどね」


「デレク様は守備隊ではもう現場で活躍しておられるのですか?」

「活躍しているかどうかは別として、現場には行かされているね」

「それは魔法が使えるからですか?」

「あー。それはあるかもしれないけど、どのくらい役に立ってるかなあ」


 俺は火系統のレベル2の魔法が使える。何もない所に火を出したり、小さな火の玉を敵に向けて発射することができる。


 さらに、俺は普通の人には使えない魔法が使える。「ウォーター・ボール」と「ジェル・ボール」だ。これは昔、まだ小さかった頃に親戚の叔父さんからもらった魔法の指輪のおかげだ。

 ウォーターボールは水の球を出すことができる魔法だ。飲み水の心配をしなくていいので、この世界ではとても重宝する。

 ジェル・ボールはネバネバした透明なジェル状の物質を出すことができる魔法で、これは犯罪者の顔を覆ったりして無力化するのにすごく役立つ。


「あ、ところでさ、メロディ。知ってたら教えて欲しいんだけど、兄貴が婚約するって噂を聞いたんだけど」

「ええ、近々、旦那様からお話があると思いますよ」

「まじかぁ。……そうか。兄貴、結婚するのか」


「でも、デレク様にも婚約者がいらっしゃいますよね」

「え」

 あ、そんな話もあったかもしれない。忘れてたな。

「俺が小さい時の話だし、最近その話はさっぱり聞かなくなったから立ち消えになったんじゃないの?」

「私もよくは存じ上げませんが、……お兄様のお話のついでに旦那様に伺ってみてはいかがですか」

「なんか藪蛇みたいになったらやだなあ。どこの誰だったかも覚えてないんだよな」

「ふふ。そしたらお断りになればよろしいですわ。……では」


 優馬の世界の貴族がどうだったかは知らないが、この世界の貴族は、親同士が決めて問答無用で結婚させる、ということはあまりない。昔はあったらしいが、既にそういうのは時代遅れと見なされている。

 最近はむしろ、女性の方から積極的にアプローチすることが多いらしい。


 メロディは前から見ても後ろから見ても可愛いなあ、などと思いつつ、再び優馬の記憶について検討する。


 優馬の担当していたゲーム「オクタンドル」自体は少し前にリリースされ、それなりに人気を博していたはずだ。しかし、たいていのソフトウェアがそうであるように、ゲームも、最初のバージョンが完成したら開発はそれで終わりというわけではない。

 実際にサービスの提供を開始してからバグが多数見つかるのは当たり前というか、織り込み済みだ。バグとまでは行かなくても使いにくい部分を改良したり、ユーザからの要望や提案に応えなければ、すぐに「使えない運営」的な評判が立ってユーザ評価が落ちて行く。


 人気を維持するために、そして新しいユーザを獲得するために新機能を次々に追加したり、人気のマンガやアイドルなどとコラボ企画が行われることも普通だ。


 俺はそのゲームで魔法システムの立案、基本設計から実装までを任されていた。


 大きなソフトウェア会社だと企画・立案、CGデザイン、プログラム担当などは分業だろうが、ウチの体制は提案した人がプログラミングできるなら実装までやるといった感じで進めている。

 この方式のメリットは、『ゲームが作りたい』と思って入社してきた人材のパワーを引き出せる点にある。分業より、やりがいと達成感がすごくある。


 ただし、担当部分以外の詳細がどうなっているのかは逆によく知らない。例えば、ゲーム全体の世界観、文化的背景の設定がどういうものなのかは全体会議で説明してもらった程度しか知らないし、大きなイベントに関するストーリー展開、登場するモンスターの種類なども把握していない。

 自分が担当する魔法の実装についても、効果音や視覚エフェクトはデザイナに任せている。人の目を引くようなデザインができるかどうかは、やはり才能だと思う。


 頭を悩ませたのは魔法の種類とバランスだ。剣や弓矢などの物理攻撃よりも魔法が格段に強いのも、逆に弱いのも困る。プレーヤのレベル上げをどう調整するかとか、レベルが上がってインフレ状態になるのをどうやって防ぐか、などなど。

 さらに、ゲームをリリースした後からも、新規ユーザ特典とか、季節限定イベント、コラボのスペシャルアイテムなどなど、運営上の都合とか企画会議の誰かの思いつきで、一定期間しか使わないアイテムや魔法の追加実装がある。


 思い出せるのは、リリース後、1年以上経った時点でもメインテナンスを継続的に行っていたという記憶だ。


「やりがいはあったけど、結構ブラックだった……かな?」



 コーヒーも飲み終わったのでトレイを厨房に返しに行く。

 トレイなど私どもで片付けますから、とメイドたちは言うが、遅くまで寝ているだけの役立たずの次男坊である。このくらいはしないと。


 テッサードの屋敷は、領地の中心の町であるダズベリーを見下ろすちょっとした丘の上にある。景色はいいのだが、町まで歩くと結構時間がかかる。

 そこで、昨日は停車場から馬を1頭借りてここまで来た。


 俺は、夢で見て優馬の記憶に混乱し、釈然としないまま、着替えなどの入った大きな袋をかついで馬に乗り、屋敷を後にした。


 とにかく、今日は新居の鍵をもらって、新生活のスタートだ。

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