第47話 最後のトンカツ

 俺は一心不乱にカツ丼を喰らう。

 その様は恐らく、飢えた肉食獣が久しぶりの獲物を喰らうかの如く、だ。

 森本の家でイノシシを食ったのだが、外でまさか本物のカツ丼を喰えるとは思ってもいなかったからな。

 感激だ。



 俺はいつも、外食した時の勘定は人任せにしていた。

 そうだ、榎本かパリスがいたら尚更にな…

 いつもの俺なら[ごっつあんです]の一言で早々に席を立つのだが、今日の俺は違う。


「マスター、お勘定」


 テーブルに伝票が無かったのだ。

 俺の一言に厨房の奥にいる、店主の銀縁眼鏡のフレームが一瞬、光った。


「お勘定はいりません」


 店主の一言に俺は驚いた。


「シロタンさんからお金は取れませんよ」


 店主のさらなる一言に俺はさらに驚いた。何故、店主は俺の事を知っているのか。そして金は要らない、不可解だ。


「マスター、俺を知っているのか」


 俺はこの店主に見覚えはない。

 俺と森本は思わず身構える。これは罠か⁉︎

 一瞬、流れた緊張感を店主は悟ったのか、両手の平を俺たちの方へ向け、左右に振る。


「自警団の連中がここにも来るかもしれない。お勘定はいいから行って下さい」


 店主の意外過ぎるその言葉に、背中から全身に電流が流れたかのように痺れが走る。


「あんた、本気か?」


「お客様に本物の肉が提供出来なくなって、どうしようかと思った矢先にシロタンさんがいらした。

 これは何かの縁だと思い、提供しました。最後のトンカツをシロタンさんたちに食べてもらえて、きっと豚たちも喜んでいますよ」


 柔和そうな店主の瞳の奥に芯の強さを感じた。


「さぁ、早く行って下さい」


 店主の言葉に目頭が熱くなる。

 この狂った世界にはまだ希望があったのだ。

 俺はこの世界に残された希望に報いらなければならない…


「マスター、俺はやるよ。この狂った世界に一矢報いる。

 あのキズナ ユキトのニヤけた顔面に、どキツいのを一発ぶちかましてやるよ。

 話は…」


 俺はここで店主から視線を外し、一拍置いてから流し目加減の視線を送り、


「それからだ…」


 店主が右手を差し出すと、俺はその手を握り返した。



 森本の家へ着いた。

 森本が言うには、ここでは住民登録も何もしていないらしい。

 だから安全だと言うのだが、森本は前にここで警察に逮捕、連行されたし、黒薔薇党の連中にバレていたのだがな…


 だとしても、疲労困憊だ。

 まるで自分が墓石にでもなったかのように動けない。動きたくない。

 それは森本とパリスも同様のようだ。森本は床の上に横たわり、いびきをかき始めた。

 続いて、パリスも寝息をたて始める。そうだな、俺たちには休息が必要なのだ。

 俺はソファーに横たわると瞼を閉じた。



 何かの物音で目を覚ます。

 あれから三日経った。

 森本のトレーラーハウスには、歓迎されぬ訪問者が来たわけでもなく、思いの外、平穏であった。

 ドライブインの店主にああ言ったものの、これからどうするか具体的な案も浮かばず、ただ鬱々とした日が過ぎていったのである。


 俺はソファーから起き上がり、周囲を見ると、森本とパリスは既に朝食を食べた後のようだった。


「シロタン、起きたか。朝食を用意したから食べてくれ」


 森本はそう言いつつ、TVの画面に見入っていた。

 画面にはもちろんのこと、キズナ ユキトの野郎が映し出されている。


「森本さん、キズナだらけのテレビなんてよく見る気になれるな」


 キズナ ユキトの顔なぞ、見るだけで虫唾が走るってもんだ。見たくもない。


「それよりもシロタン。見ろよ。奴は今、どこにいると思う?」


 森本のその一言に釣られて、テレビの画面を見る。

 キズナは何処かの駅前にいるようだ。それなりに大きな街の駅のようだ。

 その人通りは多く、どいつもこいつもキズナに群がっている。

 その大きな駅舎の駅名が見えた。


「北千住か」


「そう、北千住だよ。

 しかもこれは生中継だ」


 森本は何処か意味深に笑う。

 俺はトーストを片手に頬張りながら、もう片方の手でTVのリモコンを手に取る。


「ちょっといいか?」


「おう」


 森本が頷いたのを見て、テレビのリモコンの番組表を押す。

 番組表によると、どうやら今放送しているのはズームイン・キズナという番組らしい。番組の詳細欄によると毎日、キズナが日本全国から生中継をする番組らしい。


「生中継…」


 俺は思わず立ち上がる。


「北千住へ行こう!」


 森本はそんな俺を見て笑う。


「待てよ。今から行っても着く頃には番組は終わってるぜ」


 番組表を見る。ズームイン・キズナは午前9時までだ。今の時刻は午前8時37分、森本の運転でも無理であろう。

 その事実は崖から突き落とされるに等しい。


「シロタン、そう落ち込むなよ。

 この番組は毎日やってるみたいだし、この後の番組でもキズナ ユキトの生出演があるらしい」


 森本のその言葉に、少しばかりの希望の光が見えてきた気がする。


 俺たちはキズナ ユキトの今日一日の出演番組全てを見ることにした。



 TVのチャンネルはKYHKとKテレの二つのみだ。

 KYHKは朝6時から放送開始で終了は23時、Kテレも同じ時間であった。23時終わりなんていつの時代の話だ。健康的な生活ってやつを押し付けているのか。

 今日一日見た限りでは、Kテレは収録した番組を流しているようで、生放送があるのはKYHKだけのようだ。

 キズナの生出演があったのは朝の情報番組、ズームイン・キズナと昼の情報番組、キズナンデス。

 夕方のニュースのキズスタ、夜のニュース番組、キズナステーションの四番組だ。

 朝のズームイン・キズナでは北千住駅、昼のキズナンデスでは越谷駅から生中継をし、夕方からはKYHKの本社がある渋谷のスタジオから生放送、夜のキズナステーションも渋谷のスタジオから生放送であった。


 キズナ ユキトは毎日、この調子なのだろうか。

 そんな疑問が脳裏に浮かんだ時であった。


「キズナさん、明日のズームイン・キズナはどこから生中継ですか?」


 時刻は今、22時50分。キズナステーションが終わるという間際、メインの司会進行役であるニュースキャスターがキズナへ質問したのである。

 キズナはニュースキャスターのこの言葉を受け、あざといぐらいの爽やかな笑みを浮かべ、


「明日は群馬県にお邪魔します」


「群馬のどこからですか?」


「それは明日になってからのお楽しみ…」


 ここでキズナはカメラから視線を外す。

 そして一拍置いた後、映像は画面一杯にキズナの顔を正面から映した。

 その刹那、キズナはカメラ目線を送り、こちらへ向かって指を差す。


「お楽しみは!」


 映像が別の角度からのカメラへ切り替わった刹那、キズナの目線と指差しもそちらへ向けられ、


「こ!」


 再び別の角度からのカメラへ切り替わると、キズナの目線と指差しもそのカメラへ向けられ、


「れ!」


 また別の角度からのカメラへ切り替わると同様にして、


「か!」


 また別の角度に切り替わる。


「ら!」


 また別の角度に切り替わる。


 そしてカメラが正面のものに切り替わると、キズナ ユキトはそのカメラへ向かって指差しをし、ウインクをしたのであった。


 この上なく不愉快なものを見せつけられた…

 しかも“お楽しみはこれから”などと、まるで決め台詞的なものまで言ってきやがった。

 あぁ、あれはキズナ ユキトの決め台詞なのであろう。

 俺にはわかるのだ。奴は俺を意識していやがる。

 さらに俺を挑発しているのだ。

 あんな細いイチモツをただぶら下げているだけ、みたいな顔の奴にここまでされて、俺が引き下がるわけがない。

 俺はやってやる。

 キズナ ユキトのヘアバンドを引っ剥がして引き伸ばし、それを奴のケツの穴に突っ込み、それを奴の口から取り出す!


 そうさ、話はそれからだ…


 話は、


 それからだ…

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