第45話 卒業は臀部の痛みと共に

「そこから動かないで」


 部屋の中から声が聞こえた。

 見渡すと部屋の中はまるでもぬけの殻のようである。

 前に来た時は部屋の壁一面に新聞の切り抜きや、雑誌の切り抜き、コピーした用紙などが貼られ、その上に判読不明な文字やら記号を殴り書きしてあったのだ。

 さらに部屋のあちこちには、アルミホイルが貼り付けてあったのだが、それが全て無くなっていた。

 まるで退去後のアパートの一室だ。

 そのもぬけの殻のような部屋の奥を見ると、和室に布団が敷いてある。

 この部屋の住民は布団の中にいるようだ。


「糞平か⁉︎どうした⁉︎」


 俺の呼び掛けに返事があるのだが、声が小さくて聞こえない。


「どうした?声が聞こえないぞ!」


「いいと言うまで入らないで」


 辛うじて聞こえるぐらいの声がした。

 その息絶え絶えの様子からして声を出せないようだ。

 布団の中から手が出てきて、天井からぶら下がっていた紐を引っ張った。


「入っていいよ」


 その声が聞こえた後、俺は部屋へと入り、和室に敷かれている布団の側へ行く。



「糞平っ!お前も生きていたんだな!」


 布団の中で横たわるのは間違いなく糞平、爆弾魔風のナイス害だ。

 ただし爆弾を自作しようとして家が焼けて助け出される間抜け風不細工。

 しかしその糞平の顔色が悪い。元々、顔色の良い奴ではないがその色は茶褐色に近く、しかも頭にアルミホイルを巻いていない…

 アルミホイルから卒業したのか?


「シロタン…」


 と糞平は返事をするのだが、声が小さく何を言っているのか聞き取り難い。

 俺はその場にしゃがみ込み、耳を糞平へ近付ける。


「シロタン久しぶり」


「糞平、久しぶりだな。それよりもお前、これはどうしたんだ。どこか悪いのか?」


 糞平は俺を見ている。しかしその眼差しは虚ろだ。


「シロタン、僕はやっと取り戻したんだ」


「取り戻した?何を、だ?」


「これだよ」


 と呟いた糞平が微笑む。


「そうだ。そうだったな…」


 糞平は布団にこだわる男だった。  

 高校時代、何故か知らぬが常に布団を担いで持ち歩いていたのだ。

 理由は知らぬ。登校時、下校時、皆でどこか寄る時でさえも、だ。

 前にここに来た時、この部屋には布団が無かった。確か糞平は“布団を買ってはいけない気がするんだ”と言っていた。

 何故、布団を買ってはいけないのか、意味がわからなかったのだが、ついに布団を買ったようだ。


「あぁ、新しく買ったんだな」


「違うよ。取り戻したんだ…」


 取り戻した?意味がわからない。

 入間川高校が黒薔薇党に占拠された日、栗栖は人間爆弾にされ、その爆発を抑える為に糞平の布団を被せたのであった。それによって糞平の布団は爆風の中へ消えた。

 その布団を取り戻した、とでも言っているのか?


「そうか。それは良かったな」


「うん 僕はもうこれを手放さないよ」


 糞平は弱々しく微笑んだ。

 その微笑みは命の炎が消えかかっているかの様に見える。


「糞平、お前大丈夫か?救急車呼ぶか?」


「大丈夫だよ。



 シロタン!逃げて!」


 糞平は急に大声を出した。


「居たぞ!風間詩郎とその一党だ!」


 突如として俺たちの背後から、部屋の中へ怒号が響く。

 振り返るとさっきの糞平の隣人と男たちが玄関へ殺到していたのだ。

 しかし次の瞬間、その男たちは断末魔の声を上げた。

 玄関横の壁から出てきた無数の竹槍によって、身体を刺し貫かれていたのだ。

 糞平は天井からぶら下がっていた紐を再び引っ張っていた。


「罠を仕掛けてあるんだよ」


 糞平は弱々しく微笑む。


「糞平っ!」


「押入れの中に脱出口があるから、今のうちにそこから逃げて」


「糞平、お前も行こう」


「僕はもう、この布団を手放したくないんだ。ここから動かないよ」


 衰弱しきったような糞平の瞳に男の決意を見た。

 そんな最中、アパートの階段を駆け足で上ってくる足音が聞こえる。


「糞平っ、わかった。俺たちは行くぞ」


「シロタン、気を付けてね。今度は自警団だ」


「自警団だと」


 と森本が言った。


「そうだよ。奴らはどこにいるかわからないから気を付けて」


「わかった、糞平。達者でな!」


 和室の片隅にある押入れの襖を開けると、下段の壁に穴が開いていて、その先に縄梯子が見えた。


「シロタン、先に行け!ここは俺がしんがりを務める!」


 森本は肩から下げていた自動小銃を構える。


「森本さんっ!」


「俺に任せろ」


 森本は口元を歪め笑みを浮かべた。


「糞平っ!」


 俺の呼び掛けに糞平は布団の中から手を挙げて振った。

 俺は押入れの下段へと潜り込み、壁の穴をくぐり、縄梯子を掴んだ。



「ぬなっ!」


 突然の衝撃だ。

 衝撃の瞬間、俺の臀部に痛みが走った。

 縄梯子へ俺の全体重が掛かったその刹那、縄梯子は俺の体重に耐えきれず千切れたようだ。

 糞平は縄梯子の耐荷重までは考えていなかったようだ。


「大丈夫⁉︎」


 頭上から西松の声が聞こえた。


「ああ、大丈夫だ!」


 俺がその場から離れると、西松が飛び降りてきた。

 その直後、頭上から森本のものと思われる連続した発砲音が聞こえる。



 俺たちはその後、森本の車へと戻った。

 森本が糞平の部屋で自警団員を撃退してから、もう追手は来ないと思ったものの、糞平のアパートから数十メートル先に自警団員と思われる者達の姿が見えた。

 銃火器の類を持っている者はいないが、皆それぞれ竹槍や刃物、高枝切り鋏等、各人各様の武装している。


「あの程度の武装なら、自警団なんて問題ねぇな!」


 森本はポケットから茶色い液体の入った小瓶を取り出し、その液体を一気に喉奥へ流し込む。


「行くぞ、ちゃんと掴まってろよ」


 森本のワゴン車のエンジンが唸りを上げ急発進すると、そのまま自警団員らへ一直線に向かって行く。

 自警団員らは蜘蛛の子を散らすように散らばったのだが、二人逃げ遅れ森本のワゴン車に跳ね飛ばされる。


「この素人共がーっ」


 その様子に森本が高笑いを上げる。


 その時であった。

 俺たちの後方で爆音が轟く。

 その爆音に驚きつつ、不意に車内のルールミラーが視界に入ると、鏡は爆炎を写していた。

 その光景に驚き、思わず振り返ると糞平の部屋が…、糞平の住むアパートが大爆発していた。

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