第39話 俺が白ブリーフだ

「俺が白ブリーフだ」



 誰かが鼻で笑った。榎本か西松であろう。しかし、そんなことはお構い無しだ。

 例え白ブリーフそのものが無くても、俺が存在する限り白ブリーフはあるのだ。

 俺の心は常に白ブリーフと共にある。



 気がつくと東の空は青みかかっていた。

 日の出の時間が迫っていたことに気付き、ペヤングの家へ乗り込むには夜の闇に紛れている方が良いだろう、ということで明日の夜へ延期となった。



 夜が来た。

 夜になると、森本のトレーラーハウス周辺には灯りを放つものは無く、ハウスの灯りと空には月明かりと星の光のみとなる。

 そんな雲一つ無い闇夜に、俺たちは森本が用意した濃い灰色のジャンプスーツ、ツナギに身を包むと濃い灰色と相まって、闇の中へ溶け込んでいた。

 俺たちは闇、いや俺たちこそ闇そのもの、とさえ錯覚しそうだ。

 闇との一体感は否応無しにこれから起こる事への期待感を高まらせる。

 やれる、そんな根拠のない自信がみなぎってくる。

 しかし、そんな状況でも自分を貫く奴がいた。


 榎本だ。


 榎本は頑なに例の紅の大尉服を脱ごうとしないのだ。しかもサングラスも外そうとしない。

 まぁ、勝手にしろ、という事で榎本の事は諦めることにした。



「準備出来たか?行くぞ」


「おう」


 森本の一言に俺たちは装備を確認し、ワンボックスのワゴン車へと乗り込んだ。



 ペヤングの自宅は所沢駅と隣接している高層マンション、そこの最上階である30階にあった。


 今の時刻は午前二時。

 ワゴン車はマンション近くの路肩に停車した。

 ここは所沢駅の近くと言えども、繁華街から少し離れた場所にあることからして、人の通りは殆ど無い。



「西松、頼むぞ」


 森本の一言に、西松は緊張した面持ちで頷く。

 西松は免許があることから、車内で待機、俺たちは清掃員のふりをして潜入することとなっているのだ。

 俺と森本と榎本、パリスはワゴン車から降り、バックドアを開き清掃用具を取り出す。


「よし、行くぞ」


 森本の指示の下、俺たちは清掃用具を持って、マンションのエントランスがある二階に向かって歩き出す。


 二階のエントランスはガラス張りの高級感溢れる空間であった。

 まるで高級ホテルのようだ。

 大きなガラスの自動ドアが開くと、その先には大きな受付カウンターがあった。そこには中年男のコンシェルジュがいた。

 自動ドアを通ると、受付のコンシェルジュは俺たちへ不審そうな視線を送ってきた。

 森本は足早に受付カウンターへ向かう。


「こんばんは。どのようなご用件でしょうか」


 とコンシェルジュが声を掛けてきた。


「こんばんは。立部ビルメンテナンスと申します」


 森本が返事をする。

 コンシェルジュが不思議そうな顔をした瞬間、森本は隠し待っていた箱のような物をコンシェルジュへ差し出す。


「これが入り口に落ちてましたよ」


 コンシェルジュは森本が差し出した箱を受け取る。


「これはご丁寧に恐れ入り」


「これは爆弾の起爆装置だ」


 コンシェルジュが言い終わる前に、森本が言葉を重ねるとコンシェルジュは目を大きく見開く。


「爆弾を10個、マンションの周りに設置した」


 森本は手渡した箱へ目配せし、


「光ってるだろ?今起動させた」


 森本の言う通り、箱にはインジケータがあり、緑色に点滅している。


「俺たちが戻ってくるまで、これを1ミリたりとも動かさない方がいいぜ?動かしたら大爆発だ。ここの住民全員の命を吹っ飛ばせるほどの威力がある。

 あと、これには集音器が入っているからよ。お前の声は聞こえているからな」


 森本は装着しているイヤホンを指差す。


「変なことしたら爆破する。わかったか?」


 コンシェルジュは額に汗を浮かべ頷いた。


「よし、マスターキーみたいなのがあるんじゃないのか?それはどれだ?」


 コンシェルジュは起爆装置を動かさぬよう、慎重に首から下げているカードを差し出す。


「これでどのフロアにも入れるのか?」


 コンシェルジュは頷く。


「よし、ありかとさん」


 森本はコンシェルジュの肩を叩くと、エレベーターホールへと足早に向かう。

 森本がエレベーターの上ボタンを押すと、直ぐにドアが開いた。

 全員乗り込むとドアを閉める。


「本当に爆弾なんてあるのか?」


「ねえよ。はったりだよ。あれはただのモバイルバッテリーだ」


 と森本は破顔一笑した。



 最上階である30階へ着いた。

 ここから直接、ペヤングの部屋へ行くのではなく、一旦屋上へ上がり、そこからワイヤーを使いペヤングの部屋のベランダへ侵入する流れだ。

 非常階段の扉をコンシェルジュから借りたカードキーを使って開け、非常階段を上る。



 屋上へ出た。地上30階、高さは何メートルあるのか知らないが結構な眺めである。まさに壮観ってやつだ。

 この辺りにはこのマンション以上の高さがある建物は無く、周囲にはヘリポートと何やら小さな建物みたいなものがあるだけ、フェンスは無い。

 天を見上げれば満天の星空と月のみ、遠近感が狂ってきそうなほどの光景に思わず足がすくむ。


 ここからワイヤーを使って、外からペヤングの部屋のベランダへ侵入となると恐怖でしかない。


 しかし、やらねばならぬのだ。


 俺たちは屋上の南側に向かって歩く。

 榎本が言うにはペヤングは南側の角部屋に住んでいるという話だ。

 南の端に着いた。

 マンションの屋上の外周には何やらレールのようなものが張り巡らされていた。


「おい、ゴンドラがあるみてぇだな。こいつはラッキーだ。命綱付けてアクション映画の真似をしなくて済むぞ」


 森本はレールを見て破顔一笑した。


「ゴンドラ?窓掃除のやつか?」


「ああ、そうだ。あれだ」


 森本の指差す先にはレールの上に乗った大きな箱のようなものがあり、その箱にはマンションの外側に向かってゴンドラが吊り下げられていた。


「ペヤングの部屋のベランダはどの辺だ?」


 森本の言葉に榎本は右の方を指差す。


「この辺だ。間違いない」


「よし」


 森本はゴンドラが吊り下げられた箱のような物に向かって小走りで向かう。


 森本はレール上のそれを榎本が指定した場所まで押してきた。


「乗るぞ」


 森本は身軽にゴンドラへ乗り移ったのだが、ゴンドラはタワマンの外へ突き出しているのだ。

 ワイヤーで吊るされているとは言え恐ろしい。


 俺たちはなんとかゴンドラへ乗り移ると、森本はゴンドラの端に設置されていたコントローラーを見つけた。


「これで動かすのか」


 森本がコントローラーを操作すると、ゴンドラはゆっくりと下降し始めた。


 

 全員、安全にペヤングの部屋のベランダへ辿り着くことが出来た。

 部屋の灯りは消え、物音が聞こえないことからしてペヤングは就寝中のようだ。

 森本はガラス戸のクレセント、ロックしている部位を見つけ、その周囲にガラスカッターの刃を走らせる。

 森本はクレセント周囲のガラスを切り開け、中に手を入れて開錠する。静かにガラス戸を開ける。

 心臓の鼓動がこれまでに経験のない早さで脈打つ。


 静かにガラス戸が開け放たれたと同時に、部屋の中でこもっていた空気が俺の背後へ通り過ぎる。

 その空気の動きに、俺たちの視線の先にあるベッドの上の何者かが蠢く。


「ひぃっ」


 ベッドの中にいた者が声を漏らす直前、既に森本は腰の拳銃を抜き出していた。


「命が欲しかったらデカい声は出すなよ」


 森本の拳銃の銃身の下部に取り付けられていたライトが、ターゲットの姿を照らす。


 その姿に俺は思わず息を呑む。

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