第37話 全ては灰燼と化す

 車窓に幾つもの光跡が流れて行く。

 俺はぼんやりとその光跡を眺めていた。

 すっかり陽は暮れている。


 帰りの車内だ。

 サカデンで俺のサイズである7Lサイズのズボンを買って、とりあえずは穿いているのだが、寒い…

 寒いのだ…

 ズボンが薄手とかいう問題ではない。

 心から寒いのだ。


 聖地は陥落していた。

 俺は希望を、心の拠り所を、そして自分の象徴を喪った。

 心の中に巨大な穴が開き、薄ら寒い空気が入っては抜けていくようだ。

 アイデンティティを失う、それはこういう事なのだろうか…


 帰りの車内もすっかり冷え切った空気だ。

 俺の落ち込みっぷりが感染したのだろうか。森本が安全運転をしていた。

 それよりも西松だ。西松も憔悴し切った雰囲気を醸し出している。

 こいつに何の関係があるのか。

 こいつは一々、気取りに気取った野郎だ。白ブリーフ、白系の衣類が無くなったとて、こいつは何が困るのか。



「風間、家に取りに行ったらいいんじゃないの」


 不意に発した西松の一言。

 家?


「家に?何をだ?」


「白ブリーフだよ」


 俺は大事なことを忘れていた。


「そうか!家だ!」


 そうだ。家なら俺の白ブリーフがまだある!沢山あるのだ!

 市場から白ブリーフが消えても、世界にはまだある。希望は消えていないっ!


 突如として俺の頬に熱い何かが流れ落ちる。


「森本さんっ!家まで頼む」


 運転席の森本は白い歯を見せ、親指を立てる。


「任せておけ!」


 森本のトラックは唸りを立てて急加速した。



「おいっ!なんだよこれっ!」


 トラックが俺の家の付近に差し掛かると、俺はその異変に気づいた。

 トラックが家の前で急停車すると俺は車外へと飛び出す。


「何なんだ、これはっ!」


 俺の家が燃えている。

 炎の勢いは凄まじく、家を完全に飲み込んでいた。

 これぞまさに炎上だ…


「ヒロちゃん?ヒロちゃんじゃないの?」


 背後からのその声に振り返ると、そこには近所に住む老婦人、園部さんがいた。

 園部さんは俺をヒロちゃんと呼ぶのだ。俺が何度も[詩郎だから、シロ]と言っても耳が遠いのかヒロ呼ばわりをする。詩郎なのに“疲労”と呼ばわりされているみたいで不愉快なのだが、それはどうでもいい。


「園部さん!これは一体、どうしたのですか⁉︎」


「放火よ!放火されたのよ!」


「放火⁉︎一体誰がこんなことを!」


「わからない、わからないけど2階にいたら、ヒロちゃんの家が燃やされているのが見えたのっ!あなたのお父さんとお母さんは家の中にいるみたい!消防と救急はもう呼んだからね!」


 園部さんは携帯電話を片手に落ち着きない様子で捲し立てた。


「ありがとうございますっ!」


 と言ったものの、どうしたらどうしたらいいのか⁉︎


「おい、いたぞ!」


 と園部さんの遥か後方から男の叫びが聞こえた。

 その方へ視線を走らせると松明を持った男が一人現れ、その男の叫びを聞きつけ、一人、また一人と人が集まり、あっという間に集団となった。


「婆さん、邪魔だ!」


 と集団の方から声がした刹那、乾いた発砲音のようなものが聞こえると、園部さんは崩れ落ちるようにして倒れた。

 

 園部さんは闇の中、赤い炎の照り返しを受けながら、虚空を見つめている。


「シロタン!車内へ逃げろ!」


「風間、早くこっちへ!」


 森本と西松の声が遠くから聞こえる。



「風間っ!」


 再び発砲音が聞こえた。あの松明を持った集団の方からだ。俺は再びの発砲音で我に返る。

 誰かが俺の手を激しく引っ張る。

 西松だ。西松が俺の手を引いていた。


「森本さんがやってるうちに早くっ!」


 連続した発砲音が聞こえた。

 森本がトラックのドアを盾にして、松明を持った集団へ向けて自動小銃で掃射し始めたのだ。


「裏へ回ってくれ!」


 森本の指示通り、俺と西松はトラックを盾にする様に裏へと回る。


「荷台のシートを取ってくれ!」


 と森本が叫んだ。トラックの荷台には青いビニールシートを被せられた何かがあった。

 俺と西松はその青いビニールシートを手繰り寄せると、そこに黒光りする巨大な物体が姿を見せた。

 機関砲だ。銃とは言えぬ代物が荷台に設置されていたのだ。


「よし!」


 森本は得意げな声を上げると、荷台へと飛び移る。


「お前ら、耳を塞いで伏せてろよ」


 森本はそう言うと、機関砲の銃口を松明を持った集団に向ける。

 松明を持った集団は荷台に設置された代物を見て、恐れ慄き蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。


「逃さねえぞ」


 機関砲が凄まじい音を吐き出した。



 松明を持った集団はあっという間に駆逐された。

 何人いたのか見当もつかないが機関砲の前では無力であった。

 周囲には何体もの屍が転がり、持ち主を失った幾つもの松明が燃え、夥しい量の血がその照り返しを受け、異様に煌めいている。

 炎上する我が家の光景と相まって、ここはまるで地獄だ。赤い地獄だ。

 何体も転がる屍を見ると、年齢層は様々、武装は竹槍から園芸用の鎌、高枝切り鋏等、かつての黒薔薇党とは比べものにならないぐらい軽装であった。


 森本は得意げな様子で荷台から降りてきた。


「こいつらは一体、何なんだよ」


 森本はそう言いながら、一番近くに転がっている屍へ近付く。

 俺は森本の後に続いたのだが、西松は蒼ざめた顔をして、トラック車内へと戻っていった。



「こいつらは何なんだよ」


 森本はそう言いながら、うつ伏せに倒れた屍を仰向けにする。

 その顔を見て俺は驚きで絶句する。

 倒れている奴は近所の住民だったのだ。

 さらにもう1人、猟銃を持っている奴が倒れている。


「多分、こいつがあの婆さんを撃ったんだな」


 猟銃を持っていたのは隣の家の爺いだった。

 名前は知らぬが、こいつも園部さんのことを知っているはずだ。

 なのに何故…


 森本の機関砲の餌食になった奴らを見ていくと、見覚えのある顔ばかりだ。大体がこの近辺の住民だろう。


「多分、こいつらはみんな、この辺りの住民だ」


「えっ?どういうことだよ」


 俺の一言に流石の森本もこの事実には驚きの色を隠せない。

 そんな中、餌食になった奴らの中で辛うじて息をしている奴がいた。

 俺はそいつに近付き、その顔を見て思わず戦慄する。

 そいつは俺の小学校の時の同級生だったのだ。


「お前らが俺の家を放火したのか?」


「そうだ」


 俺の一言に、かつての同級生は悪びれた様子も見せず、俺を睨み返してきた。


「何故だ!何故こんなことをする⁉︎

 お前らは何なんだ⁉︎」


「風間、お前らはかけがえのない動物の尊厳を踏み躙り、さらに命まで奪ったんだ。

 流血の罪をもつ者たちは、神の裁きを免れることはできない」


 息も絶え絶えに言った。


「言いてえことはそれだけか?」


 森本はそう言いながら拳銃を抜く。


「神の裁きが」


 と言いかけた時、森本は拳銃でその男の頭を撃ち抜く。


 かつての同級生は茶坊主と同じ台詞を吐いた。


「こいつは今、あの茶坊主って小僧と同じ事を言ったな。あいつらの一味か?」


「かも知れない」


「全く、狂信者の正義ってやつはタチが悪いぜ」



 目前では我が家が音を立てて炎上し続けている。


 母さん…


 父である烈堂とは色々あったが…、

 それでも俺の心の中には父であるという感情があったようだ。

 言いようのない、複雑な気分だ。

 こうも呆気ないものなのか…

 知らぬ間に、俺の頬に熱いものが流れていた。


 そして、俺の白ブリーフ…

 この炎が鎮火する時には全て、灰燼と化している事だろう。


「俺の…


 俺の白ブリーフはどこだ⁉︎


 白ブリーフはどこだーーっ⁉︎」

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