第30話 二次元の嘘は悪夢、二次元の嘘は現実

「ジェフ、君に用はない。安子を呼んでくれないか」


 大尉がジェフの前に立ちはだかる。


「安子のことを未だに呼び捨てにしているのか。

 もう、お前にはその資格が無いことを理解したらどうなんだ」


 ジェフが毅然とした態度で言ったその刹那、その声に衝撃を受けた。

 さっきは一言のみで気づかなかったのだが、ジェフの声は格好良い。

 イケボってやつだ。変に作ってたり、雰囲気で誤魔化しているようなやつじゃない。言葉が流れるようで滑舌も良い。

 俺は声だけは格好良いと自負しているのだが、ジェフの声は俺以上だ。

 まるでアクション映画の主人公のように聞こえる。


 それよりもだ、ジェフは大尉にペヤングを安子と呼び捨てにする資格はない、と言ったよな。

 もしかして大尉はペヤングに捨てられたのか?ペヤングをジェフに寝取られでもしたのか?


「昔のよしみだ。それぐらいいいだろう。

 それとジェフ。誤解してほしくないのだが、私は彼らの付き添いで来ただけなのだよ」


 大尉もジェフへの対抗心があるのか、格好付けた喋り方をしているのだが、ジェフの声には到底敵わない。


 ジェフが涼しげな眼差しで俺たちを見る。


「君たちが何を目的にしているのか知らないが、安子は君たちと会わないと言っている」


 ジェフの言葉はまるで台詞だ。

 その流暢さ、聞き易さが吹き替え版映画のように聞こえる。どこかで吹き替えてる奴がいるんじゃないかと思える。


 大尉は袖なしジャケットのポケットから何やら取り出し、それを手に装着している。

 黒革の指無し手袋だ。


「手荒なことはしたくないのだがな…」


 大尉は指を鳴らしながら言った。

 その様子を見たジェフは鼻で笑う。


「それは俺のせ」


 とジェフが言い掛けた時、大尉は華麗とは言い難いステップで一気に距離を詰めた。

 しかし、大尉が放った右の拳は虚しくも宙を彷徨っただけだった。

 体格のハンデを誤魔化す為の不意打ち、悪くはない作戦だと思うのだが、大尉の動きは例の厚底靴のせいで鈍重過ぎた。


「その靴を脱いだほうがいいんじゃないのか」


 ジェフは大尉の靴の秘密を知っているようだ。


「黙れー!」


 大尉は靴のことを指摘され、感情を爆発させた。

 大尉は攻撃を何度となく繰り出すものの、ジェフは完全に動きを見切り、楽々と攻撃を避ける。


「遅い。そんなパンチじゃ蠅が止まるぞ」


 ジェフは余裕綽々だ。


「それならば!とおぉーっ」


 大尉は勇ましい掛け声と共に右足を蹴り上げる。

 しかしジェフは大尉のキックを完全に見切り、華麗なステップで避けると、大尉の身体を軽く押した。


「あ〜っ」


 大尉は片足を振り上げた所を押され、バランスを崩して、回転しながら崩れ落ちるようにして倒れた。

 その拍子に厚底靴は脱げ、大尉愛用のサングラスも何処かへ飛んでいった。


「足がっ、足が〜っ」


 大尉は床の上でのたうち回りながら、足首を捻ったのか、足首を片手で押さえる。

 そんな状況でありながら、大尉は顔を見られたくないのか、もう片方の腕で顔を覆い素顔を隠す。


「軽い運動にもならない」


 ジェフはそう言いながら、大尉を見下ろす。


「せめて靴を脱いでからにしろ」


 ジェフは大尉に言い放った後、俺たちの方を見回す。


「お前らも榎本みたいになりたいか?」


 ジェフはそう言いながら、手を肩の辺りまで上げると余裕満々に笑みを浮かべた。

 そして上げた手の指を鳴らす。

 切れの良い音が事務所に鳴り響く。

 こいつ、俺よりも良い音をさせてやがる…


 ジェフが指を鳴らすと、事務所の影や階段等から次々と黒い影が現れた。

 ジェフと同様に黒タキシードを着た欧米人だ。その数、六名。

 ジェフを中心にしてタキシードの男達が並び立った。

 どいつこいつもそれなりの美男子だが、並び立つと田舎の紳士服店の広告感が倍増してくる。

 しかし、対する俺たちは俺と西松とパリス、大尉は床でのたうち回っているから数にいれないとしても、圧倒的に不利な状況だ。


「風間。あいつは今、榎本って言ってなかったか?」


 そんな状況下、西松が俺に耳打ちをしてきた。


「榎本?何のことだ?」


「多分、大尉のことだよ」


 西松が大尉の方を指差す。

 

「眼鏡、眼鏡」


 大尉はそう呟きながら、顔を床に伏せ、片手でサングラスを探している。


「榎本?」


「風間、忘れたのかよ。

 高校の時、お前らのグループにいただろ?あいつだよ。

 何年留年しているのかわからない奴だよ」


 西松のその一言に俺の中の何かが弾けた。

 記憶の奥底から榎本が甦ってくる。

 榎本は高校時代、俺が所属していた派閥であるブラックファミリーの一員だ。

 榎本は黒薔薇党によって入間川高校が占拠された日に、地雷を踏んで爆散した。

 あの榎本が…

 まぁ、俺たちや尻毛までもが蘇っていたのだからな。

 榎本が蘇っていても不思議ではない。


「あの榎本か!

 あんなだったっけ?」


 俺の記憶の中にある榎本は、高校生なのに風采の上がらない中年男を具現化したような奴だったんだがな。


「なんとなく、なんとなくだけどあいつに似てないか?」


「言われてみればなぁ」


 言われてみれば、なんとなく榎本に似ている気がする。

 しかし、榎本の人相がどうしても思い出せない。高校の時から印象に残らない人相をしていたのだ。


 顔を確認しようと、近づくのだが大尉は顔を伏せていて見えない。

 しかし、床に転がっている大尉の脱げた靴を見ていると、大尉は榎本だという確信が湧いてきた。

 そうだ。今思い出したのだが、榎本の目印と言えばシークレットシューズだったのだ。


「大尉、あんたは榎本か?」


「眼鏡、眼鏡…」


 大尉は俺の言葉を他所に、手で眼鏡を探っている。


 そうだ。俺はいつも榎本には敬称をつけていたのであった。


「あんた、榎本“さん”か?」


 その時、大尉はゆっくりと顔を上げる。

 その顔、眉間の辺りにはサングラスの物と思われる破片が刺さり、一筋の血が大尉の鼻筋を伝って、床に落ちていた。


 俺と大尉の視線が交錯する。

 その刹那、俺の心に何かが弾け光った。


「やっぱり…、榎本さんだ…」


 “大尉”コスプレの隙間から真実が見えた。

 それは劇的なばかりに無様さを強調する。

 お世辞にも似合っているとは言えない、コスプレの裏に潜むもの。

 その無様さは、この世の掟だと確信した。

 現実は残酷だ。

 頼んでもいないのに、二次元の嘘を実感させてくる。



「お前ら、まだやるか?」


 永遠のような一瞬にジェフの美声が割り込む。


 大尉が榎本だったなんて、全く予期していなかった事態だ。

 榎本の出現に俺は戸惑い、この状況をどうしようかなど、今は考えられない。


「ここは一旦、引き上げるか」


 と言うと、西松は頷く。

 踵を返し、事務所から立ち去ろうとしたのだが、榎本は未だにサングラスを探している。

 辺りを見回すと、榎本のサングラスはパリスの足元に落ちていた。

 パリスはそれに気付くと、拾い上げ榎本へ手渡す。


「パリス、榎本さん、引き上げるぞ」


 と言ったものの、榎本は立ち上がろうとしない。


「風間、待ってくれ。捻挫したようだ。痛くて立ち上がることが出来ない」


 榎本は立ち上がろうとするのだが、足首に体重が掛かる度に痛みでその表情を歪ませる。


「パリス。榎本さんに肩を貸してやれ」


「わかったよ。シロタン」


 パリスは榎本に近寄り、肩を貸し立ち上がらせた。

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