第19話 帰れコールを浴びたくて

「ありがとう」


 エレベーターへ向かうと、学生の一人が戸を開け待っていた。

 その学生へ礼を言うも、俺はここまで他人から親切にされたことがないせいか、どこか気不味い。

 俺たちがエレベーターに乗ると、大勢の学生たちも乗り込んできた。

 せいぜい十人乗りぐらいのサイズのせいか、すぐに満員となり、それを知らせる警報が鳴ると数人の学生が降りる。


「何階まで行きますか?」


「屋上まで頼む」


 学生の問いかけに答えると、学生の1人がRボタンを押し、閉ボタンを押す。

 誰も他の階のボタンを押さない。

 こいつらも皆、屋上へ行くのか。


 屋上に着き、戸が開くと学生たちは一斉に降り、戸が閉まらぬように押さえ、


「屋上へ着きました。どうぞ」


 と一斉に声を揃えた。

 こいつらの俺たちへの扱いは何なのか。

 俺はVIPなのか?そんなはずはない。俺たちはただの卒業生で訪問者だ。ここまで礼儀正しくされると何かあるんじゃないかと思えてくる。


 屋上へ出ると学生らが姿を現した。それも一人や二人ではない。

 次から次へと男女問わず、その誰もが息を切らせている。

 こいつら、階段を走って上がってきたのか?


「こいつら、何なんだよ」


 西松が一言漏らした。

 これには俺も同感だ。


「放っておけ。

 それよりも栗栖が爆破された場所を見るぞ」


 あの日、栗栖が人間爆弾にされた日のことを思い出しながら、爆破された場を遠目に見る。

 その場はここからほぼ対角線上の屋上の端にある。

 遠目からでは何事も無かったかのように見える。修復されたのか?

 俺たちは屋上の端まで行く。



 あの日、現場辺りのフェンスは吹き飛ばされていたのだが、元通りになっている。

 俺はしゃがみ込みフェンスを始め、周辺をよく見るのだが、修復されたような痕跡さえも無い。


「なんて事だ…、何も無い」


「どうした?」


 俺の驚きに西松が一言発した。


「この辺りで栗栖の人間爆弾が爆発し、その衝撃でフェンスは吹き飛ばされたんだがな、その後、修理したのだとしてもその痕跡が無い。全く無い」


 俺のその言葉に西松はフェンスに近づきじっと観察する。


「本当だ。どう見ても修理されたような跡がない」


 俺はフェンスを指差し、


「修復されたのだとしたら、この辺りは新しくなっているはずだが、ご覧の通り錆びている。どこのフェンスをざっと見ても、同じぐらい錆びている」


「どういうことなんだよ…」


「わからん…

それは一旦置いておくとして、次は放送室へ行くぞ」


「え⁉︎」


 西松の表情が一瞬にして曇る。


「そう怖がるなよ。ここと同様かもしれないぞ」


 俺は立ち上がる。

 西松は明らかに恐れおののいていた。

 そんな西松へ構わずに、


「行くぞ。

 話はそれからだ…」


 と一言発したのだが、西松は動こうとしない。


「西松先輩、行きましょうよ!」


「先輩!頑張って!」


 そんな西松に学生たちは痺れを切らしたのか、口々に西松を励まし始めた。

 ここの学生らまでもが余計なお世話なことをしてくる。こいつらは一体、何のつもりなのか。

 西松がそれでも動かずにいると、学生らの間から“西松”コールが巻き起こった。


「西松!西松!」


 学生らは一心不乱に西松コールをしている。

 こいつらは今日初めて会っただけの人間に対して、どうしてここまで熱くなれるのか。わけがわからない。

 俺へのコールではないだけマシではあるが、とてつもなく居心地が悪い。

 これなら帰れコールを浴びた方がマシだ。

 そうさ…、俺は本来、帰れコールを浴びるべき人間、邪魔者であり日陰者に過ぎないのだ。俺は陰から愛されている存在なのだ。


 西松は顔を茹蛸のように紅潮させ、俺へ助けを求めているかのような視線を送ってきた。


「ほら、行くぞ」


 俺のその一言に西松は軽く頷き、動く素ぶりを見せると、学生らは歓声を上げた。


「西松先輩!」


 一人の女学生がそう叫ぶと、歓喜の涙を流す。一人が涙を流すと、それに連られて次から次へと女学生らが涙ぐむ。


「こいつら、正気かよ」


 西松が呟く。


「信じられないな」


 と言いつつ、俺たちが歩き始めると、学生たちは俺たちの後に付いてくる。

 この学生らは一体何なんだ…、こいつらはどこまで俺たちに付いてくるつもりなのか。


 一階へ降りようとエレベーターへ向かうと、既に学生たちが戸を開けて待っていた。


 満員状態のエレベーターから降りると、それに乗れなかった学生たちが息を切らせて階段を駆け降りてきた。こいつらのノリにはうんざりだ。



 放送室のドアを開けると、俺の背後に隠れるようにしていた西松が、俺に聞こえるぐらいの安堵の溜息を漏らした。

 放送室の中には何も無かった。

 “仮面”を助け出したあの夜に見た、西松と堀込、校長らが磔にそれていた十字架は無く、“仮面”を調整する為の物と思われた機器類も無かった。

 どこの学校にもある、ありふれた放送室であった。


「屋上と同様か。何も無い」


「そうだね」


 西松は露骨なぐらいに安心し切っている。



「地下一階の給食室へ行くぞ」


「給食室?」


「あぁ、黒薔薇党によって占拠されたあの日、俺たちは仲間を一人ずつ失いながらも、校外へ脱出する方法を探していた。その途中に辿り着いたのが給食室だった。

 給食室はボイラー室と繋がっていて、そのボイラー室の端に旧校舎へ繋がるとされている秘密の地下通路があったんだ。

 最後に残った俺とパリスはその地下通路から旧校舎を目指したんだがな。

 地下通路の中は急な下り坂となっていて、俺はその坂を滑り落ちた。

 そこで俺の記憶は途切れている」


「もしかしてお前がこの前、目隠しして台車で坂を滑ったのは」


「そうだ。あの日の最後を再現したものだ。

 しかし、地下通路を滑り落ちた後の記憶は戻らなかった」


 西松は沈痛な面持ちで黙り込む。

 西松の下手くそな木彫りの彫刻のような顔は、沈痛な面持ちになればなるほど木彫り感が増す。

 その下手くそな木彫りに向かって、


「あの地下通路は果てしなく続く下り坂のようにかんじたのだがな。

 この雰囲気だと何事も無かったかのように旧校舎へ抜けられるのかもしれないな」


 西松は沈黙している。


「とにかく給食室へ行くぞ」

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