第12話
船の上で迎える初めての朝にファシルは激しい揺れを感じた。
それは騒々しくもあり、いくら船上の事とはいえ大きくあまりにも限定的。すると、聞き覚えのある声がファシルの耳に届いた。
「ちょっと!」
聞こえてきた声の感触から、ファシルはその声の主が少しばかり機嫌が優れないようであると察しては、これ程の船の揺れに対して気分を害しては思うところがあるのだろうと納得したが、次にかけられた言葉にファシルの意識はゆっくりながらもはっきりとしていった。
「どこで寝てるのよ!」
ファシルは差し込む眩しさにゆっくりと目を開ける。すると、自身を見下ろしながらも覗き込むレイリアの顔がそこにはあって、ファシルは気が付くと呑気にあいさつしていた。
「おはよう」
船尾の積み荷の傍らで寝ていたファシルは、朝の眩しさに未だ慣れない目を薄めながらも上体を起こしては昨夜の事を思い出した。
それは、夜遅くまでいろいろとしていたために遅れた食事が深夜という時間と共にファシルを眠気の奥地に誘っては寝落ちする形を取らせたという事であった。
したがって、そこで辿り着いた場所というのは無意識の内に誘われたもので、ファシルはは今に至ってようやく場所を把握した。
ファシルはぼんやりしつつも辺りを見回したが、次の瞬間にはその視界がまたとして激しく揺れると、それは先程感じ取れたものとは違って明らかに一方向へと引っ張られたもので、その感触は自身の腕から伝わってきていた。すると、ファシルは自身が引っ張られている事を理解するまでに時間を要さなかったが、そのまま欠伸をしつつも騒々しい原因に連れられては甲板へと急いだ。
甲板に辿り着いたファシルを待っていたのは辺り一面を覆う濃い霧であった。
その光景にファシルの意識は否応なくはっきりさせられると、一息にその眠気は吹き飛ばされた。
レイリアが慌てていた事に納得がいったファシル。
すると、ファシルは納得すると同時にすぐさま船の周りに浮く黒い球へと目をやった。
船の外周を前後左右上下とあらゆる角度で、それ自体が大きな球体のように配置された黒い球の数々。
それらは、船が異常事態に陥った時用にとファシルが警戒して配置したものであったが、それを見たファシルは一先ず安堵した。
黒い球は全て整然としており、すなわちそれは船に異常が見られないという事で無事であるという事の証明であった。
しかし、安堵して甲板へと視線を戻したファシルに次なる問題が差し迫り、その事によって安堵したファシルのそれは一先ずの事として瞬時に消えた。
甲板には見張りなどの作業にあたる乗員が見られるはずなのだが、それらは皆一様に倒れており活気が全く感じられない。
黒い球が整然としつつも、それらをすり抜けて起きた異常事態に険しい面持ちとなったファシルはすぐさま倒れる乗員に駆け寄った。
手近な乗員の口元に耳を近付けるファシル。すると、聞こえてきた規則正しい寝息に安否を確認し終えると、どの乗員も息があり命に別状は無いという事が伺えた。
心の起伏と展開の激しさに戸惑うばかりのファシル。
すると、そんなファシルの様子を待っていたようにレイリアが口を開いた。
「気付いたらこうなっていたの」
レイリアが起きて外に出た時には既に甲板にて異変が発生しており、いつの間にかこの状況であったとファシルに伝えると、レイリアは不安そうな表情を浮かべた。
レイリアも現状に酷く動揺している様で、その事に気が付いたファシルは無駄な混乱を避けるためにその意識を逸らそうと他の被害状況を確認させてはレイリアを落ちつかせようとした。
そうしてしばらく船を見回ったファシル達は元居た場所に戻ると、先に口を開いたのはレイリアであった。
「大丈夫なのは私たちだけみたい」
この異常事態の手掛かりを探るファシル達。しかし、船上に手掛かりは見当たらずそれどころか船はひとりでに湖を行くと、ファシル達のそれに構うことなく導かれるように航行し続けた。
解決しない問題にさらに問題が降りかかると、平静を保とうとするファシルを少しばかりの不安へと駆り立てたがその不安も次に起きる出来事でより大きなものとなっていった。
湖の上、何処からともなく綺麗な歌声が聞こえ始めた。
突如として歌われるその声に、気が付いたファシルは不安を募らせると辺りを見回す動作を忙しなくしたが、反対にレイリアにはその歌声が聞こえていないらしく全くに反応を示さずいると、むしろ落ち着いてすら見えた。
対照的な二者間も、その違いはさらに差を大きくする。
ファシルにだけ聞こえる歌声が耳をつんざくような不快な音へと突如として変貌したのだ。
あまりに強烈な不快感が音として聴覚を伝ってはファシルへともたらされると、耐えがたいその不快感に遂には膝を折ってその場で崩れるように倒れ込むファシル。
その様子からようやく更なる異変に気付いたレイリアは何かを訴えるように言葉を紡いだが、レイリアの言葉はその不快な歌声によって遮られるとファシルに届く事はなかった。
どうする事も出来ない状況に襲われた後、訴え続けるレイリアの横でファシルは程なくして気絶した。
深い森の中を彷徨い歩く。
何処を歩いていて何故歩いているのか。
ありとあらゆる情報がどれも等しく分からない。しかし、これらの事はファシル自身の脳内の感触に過ぎないもので、その足の歩みが止まる事の無い様子を醸し出すとその事から最早それは自らの意思を受け付けないようであった。
意思が芽生えたようにひたすらに歩き続けてはファシルを誘うと、しばらく続いた深い森を抜けてとても大きな湖へと出た。
その全体はどれ程か分からないくらいに広く大きい。
その事を見渡す限りの景色で知り得ると、霧等の邪魔の無い景色が上下逆さまとなって水面に映し出されては鏡面のようなそれによって景色は二分された。
ファシルはその景色を吟味すると一旦止まったその足を再び動かし始めたが、今度のそれは能動的なもので自らにその足を動かして歩みを進めた。
小さな波が打ち付けられる際に立つと、少しも躊躇することなくその歩みを進めるファシル。
水気を帯びた砂が踏み込んだ足跡のままにその形を模してはぐにゃりとへこんでしまう。そしてそこに出来たへこみへと、足が去った後に出来た空間は押し寄せた少しの水によって占領された。
それ程に際で出来た足跡もすぐさま薄れると、ファシルが次に放った脚は水浸しになると思えた。
打ち寄せる波はその連続した仕草を止めどなく続けると、抵抗を受けては流れを変えるはずであったもののその事は一向に起きない。
ファシルの足は水面を硬い地面を踏むように歩くと、そこから沈み込むことはなかった。
一歩一歩と踏む水面にその歩調に沿った波紋がゆっくりと広がると、やがては打ち消し合って消えていく波紋が連続するが、そうした波紋は水面に映る足跡としてファシルの軌跡を描き続けると真っすぐに大きな島へと続いた。
湖の中心に浮かぶ大きな島に辿り着いたファシルは歩き続けた水面を降りると大きな島の領内に一歩踏み入った。
──ズシッ。
大きな島に降りたファシルの体に明らかな圧迫感が降り注ぐ。
ファシルの身体を真上から圧すようにかかるその感触は、ファシルの歩みに沿って次第にその存在感を増すとファシルの足取りを重くするばかりであったが、ファシルはその圧迫感に晒されながらも踵を返す事無く島の奥へと進んだ。
──ズシッ、ズシッ。
決して硬くない地面へと打ち付けるように放り込んでは一歩また一歩と進められる。
その度にファシルの脚は、自身の体にもかかわらずそれを支えるのにようやくといった様子を覗かせたがその圧迫感はさらにさらにと増すばかりであった。
身体を支えて立っている事が奇跡に思える程にファシルへの圧迫感が強くなった頃、ファシルは視線の先に大きな教会を捉えた。
今に至るまでファシルが歩き続けていたのはこのためであって、大きな島の中心で見つけたそこへとファシルは足取り重くも近付いた。
視界に捉えてからしばらくの時間要して扉の前に立ったファシル。
すると、ファシルは眼前にまで近付いたそれを見上げた。
扉の前に来てようやく分かる教会の大きさは見上げるほどに大きく思えて、その外観から教会に収容できるおおよその人数が相当なものであると思えたファシルは認識を改めた。
只の教会ではない──大聖堂であると。
ファシルは大聖堂の入り口、大扉を前に立ち尽くすと推し量れない荘厳さに息をのんだ。
ファシルにとって教会とは取るに足らないものであるものの当てられた感触に知らず知らず緊張すると、ぞんざいに開ける事は気が引けたようで、居直ってはようやく大扉に手を掛けた。
中に入るため二枚の大扉を押してファシルは一歩踏み込む。
すると、その大扉が開くよりも先に不思議な事が起きた。
突如としてファシルの視界が揺らめき、その身体をひたすらに明るく照らす。
ファシルの身体が大扉に手をつく形のまま烈火のごとく燃え上がったのだ。
ファシルを包むように、ごうごうとした猛る烈火。
ファシルは烈火に包まれると、その身体は瞬く間に在り様の不鮮明なものとなった。
しかし、その身体を引き摺りながら尚も大扉を押し続けるとファシルはやがて大聖堂を開場しえた。
開け放たれた大扉から一気に外と中の空気が行き交う。
ファシルはその身体をさらに燃やしつつも見えてきた内部の様子に目をやると、その光景によって再び立ち尽くした。
予想通りに広い大聖堂の内観も、想像を超えた光景がひとしきり出揃っており予想通りの事がほとんどなかった。
その光景によって分かった事が、改めさせられた外観からの認識をさらに改めさせる。
外観が荘厳ならば、内観は卑俗。
ファシルにとってそういった観念を深くは持ち合わせていないものの、知識のない事であってもそう言う他なかった。
優に数百人は収容できるであろう広さと一つ一つに拘りのある豪華絢爛な装飾の数々に本来なら荘厳なものと映ったはずの光景も、ファシルには何故か卑俗なものと映ってはその思想に嫌悪した。
──気持ち悪い。
只々不快感に支配されるも、それらの輝きに満ちた内観に嫌な眩しさを覚えると言葉を失ったファシルではあったが、先程居直った自分に対して鼻を鳴らした。
「馬鹿馬鹿しい」
ファシルは視線を少し下げると、吐き捨てる様にその言葉が口を衝いた。
しかし、卑俗な中にあっても純粋な輝きがその存在を主張していた。
大扉より伸びる中央の通路の先、そこに配置された低い献花台とそこに向き合う椅子。
それらは大聖堂の天窓の細工越しの光に晒されてポツリと浮いて見えると、大聖堂の内部でなによりも目立っていた。
独り掛けにも拘らず大きくしっかりとした出来の椅子は、入口より伸びて内観を左右に分断する通路の先であっても尚も視線を独り占めにする。
しかし、照らされた椅子は担い手を今は持たないために目立とうともどこか寂しいものであった。
すると、新たな強い主張がファシルの視界に飛び込んできた。
椅子の前の低い献花台に合せて、屈む存在が一人。
その存在は今の今まで、ファシルの椅子を見る視線の間にずっとあり続けていたはずが、そのあまりの静寂した姿に存在を消しては捉えられないでいた。
静寂を貫いていたその存在は、未だにファシルに背を見せつつも髪の短い頭を下げてはマントを床に遊ばせて、献花台に向き合い祈りを捧げ続けている。
卑俗なそれとはまた違った嫌悪感に、ファシルは猛る烈火を身体に携えつつも歩みを進めるとようやく大聖堂の敷居をまたいだ。
すると、その事でファシルに気が付いたらしくその存在はスッと立ち上がった。
そしてゆっくりとした所作でファシルへと向き直るその存在。
向き直った時に揺れるマントの合間から腰に剣を携えている事が伺えたがその事よりも、整った顔立ちの青年であることが判明すると、惚れ惚れする程のその顔にファシルは違和感を覚えさせられた。
まるで非の打ち所のない端正なそれに違和感だけが邪魔をする。
ファシルはその少しの違和感に囚われるとその事が何なのか気になって仕方がなかったが、青年の顔に違和感を見出すならば自ずとそこに辿り着いては、そこを除いて他には何もなかった。
青年は左右で瞳の色が違った。さらに踏み込むと右の瞳が青い事が分かる。
違和感の答えが分かったファシルは青年と完全に視線を交わすと、口を開いた青年のその発した声の感触に冷たさを感じて言葉を失った。
──貴様が来るところではない。
互いの距離から考えて本来なら聞こえるはずもない声量も、あまりにも突き放すような物言いに少しの苛立ちを覚えたファシル。
しかし青年の次に取った行動に、自身の些細な感情ががらりと変わる感覚をはっきりと認識すると、ファシルは咄嗟にその身体を動かしていた。
ファシルに向けてかざされた青年の手。
その手からは溢れている様子が目視で分かる程に、漲った力がそこを起点として小さな稲光を駆け巡らせている。
すると次の瞬間、手に纏った小さな稲光が青年の言葉と共に強く輝くとファシルへと駆け抜けた。
────。
事前にそれを予期して動いたファシルも、その僅かな時間では重い身体が言う事を聞かずにそこに在ると青年のそれを避け損なった事は言うまでもない。
もろに受け取った強い輝きは視覚が捉えるよりも遥かに速く、ファシルの重く燃え盛る身体を射抜くと、そのままにファシルを大聖堂の外へと追い出した。
ファシルの身体を通り抜けたのは凄まじい雷撃であったが、もしファシルが万全の状態であってもそれは躱す事は疎か防ぎきる事すらも叶わないものであった。
この世で受ける衝撃の中でも他の追随を許さないその雷撃。
それ故にファシルの反射速度をもってしても無駄な足掻きに終えると身動きの取れない身体であっては戯れに過ぎず、ファシルの体は嘘のように浮かび大きく後退した。
ファシルが追い出されると、ゆっくりと閉じていく大聖堂の大扉。
殆どがその雷撃の発した音に飲まれて聞こえはしなかったが、青年の言い放ったそれに為す術もなかったファシルは自身の横たわった身体の感触を失うと、尽きる事のない烈火に見送られてその身体は灰と消えた。
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