ずっと一緒にいたいだけ

桂花陳酒

無敵だった彼女

「絶対、人魚を見つけるんだ」

「見つけてどうするの?」

 日差しが木々の枝葉から漏れて煌めく中を私と綺月は歩いていた。

 夏休みに入ったばかりのある日。幼い頃の記憶だ。

「ころして、料理にする」

「なんで?」

 唐突に物騒なことを言い出す綺月に思わず私は聞き返す。

「食べると、不老不死になるんだって」

 彼女は続ける。

「人魚をさばいて、煮て、それを子葉と一緒に食べるの。そうしたら、ずっと一緒でしょ?」

 綺月は至って真面目な顔でそう言っていた。自分の価値観こそがこの世で一番だと確信している、そんな顔。

「でも、かわいそうだよ」

「なにが?」

 今度は私が聞き返される番だった。

「ころされる人魚さんが」

 その一言が、彼女の無敵にヒビを入れていくような感覚を私は微かに覚えた。

「どうして?」

「私たちのためにころされるなんて……かわいそうだよ」

 未熟な良心と幼さからくる残虐性の狭間で、私は揺らいでいた。

「でも、子葉だって普通の魚を食べるでしょ?それと一緒じゃない」

 綺月は昔から頭の回る子だった。私を含めた同年代の子たちより頭一つ抜けた聡明さが、彼女の万能感を強めていたのは想像に難くない。

「それとも子葉は私と一緒にいたくないの?」

「そんなことないよ。でも……」

 人魚にだって、きっと大事な存在がいるはずで、それを殺すことで引き離してしまうのはよくないことだと思っていた。

「やっぱり、ころすのはだめだと思う」

 けれど、主張をはっきりと通せる彼女と違って私はまだ、巡らせた想像力を言葉に乗せて伝えることができなかった。

 そんな私の足らない言葉が綺月の無敵を打ち崩していく。

「なんで?なんで、分かってくれないの? 私は、ずっとずっと子葉といたいだけなのに!」

 万能感の殻の中はただ未熟な愛と幼い残酷さで満たされていて、それを剥き出しにした綺月と私は傷つけ合った。

 結局、二人共々泣いたまま帰って、親に叱られて。喧嘩は有耶無耶なままに終わった。

 喧嘩の原因が幼さゆえだと言うならば、仲直りも幼さゆえに亀裂はすぐに埋まった。

 一週間後には、また二人して手を繋いで遊びに出かけるようになっていた。

 けれど、親に叱られたことが堪えたのか、それ以来綺月が人魚の話をすることはなかった。


◇◆◇◆◇


『人々はこんなにも愛し合っているのに、どうして運命は私たちを裂くのでしょう?きっと運命の女神はとんでもない加虐趣味サディストに違いありませんわ』

 友人を失い嘆く令嬢は、その強い嘆きから運命の女神を降臨させてしまう。

 地上に降りた女神を何度も憎く想ううちに、いつの間にか彼女の中には恋心が芽生えていた。

 しかし女神は令嬢の予想通り、相当なサディストで──。


「映画、面白かったね」

 映画館の入ったショッピングモールのエスカレーターを下りながら、綺月は余韻に浸るような調子でそう言う。

「うん」

「ドキドキした〜」

 今の綺月は神童に見えたあの頃と違い、周りの子と同じような平凡で明るい女の子になった。

 髪形をロングヘアからショートにして印象は変わったし、抜群だった学校の成績も高校ではさして目立つほどでもなくなった。

 けれど私にとっては、今でも綺月のことは変わらず特別だった。

「ちょっと首こっち……ん」

 エスカレーターの段差一つ分の距離を縮めると、綺月は目を閉じて私の唇に口付けをする。ショッピングモールを往く人たちの足音や会話なんかを切り捨てて、心音だけが頭に響く。

「へへ、ロマンチックがまだ残ってる」

 そんな言い回しをするあたり、まだ本当にロマンチックの余韻が残っているようだった。

「人前なのに」

「いいじゃない。別に悪いことしてるわけでもないし」

 幼い頃の友愛は順当に恋愛感情に昇華して、私たちを取り巻く関係の名前も変わった。それは私自身が望んでいたことでもあったし、周りも特に何か言ってきたりはしなかった。

 ただ、所構わずキスをせがまれることだけは少し困る。

 以前にそれを指摘した時は「まんざらでもないでしょ?」とだけ返されて、これ以上言わせないとでもいうように、そのまま唇を塞がれてしまった。

「そういえばさ、知ってる?今朝のニュース」

 エスカレーターを下りきってちょうど1階を踏んだ時、綺月が切り出した。

「今朝のニュース?」

「水死体だって。私たちと同じくらいの高校生の」

「あぁ……」

 ロマンチックはもう終わりのようだった。

 綺月は時々空気を読まない。食事中でもデート中でも平然と血生臭い話題を振るくらいの無神経さを発揮する。

「橋から飛び降りたみたいなんだけど、他殺の可能性もあるんだって」

「へぇ……。怖いね」

 他殺だとして、理由はやはり痴情の縺れだろうか。子供を唆すような悪い大人にでも殺されたのだろうか。もし私も綺月と一世一代の大喧嘩をして恨みを買ったら、そんなふうに殺されてしまったり──。

 想像の飛躍が止まらなくなった私の額に、不意に綺月の人差し指が触れた。

「また、変なこと考えてる。子葉ってば分かりやすいね」

「また?」

「そ。また。子葉の考えなんてす〜ぐ分かるよ。当ててあげよっか?」

 綺月は得意げに笑った。

「ずばり、私のことが大好き! 大正解! ぱちぱちぱち〜っ」

「もう……」

 ロマンチックだったり、生臭かったり。かと思えば急に明るくなったり。綺月のペースに振り回されてばかりだけど、それが楽しかった。

「大丈夫。死ぬことなんて怖くないよ。私と子葉はずうっと一緒だもん」

「……そうだね」

 その言葉がもたらす安心感が、私を想像の泥沼から引きあげてくれた一方。私はあの夏の日のことを思い出して、また良からぬ想像を再開していた。

 少しずつ、綺月はあの頃の無敵を取り戻していっているような、そんな気がする。

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