第39話 6月28日 カトラン子爵邸 パーティ会場
「ルルさん、こちらから行きましょう」
先頭を歩くルルに、アレシアが駆けよって声をかけた。
彼女が指さしたのは、中庭の入口とは反対にある細い道。
その奥には、使用人が出入りに使う入り口があるという。
確かに、このままだと中庭から4人が登場という形になり、あまりに不自然だ。
ルルは大きく頷くと、アレシアの後ろに付いた。
アレシアが先頭に立ち、屋敷への道をひたすら進む。
植え込みの間を抜けていくと、使用人専用の木の扉が見えた。
扉を勢い良く開け、4人で飛び込むように中に入る。
部屋の中で真っ先に目に映ったものは、ルルから聞いたとおり、すっかり血の気を失くしたカトラン子爵が、水を飲んでいるところだった。
カトラン子爵はアレシアの姿を見た途端、膝が崩れるほど喜び、グラスを放り投げて駆け寄ってきた。
「アレシア様! どこにいかれていたのですか!」
周りの目を忘れ、カトラン子爵はアレシアの名前に敬称をつけている。
不思議そうな顔をするルルに「きっと気が動転してるのね」とリュシエンヌが耳打ちをすると、ルルは納得したように頷いた。
興奮状態のカトラン子爵に色々と質問されているアレシアは、視線をちらりとこちらに移した。リュシエンヌも俺の顔をじっと見ている。
そうだ、俺が説明をしなければいけない。
「失礼いたします、カトラン子爵」
「ああ、ああ、ルドウィク……!」
子爵は俺の両手を掴むと、ぶんぶんと振りはじめた。
余程焦っていたのだろう、手が尋常じゃないくらい濡れている。
預かっている他国の王女が突然消えたとなると、正気じゃいられないのは当たり前だ。申し訳ない事をしてしまった。
それにアレシアにも嫌な思いをさせた、やはり先に返しておくべきだった。
後悔を感じながら、子爵に深々と頭を下げた。
「大変申し訳ございません、カトラン子爵。実は、友人の体調が悪くなり、アレシアさんが付き添っていてくれたのです。その友人は先程帰宅いたしました。少し離れた場所での出来事でご報告が遅くなりました。わたくしも一緒におりながら、連絡が遅くなってしまい、本当になんとい……」
「おお、そんなことが……おお、よかった」
安堵の表情を浮かべるカトラン子爵に、周りにいる使用人たちもほっとした表情をしている。 アレシアは、使用人たちに挨拶をすると、カトラン子爵に向かって一礼をした。
「おじ様、ご心配をおかけいたしました。わたくし今から会場に戻ります。皆様への説明も致しますので、ご心配なく」
そう言って笑顔を見せると、こちらにも一礼をして会場へと戻っていった。
数秒後、会場からどよめきのような歓声が上がる。
続けて、アレシアがなにかを話しているような声が微かに聞こえた後、楽団が音楽を奏で始めた。驚くほどあっという間に、パーティが再開されるのがわかった。
「わたしたちも、いきましょ?」
ルルがリュシエンヌに声をかけている。
リュシエンヌは「そうね」と返事をしたが、まだ浮かない表情をしていた。
椅子に腰かけ、汗を拭いているカトラン子爵に、頭を下げる。
力の抜けきった笑顔で手を振る子爵に見送られ、三人で会場へと戻った。
ホールでは心地良いワルツが奏でられ、華やかに着飾った人達が楽しそうにダンスを踊っている。
もちろんその中心はアレシアだ。
さっきまで揉め事に巻き込まれていたなんて、微塵も感じさせない表情で、アレシアは優雅で軽やかに踊っていた。
「素敵ねえ……」
誰に言うでもなく、ルルがポツリと呟いた。
ルルの隣で会場の中央を見つめていたリュシエンヌは、うつろな表情で会場の中央を見つめ、何度も頷いている。
リュシエンヌは、いま何を思っているのだろう。
俺に裏切られたと思っていた前回の人生。
神様の加護なのか、それともいたずらか……何もわからないまま、突然新しい人生をやり直すことになってしまった現在。
目の前で行われている華やかなパーティと、中央で踊るアレシア。
そのアレシアの手には、壊されるはずだった美しい扇子が握られている。
そして、皆の前で婚約破棄を突きつけた婚約者は、自分の傍にいる。
ただ、子供の頃から一緒にいた親友セレーネ、彼女だけがこの場所にいない。
自分の死に関係することに、思ってもいない人物が関わっていた……。
その真実を受け止めなければいけないリュシエンヌの気持ちを思うと、胸が張り裂けそうになってしまう。
俺がずっと見ていることに気づいたのか、リュシエンヌが突然振り返り、瞳を合わせて微笑んだ。
笑顔を返すと、嬉しそうに肩をあげ、また会場で踊る人たちに視線を戻した。
駄目だ、もう感情が抑えきれない。
「きゃっ、ルド」
「あらまあ」
溢れる思いにあらがうことなく、後ろから力いっぱいリュシエンヌを抱きしめた。
リュシエンヌと並んでいたルルは、俺の腕に包まれている彼女を見て、口に両手をあててふふふと笑っている。
「あっ! そうだわ、わたしそろそろカールを許してあげなきゃ! さがしてくるわねえ。じゃあパーティ楽しんでねえ」
ルルは、俺の顔とリュシエンヌを交互に見ながら、小さく手を振り、たくさんの人の中へ消えていった。
きっと腕の中では、リュシエンヌが顔を真っ赤にしているんだろう。
さっきよりも両腕に体温が伝わってくる。
「リュシ」
「もう……はずかしいんですけど……」
「ねえリュシ」
「……」
「愛してる」
耳元で囁くと、リュシエンヌは腕の中でくるりとこちらに向きを変えた。
真っ赤な顔がくしゃくしゃになっている。
これは無理だ……あまりに可愛すぎて、理性を保つのが限界に近づいて来た。
近くにいる貴婦人たちが、皆にこにこと微笑みながら俺達二人の様子を見ている。
俺は彼女の両手を掴み、たくさんの人たちが踊る中へと連れ出した。
リュシエンヌは驚きの表情を浮かべながら、音楽に合わせて美しくステップを踏み、こちらをじっと見つめている。
「ルドったら、恥ずかしくて倒れるかと思った」
「ごめんごめん。それで、返事は?」
「えっ……もうっ!」
すこしだけ頬を膨らませたリュシエンヌが、たまらなく愛おしい。
美しい音楽が流れる中、パーティは進んでいる。
リュシエンヌが恐れていた未来はもう起こらない。
いまここで二人で踊っている。これが現実なんだ。
突然、目の前のペアが大きくターンをした。
男性はこちらに背を向けている。
くるりと回り、こちらに顔を見せた女性はアレシアだった。
俺に気づいたアレシアは、少しだけ驚いたような表情をすると、そのままリュシエンヌに視線を移した。
見られていることに気づいたリュシエンヌは、一瞬戸惑ったような表情を見せながらも、アレシアに向かって恥ずかしそうに微笑んだ。
その瞬間、アレシアは顔いっぱいに喜びの笑顔を見せた。
しかし、パートナーにくるりと方向を変えられてしまい、あっという間に距離が離れていく。
美しい扇子を持った手が、名残惜しそうにこちらに向かって振られている。
その様子を見たリュシエンヌは、花が咲いたように笑って俺を見た。
とてもとても長い一日が終わった。
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