第29話 6月27日 貴重書架1



◆ 27日 パーティ前日 貴重書架




別荘の薔薇園でデートをしてから、もう一週間以上が過ぎた。

あれからリュシエンヌには会えていない。


アレシアから依頼された貴重書架の開架がきまったので、すぐに手紙を出したのだが、その返信は意外な内容だった。


『デートをした翌日から、お母様に乗馬のレッスンを受けてるの! まったく経験していないことが始まってる。とても楽しいわ』


驚いたことに、リュシエンヌが乗馬を始めたという報告だった。

しかも、いままで横乗り騎乗しかしたことがなかったため、通常の乗馬の楽しさに目覚めたようだ。


『パーティまでは図書館に行くのを控えようと思っていたので、とてもいい息抜きになってる。今度、ルドと一緒に乗馬ができるいいな』


手紙の最後にはこう書いてあった、最高の提案だ。

明日のパーティが終わったら、一緒に乗馬に行く予定を立てよう。

そうなると、お揃いの革手袋をプレゼントしたい。

ああ、早く28日なんて過ぎてしまえばいい……。


「さて、そろそろか」


机の上に拡げていた目録作業の手を止め、壁にかかった古い時計に目をやった。

あと10分程度で13時を迎える。

今日の午後から、アレシアに貴重書架の開架を頼まれている。そのため先に書架に入り、館内の整理を行っていた。


本館に居てもいいのだが、最近姿を見せないリュシエンヌのことや、アレシアと『密会をしていた』というのを信じている人がいるようなので、あまり滞在したくない。

本当ではないのに、噂されるというのはあまり気持ちの良いものではない。しかし、噂というのは真偽不明だから楽しいのだろう……。

それでも、13時にはアレシアを迎えに行かなくてはいけない……これは仕方がない。


大きな姿見で身だしなみを整え、貴重書架の重い扉を開ける。

ガラス張りの渡り廊下は明るく、今日もとても天気が良い。

きっとリュシエンヌは乗馬を楽しんできることだろう。早く一緒に、遠出がしたいな。

ヨハンに話したら喜んで何かを作ってくれそうだ。まだ決まったわけではないのに、考えただけで足取りが少し軽くなる。


しかし、今から会うのはアレシアだ……。

庭園での不愉快な会話を思い出し、一気に気持ちが沈むのを感じながら、本館に続く樫の扉を開けた。


「きゃっ」

「ああ、すまない」


扉を開けた向こうには、司書見習いのカールとセレーネ、そしてアレシアの三人が立っていた。カールは少し気まずそうな顔をしている。


「ごきげんようルドウィクさん」


今日も真っ白な装いのアレシアが、にっこりと微笑みながら挨拶をした。


「どうもアレシアさん。待たせてしまいましたか?」

「いいえ、私が少し早く来すぎてしまったの。そうしたらセレーネとカールさんが、ここまで案内してくれたの」


アレシアが話し終えると同時に、館内の柱時計が時間を告げた。


「今ちょうど13時になったところだわ。時間はぴったりよ、ルドウィク」


軽くウインクをして、セレーネは一歩下がった。それに続いて、ちらりとアレシアを見ながら、カールも後ろへ下がる。


やれやれ、カールも完全にアレシアに夢中か……。まあいい、俺には関係ない。


いったん外に出て、改めて扉を開き、アレシアに手を差し出した。


「ではアレシアさん、中へどうぞ。セレーネ、カール、また後で顔を出すよ」

「わかったわ。じゃあまたね、アレシア」

「ありがとうセレーネ。またお話聞かせてくださいね、カールさん」


アレシアは二人に小さく手を振ると、軽く頭を下げて別館へ入った。

扉を閉め、日が差し込む廊下を二人で進む。

会話がないまま、貴重書架の重い扉を開いた。


「はぁ、やっぱりここは素敵ですね」


前回同様、大きく深呼吸をして、アレシアは目を輝かせている。表情から、本当に本が好きなのは伝わってくる。


「さて、本日は13時から18時まですね。前回もお話ししたとは思いますが、こちらの貴重書架内で飲食は禁止されております。喉が渇いた場合は、本館にご案内いたしますのでお申し付けください。私はこちらで目録の整理をしておりますので、お気になさらずご自由になさってください」

「ありがとうございます……目録の整理とは、どういったお仕事ですか?」


手に持った荷物を机の上に置き、アレシアは作業している机を覗き込んできた。

一つに結んだ髪がふわりと揺れ、肩から落ちる。


アレシアは距離が近い。王室育ちでそういう事には無頓着なのだろうが、これでは気がある男性からすると勘違いをしてしまうだろう。


「修繕していた本が戻るのでその目録作りと、あとは近々書棚の位置を変えるので、下準備のようなものです」

「まあ、楽しそう」

「……」


庭園の雰囲気とは違い、いつもどおりのアレシアだ。

目をキラキラさせているが、話を膨らませる気が全くないので返答できない。


「あっごめんなさい。私ったらすぐおしゃべりしちゃう」


俺の様子を察したのか、本当にそう思ったのかはわからないが、アレシアは軽く会釈をして書棚の奥へと消えていった。

これから5時間。また話しかけられたりするのだろうか、それを考えると気が重い。

リュシエンヌのことを聞かれたとしても、またあんな会話にもならないようなこと……今度は無視をしてしまうかもしれない。

まあ仕方がない、作業すれば5時間なんてあっという間だろう。


奥の書棚から、アレシアが数冊の書物を重ねて出てきた。

机の上に置くと、そのまま美術書の下段にある豪華本の前でしゃがみこんだ。


あの場所にある本はとても大きく、装丁はもちろん紙自体も重い。

彼女の力では取り出せないはずだ。

気になる本を見つけたのか、背表紙をぐっと掴み、一旦手を離した。

やはり、あの様子ではびくともしないのだろう。


声をかけるべきか……。


悩んでいると、しゃがんだままのアレシアがこちらを向いた。

目が合ってしまう。

途端に慌てたように立ち上がり、ドレスの裾をはらっている。

一国の王女がしゃがみこむというのは、恥ずかしいことなのだろうか。アレシアは顔を真っ赤にしている。


なぜだか少し申し訳ない気持ちになった。

俺がもっと気を遣わなければいけない立場なのもわかっている。ただ、俺自身が嫌なだけで……。


椅子から立ち上がり、アレシアに声をかけた。



「アレシアさん、私が取り出しましょう。待っていてください」


彼女は俺を見て頷き、ぺこりと頭を下げた。

書棚まで行き、大判の美術書を抜き取るとアレシアが座っている机まで運んだ。


「重たい本や手が届かないものは、遠慮せずに声をかけてください。それも私の業務の一つです。特に高いところのものは危ないので、必ずお願いいたします」

「ありがとうございます……あの……」

「なにか?」

「いえ、大丈夫です」


何かを言いかけたが、取り繕うようにまた書棚に向かおうとするアレシア。

しかし、一旦立ち止まりこちらを振り返る。

さっきまでの申し訳ない気持ちに重なるように、またもやっとした感情が胸に広がる。

庭園の時のように、態度に出さないように気をつけなければいけない。


「やはり、何か御用がありますか?」

「あの……前から聞きたかったのですが……」


アレシアは、口の両端をきゅっと結び、思い切ったようにこちらに近づいて来た。

瞳はしっかりと俺の目を見ている。いったい何だ?

目の前まで来たアレシアは、こちらから問いかける隙を与えない速さで口を開いた。


「リュシエンヌさんは、もしかしてわたくしのことを避けています?」

「!?」


構えていたはずなのに、驚いてしまい小さな咳が出た。

透き通るような緑色の瞳は、俺をまっすぐに見つめていた。


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