第25話 6月12日 裏参道
教会の裏から続く参道を、一人歩く。
この参道には季節の花が植えられており、奥には小さな庭園がある。
今の時期は真っ白な木香薔薇のフェンスとアーチが咲き誇っている。
門までまだ少しあるが、すでに優しくて甘い香りが周囲に漂っていた。
ここはリュシエンヌが好きなんだよな……あ、そうだ!
18日はワルドの別荘に行こう。あの別荘には薔薇園がある、今頃満開になっているはずだ。リュシエンヌは薔薇が大好きだからきっと喜ぶに違いない。
午後の穏やかな日差しの中、先の予定を考えながら、こぼれんばかりの木香薔薇のアーチをくぐって小さな庭園へ入った。
あまり人の来ない場所だが、薬草園も兼ねているため珍しい草花も多く、いつ来ても目を楽しませてくれる。
しかし、美しい花を見ていても、今一つ気が晴れない。
案内状のことは解決できたが、それ以上に気になることが多すぎて、胸の中に重たい石でも入っている気分だ……。
呼吸の息苦しさを解消するように、わざと大きなため息をついた。
「ルドウィク……さん?」
庭園の中で、突然誰かから呼び止められた。
この声、まさか……?
ゆっくりと声の方向に視線をやると、噴水横のテーブルで、こちらに向かって微笑んでいるアレシアが立っていた。
なぜこんなところに……!?
「やっぱりそうでしたのね、先程はどうもありがとうございます」
アレシアはお辞儀をすると、笑顔のままこちらに近づいてきた。
先に帰ったのではなかったのか?
「いえ、特に何もしておりませんが……。ところで、なぜこんな場所で?」
「最近この場所を知ったのですが、時間があるときはここで読書をするのが楽しみなんです。この真っ白な木香薔薇の香り、たまらないですよね! 私の国では黄色い品種しかないんですよ、しかもこんないい香りはしません」
「へえ、そうなのですか」
「そうなんですよ。それにこんなにお天気のいい日が続かないので、この国が本当に羨ましいです」
アレシアは、近くにある薔薇の花を手に取り、目を閉じて香りを楽しんでいる。
そして、大きな碧色の瞳をぱちりと開けると、こちらに向かって微笑んだ。
その表情はあまりに子供のようにくったくがなく、先程の雰囲気とはまったく別人のように感じた。
穏やかな印象と、逃げ出したくなるような嫌な感じ、そして、リュシエンヌに見せる感情のない顔。いったい彼女は何を考えているのだろうか……。
「先程は案内状をありがとうございました。わたくし、貴重書架でお話を聞いてから、すごくお茶会楽しみにしているんです」
アレシアはそこまで言うと、周りをきょろきょろと見渡すような素振りを見せた。
「どうかされましたか?」
「あ、ごめんなさい。ルドウィクさんお一人なのかなと思って……」
「私がですか?」
「ええ。リュシエンヌさんがご一緒ではないのかと……」
心臓がどくんと音を立てた。また、アレシアがリュシエンヌの名前を口にしている。毎回話題に出すように感じるのは、俺の思い違いではない……。
「リュシならセレーネと買い物に行くと言っていました」
「そうなんですね、てっきりご一緒なのかと思ってました。仲は良いですよね?」
「ええ、婚約者ですからね」
「でも、とても……気を遣っていらっしゃるように見えましたけど……」
そう言ったアレシアの顔に笑顔はなくなっていた。
リュシエンヌを見るときのように、無表情に近いような視線で俺を見つめている。
聞き方にも、悪意のようなものを感じる。
気を遣っているだと? そんなの目の前にいる君と話をさせないためだ。
やはりこれは気のせいではない……アレシアはリュシエンヌに対して何か思うところがあるようだ。
言いようのない気持ち悪さが全身を襲った。うまく返す言葉が思いつかない。
そんな俺の気持ちをわかっているのかのように、アレシアはじっと瞳を見つめたままにっこり微笑んだ。
「ルルさんやセレーネさんとお話ししてる時と違うように感じてしまって……でも、婚約者ですから当然ですわよね、ごめんなさい」
「いや、別に……」
ここで憤っても良いことはない、早く会話を終わらせるほうがいい。
そして、今までと同じように、リュシエンヌを彼女に近づけないことだ。
アレシアが何を考えているかはわからない、だが彼女は他国の王女だ。ずっとこの国にいるわけではない。
彼女のペースに乗らないように早めにこの場から去ろう。
「では、アレ……」
「あっ! 待ってください、これは持って帰っても良いのかしら?」
俺の言葉を遮るようにアレシアは声をあげ、足元に落ちていた木香薔薇の枝を指さした。風で折れてしまったのか、枝にはたくさんの蕾がついている。
しゃがみこもうとするアレシアを制止して、木の枝を拾い上げた。
「これは自然に折れたようですね。持って帰っても構いませんが、ご希望であれば教会の者に行って何本か切らせますよ」
「いえ、それが欲しいんです」
アレシアは俺の目を見つめ、真っ白で細い腕をこちらに伸ばしてきた。その手は指まで白く、指先は薔薇色をしている。
自分以外であまり見慣れない緑の瞳は、瞬き一つせず、視線をそらさない。
「ルドウィクさんも、緑色の瞳なんですね」
アレシアは、少し色の薄い睫毛をゆっくりと瞬かせた。
「はい。先祖にスナッグ地方出身の者がおりますので、多分そこからだと……」
問いかけに答えながら、目を伏せる。気が付くと息を止めていた。
差し出されたままの手に木香薔薇の枝を渡すと、彼女は両手で受け取っだ。
「スナッグ地方は私の国のお隣ですわ。なんだか嬉しい」
そう言って笑顔を見せ、薔薇に顔を近づけて香りを確かめている。
リュシエンヌも、ここを通るたびにアーチに顔を埋めるほど近づける。この季節はこの場所で読書をすることも多い。
やはり二人の趣味はよく似ている……。しかし、彼女とは全く違う。
「ではアレシアさん、私はこれで失礼いたします」
「ちょっと待ってください」
頭を下げる俺を引き留めるかのように、アレシアが声をあげた。ああ、今度は何なんだ?
「なんでしょうか?」
わざとらしいほど恭しく礼をしながら、顔をあげる。
「貴重書架を、27日に開館してほしいのですが、かまわないでしょうか?」
「はい。調べなくてはいけませんので、また後日連絡いたします」
「ありがとうございます……あと、私のことも皆さんと同じように『アレシア』と呼んでいただけませんか?」
「……それは、難しいです」
「リュシエンヌさんが……」
アレシアがまたリュシエンヌの名前を出したかと思うと、今度は口ごもった。
イライラしてはいけないのはわかっている、しかし胸の不快感が限界に近づいている。
「私の婚約者が、なんでしょうか?」
「リュシエンヌさんのこと、怖いのですか?」
「は?」
つい、自然と声が出てしまった。相手は王女だというのに怒りが抑えられなかった。
さっきから何が言いたいのか? リュシエンヌと俺の何を知っているというんだ。
リュシエンヌから聞いた前回の酷い人生。そこで、アレシアと恋に落ちてしまったということが、いま不愉快でたまらない。
「ごめんなさい、忘れてください」
取り繕うように早口で言ったかと思うと、アレシアは頭を下げた。
どう返答するのが良いのかわからない、もう話すのも面倒だ。
「では、27日の開架は改めて連絡いたします。失礼いたします」
アレシアが頭をあげる前にこちらからも深々と頭を下げ、彼女を見ないようにして背中を向けた。何を聞かれても、もう絶対に振り返らない。
いつも以上に早足で、甘い香りがたちこめる庭園を後にした。
後ろに居るアレシアが、どんな表情をしているかさえわからなかった。
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