#3b ”ワガママ”の力

「シャツがもうビリビリのドロドロだし、僕もちょうど良かったよ。

あらよっと」


「っ・・・・!!

ちょっ、い、いきなり脱がないでっ!!」


「え、あぁごめん、眞澄さん」


「・・・・あぁ、もう、値札付きっぱなし。

ほら、ハサミで切らないと・・・・」


「あー・・・・ありがとう、眞澄さん」


「肌着くらい、ちゃんと着てないの?」


「いやぁー暑いし、洗い物も増えるしで、夏はね」


「・・・・男の子って、こうなんだもの・・・・」




結局、光弥は更に、適当な英語がプリントされたTシャツと、動きやすいジーンズを追加で拝借し、着替えを済ませた。


元の学生服は放置することにした。


曲がりなりにも1年以上も着た私物を捨てていくことに抵抗を感じるも、持って行っても仕方ない。


特に、光弥の衣服は血糊まで付いていて、ハンカチ代わりにもなりはしないし。


少し体を動かして、着心地を確かめる。


それから、光弥は改めて店の方を向き、丁寧に頭を下げた。


「・・・・そいじゃ、僭越ながらお借りします、っと」


「・・・・お借りします」


梓と揃って一礼をする。


感謝と礼儀は、見せる為でなく心がける為、ということで。


(・・・・でも、制服のズボンを捨てるのは・・・・痛いなぁ・・・・。

高いもんなぁ、これ。

とはいえ、ドロドロだし、あちこち切れてるしで、もう履けないもんな。

履けないなら仕方ない、よな。

・・・・仕方ないよなぁ・・・・)


ケチ、とかそういうことでなくて、とにかく光弥にとってとはダメになるまでとことん使い倒すべきと誓っている。


そんな主義ゆえ、此度の行いには忸怩たる思いを禁じ得ない訳で、あからさまに肩を落とす光弥。


しかしそんな様子を、横の梓は見ていなかった。


今の彼女は、なぜかこの先の暗がりにじっと目を向けていた。


「――――ねぇ、日神君?

・・・・誰か、来るみたい」


「え・・・・!?」


不意に呟かれたその言葉に、光弥は一気に緊張を増す。


すぐさま暗闇の向こうへ意識を向ける。


だが、少しして梓のその言葉は、とても不思議な発言であるとも気付かされていた。


重撃剣・嶄徹を扱える"イブキ"たる光弥は、例え素のままでも人並み外れた身体能力を発揮し、視覚・聴覚もまた例外ではない。


その光弥が、感覚を尖らせて警戒をしていも、それでも何も見つけられない。


しかし梓は、先んじて何かを察知し、その上"誰か"とも言った。


対象を人だと特定できている言い回しだった。





「――――」


「――――」




やがて、その疑問に答えが示される。


梓の言う通り、規則的な足音と人の声、息遣いが微かに聞こえてくる。


光弥は思わず、驚いて振り返った。


対して、同じく驚いて見詰め返してくる梓だが、タイミング的にそれは、光弥の突然の動作に対してのものだろう。


何よりも、彼女にはまだ、こんなにも微かな音では聞こえる筈が無い。


「日神君?」


「・・・・確かに、誰かがいるみたいだ。

行こう。

まだ生きている人がいるなら、絶対に助けなくちゃ」


半ば自分に言い聞かせるようにそう言って、疑問は一旦しまいこむ。


実際、今はともかく他の生存者がいることの方が重要だ。


そして、少し歩いたところで、目当ての人物達はすぐに見つかった。


光弥達のような男女の二人連れが、手を引きながら歩いていた。


「あぁ・・・・っ!!」


そして光弥達を目にした途端、女性の方は感極って涙を流し始めていた。


「パ、パパ・・・・っ!!!!」


「おぉ・・・・良かったな、エミ・・・・!!

やっと、やっと生きている人を見つけられたな・・・・!!」


よほど心細かったのか、思わず、といったように男性は声を上ずらせてしまう。


しかし、このまま騒がれてはまずいのは確かで、慌てて光弥は彼に近づき、口を手で塞ぐ。


その際、静かにするよう促す前に、その初老の男性がピタリと黙ったのは、光弥が5mほどの距離を一気に詰めたせいだろう。


驚きのあまり、彼らの顔がそれぞれの直前の表情のまま固まっているのが、少し滑稽だった。




「・・・・先程は申し訳ない。

まだ生きている人間を見て、つい気が逸ってしまってね。

ヒノガミ コウヤ君といったね?

君達は、いったい今まで、どうやって・・・・?」


――――初老の男性はスガワラ タイチと名乗り、連れの女性とは親子だと語った。

見たところは60代くらいの彼だが、まだ量の多い白髪に、同色の顎髭はきちんと整えられている。

細く、少し垂れ気味の優しい眼差しに金縁のメガネを掛けており、まさに老紳士と評すべき年季が伺い知れた。

ややお腹も出てしまっているものの、体つきも立派で背も高く、健康的な立ち姿だ。

しかし、Yシャツに黒いジャケットとグレーのスラックスと云う格好は、それまでの道のりの険しさを物語るように薄汚れている。

ふとした時に出る溜め息や、気だるそうに肩を丸める所作からも、積み重なっている疲労が見えた。――――


「なんと・・・・まだ学生なのに、今まで二人だけで・・・!?

いやはや、見上げたものだが・・・・何処かに隠れてたのかい?」


「いや、僕らは出口を探して、下から登ってきたんです。

スガワラさん達こそ、どうして?」


「あたし達、パ・・・・親子2人で、ここのホテルに泊まってたんです。

あたしは部屋にいたんだけど、いきなり火災報知器が鳴って・・・・」




――――その女性、スガワラ エミは、随分と幼く見える童顔を不安に曇らせながら語る。

薄手のワンピースにジーンズ姿で、その背丈は父親とは頭一つ分ほどは低い。

ここにいる人物達は長身なものが多く、そこに並ぶとなおさら小柄に見えてしまう。

目はくりくりとして大きく、唇や頬の血色も良好。

さらりとした明るい茶色のショートカットヘアは、とても毛艶良くサラサラとしている。

些か幼く見え過ぎてしまうきらいもあったが、しかしそれはとかく健康的で可愛らしい見た目に、上手いこと繋がっているようだった。――――




「――――私はその頃、下の階を一人で歩いていたんだが、慌てて階段で戻ってきて、娘を見つけ出してね。

そこまでは良かったのだが、いざ避難誘導の列に入ったところで騒ぎになり・・・・この有様さ」


「・・・・一人で、下に?

それに、なんか見覚えが・・・・?

・・・・って、やっぱり!!

あの時、救急車呼んでくれたおじさん!!」


タイチの顔を見ていた光弥は、そこでようやっと、1時間ほど前に会話したであると気付いていた。


梓の窮状に取り乱していた光弥を一喝してくれた、印象深い出会いであったはずだった。


しかし、とにかくその前後に強烈な出来事が相次いでいたせいで、互いに思い出されるのが遅れてしまったようだった。


「む・・・・では、もしかしたらそちらの子は、倒れていた女の子かな?

病院にはいけなったようだが・・・・どうやら元気になったようだね」


偶然にしては出来すぎだった。


それも今こんな状況で起こるなんて、としか言いようがない。


ただし、それで盛り上がる2人と違い、光弥の後ろに隠れるように遠慮がちな梓は、ピンときていない様子だった。


あの時の彼女は意識朦朧としていただろうし、無理はないか。


光弥から事情を聞くと、梓は慌てて進み出て、頭を深々と下げた。


「あ・・・・わ、私は眞澄 梓です。

その節は、大変お世話になりましたっ。

今は、何のお礼も出来なくて、申し訳ないんですけれども・・・・」


「いや、なに、私としても、孫のような歳の少女が苦しんでいるのを見ているのは忍びなかっただけだとも」


「孫・・・・」


「もう、お父さん!!

変なこと言って、マスミさんも困っちゃってるからっ」




どうやら、思っていたよりも歳が上だったようなスガワラ姓の2人としばし世辞を交わした後、光弥は話を本筋に戻した。


「――――それで、タイチさん、エミさん?

避難ってどうやったんですか?

生きてる人に会えてなかったってことは、他の人達はもうほとんどそうやって逃げられた、って事ですか?

それとも・・・・」


「ああ・・・・まず警報があって、避難シューターの使用を呼びかけられてね。

実際、それで多くの人が"Buy-laS"の屋上へ避難していたと思う」


「なん・・・・しゅう・・・・?」


「・・・・避難シューター。

避難用の、大きな滑り台の事」


聞き慣れない横文字に目をしばたかせていると、梓が小声で助け舟を出す。


成る程、と光弥は得心した。


この"Buy-laS"という複合施設は特殊な構造で、8Fのショッピングモール部分の屋上には、更に上に乗っかる高層ホテルの出入口と共に、"屋上庭園"とが隣り合ってある。


滑り台くらいでは直接地上へ降りられはしなくても、開けた庭園の方へは素早く脱出できたのだろう。


「・・・・もうすぐで、あたし達だって避難できたの。

けど、その前に・・・・凄い叫び声が聞こえて、廊下の向こうから・・・・あいつらが・・・・」


「・・・・それからしばらくは、客室に隠れてやり過ごしていたんだ。

だが、しばらくして静かになって這い出してきたら、建物はもうめちゃくちゃになっていた。

特に、ホテルの上階部分は、酷いものだ・・・・」


(・・・・やっぱり、あのレクリス達は上階にも出現してたのか。

幸い、避難指示のほうが先んじてたみたいだけど・・・・)


それでも、決して"0"ではありえない。


分かりきっていた事ではあったのに、それでも臍を噛まざるを得なかった。


すると、その時だった。


「・・・・あの、スガワ・・・・えっと、タイチさん。

ちょっといいですか?」


唐突に、はっきりとした調子で話に入り込むのは、梓だ。


次いで彼女は、出会ってから終始、タイチが左腕をだらんとさせている点に注目する。


「――――やっぱり。

腕、怪我してますね」


その言葉通り、てっきりワイシャツの袖部分だと思いこんでいたその部分は、よく見てみると肘から先に、黒っぽい別の布が巻いてあった。


「ああ、済まないね・・・・。

最初にアレに襲われた時に、やられてしまったんだ」


「見せてくださいっ」


言うや否や、梓は真剣な表情でその腕に手を伸ばした。


強い口調、そしてその動きに臆した様子はなく、まるで本当に患者に駆け寄る救命医のようだった。


「消毒はしました?」


「い、いいえ・・・・道具も見当たらなかったし、あたし達、隠れるのに精一杯で・・・・」


「映画だと、よく強い酒をかけたりするものだが・・・・あいにく我が家には下戸げこばかりでね、はは、っぐ・・・・うっ・・・・!!」


改めて見れば、黒色の布だというのにはっきりと血の染みがある事が分かった。


この出血量の怪我にまともな処置もしていないのは、素人目にも良くないと分かる。


「日神君、あっちの店から清潔な服を持ってきてくれない?

出来れば、肌着のシャツ・・・・5枚くらい。

清潔な布が欲しいの」


「ああ、分かった」


「せめて、布の交換はしないと。

少しでも清潔さは保てるはずです」


「あ、ああ」




――――そして、光弥が可能な限りの速さで所望されたものを取ってくると、受け取った梓はすぐに処置を始めた。


「ぐぅっ・・・・」


「眞澄さん、ここは僕が・・・・」


「・・・・平気、心配いらない・・・・。

・・・・っ・・・・」


苦痛を噛み殺すタイチの腕から、布を引き剥がしにかかる。


その下の血生臭ちなまぐささを予期していた光弥が声を掛けるも、梓はそれを気丈に断ってみせる。


実際、血塗れの大きな傷跡に怯んだのも一瞬のことで、汚れた布はハサミも併せて手際良く取り除き、肌着シャツを布巾替わりに血を丁寧に拭き取る。


次いで、今度は別の肌着を適した大きさに切り、包帯替わりに用いて傷口に処置して見せるのだった。


「きつめに、縛りますね・・・・!!」


「ぐぅっ!!

・・・・やれやれ、凄いな、君達は。

うちのエミは慌てるばかりで、こんなに頼もしくはなかったよ」


「な、パ・・・・お父さんっ」


強がりも兼ねるようにおどける父親に、ちょっとムッとするエミ。


しかし、彼女の方もまた、梓の手際に感服しているようだった。


「もう、済んじゃった・・・・。

マスミさんって、もしかしてお医者の卵とかなの?

それにヒノガミくんも、揃って凄く冷静だったし・・・・」


「いやぁ、そんなことは。

でも、一応は僕も昔、応急処置の類は教わったけど、眞澄さんの手際は本当に見事だったよ」


「そんな・・・・こういう技術を、勉強だけはしてたんです。

傍に、がいて・・・・今まで、使う機会の無いままでしたけど・・・・」


意外な技能への賞賛の言葉に、はにかんで答える梓。


そして、光弥はそれを聞いて咄嗟に、犀樹 遼哉の姿を脳裏に思い浮かべた。


が、程なくしてそれは少し違うかも、と思い直す。


(あの子の場合は、怪我する程に迂闊じゃなさそうか?

明癒ちゃん・・・・も、大人しい子だしな。

・・・・もしかして、香ちゃん・・・・)


途端、脳裏に鮮明に浮かび上がる、肘とか鼻っ柱に絆創膏を張りつつ、忙しなく動く元気印。


「あぁー」


「えっ・・・・どうしたの、日神君?」


「い、いや、何でもない・・・・」




――――光弥の勝手な予想の真偽はともかくとして。


最後に余った布地を結びあわせて作った三角巾で腕を保護し、ひとまずタイチへの応急処置は終わる。


「おつかれ」


「・・・・うん」


労いの言葉に梓は言葉少なに応え、瞠目してため息を吐く。


光弥の経験上、大きな怪我というのは見ているだけで精神に来るものがある。


それを弱音の一つも吐かずに、気丈なことだった。


「どうもありがとうな、マスミさん。

楽になったよ。

・・・・しかし、これからどうしたら良いものかな。

おそらく、君達が下から登ってきたというなら、つまりはそちらも・・・・」


「・・・・下の階は、ここよりももっと酷くて、道らしい道なんてもう無いです。

正直、私達の周りに今、がいないことが不思議なくらいで・・・・」


「そんなっ・・・・じゃあ、このまま下っても、脱出できないの・・・・っ?」


「あの、スガワラさん達の使おうとしていた避難シューターって、もう使えないですか?」


「・・・・いいえ。

あの後、あの怪物が壁を埋め立てちゃって、もうダメなの・・・・。

だからあたし達、別の道を使おうと思って・・・・」


って、なんかアテがあったんですか?」


「それは、隣の駐車場棟と繋がった連絡橋だよ。

私達が此処へ来る時に使った道で、最初はそれを見つけようとどうにか下りてきてたんだ。

・・・・しかし、残念だがとっくに先回りをされていた。

よく分からない黒いもので、今や連絡橋どころか周りの通路まで潰されてしまっているよ・・・・」


おそらく、そうして外に通じる道を率先して塞ごうとするのは、あの蟲の習性なのだろう。


先回りで次々と活路を潰されている現状を知り、3人の顔には落胆と徒労感が浮かぶ。


だが、光弥だけはただ1人、精気に溢れた力強い目で、静かに口を開く。


「――――タイチさん。

もう一度、聞きたいんですけど、初めの避難がどれくらい終わっていたかって、分かりますか?」


「・・・・私達の階にいた人たちは、ほとんど脱出できてたと思うよ。

・・・・私達ももう少し・・・・後、もう少しだったのに」


「・・・・そうか、ちゃんと脱出は出来てたんだな・・・・」




場にそぐわない、心底安心した声音に視線が集まる中、光弥はため息を吐いた。


この建物の全域に渡って、大勢の人が"レクリス"の脅威に巻き込まれた。


されど、脱出路は確かに在った。


多くの人がそれで無事に逃げられたと考えるのは、あまりに都合が良すぎる。


でも、あるいはそんな希望的観測はそう遠くないものであるという、その可能性は示された。


それだけでも、光弥は少しだけ、救われた気分になっていた。




「日神君・・・・」


「――――大丈夫、次は僕らの番です。

必ずここから生きて出られる。

そう信じて、行きましょう」


そう言い切った光弥の纏う、一種異様な落ち着き様に、タイチもエミもたじろいでしまっていた。


「で、でもどうやるの?」


「もちろん、その通路を使います。

こんな機会を逃す手は無い。

これだけ動き回れる今の内なら、きっと行ける」


光弥にとって、駐車場棟への連絡通路という選択肢は盲点だった。


ここまで追い込まれては、もはや窓から飛び降りるしか無いか、とまで思っていたのだが、隣の建物へと行けるなら、あの蟲の影響も少ないかもしれない。


それでなくとも、怪物のうろつく建物の中に閉じ込められているより、百倍マシだろう。


しかしタイチもエミも、その発言に揃って難色を示す。


それもそのはず、この提案は"ただの少年"がこの状況で言うには、大胆すぎた。


「君、無茶を言うものではないっ。

まずは冷静に考えなさい」


「タイチさん・・・・」


「これは、君一人の結論とはならないんだぞ。

もしも、途中であの怪物に遭ってしまったら?

そもそも、既に塞がれてしまっていた通路をどう通る?

何か一つでも誤れば、我々などひとたまりもないんだ。

女性達までもつれて、そんな無謀なことは出来ないだろう」


「それは・・・・」


対する答えは、単純明快。


”重撃剣・嶄徹”で、全て斬り臥せて進む。


確かにリスクは有るが、先も言ったように今は何故か蟲の怪物は極端に少なく、目標地点までの距離もそう遠くない。


連絡橋にさえ着けたなら、あとは其処にどうにかして人1人通れる隙間を開けられたら、光弥達の勝ちなのである。


賭ける価値は十分にある筈。


とはいえ、この理屈をどう説明すれば良いのだろうか?


手段自体は至極単純だが、言葉だけで伝えるのは、中々受け入れがたいものだろうと思う。


今ここで巨大な剣と輝く鎧をいきなり出して見せても、それでパニックになられては本末転倒だ。


言い淀んでしまう光弥だったが、その時。


思っても見なかった方向からの援護が、これを助ける事になる。


「彼なら・・・・日神君なら、戦えます。

私達、そうやってここまで来たんだもの」


2人の間に割って入った梓は、揺るぎない口調でそう言い放った。


「――――ね?」


驚く光弥だったが、それも一瞬。


彼女から向けられた真っ直ぐな眼差しに、頷いて応える。


梓の言葉に嘘は無く、ここまでの道は確かに、真っ向から斬り開いてきたものであるからだ。


「で、でも、戦うって・・・・一体どうやって・・・・?」


「・・・・それはきっと、説明するより見たほうが早いです。

私達は日神君に従って、彼と協力して進めば大丈夫。

それに、そうじゃないと、地下から9階分も登って来れてない、ですよね?」


光弥に全幅の信頼を置いているかのように、梓は一気に最後までそう言い切った。


「そ、そうは言うが・・・・。

・・・・その、ヒノガミ君みたいな子が、どうにか出来るなんてとてもじゃないが・・・・」


「・・・・本当に大丈夫なの?

あたし達、ここから出られるのっ・・・・!?」




共に半信半疑。


されど、固く信頼を通じ合わせているように見える光弥と梓の様子に、タイチ達も揺らぎ始めていた。


信じきれない、しかし期待を隠しきれないエミの問いかけに、光弥は頼もしく応えてみせる。


「あの虫の化け物は、僕が相手します。

・・・・どのみち、もう上にも下にも行けないし、助けを待つってのも望み薄です。

だったら、正面突破してやりましょう」


こうして光弥と梓、2人がかりの説得に、タイチとエミはついに首を縦に振ったのだった。


特に同行者である梓の言が、大きな要因となってくれたのは間違いない。


そして光弥は、正直に言えば、梓がこんなにも積極的に支持してくれたことに、驚いてしまっていた。


「日神君――――」


果たして、それは彼女のある考えに基づいての行動だったようだ。


「――――タイチさんの腕の怪我、やっぱり良くない。

もしも化膿したりすれば、此処では治療も出来ないし・・・・せめて、消毒くらいはしないと・・・・」


梓は、タイチには聞こえないように耳打ちする。


確かに、こんな不衛生な環境では、いつ危険な感染症を患ってもおかしくない。


考えていた以上に、より素早く動くよう心掛けるべきだろう。


光弥は得心して頷いた。


「じゃあ皆、急ぎましょう。

僕が先頭で、道を拓きます。

出来る限り派手に引きつけるけど、となったら眞澄さん・・・・頼むよ」


「ええ。

・・・・効かないことは無い、はずよね」


すぐに光弥の意を汲み取った梓は、ポシェットに手を伸ばす。


そこから重たげに取り出したもの。


それは、より一層に重い覚悟と共に受け取った、あの拳銃けんじゅうだった。


「え、それ、ぴ、ピストルっ!?

どこで拾えたの、そんなの・・・・!?」


「・・・・軍人さんみたいな人から、貰いました。

使い方は、テレビとかで見たことしか無い、ですけど」


「でも、無茶はしないでいい。

僕達がすべきは、なによりも出口を目指すことだ。

要は、これがホントの逃げるが勝ちってヤツ、さ。

――――って、そんな睨まなくても」


「つまらない。

それに、笑い事なんかじゃない。

・・・・失敗なんて出来ないんだから」


「ああ、分かってるさ」




不安を拭えないながらもしっかりと拳銃を握る梓に、緊張を伺わせつつも平静を保っている光弥。


場馴れの賜物か、それとも天然なのか、冗談を交わしあう余裕すらも垣間見せる。


これから大事を行おうとしているとは思えない、2人のリラックスした様子に、タイチはふと小さく笑いだす。


「いやはや、なんとも頼もしいな。

・・・・すまないな、2人共」


唐突に謝罪を口にするタイチの意図が図りかね、疑問符を浮かべる光弥と梓。


タイチは、いや、と1つ前置きし、更に深くため息を吐いた上で、徐ろにその意を語りだす。


「・・・・君達と来たら、この中では年少だと言うのに、見上げた度胸だと思えてね。

それに引き換え、私と来れば・・・・この歳ともなると、つい若者を侮ってしまうくせに、実際には気遣われている側だ。

此処へ来るまでも、娘の足手纏にならないように、精一杯だったしな」


「お、お父さんっ、そんなこと無いのに・・・・っ」


「いや、歳のことを持ち出すのとて卑怯かもしれん。

これまで、こんな怪我がなければ・・・・と、思ったりもしたが、おそらくそれも負け惜しみでしか無い。

・・・・正直に言うと、私にはもう自信が無いんだ。

とてもじゃないが、君達のように堂々としてはいられない・・・・」


「・・・・タイチさん・・・・あの、私・・・・」




これまでになく肩を丸め、憔悴した様子を見せるタイチ。


おそらくは、此処に至るまでに積み重なった疲労。


加えて年長者として・・・・そしてとしての責任感の一方で、これに値しない己への引け目。


幾つもの重荷を負って張り詰めていた精神が、しかしこの一時にふと緩まり、こんな陰りとなって現れているのだろう。


されど、もしもこれが逆の立場であったら、光弥だって同じように落胆してしまっていたかもしれない。


正体不明の怪物と異常な景色、場所。


決然としてそれらと戦おうとする、妙に肝の据わった年下の少年少女。


理解の追い付かない状況で、それに対する手段すら無いとなれば、きっと冷静でなんていられない。


後ろで怯えて頼るばかりの自分が堪らなく心許なくて、歯痒い気持ちに苛まれるだろう。




「――――もし本当に、そうだったとしてもですよ、タイチさん」


「「 ひ、日神ヒノガミ君・・・・っ !?」」


「だとしても、タイチさんはエミさんと一緒に、此処へ来れた。

あの怪物達に襲われたって、しぶとく考えて、”出来ること”をやってきた。

そんな結果は間違いなく、一緒くたに卑下してしまって良いことじゃないんだと、僕は思います。

・・・・もしも本当の臆病者だったなら、立ち上がれすらしなかったはずだ――――」


歯に衣着せない言い方で話し始めた光弥に、目を見開く梓とエミ。


だが、光弥は言葉を緩ませず、されど順序立てて評価を述べる。


きっと、今のタイチに必要なのは、既に過ぎ去った場所へ半端な慰めではない筈だった。


に必要なのは、其処に向き合う自分の姿を見定めること。


自分を立ち上がらせられるのは"自分自身"なのだと、光弥は骨身に染みて知っていた。


「――――タイチさんは誰かを守って、その前に立っていた。

何の安全の保証もなくて、怪我までしてたのに、それが出来た。

それはきっと、冷静じゃなくても、勇気でもなくとも、それ以上に譲れないワケがあった。

たぶん、ただの、格好良くは括れない根性が、在ったからじゃないのかな」


「・・・・根性、か。

個人的には、そういうとは縁遠かったはずなのだが・・・・そうだな。

・・・・やはり、横で娘が泣いていたら、親として何かをしないわけには行かない。

不安で居ても立っても居られない。

・・・・それくらいは、思っていたかもしれないな」


「お父さん・・・・」


「・・・・そうっすよね。

”もう絶対に退けない”、だったら仕方無い。

あとは、ビビってようがなんだろうが、そうやってを張るしかない、ですよね」




それこそは、理屈や言葉よりも先。


己の奥底に在って、揺るがぬもの。


どうにも不条理で、だけどという時にだって頼れる強い衝動。


光弥はそれを、青臭くてちょっとダサい形に言い直し、ニッと笑う。


すると、タイチは一瞬眼を見張って、今度は大きく吹き出した。


「く・・・・はは、はははっ・・・・!!

意地、か。

そうだな・・・・それは良いなぁ・・・・」




さっきの皮肉げな顔とは違い、とても愉快そうにタイチは笑う。


たぶん、胸のつかえが下りた気分なのだろう。


これでもいいんだと、自分を認められた。


格好良くなんてなれないし、怖いもの無しと取り繕う余裕も無い。


でも、たった一つの譲れないものの為に、負けん気を振り絞って、挑んでやる。


そうする事が危険でも、無意味だろうとも。


折れるな、踏ん張れと、築き上げてきた"己"が叫ぶ。


無闇矢鱈にしがみつく、そんな姿だってまた1つの戦いなのだと、きっと納得がいけたのだろう。




「すいません、生意気言って」


「いや、良いんだよ。

では行こうじゃないか、ヒノガミ君。

せいぜい意地張って、格好悪くな」


「へへっ・・・・うっす!!」




「・・・・ね、あたし達ったら・・・・心配損・・・・?」


「・・・・かも知れない、です・・・・」




妙に通じ合い、砕けた調子で言葉を交わす男2人に対して、蚊帳の外に置かれた女2人は呆気に取られて見ているばかり。




ただ、一つ梓には、伝わったことがあった。


何の力もない、梓と同じ立場――――むしろ怪我をしている分、梓よりも苦しい状況のはずのタイチ。


けれど彼は、光弥と同じように力強く笑って見せている。




――――自分がまっすぐに動ける選択が、困難の中を進む力になる――――




”ワガママ”な自分を尊重する光弥の説教は、本当なのかもしれない。


そう梓に思わせるのは十分な、頼もしい姿だった。




――――To be Continued.――――



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