#7 地の底から、始まる
<・・・・――――・・・・っ・・・・!!>
何かの音が、耳元から忙しなく聞こえてくる。
音の強弱が湾々と行き来する違和感に、光弥の意識は再度繋がった。
「――――日神君、起きてっ――――!!」
呻きながら眼を開けると、すぐ目の前に泣き出しそうな梓の表情がある。
声を潜めながらも、必死に光弥を案じる声音に、徐々に記憶が呼び戻される。
「あぁ・・・・良かった・・・・っ。
日神君、全然動かないで・・・・ぐったりして倒れたままで、私――――」
「・・・・そう、だ・・・・っ!!」
極めつけに、光弥に残る傷痕が数珠つなぎに痛みを発し、完全な覚醒を迎える。
途端に光弥は戦士の身のこなしで跳ね起きて、警戒を巡らせた。
(化け物虫の親玉に襲われて、それから落ちた筈だ・・・・っ。
まだ奴等から離れきれてないだろうし、しかも暗くて、ほとんど見えないぞ!?
こんなところで襲われたら、まずい・・・・!!――――)
だが幸いにも、辺りに蟲の物音、幽光。
そして邪な気配も、少なくとも近くには見受けられないようだった。
たっぷり30秒は待ってから、光弥は僅かに安心する。
態勢を整える暇くらいはどうやらあるらしい。
「――――眞澄さん、一先ず隠れるんだ!!
とにかく、こんな何も見えない場所にいるのは、危険だ!!」
急激な動きは身体へ痛烈に響き、光弥は思わず顔を歪める。
しかし、こうしてここで無防備にいるのは悪手極まりない。
ところが、その意を察した梓と2人、揃って立ち上がろうとした途端、彼女の身体がぐらりと傾いだ。
「あぅっ!!」
「っ!!
眞澄さんっ、どうかしたっ!?」
「・・・・脚をひねったみたい・・・・でも、きっと少し休めれば心配ない、から・・・・」
咄嗟に光弥は、梓の身体を支えながら、少し先の細い通路へ向かう。
暗闇にもやたら白く映える清潔な壁へ梓を寄りかからせ、自分は少し離れた所に倒れ込むようにして座り込む。
身体中の神経という神経が悲鳴を上げるようだったが、それでももう既に、先程よりだいぶマシになってきている。
光弥の経験から言って、普段通りに動けるようになるまで、そう時間はかからないはずだ。
「――――ここならとりあえず、前後だけ気にしていればいい。
また、どこぞからいきなりデカいのがいきなり現れるなんてのは、勘弁だもんな」
光弥の言う"デカいの"・・・・即ち、大きな怪物を指す言葉に、梓は大袈裟なくらいに身を震わせ、うなだれた。
「・・・・私達・・・・落ちた、のよね?
あの・・・・"怪獣"、に追い詰められて、それから・・・・」
「たぶん、ここは"Buy-laS"の地下階だ。
きっとあの時、あの虫の親玉の所為で、床が抜けたんだ。
結構な距離を落ちたことは覚えてる」
光弥は、先程まで寝そべっていた場所の頭上に広がる、黒々とした空間を見上げ、思う。
――――完全に打つ手無しの場面で、何の偶然か起こった崩落。
下手をすればそのまま死んでいてもおかしくない災難であるが、そのお陰で光弥達は逃げ切れた訳でもあり、然らばこれは幸運だったと言えなくもないか。
「・・・・・・・・・・」
どこか達観して片付ける光弥だったが、しかし梓の方はそう易々と割り切れる筈もなく、小刻みに身体を震わせていた。
俯いて、虚ろな視線。
無意識にか震えている両手指で、手に持ったハンカチを弄ぶ仕草は、恐怖を誤魔化そうとする気持ちの表れだろうか。
それでなくても、あんなにバカでかい"虫"に追い回されては、特に彼女の心中たるや、察するに余りあるとも言えるか。
「・・・・落ち込んでるのは、仕方ないか。
身体の具合はどう、眞澄さん?
どこか、他に痛いところは?」
「・・・・平気、心配しないで」
梓の容態を伺ってみると、彼女らしい端的な返事が帰ってくる。
たったそれだけでは判断材料として不足気味だが、とりあえず外傷の類は無さそうに見えた。
「・・・・って、それ、血っ!?」
と、光弥は一拍遅れて、梓が弄んでいるハンカチには、血が染み込んでいることに気付く。
慌てて梓の姿を検める光弥とは対象的に、彼女は至って冷静に、そして居心地悪そうに身体を縮込ませた。
「・・・・私のじゃない、日神君の。
私が目覚めたら、貴方は倒れてて・・・・返事もしないで。
頭から、凄く血が出ていたから・・・・だから・・・・」
驚きながら、光弥は思わず違和感のある側頭部辺りを撫ぜる
強い刺されるような痛みと、出血が乾いた時の感触とが感じられた。
「そう、だったんだ。
・・・・ごめん、せっかくのハンカチ、そんなにしちゃって」
「・・・・別に。
貴方が庇ってくれなかったら、きっと私・・・・どうなってたか、分からないし」
それきり、梓は黙り込んでしまう。
とにかく、体の不調をやせ我慢している訳では無いようで、光弥は少し肩の荷が下りた気分になった。
「・・・・私達、もう逃げ切れたの?」
ややあって、少しだけ顔を上げた梓が、不安なそうに問いかけてくる。
「そうなら良かったんだけどね・・・・ほら、あれ」
同意したかったが、生憎な様子で光弥は辺りを見渡す。
今座り込んでいるのは、商業施設らしい小綺麗に舗装された通路。
しかし明かりはとうに落ち、所々崩れた壁材の残骸がそこかしこに転がり、荒れている。
そして、通路の所々にへばりつく黒い物質は言わずもがな、あの蟲達が作り出したであろう、粘液状の物質だ。
「・・・・!!」
「命拾いはしたけど、まだ危険な状況に変わりないみたいだ。
動けるなら、すぐに移動しよう。
・・・・じっとしてたって、きっと事態は良くはならないしさ」
光弥の言葉に、梓は無言のまま、どん底の暗さで頷いて答える。
正論なのだが、少しはっきりと言い過ぎただろうか。
「・・・・にしても、あんなヤバイ状況から、戦わないで抜け出せるなんてさ。
僕達、酷い目には遭ってるけれど、割とツイてる方かもしれないな」
「・・・・本当にツイてるなら、そもそもこうしてる筈ないじゃない」
「あ・・・・はは、それもそうか・・・・ごめん」
励まそうとおどけてみるも、残念ながら空振ってしまう。
語気を強めた梓に押されて、またそのまま互いに押し黙る。
咄嗟に、香や正木と同じようなつもりで軽薄に口を開いたのを若干後悔する光弥だった。
気まずい感じに会話が断ち消えてしまって、暫し。
不意に梓は、腕時計に視線をやった。
「14時、58分」
誰に言うでもなく呟かれた時刻を聞いて、光弥は軽い驚きを感じた。
その時間が確かなら、光弥が"Buy-laS"に来てからまだ1時間も経っていないことになる。
「・・・・もう半日くらいは経ってる気がしてたんだけど、気のせいだったか」
月並みだが、濃密な体験は時間の感覚までも疲弊させる、という話を実感する。
それほど短時間で、ここまで事態が悪化するなどと、一体誰が予測できただろうか。
「――――もし・・・・こうなる事をその前に知ってたら、どうしていたかな。
こんな危ない事に、関わる必要も、その資格も無いって、思い知ったばかりで。
香ちゃんだって、一緒にいた。
・・・・なら僕は、なんとしてでも此処に近付かないようにしてた、のかな」
思わず、そして同じように光弥も、誰に言うでもなく口を開いていた。
選び損ねた心残りを虚しく引きずる行為だとは、分かっていた。
それでも、ここに至るまでに見てきた様々な悲しみ、喪失に、考えずにはいられなかった。
光弥は今、図らずも抱えた悩みの全てを引き連れたまま、事の中心にいる。
いざ今、こうして直面している危険は、事前の想像など遥かに超えて悲惨で、そして恐ろしい。
眼の前で起こり、止められもしなかった惨劇。
そして、それを解決するどころか、"最初の覚悟"すらも躊躇ってしまった己の体たらくへの無念が、胸に重く募っていた。
「・・・・眼の前で人が傷つくのは、苦しい。
それをしようとするものを、許せない。
分かってたって、決めていたって・・・・やっぱり、恐い。
それを防ぎたくて、戦う・・・・それは、もっと恐いし、苦しい。
・・・・でも、戦わないまでも、こんな酷い事を止める為に、何かが出来た筈だ。
皆に危険を知らせたり、無理矢理にでも追い出したり――――」
それらのどれか一つでも、もっと出来なかったのか。
決然として事態と向き合い、もっと助けられなかったのか。
あるいは・・・・昨夜言われた通りに、光弥の存在がこの事態を引き寄せてしまったのか。
そんな埒もない考えが止め処なく渦を巻き、頭の中を埋め尽くされそうになる。
そして今の光弥は、自己嫌悪に紛れ込みそうになっている幾つかの思考を、押し流されてしまう前に言葉に変えて残す、悪あがきのつもりだった。
されど、そうしてみて改めて気付ける想いも、またあった。
光弥は・・・・
その答えは・・・・多分、否だった。
「――――けど、それは多分、"人の為"に向き合えてないんだ。
その考えは、きっと違うんだ。
命が懸かってるなら、失敗は許されないなら・・・・出来る全てで、挑むしかない。
ここには大勢の人がいて、その誰もが、あんな化け物の暴力に晒されて良い筈がない。
・・・・結局、考えることは変わらない・・・・単純だな」
例えどんな手段を選んだのだとしても、光弥はきっと、いっそ呆れてしまうほどに、同じようにこの場所に至っていたのだろう。
危険であって、皆に心配をかけるのも分かっていて、どんなにみっともなく躊躇ってしまったって、それでも光弥は、動き出さずにはいられない。
振りかざされる暴力と、そして何よりそれを見過ごす自分を、決して許せないのだろう。
と、光弥にしてみればただの独り言だが、傍の梓は嫌でも聞かされる形になる。
そしてそれに対する反応も、その視線共々冷えきったものだった。
「・・・・そんなの、綺麗事ばかりみたい。
例え命が懸かってたとしても・・・・それで本当に、傍にいる人を裏切れるの?
・・・・私には、その方がよほど恐いし、したくもない・・・・」
梓は、沈んだ声のまま、光弥の思考を辛辣に評した。
だがそれは、他者からの視点で浮き彫りにされる、光弥の勇み足の証明でもあった。
実際、今のようにどうあっても立ち向かわねばならない状況にあればこそ、ここまで腹を括れるという側面もあることだろう。
思い返して、前にもこうして勇んだ考えを指摘された事があって、光弥は憂鬱そうに頭を振る。
躊躇っては届かず、迷っては諸共に死ぬ。
その厳しさを身を以て知った今、こんな履き違えた無謀さに縋り付こうとするのは、恥でしかない。
「・・・・それもそう、だね。
結局、一度は怖気づいて、遠くにいる内ですら、さんざんビビって、迷ってた。
そんな場所から、いきなりそこまで思い切れる筈もない、か。
・・・・これじゃ、ただの格好付けみたいだ、はは・・・・」
「・・・・でも、貴方もきっと・・・・そうするのかもしれない・・・・」
「え・・・・?」
「――――電話、やっぱり繋がらないみたい」
僅かに聞こえたと思った呟きは、あるいは聞き間違いだったのか。
目を瞬かせる光弥をよそに、梓はいつの間にか取り出した携帯電話を手に、徐ろに呟いていた。
それは現状で唯一外と連絡できる手段であるが、しかし繋がらないとはどういうことなのか。
「・・・・圏外なの。
やっぱり、地下、だから?」
「・・・・なんにせよ、こっちから助けは呼べない、か」
とはいえ、誰に話せば助けてくれるのか。
あんな化け物相手には、あの"ヴァンガード"達に直電でも出来ない限り、何処と繋がろうが対して差はないだろう。
「・・・・明癒ちゃん、りょう君、香・・・・大丈夫、よね・・・・」
「たぶん、あの場の怪物はほぼ全て僕達に向かってたと思う。
だから、皆の方は・・・・ある程度安全だと思うけど」
「・・・・ねぇ、貴方のスマホは、どうなの?」
思わず、光弥の身体が強張った。
こんな状況だが、できれば聞いて欲しくなかった。
答えたが最後、彼女を酷くがっかりさせるだろうと分かっていたから。
「・・・・ごめん、持ってないんだ、ケータイ。
普段から、あんま持ち歩かなくて・・・・」
「え・・・・い、今時・・・・っ!?」
この原始人め、などと、正木と香の罵倒が同時に聞こえた気がした。
全くその通りで、散々普段から言われていたにも関わらず、楽な考えを振り切れなかった結果がこの体たらくだ。
信じられないものを見る梓の顔が、居た堪れない。
「面目ない・・・・」
「・・・・有り得ない」
「生憎と、此処に・・・・」
ぐったりと脱力して項垂れる梓に、光弥は平謝りするほかなかった。
「――――でも、助けはきっともう来てると思うんだ。
あの怪物が現れてから、随分時間も経ってる訳だし」
誤魔化そうとする訳ではないが、希望的観測をあえて口にする。
だいぶ参っている梓を励ましたかったからだが、しかし何の根拠もない予想という事でもない。
「・・・・あんな気持ち悪いの、誰がどうしてくれるのよ・・・・」
「そういう人達がいるんだ。
あいつらをあっという間に退治してくれる、凄い・・・・"人”たちが、さ」
「・・・・それは、銃を持っていた人達の事?
でも、全く敵わないみたいだった」
「でも、あの人達の"隊長"なら、きっと心配無い。
あの二人が来れば、必ず何とかしてくれるはずだ」
"対レクリス事案特別対応組織・アンヴィル"。
まさに軍人、といった冷静さと、行動を見せてくれた神保は、そう名乗っていた。
聞き覚えのない名前であるが、あの危険な化け物共に対抗する組織がある事には、不自然は無い。
そして実際に、"レクリス"を倒すために行動する人員の姿も、光弥は目撃している。
これほどの惨状を、"ヴァンガード"たるあの2人が見逃す事は無い筈だ。
「・・・・本当なら、嬉しいけど・・・・」
(前に、
梓の半信半疑の表情に、光弥は口惜しげに思う。
口には出さなかったが、実は先程から光弥は、レクリスの放つ真っ黒な気配を感じ続けていた。
近くはないが、確実に、そして無数に存在している。
以前は、そういった中からスパーク・レディこと、赤毛の"美女"の気配を掴めたのだが、今はさっぱりだった。
まだ、あの2人が到着していないのか、それともレクリスの気配に紛れて分からないのか。
光弥は、後者である可能性を切に願う。
今は隠れられているが、もしまた見つかり、追い詰められるような事になれば、次はもう無い。
弱っている梓と自分だけでは、あの蟲を退けて脱出するのは不可能だ。
「あれ――――?」
その時、ふと光弥は引っかかりを覚えた。
理由は、すぐ目の前で見つかった。
さすがに俯いていて表情も暗い梓。
しかし、その呼吸は落ち着いているし、どこかを庇うような不自然な仕草も無い。
「・・・・眞澄さん、さっきまでずいぶん具合が悪そうだったけど、もう大丈夫そう、だね・・・・?」
「・・・・平気、みたい。
胸も、もうあまり苦しくない。
頭が少し、ズキズキするけど」
「治った、って事?」
「――――分からないの。
そうならいいって良いって思うけど・・・・でも自信がない。
あの怪物にまた襲われたら、きっとさっきまでみたいになると思う。
・・・・前も、そうだったもの」
梓は、自身の変調がレクリスと関係があるのに、とうに気付いていたようだった。
そして怖がっていた。
奴らがただ現れるだけで、梓は身も心も苦しめられ、更には命までも容赦なく狙われるのだから。
「・・・・どうしてそうなるのかも、分からない。
もうあんなに痛いの、嫌なのに・・・・っ。
でも、きっと・・・・避けられない・・・・」
震える声で、梓は内心の不安を吐露する。
取り繕える筈もない、怯え引きつった顔で、彼女は救いを求めるように光弥を見詰め返した。
「私、どうなってしまうの・・・・?
こんな場所に・・・・こんな事に、なってしまって・・・・っ」
「・・・・眞澄さ――――」
「――――これから私、どうすればいいの・・・・っ!?
明癒ちゃんも、りょう君も、香もっ・・・・どうなったのっ!?
・・・・何も、分からない・・・・。
何処も真っ暗で、誰もいない・・・・っ。
怪物ばかりで、逃げ場もない・・・・っ」
「眞澄さん、気持ちは分かるから、落ち着いて・・・・」
「落ち着けるわけないっ!!
・・・・どんどん、どんどん、追い詰められてるっ。
それにっ・・・・貴方だって、見たんでしょ・・・・!?
あの・・・・凄く大きな、"何か"を・・・・っ」
「!!」
話し合う間、敢えて互いにそれには触れないようにしていた節はあった。
光弥達が此処に落ちてしまった、その最大の要因。
意識を失う直前に見た・・・・牛やら象やらどころか、鯨よりも大きいかもしれない、何かについて。
「あんな・・・・あんなにも大きくて、恐くて・・・・黒いもの・・・・っ。
どんな生き物だったら、あんなにも恐ろしい声を出せるの・・・・っ?
・・・・もしもまた、あれに遭ってしまったら、どうするの?
・・・・私・・・・恐い・・・・っ」
「・・・・・・・・・・」
止め処なく身体を震わせている梓は、思わず光弥が伸ばした手にすらも酷く怯えてしまう。
(――――やっぱり彼女は、"アンヴィル"とは何の関係も無いんだろう。
この期に及んで、隠す意味なんて無い。
安心できる材料なんて何も無いまま・・・・こんな事に巻き込まれてしまったんだ)
怯懦する梓の様は、そう確信するには十分に痛ましく、そして胸が締め付けられるように哀れだった。
苦しみと痛みが待つ事は分かりきっていて、されど彼女自身は逃げるすべも、抵抗する手段すらもない。
先刻、二の句も継げないほど苦しんでいた様子を見れば、二度と味わいたくないという彼女の気持ちも容易に想像できる。
だが、光弥はそれでも、全てに目を瞑って告げねばならないと、分かっていた。
「――――だからこそ、尚更に急がなきゃならないんだ。
眞澄さんが動けるんなら、もう行こう。
だいぶ目も慣れてきたし、今なら進めそうだ」
「そんな――――!?
悲痛な訴えをまるで無視するかのような光弥の冷静さに、言葉を失ってしまう梓。
思わず、こうと固めた意思も揺らぎそうになる。
だがそれでも、光弥は躊躇いを振り切って、そうしなければならない理由を述べる。
「戦いは、きっと避けられない。
僕らの助けになってくれる人達も、いずれは来るだろうけど、でもそれじゃ遅すぎるんだ。
きっと、それよりも先に、奴らに見つかって襲われる。
もしもそうなったら、こんなに狭くて暗いところじゃ、戦うことも難しいんだ」
立ち上がる光弥だが、梓はそれには続かず、伏し目がちに言い淀む。
筋の通った意見だとは、おそらく彼女も分かっているはずだ。
ただ、梓をまるで鑑みていないかのような光弥の非情さに、少なからずショックを受けたようだった。
「――――聞いてくれ、眞澄さん」
無論、そんなつもりは無かった。
光弥は最大限に考え、2人で生き残る最善の選択をしているつもりだ。
だが結果としてそれが無情な理屈に思われてしまったのなら、今はなによりも、彼女を励ます事が先決か。
「必ず守るって、必ず日常に帰してみせるって言ったのは、嘘なんかじゃ無いんだ。
僕は、それが出来る"力"を持ってる。
十分とは言えないかもしれない。
だけど僕は絶対に負けないし、諦める気もない。
顔を上げて、此処から生きて帰る為に、全部を懸けてみせる。
――――そうだ、これ見て!!」
言葉だけでは力不足を感じて、何かもう一つ、梓の不安を和らげられる事があれば。
考えた末に、光弥はふとその根拠になるかもしれないものを思いつく。
そして、もはや半ば血の吐いたボロきれと化した学生服のシャツをバッと脱いで見せていた。
「っ、き、急になに・・・・っ!!??」
「あ、ご、ごめん、いきなり。
変な意味じゃなくて、ちょっと僕の体を見てくれる?」
恐る恐る、顔を覆った手をどけた梓は、次いで大きく息を呑んでいた。
光弥が指し示したのは、先程までの戦闘で付いた傷の痕だった。
生乾きの血糊が付着してこそいるものの、しかしその下にはもうすっかり薄まった痕跡が残るのみ。
それは本来ならあり得ない事だが、光弥にとっては予想通りだった。
「・・・・・・・・・」
「ほら、もう治ってるんだ。
それだけじゃなくて、僕があの剣・・・・”嶄徹”を手に入れてからは、筋力とか反応速度とかも断然、前より上がってるんだ。
これなら、あの化け物が襲ってこようが、いくらだって戦えるはずだ。
・・・・でも、それだけじゃダメなんだ。
どうしても、敵を倒すのと、眞澄さんを守ることは、同時には出来ないから」
梓の不安を拭おうと、光弥は必死に訴える。
悔しいが、ここまでの戦いで自分の力量と、状況の厳しさは思い知っていた。
さっきの二の舞にならないようにするには、指示して連れ歩く手間すら惜しまなくてはならないだろう。
「――――ごめん、眞澄さんにはきっと無理をさせる事になる。
でも、僕ら二人が問題無く動けている今の内に、できるだけ動いて逃げ道を見つけなきゃならないんだ。
その為の道は、僕が戦って開く。
もし眞澄さんが倒れたって、なんとしてでも連れて行く。
だから、僕を信じ「 待ってっ !!!!」
梓は突然に、驚くような大声で叫んでいた。
切羽詰まった、半ば悲鳴のようなその声に、思わず驚いて口を噤む光弥。
そして梓は、異様なものを見る目で光弥を見詰め返していた。
「・・・・来ないで」
さっきまではあまり合わせようとしなかった視線には、今は畏怖の色が含まれていた。
座ったままで、しかし無意識にか身体だけは後ろに下がらせ、壁にもたれかかる。
激しい動揺が発露するのをかろうじて堪えているように、口元は小刻みに震えている。
さながら、決壊寸前で震える堤防のようだった。
そのぎりぎりの均衡は今にも崩れてしまいそうで、迂闊に口を開けない光弥。
すると、やがて見開かれた梓の眼から、一筋の涙が零れ落ちる。
(・・・・ヤバい、泣かした・・・・)
今度は光弥が動揺する。
思考が音を立てて硬直して、身体までも固まってしまう感じ。
それに対し、混乱の末に溢れ出したその一滴が呼び水だったように、梓の沈黙はとうとう決壊した。
「もう・・・・いったい何なのっ!!??
せっかく買い物に来たのに、私は変な病気で倒れるし!!!!
明癒ちゃんもりょう君も、皆が酷い目に遭うし!!!!」
「なっ、ま、眞澄さん・・・・っ!!??」
「――――あんなに、迷って・・・・でも、勇気を出して・・・・何を話そうか、きちんと整理して・・・・頑張ったのに・・・・っ!!
なのに、あんな気持ち悪いのがわらわら出て来てっ!!
貴方は、"また"勝手なことばっかりっ!!!!」
「わ、分かったっ。
僕が悪かったからっ、待ってって――――」
「 待たないっ !!!!
もう有り得ないっ、信じられないっ !!!!
虫も、暗いのも、高いのも嫌なのにっ・・・・あなただって、あんな危ないものを振り回してっ!!
だいたい、あんな大きな刃物、どこから持ってきたの!?
完全に銃刀法違反じゃない!?
どんな目的で持ってたって、絶対に有り得ないっ!!!!
分かってるのっ!!??」
ごう、と表現すべき物凄い剣幕で、出るわ出るわ、文句の数々。
ここまでに感じてきたろう梓のあらゆる不満とストレスとが、まさしく堰を切って溢れ出ていた。
その迫力で怒鳴りつけられるのも十分怖いが、しかし今この場所でそんな大声を出されるのは、それ以上に怖かった。
「い、いやっ、それどころじゃ・・・・っ――――」
「関係ないっ!!
"独り善がり"は、もうやめてっ!!――――」
光弥のはぐらかしたがる態度を見た途端、激昂する梓はずいと身を乗り出させた。
立ち上がりはしないまでも、激しい気勢を燃やして光弥に否と突きつけて見せる。
「――――私を、無視しないで!!!!
全部、話してっ!!!!
何もわからないままで、信用なんて出来るわけないっ。
・・・・そうじゃなきゃ・・・・一緒になんて、行けない・・・・っ」
果たして、梓が息を切らすくらいに力を込めて言い放ったのは、思いの丈の込もりに込もった、抗議と詰問だった。
そこまで至ってようやく訴える声は止まったが、しかし絶対に譲らないという眼差しの厳しさはそのままだった。
(・・・・"独り善がり"、か・・・・)
安心するのもつかの間、光弥は梓の言った言葉にドキリとしていた。
――――確かに、梓の鬱憤も、求めるものも、当然の訴えだった。
今の彼女は、まるで事態を理解できないまま、訳知り顔の光弥にただ振り回され、要求を押し付けられている。
光弥は、言われて初めてそれは随分と不公平だと気付けていた。
光弥としては、梓の為にも絶対に負けない、必ず守ると奮起し、有言実行してきたつもりだった。
この修羅場の只中ではもはや言葉もなく、ただ彼女の存在と己の意地に懸けて、最後までやり抜くのみ。
であるが、しかし梓にしてみれば、何の説明すらなされないままで乱暴な結果論を言われるばかり。
少なくとも、それでは目的は分かっても、納得なんて出来るはずがない。
光弥の心算通りに"協力して動きたい"と望むのであれば、まずは最低限にでも事情を説明する責任がある。
そうして彼女を蔑ろにせず、先導としての信頼を得るのが正道というものだろう。
「・・・・分かったよ」
得心と、そして誠意の程を示すべく、光弥は大きく頷いて応えた。
思えば光弥自身、周りを取り巻く事情を何も知らず、その焦りから無茶をしたのはつい昨日のこと。
同じ気持ちを味わったのなら、尚更に梓の気持ちに気遣える筈なのだ。
「――――ただ、全部は話せないんだ。
正直、僕も分からないことだらけだからさ。
それと、ここに長居できないのは本当だから、話は歩きながらで。
それで良いかな?」
梓は、ひとまずは望みに適うだけの案を引き出せて安心したように頷いてみせた。
すると、不意にその顔を軽く赤らめ、視線を泳がせる。
「・・・・大声を出して、ごめんなさい。
散々、見つかったら危ないって言ってくれるのに私、勝手なことばかり・・・・」
「いやぁ、そんな。
僕も焦ってて、眞澄さんを気遣えて無かったと思うよ。
まぁ、凄い怒り方でビックリはしたけど、はっきり言ってもらって助かったっていうか・・・・」
「・・・・・・・・・っ」
と、暗がりの中でも分かるくらいに、みるみる内に梓の顔が赤みを増していく。
肌白いだけに大変に分かりやすい。
「―――― じゃないっ !!
いや、ビックリってのは思ってたよりずっと、その、逞しい、というか!!
女の子なのに思わず黙っちゃうくらいの大迫力で凄いなと感心して、というか・・・・」
「もういいっ・・・・」
焦った光弥が慌てて持ち出すのは、やはりというか女性に対して積極的に使うべきでなかろう言葉のオンパレード。
結局、梓は明らかに憮然とした表情になって、つんと顔を逸らしてしまう。
うら若い乙女として取り乱したことを恥じらっている、とまでは察せたのだが、そこに判断と語彙力が追いつかなかった形だ。
もっと言い方があっただろうにと自戒しようと後の祭り。
もはや光弥に出来るのは、気まずそうに頭を掻くばかりだった。
――――ただ、その時の梓の、顔を背けて拗ねる仕草は、光弥の今まで見たことのない、とても目新しい姿だった。
少なくとも、光弥の記憶にある"眞澄 梓"の姿は、怒らせたり、落ち込ませてばかりだ。
(・・・・そんな風に、女の子に負い目ばかりの奴じゃ、いれないよな。
世辞が下手でも、気が利かなくても、彼女が彼女らしく振る舞える場所・・・・友達の傍にくらい、無事に帰せなくてどうする。
じーさまなら、そうやって喝を入れるはずだ)
これでも爺様に鍛えられた、”直弟子”として、義にもとる真似は出来ない。
「眞澄さん」
光弥は座り込んだままの梓へ、手を差し伸べる。
たった今しこたま叱りつけられて、光弥の心境は大きく変化していた。
それによって自然と取った行動だった。
「――――不安な気持ちは、僕もよく分かる。
この先には危険しかない事は分かりきってて、それでも行かなきゃならない。
でも、そうしなきゃ僕等は、二度と友達に会えない。
僕だってそんなのは嫌だから、前に進もう。
・・・・改めて、約束する。
僕は絶対に負けないし、君を必ず皆の場所へ連れて帰る。
その事を諦めない。
だから眞澄さんも、一緒に戦おう」
"一緒に戦う"。
言わずもがな、光弥の意図はさっきとまるで違っている。
それは1人でなく、梓と共に目的を背負う為に。
後ろ手に連れて行くのではなく、横並びに進む為に。
差し出した手は、その変化と、約束を託そうとする証だった。
「・・・・・・・・・」
光弥の訴えに、梓は躊躇いがちで、また無言のまま。
しかしやがて、その手を伸ばしてそっと掌同士を合わせたその時、彼女は少しだけ口許を綻ばせていた。
あたかも、通じ合った信頼に対して、静かに喜びを噛み締めているかのように。
「――――私じゃなんの役にも立てないけど、ついていくから。
だから・・・・助けて」
「ああ。
・・・・意地でもやり抜くさ」
暗闇の中でも漆黒に艶めく梓の瞳に向き合い、光弥は頷く。
(・・・・本当に、少しも予想出来ない状況だよな。
"決着をつけた"なんて格好つけて、話すことすら迷いまくってた"彼女"と握手して・・・・力を合わせようと約束してるなんて、な・・・・)
きっと梓にしても、今は驚きと、割り切れないわだかまりを感じているのだろうか。
ふと、繋いでいた手がパッと慌ただしく離された。
不用意に縮まってしまった距離に、梓は表情を曇らせていた。
光弥の方も、どんな風に振る舞えば良いか分からず、身体ごと背けさせてしまう。
でも、今はそれが当然だし、それで良い。
光弥も梓も、これまでをさっさと水に流せるほど器用じゃない。
そしてこの関係は・・・・因縁は、簡単なものでもない。
(同じ方向を見ている・・・・ひとまず今は、それで十分だ)
いつしか、2人は揃って先に広がる闇の方を向いていた。
足並みはようやく揃って、後は進むだけ。
光弥は徐ろに一呼吸し、高ぶる緊張を集中力へ転化する。
「顔を上げて、前へ・・・・進もう」
その姿に梓もならい、毅然として深呼吸を1つ行う。
「ええ・・・・それしかないんだもの――――」
――――此処より先に、待ち受けるもの。
それは、もはやこの現代では半ば失われた、原始の修羅場。
人と獣、その相関に根付いたる、生命を懸けた戦いの場。
苛烈なその渦中で"大切な誰かを守る"と、言うだけならば簡単だ。
その知恵も、勇気も、抱えた意地を貫けるかも、試されるのはこれから。
光明は、ほんの幾ばくか築けた信頼と、戦う"力"。
ただそれきりを頼みにして、光弥と梓は闇の向こうへ歩き出すのだった。――――
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