#2b Centrality -震揺-
6月9日 13時27分
二間市西部 波乃倉
守山カントリー倶楽部内 "ANVIL"臨時駐屯地
「随分と気が抜けた感じだわね、
背後から、鳥の囀りのように弾んだ声。
まさに、その比喩通りの活発な"気配"を見るに、どうやら傍にもう一人の人物を伴って近づいてくるようだった。
「進捗はどうだ、
真護は、馴染みの仲間の声に答え、改めて振り向いた。
サングラス越しの右側の欠けた視界に、自身と同じアンヴィルの"作戦行動服"を身に纏った男女が映る。
しかし、楓は彼女専用の"特装服"を着崩し、灰色のインナーウェア1枚だけの上半身を晒して、人を言えたものでない気の抜きようである。
栗色の長髪も今は下ろして、未開封のペットボトルを手に、涼やかに笑っていた。
他方、傍らに立っている見覚えのある男性は、汎用の行動服をかっちりと纏って立つ。
彼は確か、
「真っ白に呆けちゃって、立ったまま昼寝でもしてたかしら?
報告がてら、差し入れよ」
「ああ、ありがとう」
そこまで緩んでいたつもりもないが、ともかく結露の付いた冷えた飲料水を受け取ろうとする真護。
だが、直前で楓はそれを引っ込め、いたずらっぽく笑う。
「もしかして、甘い飲み物の方が良かった?」
「飲めれば構わん」
「あら、強がんなくてもいいわよ」
「・・・・心外だな」
軽口の応酬にしては物凄い温度差の両者だったが、これもいつものやりとりである。
そのまま自然に2人は並び立ち、眼の前に広がる草原を見やる。
初夏の陽射しの中、広大なフェアウェイは若草色に光っている。
しかし今、そこを食い荒らすように突き進んでいるのは、野牛の猛りのようなエンジン音を鳴らす軍用車両だった。
歯車のように頑強なタイヤが、刈り込まれた芝地を噛み千切り、悪路をものともしない馬力で深い轍を刻む。
その行先へ視線を巡らせば、なだらかな平野に幾つもの天幕が設営されている最中だった。
機材の搬入作業にあたっている、黒を基調とした揃いの行動服に身を包んだ隊員達は、
大きな池、ウォーターハザードの横に停められた何台もの輸送用車両からは、未だ続々と機材が運び出され続けているが、こちらもようやく目処が立ちそうな具合だ。
後は、少し先のグリーンに設営される、本陣の大天幕を残すのみ。
そんな光景を、腕組みしながら見守る真護。
もう5日も、昼夜問わず行動し続けているも、鋼の立像か何かのように、その立ち姿に揺らぎはない。
「ようやく、って感じね。
これだけの陣容を整える時間を稼げただけでも、先遣隊の面目は保てたって思うべきかしら。
・・・・高羽さん?」
「報告します。
"8th"、"13th"、ともに人員は6割程度ですが、命令通り再編されました。
"7th"より、物資の受領も完了。
――――また一昨日、ガーゴイルの出現した"赤津場自然公園"ですが、調査結果が警察から報告されました。
"公園内には、いくつか野熊による破壊の跡あり。
その他の不審な痕跡は見つからなかったと"」
「あたしも、合間を縫って確認してきたわ。
"サバト"の痕跡は、どこにもなかった。
あの"雌"は、あたし達に追い立てられて、単独で迷い込んだだけだったようね。
封鎖の解除を命令しても良い頃合いかもしれないわ。
これ以上の波風を立てないためにも・・・・それから、こっそりと忍び込もうとする健気な女の子のためにもね」
「何の話だ?」
「・・・・いいえ、こっちの話よ」
ならば、単に私事に関する呟きなのだろう。
その横顔は妙に楽しそうだったが、特にそれ以上構う理由も無い。
あるいは、もし作戦に関する事であるのなら、いずれ彼女の方から切り出す事だろう。
それが楓の役目であり、またその能力を真護は疑ってはいなかった。
「――――ご苦労だった。
この局面、8thの働きは未だ重大だ。
十分な休息を以て、確実な作戦遂行に抜かり無く備えよ」
「はっ!!」
真護が隊員に激励を述べるのを、横の楓は柔らかな笑みを浮かべて見ていた。
作戦中は常に結い上げている柳髪は、今は風に遊ばれてそよぐのを、柔らかく手梳きする。
彼女も、この転機とも言える場にまで漕ぎ着けたことで、肩の荷が下りた気分なのだろう。
「それにしても・・・・手頃な場所があったもんだわね。
周りからは隔絶された立地に、設備も車両も運び放題。
首都圏にも、まだまだ活用できる土地が残ってるってわけ」
「ここは元々、有事に備えてアンヴィルの息のかかった場所だ。
活用できる土地にしてある、と言った方が正しい」
だが、今回ほどの大徴発ともなれば、事後に大きく尾を引くことになるやもしれない。
真護は、鉄面皮の下で少々の億劫さを感じていた。
おそらく、これだけの大規模行動の辻褄を合わせを行う"5th"からは、事務報告という名のあてつけがさぞかし長々と来ることだろう。
昨今の情報化社会の中で、情報関連を統括する彼らの任務は飛躍的に重要度を増し、その作業量も激増していると聞く。
実行部隊である"13th"は、良くも悪くも前線にだけ集中していれば良く、それによる"意識"のズレはやはり放置しているべきでは無いのかもしれない。
・・・・こうして無理を強いるたび、手心無しの書類の束で無言の抗議をされては堪らない、という本音もある。
「それにしても、確かに機密性と利便性は両立できますが・・・・こうも立派な設備を荒らし回ってしまっては、流石に後が怖いですね」
「そうねぇ・・・・それだけなりふり構ってられない今の事情を、"上"が正しく評価してくれればいいんだけれど」
「――――本来なら煙が立つことすら許されない任務で、俺達は後手に回り続けている。
大仰だろうと、ここ一月の報告書を突きつければ、
真護の言葉に頷きつつも、楓は尚も微妙な表情だった。
"晶獣から人々を守る"。
鉄の結束を持つアンヴィルだが、やはり組織である以上、随所に摩擦というものが生まれてくる。
今回、この大胆な作戦展開も、保守的な色の強い上層部はあまり良い顔をしないだろう。
とはいえ、そのせいで機能不全に陥るほど、柔でもなければ浅くもないのが、"アンヴィル"である。
しっかりと現実を計れる人間は確かにいて、彼らが後ろ盾である限り、真護達のいる前線が軽んじられる事は無い。
そうでなくては、気の遠くなるほどの年月を、一つの組織のままで戦い続ける事など出来なかっただろう。
「ところで
ひょっとして、趣味?」
「いいえ、ただの資料の受け売りですよ。
ちなみにここは高級な会員制の施設で、一般人はまず使えません。
今日も、本当は参議院議長の大見氏が来訪する予定だったとか」
「ふーん。
悪いことしたかしらね」
部下の高羽隊員に見せる態度とは裏腹に、後者の議長へは至極どうでもよさそうな様子の楓。
確かにその程度の人物ではアンヴィルに手出しはできない以上、気にしても仕方がない事である。
むしろ、迂闊に手を出せば火傷では済まなくなるのは向こうの方で、こちらではない。
それすら知らない末席の者の可能性もあるが、それならそれで、アンヴィルの正体に近付けもしないだけだ。
「――――頃合いだな」
間もなく、本陣設営の終了予定時刻となり、真護は腕組みを解いて立つ。
この1ヶ月の苦闘が実り、他部隊の合流も果たされた今、かの大天幕が完成次第、各隊の長を揃えての作戦会議が予定されている。
となれば、後顧の憂いを断つべき時も、まさにこの合間であろう。
「行動を次の段階に進めるにあたり、与しやすい問題から片付けたい。
あの少年・・・・"蒼き烈光"の使い手の身辺調査は、完了しているか?」
――――遡って、2日前。
真護達は未確認の"武靱具を使う少年"の存在を知った。
そしてその監視と内偵調査は、楓達"8th"に任せていた。
彼の処遇をどうするか、その判断材料にする重要な任だ。
真護の問いに楓は微笑み、返事の代わりにしっかりと纏められた紙束を取り出す。
時間の猶予はたった一昼夜程にも関わらずこの早さは、さすがは"8th"の領分といったところか。
「その名は、"日神 光弥"君。
うちのヒッグズさんが一晩で纏めてくれたわ。
でも、ね――――」
ヒッグズ・サルデル大尉は"8th・サブリーダー"という要職を預かる人物だ。
今回も真護たち"先発隊"の補佐として、彼はよくやってくれていた。
しかし、その仕事の成果を持つ楓の顔は、曇っていた。
「――――悪いんだけど、結論から言えば分からなかったわ。
素性程度はともかく、肝心な部分についてはなにも」
「なに・・・・?」
「詳しい報告は会議の時にしようと思うの。
どうも彼については、片手間で済ますには手に余るようだわ。
"5th"・・・・あるいは、
「・・・・・・・・・」
「昨日、あのまま確保しなかったのは失敗したかもしれないわね」
「ああ」
楓の言葉に、真護は短く答え、己が不明を噛み締めていた。
――――果たして、あの少年の処遇について、真護が"静観"を選んだのには2つの理由があった。
1つは、彼が真護達の"敵"と通じているかもしれない可能性を憂慮した為。
確かに、すぐさま彼を確保する手もあったが、しかしあの時点での真護達は未だ孤軍奮闘の状態だった。
何事もなく終われば良し。
だがもしもそうならなかった場合、問題の拡大に対処が追いつかず、大きな損失を市井に与えてしまっていたかもしない。
加えて、そうして下手に"敵"を刺激して逃げられたり、大規模な報復を図られたら取り返しがつかなかったからだ。
そしてもう1つは、本当に彼が巻き込まれた存在だった場合、この戦いから出来るだけ遠ざけておきたかった為。
短い時間だったが、真護は彼の戦いぶりを見た。
まともに訓練を受けていないだろう"一般人"が成すには、確かに十分な戦果だ。
しかし彼は、先も言ったようにあまりに未熟。
技術も、そして心も、未だ時期尚早といった具合だ。
その証拠が昨夜、
半端な力量で関われば、身の破滅を招くだけ。
しかし、少なくともそれまでは、より"日常"に近い場所に身を置き、彼には自重していてもらった方が、真護達としても都合がいい。
だが・・・・結果的には、真護の目論見は全て外れた事になる。
抱え込んだ"問題"は、明快な結論どころかこうしてこじれ、迅速な解決は望めないらしい。
そして、かの少年についても、残念ながらと言うべきか・・・・おそらく、憂慮していたような"裏"など一切無い、真っ直ぐな少年だろう、という事。
「――――あの日神君は、多分とっても良い子なんだと思うわ。
大事な人達を守りたいって言った、あのまっさらさ。
|
「・・・・澱みの無い
もしあの有様が演技だったとしたら、大した役者だがな」
「だったら、このあたしを出し抜くんだもの。
新人俳優賞は確実だわね」
「・・・・彼は今、どうしている?」
「8thで監視を二人、付けてるわ。
・・・・随分と落ち込んでいるみたいよ。
ま、さんざんやり込められたワケだしね」
ひとまず、大人しくしているのならば良し。
とは言え、後顧の憂いを摘むどころか、ますます大きく育ってしまったこの有様。
これがあの少年を軽んじたツケと言うならば、高くついたものである。
「そういえば、昨日は助かったわ」
唐突な楓からの感謝に、真護は僅かに眉根を上げた。
しかしながら、これがまた本当に僅かに動いたのみであり、しかも今の真護はサングラスをかけているせいで、輪をかけて表情が読み取りづらい。
普通に見て、一体何人がこれを疑問の表情と気付けるか、と言う具合だ。
だが、なんと楓はそれが分かる貴重な1人であり、珍しく見せた真護の感情表現を面白がるように微笑んでいた。
「ほら、昨夜。
・・・・役割上、現場にいる人への対応は
そりゃ嫌とは言わないけど、良い気分なワケないし、実際あの日神少年だって、抑え付けようとするあたしを快く思っていなかった」
「確かにな」
「で、そこにアンタがずずいと来て、言わなきゃいけないこと全部、歯に絹着せずに、ぶっきらぼうに投げつけた。
あれだけの正論でひっぱたかれれば、相当にクルでしょうねー。
・・・・その結果、あたしの被るはずだった精神的な労力と負担とは、アンタが全部持って行ってくれた。
けっこう楽になったのよ、実際」
楓が、自身の役目に対する見解や内心を吐露するのは珍しく、真護は小さく唸って感心する。
そして、そんな素振りを見た楓は、予想通りという風にまた小さく笑って、それから不満げに溜め息をついた。
「やっぱり、気を使ってくれたんじゃないワケ?」
「買い被りだ。
俺達には、あんな駄々に付き合うつもりもなければ、そんな時間も無い。
あの場で必要だったのは、説得ではなく宣告だったというだけだ」
「・・・・ホント、気を遣わなくて済む相手で、痛み入るわ」
言わずもがな、真護の言は誤魔化しでも謙遜でもなく、ただただあの場で時間を浪費するのを嫌ったまでのことだった。
そして、あそこまで厳しい言葉を使ったことについても、別に理由があった。
真護は、日神 光弥の戦う理由に関して、ある"確信"を抱いていたのだ。
もしそうならば、婉曲的な言い方ではいつまでも食い下がられるばかりだとも予想していた。
何故ならば、"意地"というのは、障害に隔てられる程に強固になるものだからだ。
「――――退きも揺らぎもしない事は察せていた。
立ち止まる事はあっても、諦めたりはしない。
あれは、そういう手合いだ」
「だから、バシッと言って"立ち止まらせた"と。
ふふ、それって"共感"ってやつ?」
「・・・・まったくもって心外だな」
「
その時、それまで遠巻きになっていた高羽隊員が、頃合を見て口を挟む。
短い呼び掛けだったが、その意味するところは両者共に既に理解していた。
こうして潮目は変わり、今抱える問題は全て、然るべき対応をしなければならない大事になった。
そして、その為の応援部隊と、作戦会議である。
部隊の規模は増強されたが、それらは全て余さず事態解決の為に費やされる。
事態は未だ、全く好転などしてはいない。
好転させるために動き出す、これからが勝負なのだ。
「んじゃ、行きましょうか」
不敵な笑みを浮かべると、
そして
「――――作戦に参加する
これより、各々よりの現況報告、並びに今後の作戦展開の決定を行う。
各隊代表を召集せよ」
――――To be Continued.――――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます