#1b 少年の決心

6月9日 13時44分

私立海晶学園

北第3校舎・第2校舎間 学内庭園 慰霊碑広場




――――

この二間市・・・・否、日本国の"関東平野"はかつて、大災害に見舞われた。

後の世にて" 関東平野大震災 "と呼ばれ、歴史の教科書どころか、世界的にも忌名いみなを知られるほどの、大きな災禍だった。

当時の帝都・東京はもちろん、近隣の各県にも甚大な被害をもたらし、尽く街は崩れ、地は裂け、数え切れない人命が喪われた。

震源となったS県西部の山岳地帯は、液状化現象による巨大な地滑りによって、現在の平野に変わってしまったほど。

そして、それから約70年ほどが経った、現在。

震災跡の平野に、復興の象徴として拓かれたのが、実はこの二間市であった。

その為、市の中心には古くから、当時の惨禍を追悼する為の慰霊碑の置かれた、「記念公園」が建設されている。

また、それとは別にこの海晶学園にも"慰霊碑広場"と呼ばれる場所が存在した。

建設は開校前からの決定事項であり、テニスコート1面分ほどのスペースを高等部棟と中等部棟の合間に設け、小さな慰霊碑が建立されていた。

学び舎の中にわざわざ手間を掛けてそのようなものを用意したのには、もちろん理由がある。

何を隠そう、実はこの海晶学園の敷地こそが、まさに当時の震源地である、とされているからだった。――――


とにかく、そのような歴史がある通称"慰霊広場"は、若干みすぼらしいながら、今も学園に属する各員によってきちんと管理されている場所だった。


――――2m程の高さの"震災慰霊碑"と、それを囲む石造りのモニュメント群を中心に、傍には小川と、その流れ込む溜池ためいけを擁する景観は、学内施設にしては大袈裟なくらい。

この溜池は扁平で横長なくし型をして、岸辺を歩いて回り込むにはそこそこ面倒なくらいには大きい。

その為、飛び石状の足場と、1本の簡素な橋が掛けられ、溜池を縦断出来る2箇所の足場が用意されているくらいだった。

周りには砂利敷の遊歩道が延びており、それに沿って些か手入れの甘い花壇や、少し色褪せた樹脂製のベンチが配されている。

池のほとりには、6人掛けのテーブルセットを擁する東屋あずまやの印象的な、レンガ敷きの広場があった。

朗らかな団欒の場という印象を与えようというのか、暖色系の色調で纏められていて、規模も大きい。

実際、天気の良い日には東屋や周囲の石材に腰掛けて寛げたりもして、厳かで雰囲気の良い場所として評判になっている。

ところが、この広場は学園の北東寄りに位置し、直ぐ側に日守山ひのもりやまの裾を望める場所柄、時期によっては厳しい環境となってしまう。

冬場は寒風の吹き荒んで底冷えし、夏には暑さと虫の多さに悩まされたりと、少々自然を感じられ過ぎるのである。

ついでに、慰霊碑の傍という厳粛なムードも、寛ぎたい時にはやや減点なのかもしれない。

とはいえ、全く使われなければ散らかりもしないという訳でもなく、毎日の簡易清掃を高等部の2年生が受け持っていた。

選出は、4クラスから6人1組、その中で更に週替わりに2組が協力して行う事になっており、先述のように今週は光弥達の属するグループが当番であった。――――


閑話休題。


先程、教室掃除組の生徒達に追い出された光弥達は、結局それまでの長話が祟って、清掃には10分ほど遅れての参加となってしまう。


「んじゃ、あとよろしく~」


「はいよ、それじゃねー」


25分の清掃時間はあっという間に過ぎて、一応は広場の掃除に励んでいた当番組達は、バラバラと解散していく。


しかし、光弥、正木、香の3人だけは居残って、他のグループの掃除道具を預かったり、集めたゴミ袋等を集めたりといった作業を続ける。


罰、と言う程でもないが、終了時間通りに帰っていく皆の後始末を買って出たのだ。


「あー、虫多いな、もぅ。

・・・・梓だったら、きっと大変だろなー」


「へ・・・・っきしっ!!

・・・・いぇっくしっ!!

あー、くしゃみ2回は誰かの噂がむず痒いから、ってかぁ」


「昨日は丸一日居眠りして、今日はボーッとしてたんだろ?

職員室で浜さんあたりが噂してそうじゃねぇかよ」


「・・・・ホントに縁起でもないから、そんなこと言うなって」


<~♪>


「?、メッセだ。

・・・・あ・・・・良かった、今日も調子、良いみたい」




後始末と言っても、3人で出来ることはたかが知れている。


もろもろの片付けと、それから慰霊広場全体をざっと見回って、目に付いたゴミ等々を掻き集めれば終了だ。




「・・・・よし、こんなもんかな。

じゃあゴミ捨てて終わりにしようか」


「おーい、香。

何サボってんだよ」




その言葉に光弥が振り向くと、そこにはスマートフォンを取り出し、画面を見つめる香の姿があった。


今やそれぐらいで咎められるようなご時世でもないが、休み時間でも無しにおおっぴらに使っているのは、あまり見ない姿ではあった。


するとその時、何やら遠慮がちに視線を上げた香と、視線がかち合う。


「光弥くん・・・・ちょっと、良い?」


そう尋ねる香の様子は、本当に恐る恐る、という感じだった。


光弥も、横でちりとりを構えていた正木も、思わず一緒に緊張してしまう。


「――――実は今、梓から連絡が来てね」


「・・・・!」


「・・・・ごめんね、光弥くん。

実は昨日、光弥くんが帰った後に連絡もらってたんだ。

梓も、その時にいた小学生の子達も、もうすっかり体調良くなったって。

それから光弥くんに、この前の事故の時の事、ありがとうって。

でも、ほら・・・・二人の事ってなんだか難しくて、言いそびれちゃってて・・・・」


「――――そっか。

僕も、今日は上の空だったし、昨日はさっさと帰っちゃったからね。

それも仕方ないって」


と、そう笑いかける光弥の顔は、至って穏やかであった。


それこそ、このまま胡座をかいたならば、まるで禅を組む仏像のようですらある。


というのも、"彼女"達の安否については以前に直接確認していたし、光弥としては改めて驚く必要もなかったからだ。


香は、そんな様子にほっと息を吐き、言葉を続ける。


「そ、それで、今また梓からメッセが来たわけでね。

お世話になった三人で、改めて面と向かってお礼を言いたいんだって。

だから、今日か明日にでも、光弥くんの事を訪ねても良いですか、って・・・・」


「・・・・そりゃ改まって、恐る恐る聞きたがるわけだ・・・・」


正木は、大袈裟なくらいに不安そうだった香の様子に、納得したように肩を竦めた。


まぁ、光弥とて逆の立場に立ったなら、こんな風に戸惑っていたろうという自覚はあった。


なにせ、光弥と"彼女"が、並大抵に口の挟めない険悪さで一悶着を起こしたのは、つい先日。


曰く付きの2人が、今また顔を合わせようというのだから、周りが戦々恐々となるのもむべなるかな。


ところが、なんとも心配そうな彼女らと裏腹に、光弥は実に気軽そうに答えてみせた。


「そっか、分かった。

こっちは、別にいつでも・・・・なんなら、今からでも全然問題ないって伝えてよ」


「お、お前、良いのかよ?」


「良いも悪いも・・・・僕だって、"彼女"達の事は気になってたんだ。

元気だっていうんなら、今すぐにでも会って安心したいくらいだよ。

あぁ・・・・あと、明癒ちゃんはまだ怪我が治ってないだろうし、僕から会いに行った方が良いと思うんだ」


「じゃ、じゃあ、そう言ってたって、送るね・・・・?」


「ああ。

なんか、伝言板みたいにしちゃって悪いんだけど、頼むよ」




果たして、光弥は以前の修羅場など忘れたかのように言ってのけ、掃き掃除へと戻っていた。


例えるなら、それはまるで世俗の憂いから離れた御隠居かのように、なんとも安穏とした振る舞いであった。




「・・・・あのさ、光弥くん」


「うん?」


「光弥くんって、ほんっとに隠し事できないよね」


「・・・・それ、さっきも言われたんだけど」


「だって・・・・――――」


当然というべきか、周りまでもがそうしてサラリと流せるわけもなく。


自覚は全く無いのだが、何やら凄く分かりやすいらしい光弥へ、香は呆れ顔になりつつ2回目の指摘を向ける。


「――――そりゃそうだろ。

この前あれだけ深刻ぶっといて、今日はいきなりこれだろ?

急に態度が違いすぎだっての」


「あ・・・・もしかして仲直りした、とか?」


途端に、香は急に表情を明るくさせて、声の方にまでその期待を滲ませて見せる。


もともと世話焼きな性格な香のこと、友達同士で啀み合っているこの事態を、自分の事のように気に病んでいるのは想像に難くない。


とは言え、実際には残念ながら期待とは真逆の展開であり、光弥は答えに窮さざるを得ない。


「・・・・どんな風にって、聞いて・・・・良い?」


望んだ通りの明るい話題はとても聞けそうにない様子だったが、それでも香は怯まずに問うた。


とりあえず、そう聞かれて変に隠す理由もないし、ひとまずの首肯で答える。


(・・・・とはいえ、どこからどうやって・・・・いや、もんかな・・・・)




なんとなく気が重くて、視線を横に流してしまう光弥。


どうしてか覚えのある逡巡の間は、ふと光弥の意識に、あの雨の夕暮れを思い出させていた。


あの時、どんな事を考えていたか、どんな光景を目にしていたか。


それらは、まるでたった今目の前にしているかのように、鮮明に思い出せる。


だが・・・・あの時に抱いていた感傷は、思ったよりもずっと遠くにある気がしていた。


「・・・・特に変わった会話をしたわけじゃないんだ。

一昨日、"彼女"とたまたま会って・・・・互いの事とかを話した。

本当にすごく久しぶりに話して・・・・そうしたら今まで曖昧だったところに気付いた。

それで気持ちの整理って言うか、折り合いをつけたっていうか――――」


はっきりとした言葉がどうしてか使いづらく、歯切れの悪い言い方になる。


その"折り合い"の付け方が、円満なものだったとは言えない自覚から、自然とそうなったのかもしれない。


「――――時間も随分経ってるし・・・・だから、考え方とか諸々、そう簡単には合わないもんでさ。

"さっき"も言った通りだよ。

いつまでも引き摺ってるんじゃなく、変わっていかなきゃなんないんだ。

だから、もう変に避けたり、距離を置こうとするのはやめようって、決めた。

そして、僕は・・・・こんな事になった理由を忘れないで、ちゃんと呑み込んで進んでいこうって。

・・・・そういうことで、終わった」


淡々として説明していく間も、光弥の内心もまた似たように乾いていた。


それはあるいは、つらい筈の出来事に対して、既に思い入れがないという事。


長年抱え続けていた苦悶を、諦観という形に丸めてすっかり呑み下してしまった、という事なのかもしれなかった。


「別れたカップルかよ」


「そんなんじゃないって」


「・・・・そうだって言われたほうが、よっぽどしっくりくるぜ」


「・・・・・・・・・」


"彼女"の事に執着する光弥は、傍目にはそう見えるらしい。


しかし何度でも言う通り、それは違う。


2人の訝しむ視線に、光弥はまた首を振って答える。


「・・・・誓って、違うよ。

僕はただ、"彼女"への負い目に尻込みしっぱなしだっただけだ。

だから・・・・きっと、あんなに苦しませてしまってたんだと、思う・・・・」


「・・・・光弥くん、それは・・・・」




あの雨の日の結論が、感情任せの暴論だったことは、自分でもよく分かっている。


それでも、光弥はあの時、”思い遣り”を以て選択をした。


"彼女"が苦しんで、涙するのをもう見たくなくて、原因を取り除いてやりたかった。


いたずらに人を動揺させて傷つけるような、そんな事は無い方が良いに決まっている。


だからこそ、これ以上の深入りを断つ。


そう決断した結果の是非は、まだ分かってはいない。


「――――後から、間違ったのかも知れないって、思った。

けどなんにせよ、そのツケが"彼女"に降りかかるような事だけは、あっちゃいけないんだ。

・・・・だからやっぱり、変わり目は僕から作らなきゃいけないんだ。

自信も持てないし、褒められたもんじゃない方法だろうけど・・・・それでも、僕の方から進んでかなきゃならない、と思ったんだ」


知った風な事を言ったところで、光弥だって追い詰められていた。


人生の岐路とまで言える局面に出くわして、戸惑い、進退窮まった。


それでも、意思を以て道を選んだ以上は、進んでいくしかない。


竦んで、立ち止まって、痛みを長引かせる。


そんな愚は、もう繰り返したくなかった。


その想いだけは、間違いなく信じて良い事だ。




(・・・・その筈だ・・・・)




それから、ややあって。


解決とは言い難い"彼女"との遺恨へ、いの一番に感想を述べたのは正木だった。


「言っちゃなんだが・・・・面倒臭い奴だな、お前って」


「ちょ、ま、正木・・・・!?」


「・・・・そりゃ、簡単なことだったらこんなに悩まないだろ」


「まぁ、それもそうか。

・・・・つっても、ほとんどを吹っ切ろうとしてるみたいな必死さだけどな」


「自分だってカノジョいたことも無いくせに、大きく言うなよな」


「お、なんだコノヤローよ」


ニヤつく正木に、少し苛ついたように言い返す光弥。


そうやってつっかかりたい気分だったのは本当だったが、しかし同時に正木の言葉が"助け舟"だと言うのも察せていた。


なので、ここは素直に相乗りして、話の方向を逸らしていく事にする。


「何度も言うけど、そんな関係じゃない・・・・ってか、無理だって。

僕と"彼女"じゃ、全然釣り合ってないし・・・・」


「そ、そんな事ないよっ!?

確かに光弥くんって、能天気で楽天的だけど、明るくってポジティブで、陽気な人じゃない!?

内面はバッチリっ!!」


と、半ば真に受けているのか、妙に焦ってフォローなのか何なのかを捲し立てる香。


しかし、数を並べただけで、どれもこれも同じ様な意味なのでは。


あと、その言い方では内面に問題がありそうになっているのだが。


「・・・・まぁ、そうあろうとは思ってるけどもさ」


「うんうんっ、そういう前向きな所、もう梓とは真反対!!

水と油、東軍西軍!?

もう相性抜群だよね!!」


「・・・・不倶戴天、って言うんじゃないかな、そういう関係・・・・」


色々と思うところのある光弥なれど、とりあえず今回は香の気遣いに免じて、何も言わないでおく。


但し、その顔はピクピクと引き攣っていた。


「ポジティブって言うか、呑気な方だと思うし・・・・風紀委員の人にも、目をつけられてるトコあるしなぁ。

・・・・特に、浜さんとか」


「マイペースで、目立つし人気者だよ!!

あ、そう言うところも梓と似てるかも!?

おまけに、体力も凄くて、運動部の助っ人によく呼ばれてるよね!?

ほんとに昔から、それこそ小学校の頃からずっと変わってないよ、うん!!」


「・・・・すんごい引っかかる」


なんだか、香の今後が少し心配になってくる光弥。


褒めてるつもりなのだろうが、どうにもさっきから一言多いというか、いちいちカドが立つというか。


「まぁ、運動は出来る方だけど、泳げないし、成績とかはいわゆる中の下だし」


「ま、確かにお相手の眞澄ときたら、超の付く美人で、成績も学内トップレベルで?

近寄りがたいクールビューティーだがむしろそれが良く、学内のイケメンから一通り告られてる超優良物件で?

その点、お前なんか愛想の良い脳筋だし、あれと比べりゃ月とスッポン。

原チャリとナナハン。

万札と子供銀行券だわな」


正直、正木にだけは言われたくない。


「――――とっ、特技なんか、家事の手際と、後はちょっと物を投げるのが得意なくらいで・・・・」


「あ、うん。

まぁ凄いとは思うんだけど、あたしは正直ちょっと行儀悪いと思うんだ。

どう?」


「あのさ、もうちょっと気を使ってくれても良いんでない?」


2人がかりでの散々な言われように、とうとうこめかみを引くつかせる光弥である。


お陰で、と言うべきか、確かに気は紛れたが、もうちょっとやり方はないものか。


「まったく、おちおちしょぼくれてもらんないっての」


「まぁ、良いじゃん。

光弥くん、今やっといつもの感じになってる感じ、するよ」


呆れ半分に嘆息する光弥だったが、その原因たる2人は得意げに笑みを返してくる。


――――まぁ実際、こうして助け舟が成功してしまっている以上、ジト目で睨みはすれど、文句を言う筋合いはないだろう。


「まったく・・・・ともかく、とりあえずゴミを片付けてくるよ。

・・・・さっきの返事、返って来たら教えて」


「うん」


もう一度、光弥は溜息をつくと、ゴミ袋と掃除用具を纏めて持ち上げる。


全員分を束ねると、さすがに結構重い。


だが困った事に、それを運んでいく足取りも気分も、さっきよりかなり軽くなっていたのだった。




・・・・

・・・

・・




―――― 一方、残って光弥の背を見送った正木と香。




「・・・・やれやれ。

こんなクソめんどくせぇ話、いつまで引きずってんだかな、アイツ・・・・」


誰に言うでもない大きめの文句は、単純思考な自分には手に余る話題を持て余す、フラストレーションから。


正木は天を振り仰ぎ、意味も無く身体を揺らしていた。


なんとなく重たい、なのに落ち着かずに逸る気持ち。


その原因は無論のこと、ここのところ取っ替え引っ替え悩んでいる、あの背中。


「"めっちゃ悩んでます"って感じに、これ見よがしにうじうじしやがってよ。

巻き込まれてるこっちにまで、スッキリしないモン押し付けやがって・・・・柄でもねぇ」


苛立ちが、大きめの溜息と一緒に吐き出される。


そんな正木の袖口がぐいぐいと引っ張られた。


「・・・・ね?」


香だった。


上目遣いの視線が、正木の顔と、走り去る光弥の背とを、まるで縋るかのように行ったり来たりする。


正木と比べて1.5頭身ほども低い背丈の彼女が、この時は殊更に縮こまって見えた。


「やっぱり、なんか変だよね。

心配、だよね。

・・・・それってあたしだけじゃ、ないよね?」


「んだよ、お前まで辛気臭ぇ顔して」


いつもの香なら、こんな事を言った途端に真逆の怒り顔へ跳ね返って見せるところ。


だがしかし、今回は眉根を寄せ、強張った表情のままだった。


光弥の方は今更として、しかし香も大概、顔に出る。


正木はそんな感想を抱くと同時、やはり似たような呆れとももどかしさともつかない気分を患って、嘆息していた。


「――――昨日に、一昨日、それに今日も・・・・こんなに光弥くんの事がよく分かんないの、初めて。

それに毎日、怪我が増えてって・・・・ガラスを被ったって言っても、何日も連続でなんてありえないでしょ?

妙に焦ってて、よそよそしい、っていうか・・・・なにか、秘密にしてるっていうか・・・・」


「・・・・そうだな」


相槌を打ちつつ、正木は光弥の去っていった方を見やる。


掃除用具庫の方に向かっていくその背へは、もう声の届かない距離だった。


これがそのまま、今の光弥と正木達との溝の大きさ、だろうか。


なんて、自分らしくないセンチな事を考えてしまって、きまりが悪くなる。


「・・・・相談して、くれないのかな。

梓との事だって、そんなに深刻な悩みなら、せめてあたしには言ってくれたっていいのに。

・・・・あたし、梓とは友達なんだよ?

なら、あたしだって少しぐらいは関係あると思うの」


「つっても、前にも同じようなこと話しただろ。

何でもかんでも言わなきゃならない決まりはないし、黙ってたい事もそりゃあるだろうよ。

・・・・俺達だって、アイツがずっと抱えてる"昔"とやらのこと、触れないようにしてきたしよ」


正木は一昨日の事を思い出しながら、不機嫌そうにぼやく。


今まで、光弥が密かに抱えていた"事情"の重さを、改めて思い知ったのはまさにその時だった。


どんなにあっけらかんとして見えても、人に言えない後ろ暗いモノというのは、必ずある。


何もかもを、欠片も悩まずにぶちまけられる奴がいるなら、そいつは間違いなく変態だ。


香だって、そこまでを求めてる訳はないだろう。


「そうだけど・・・・だけどっ――――」


香は身悶えして、歯痒さを全身で表していた。


光弥の事を案じる香の狼狽は、言葉一つでは収まることを知らないようだ。


「――――今まで面識ないと思ってた友達同士が実は犬猿の仲で、しかも今度はいきなり絶交したみたいなこと言っちゃって!?

光弥くんも、包帯をグルグルに巻くような怪我、どんどん増やしてさ!?

もしも、なにか悪い事に巻き込まれたり・・・・って、むしろやってたり!?

割れたガラスを頭から、なんて、窓破って忍び込もうとした、とか・・・・」


「いや落ち着けって。

破るは破るでも、頭からぶち割る泥棒がいるかよ」


「でも、多感な思春期にコミュニケーションが不足すると、グレる若者が多いっていうじゃん!?」


「お前は光弥の何なんだよ・・・・つか、バカ言ってんなバカ。

それに、あの鬼みたいに怖ぇ"じーさま"に育てられた光弥だぞ。

悪いことなんてやるかよ」


と、話題に上らせただけだというのに、在りし日の苦み走る思い出が湧き出し、思わず唸る正木。


暴走気味の香の方も同じ様にう”っと息を呑んだあたり、"ヒデじぃ"への畏敬は筋金入りと言えよう。


しかしもちろん、"じーさま"は間違いなく善人に括られる人であり、その名前は正木の住む商店街でも有名だった。


正義感に溢れ、腕っぷしも強く、その力でちょっとしたトラブルを収めてみせることも少なくはなかった。


厳しくも優しい、街のご意見番。


問題はその厳しいという部分で、一度叱られるようなことをしたらば、本当に恐ろしかった。


老齢ながら覇気を漲らせた彼を侮る者は、一切いなかったことだろう。


「そ、そりゃそうだけど・・・・でも、何も悪いことに限らないでしょ?

親切心とか、誰かを助けようとして無茶しちゃうのも、光弥くんだもん・・・・。

それで一昨日みたいな事になっちゃったらって・・・・」


ところが、それでもなお香の心配は止め処なかった。


ともすれば、本人よりも深刻そうに気を揉んでいる有様だった。


「――――光弥くんの"昔"の事は、あたしも良くわかんないよ。

解決したみたいな顔だってしてるけど・・・・でもやっぱり変だよ!!

光弥くん、梓を”苦しませた”って分かってるのに、放っておくの?

あたし、梓の友達としてっ・・・・そんな寂しい態度で終わっちゃうのは、きっとだめだよ・・・・!!――――」


(・・・・ああ、こりゃどうにもなんねぇな)


そうして取り乱す香の姿に、正木は深々と諦めのため息を吐いていた。


「・・・・強情っつうか、妄想たくましいっつうか」


おまけに、今回は更に、香の友達であるらしい眞澄 梓も関わっている。


良くも悪くも一途で世話焼きな香ときたら、絶対に引き下がろうとしないだろう。


「――――梓は、どう思ってるんだろ。

光弥くんも、決めた事だとか言い切ってるくせに、悩んで自信持てないの丸分かりだし。

梓だって、納得できてるのかな・・・・!?」


「出来てなかったらどうするってんだ?

仲直りしろって言って、素直に聞いてくれそうかよ、あれ・・・・」


「そんなの、無理かもしれないけどっ。

・・・・今日、本当に会うつもりなのかな、二人共。

・・・・だったら、あたしもついていこうと思う!!」


「お、おいおい・・・・そんなの、光弥も眞澄も嫌がるだろ」


「話の邪魔なんてしないよ!!

終わるまでどっかに隠れてる!!

光弥くんも梓も、あたしは心配なの!!

光弥くんはああ言うけど、じゃあ梓の方は?

・・・・なにか、別の事を思ってるかもしれないじゃん。

そしたら、光弥くんの気持ちだって、変わるかもしんないじゃん・・・・!!」


梓を案じ、そしてやっぱり「光弥」と連呼する香の熱気に、思わず舌打ちが漏れた。


こうして香の"お節介スイッチ"が入ってしまったら、ちょっともう正木の手には負えなくなってしまう。


この状態を止めるには強力な、そしてもっともらしい理屈が必要だが、そういう手合はあいにく不得手だった。


もどかしさに、正木は頭を振った。




「・・・・ったく、そんなにあいつが好きかよ・・・・」


「・・・・え、なに?」


「なんでもねぇよっ」




――――香がこんな風に、ちょっとうるさいくらいの心配性なのは、別に正木達の場合に限った話ではない。


根っからの世話焼きの香は、他の人物、異性であろうと構いなく、この調子だ。


それは、現職警官で忙しい父親と病弱な母親の代わりに、3人の弟達の面倒を見てきた経験によるものというのも、多分にあるのだろう。


しかし、それにしたって今回は妙に気を回しすぎている気もするが・・・・相手が相手だからか。


妙にささくれた気分な正木は、口には出さず、香を揶揄するようなことをチクリと思ってしまう。


上から降り注いでくる夏の日差しも、妙に眩しくてまたイライラした。


「・・・・いい加減、しつこいよね。

でも、ここ最近はなんか変だから・・・・心配なの」


「変って、何がだよ」


「全部、色々。

悪い事が、どんどん続いてる感じする。

あたし達の周りだけじゃなくて・・・・なんか、"この街自体"もおかしい気がするの」


「・・・・・・・・・」


「――――最近、ニュース見てる?

二間市のどこかで事件や事故がって・・・・毎日のように名前が出てるんだよ。

パパだって、火事とか、誰かが怪我したって、何度も呼び出されて・・・・。

今年はおかしいって、何度も何度もボヤいてて・・・・」




香の吐露した不安を知って、正木は目が覚めるような思いになっていた。


確かに近頃は学校はもちろん、正木の家の周囲でも、暗い噂話をよく聞く。


今まで明確に意識した事は無かったが、商店街の人達の狼狽えた気配を感じる事は、正木にもあった。


それに、香の父親は交番勤務の警官だ。


地域の治安に敏感な職業であり、家族として常日頃から接していれば、察せるものもあるだろう。


(・・・・要は、あいつに限った話じゃなかった、って訳か)


妙に香の”お節介スイッチ”の理由に、ようやく得心がいっていた。


心配する相手が誰でも関係はなく、積み重なった不安の大きさが香を神経質にさせていたのだろう。


それなのに、当てつけめいた邪推に勝手に耽っていた自分に、若干の後ろめたさを覚えてしまう。


「だから・・・・だから、もっと悪いことになっちゃう前に、なんとかしてあげたくて。

後から後悔なんてしないように、気付いてあげたくって、だから・・・・!!」


「 あーっ、分かった分かった !!

・・・・そんなに光弥が気になるんなら、明日にでも直球で聞いてやらぁ。

だから、いい加減うじうじしてんなよ、似合もしねぇ・・・・」


うっとうしい暑さと、溜飲とを吐き出そうとして、大きめな声を出す。


そのついでに、正木は小さく憎まれ口も投げつけておく。


なのに、なんらかのが来ることを想定していたタイミングには、しかし沈黙が下りっぱなし。


肩透かしを食らった気分でふと見てみれば、香は呆気に取られた顔でこちらを見詰めていた。


「んだよ?」


「・・・・ごめん、ちょっと意外だったんだもん。

あたしがこういう事言っても、賛成してくれないだろうなって、思っちゃってたから」


「べ、別に、いつもだって反対してるわけじゃねぇよ。

・・・・ただ、俺も光弥もガキじゃねぇんだ。

肝心な所はちゃんと分かってる」


「肝心、って?」


「・・・・これでも、んだよ。

”前”みたいに、自分のバカで他所が迷惑するようになったら、おしまいだってな。

・・・・だからあいつだって、あんなしみったれた顔しながら、眞澄との事を必死に納得しようとしてるんだろうさ」


「正木・・・・」


意外そうにする香の態度も分かるが、実は正木は本当に、心に決めていた。


"友達"という、ありふれているようで、しかし絶対に蔑ろにしてはいけないものの、ありがたみと温かみとを、身を以て知っていた。


そして、照れくさくて言えやしないが・・・・その繋がりの為なら、正木はどんな苦労も厭わないつもりでもあった。


「・・・・だから、まぁ・・・・お前もそんなに気負ってんな。

少なくとも、光弥一人くらいなら、俺にも出来る事はあるからよ。

何でもかんでも口を挟むなとは言わねぇし、言うべき事は俺だって言う。

そんで、もしまたあのアホがなんかやらかしそうだってんなら、そん時は――――」


「その時は?」


「――――し、"親友"権限で、俺がふんじばる。

まぁ、その・・・・お前らには"恩"、が、あるし・・・・」




なんだか随分クサイ事を言っていると、落ち着かない気分になる正木。


だがしかし、今こうして正木がこの場所にいられるのは、昔からの2人の友人のお陰なのだ。


だったら正木も、いざ苦悩している恩人達へ、仇で返すようなことは出来ない。


なにより、自分を見捨てなかった2人の為に動いてみせるのが、というものだろう。


相手の意に沿う事だけをして、馴れ合うのが友情ではなく、その人の心と生き方を尊重して、接する事。


それこそが、本当の”繋がり”というものだと、正木は過去に教えられていた。


「でっ、でもいいか、光弥の事だけだぞ?

あっちの、眞澄の方は無理だからな?

そっちはお前がどうにかするんだからな?

・・・・あーあ、貧乏くじだぜっ。

俺だってあんな能天気より、学園の女神サマの方の相手したいってのに」


と、照れ隠しも兼ねて、普段とは大違いに理屈を捏ね回すが、気恥ずかしさは紛れるどころか、むしろ逆効果。


こうして一つ一つと自分の動機を確認していくと、無頼を気取る自分の気遣いを見つけてしまって、余計に動揺が増す。


ところが、そんな時だった。


「・・・・なによ、もぅ。

珍しく、頼りがいのあること言っちゃってさ――――」


照れ臭さに身悶えしている正木の袖を、小さな両手がギュッと、健気に掴んだ。


囁くような力加減でクイクイと袖を引くのは、頼れる先を見つけられて、安心したからか。


(・・・・あれ・・・・こいつって、こんなに小さかったっけ・・・・)


多分、混乱のせいで、正木はふとそんな事を考えていた。


いつもなら、風船みたいに膨らんで小言を言ってくる幼馴染は今、嬉しそうに声を震わせて俯いていた。


そんな切なさをみせるのが恥ずかしいのか、声は囁くよう。


態度に引っ張られて、自然と身体も丸まって、小さくなっている。


男の正木とは違って、びっくりするほど華奢な細身。


しかし、確かにふわり、と柔らかそうな肢体が縋るように寄り添ってくるのは、なんだか強烈に胸を疼かせて、憎まれ口の一つも咄嗟に出なかった。


「――――じゃあ、頼むね。

あんたって、馬鹿でスケベで、だらしないけど・・・・大事な事は、ちゃんと知ってるもんね」




スッと顔を上げ、上目遣いに見上げてくる香。


赤らんだ顔と、潤んだ瞳に、思わずどきりとする。


その吃驚が、フリーズしかかっていた正木を再起動させてくれた。




「す、スケベは関係ねぇだろっ。

ってか、分かったから泣くなよ。

俺が泣かせたみてぇじゃねーかっ」


「うゑっ!?」


と、声を引っ繰り返らせ、大袈裟に反応する姿は、もういつもの香だった。


恥ずかしそうにゴシゴシと目元を拭い、ずびびと鼻を啜る。


先程の、なんだか体中をムズムズとさせる雰囲気は、その姿からはもう欠片も感じられない。


むしろ、照れ隠しにわちゃわちゃとうるさく動く姿は、水風呂に突き落とされたみたいに頭を冷やしてくれた。


「――――ったく。

俺らももう行くぞ。

暑くてしゃーないし、ベソかいてるお前と一緒にいる所なんて知り合いに見られたら、どんな事言われるか分かったもんじゃねぇし」


「う、うっさい!!

べそなんてかいてないじゃん、もぅっ!!」


似合わない顔を晒してしまって、居心地の悪さを感じたのは、お互い様のようだった。


特に正木は一方的に動揺させられたような気がして、無性に面白くない気分だった。


これ以上傷口を広げたくなくてあからさまにふてぶてしくするも、香の方も思うところがあってか、咎められはしなかった。


膨れっ面を浮かべた2人は、いつもよりほんの少し距離を広げて、誤魔化すように歩き出す。


どうにも気まずいその間隙は、しかし考えを纏めるのにうってつけでもあった。




――――果たして、確かに光弥の"昔"とは、重大なものなのだろう。


だが、返す返すも正木は、そこへ変に干渉したりする気はなかった。


あるいは厄介事に首を突っ込んでいるのだとしても、光弥の性根と心意気は真っ直ぐだ。


なんだかんだと、やっぱり信頼しているのだと思う。


(・・・・あの"じーさま"に伊達に鍛えられてたわけじゃねぇんだ。

アイツは、まぁ単純だけど、全部抱え込んで自爆するほど弱くはねぇ。

それに、俺の方からベタベタ心配したがるのも、なんか気持ち悪ぃし)


だが、しかし。


そんな風に日和見でいられる一線を、光弥が踏み越えたのを、さっきの香の表情が告げた。


すると、途端に正木の中で、怒りではなくとも、使命感に近い思いが、「行け」と促し始めた。


その引き金は言わずもがな、当たり前のように隣りにいる幼馴染。


"俺達は彼女を追い詰めたり、まして泣かせたりなんてしない"。


昔の、"とある失敗"を境に、光弥と正木の間には、そんな不文律が出来上がっていた。


だがその誓約は、つい先ほど破られた。


そして、少なくともそれは正木にとって、決して蔑ろには出来ないものだった。


友達としても、そして・・・・男としても。


(お前にも、言い分はあるんだろうな。

けど、それでお前が納得できても、見てる俺達がそれで済ませるかは別問題だ。

・・・・お前も、俺も、よく分かってるだろ)


その決心の根底にあるのは、ある思い出。


過去だとか、そんな大仰に言い表すほど昔でもなければ、美談でもない。


思い出すだに青臭くてダサい、正木の馬鹿な片意地が招いた失敗。


そして、その思い出の中には、どうにもお節介で、それ以上に意地っ張りで、賢さの欠片もない正面突破しか知らないような、強引なヤツが登場する。


そのせいで、正木の思い出は未だに、赤面して転げ回りたくなるくらい恥ずかしく、そして”大事な教訓”となっていた。


(・・・・あの時の事は貸し借り無し、なんだっけか。

じゃあ、今度は俺の方から、教えてやるっきゃない、てか。

うわ、恥っず・・・・)


<ベシッ>


「痛って!!

何だよ、急に!?」


「とにかく、言質取ったよっ。

任せちゃうからね、"親友"!!

・・・・よーし、頑張ろうね、正木。

それで、みんなで遊びに行ったり、ご飯食べたり出来るくらいに仲良くなろうねっ。えへへっ」


「・・・・そ、それとこれとは別だろよ、ったく・・・・」




素直に認めるのはやはり照れくさくて、ぶっきらぼうに返事をする正木。


やはりこういう暑苦しいのは似合わない、と言い訳がましく思う。


でも、その上で尚も、友達の為に動こうと思う自分は、揺らがなかった。


("己の意地に向き合い、退くなかれ。

"人"の為の正しきを成せ"。

・・・・案外、真理かもな)




――――だが、この時の正木は、まだ思いもしていなかった。


無茶をする"親友"を止めるという事。


自分を救った"親友"達への借りを返すという事。


大事な幼馴染達と、今までのような日常を送るという事。


それら全ての前に、途方もなく難しく、悲痛な決断が求められる事。


正木はまだ、まるで思いもしていなかった。




――――To be Continued.――――



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