6章 「明呈」
#1a 少年の決心
6月9日 13時07分
鶴来浜本町
私立海晶学園 北第3校舎 3F 2-B教室
土曜日。
最近の大幅な短縮日課のせいで、海晶学園では隔週の登校日を毎週に変更していた。
そして、光弥は昨夜の衝撃の抜けきらぬまま、自分の席で上の空でいた。
視線の先、窓の向こうの天気は、雲一つ無い快晴。
降り注ぐ日差しは、日没まで弱まることはないだろう。
もっとも、ここ最近の不安定な気候の具合では、どう転ぶかもまるで分からないが。
―――― ・・・・あ、光弥くん、正木。
この後なんだけどさぁ・・・・
・・・・んー、まぁ良いぜ・・・・ ――――
視線を少し下げれば、半日授業を終えて放課の校庭を、大勢の生徒達が下校する姿がある。
最近の事件の影響で、海晶学園のスケジュールは大きな変更を余儀なくされ、現在は諸々の調整中だそうだ。
その影響で部活動や各種委員会も中止されており、普段はそれらに勤しんでいる生徒達も、あの大行列に参加をしているという訳だった。
しかし、そんなにのんびりとしてられるのも、おそらく今日までだろう。
担任の浜松曰く、この土曜日登校も来週からは終日授業となり、各種の活動も再開させるとの事らしい。
普段通りの景色へ戻りつつある狭間、少し景色の異なる日程を終えた教室は、いつもより浮ついている雰囲気だった。
「 ねぇ、光弥くんも行こうったらっ!! 」
「へ、あ、なに?」
いきなり香から声をかけられ、光弥は大げさに驚いた。
実際には、単にぼーっとして話を聞き流していたところに水を向けられて、焦っただけであるが。
しかし香は、光弥の様子には頓着せず、何やらテンション高めにせっついてくる。
「だから、今日この後さ、映画見に行こ!!
"バイアス"にっ!!」
「あそこは涼しいから丁度いいぜ。
この蒸し暑さで"金丸商店"の土臭ぇ匂いを嗅ぐなんざ、まっぴらだしよ」
「正木、あんたね~・・・・。
自分チの八百屋にそんなこと言って、おばさんが泣くよ?」
「へっ、お袋ならその前に殴りかかってくらぁ」
と、一方で横文字の名詞に目を瞬かせていた光弥だったが、ややあって思い当たる。
東京都との境辺りに位置している、大きなショッピングモールだ。
「光弥くん?」
「ん、ああ、良いよ。
何の映画?」
「当然、"イカイタンテー"!!」
「あー、あれ今日からか。
お前、それで妙にソワソワしてたのかよ」
「もっちろん!!
おっきなスクリーンでエイン公爵を見るの、ずっと楽しみにしてたんだからっ。
あたし、前売り券まで買っちゃったもん♪」
「イカ・・・・エイ・・・・?」
「イカでもタコでもないよっ!!
”異界探偵 D.D.D"だよっ!!」
と、妙に熱っぽい香に言われて、ようやく光弥は思い当たった。
件の作品の正式タイトルとは、「 異界探偵 D.D.D ~エイン・エイドリヴァ公爵の事件簿~ 」。
中世ヨーロッパ風な異世界の、とある王国の公爵子息として転生した名探偵、
大ファンの香に付き合わされて、光弥と正木もそれなりに見知っている作品であった。
ついでに、なるほど、と納得がいく。
今日の香が妙に機嫌良く、それでいて小動物のようにソワソワ落ち着かなさげなのは、そういう理由だったようだ。
「今度の映画では、ついに公爵とイミュア姫とのもどかしーい関係が進展するかも、なんだって!!!!
えへへ、楽しみーっ♪
あ、これ、二人の前売り券ね」
「用意良いな、おい。
てか、気持ち悪・・・・」
「特典ブックレット欲しかったのっ、悪いっ!?
大体、二人とも買っていいって言ってたじゃん!!
お金は後でちゃんと貰うかんねっ、
「はは・・・・映画は15時から、か――――」
だが、チケットに印字された時刻を見て、また光弥は思い出す。
「――――ごめん、香ちゃん。
その時間なんだけど、僕ちょっと、用事が・・・・」
「えーーーーっ!!??」
香は、大好物をうっかり地面に落とした時のような、愕然とした顔で叫んだ。
「この包帯とかを取り替えに、病院に来るように言われててさ。
上映時間に間に合うか分からないし、せっかくなんだけど・・・・」
「そっかぁ・・・・それなら、仕方ないかぁ。
・・・・もぅ、仕方ないから正木と行くね」
「仕方ないを連呼するなよ、お前な」
「ごめんて。
チケット代はあとでちゃんと払うからさ」
心ここにあらずという風な、ぼんやりとした口調で詫びる光弥。
そんな姿を見ていた正木の眼が、すぅと細められた。
「・・・・お前って、ほんと隠し事できないタイプだよな」
その険悪な呟きに、光弥は軽い驚きを、香は驚愕を顔に浮かべた。
「・・・・的中、だけど、そんな分かりやすいかな?」
「割とな」
「・・・・言われてみれば」
「お前ははしゃぎ過ぎだっての。
光弥の奴、今日一日こんな呆けた面してたじゃねぇかよ」
それが本当なら、何か内緒にしたい時、光弥は顔に気を付けないといけないのだろうか?
「何かコツ、無いかな?」
「知らね。
・・・・で、どうなんだよ実際」
正木も、それに推しアニメ見たさのトリップ状態から帰ってきた香も、光弥の言葉をじっと待っていた。
2人にしては珍しく、納得の行く理由を聞けるまでは譲らないという姿勢が伺えた。
そんな妙に意固地な姿も、しかし元を辿れば、ここ最近の光弥の行いの所為なのだろう。
「――――別に、後ろめたい事でもないし、隠したかった訳でもないんだ。
ただ、まぁ個人的にショックで、どう受け止めるべきか悩んで、身が入らない、っていうか」
「えー?
昨日はあんなに熱心だったのに、今日は燃え尽き症候群なの?」
からかいまじりな香の言葉も、もしかしたら的を射た表現かもしれなかった。
事実として、今の光弥は、自分の中の大きな目標を見失いかけていたのだから。
「・・・・実は最近、"男修行"を再開したんだ。
ほら、近頃は何かと物騒だしさ」
幼馴染の2人は、その言い方だけで察してくれる。
しかし、その顔に浮かべた表情は、見事なまでに対照的だった。
「そうなんだ。
じゃあ、ガラスを破って怪我したのって、もしかしてそれ?」
「お前、あんなにダリぃこと自分からまたやりたいと思ったってか?」
香は愉快そうに、そして正木はいかにも嫌そうに肩を竦めてみせた。
さて、この"男修行"とは即ち、光弥の"爺様"こと、日神 鵯出丸とやっていた一連の訓練の事を指している。
幼馴染である2人は当然、一昨年に他界した爺様との面識もあった。
「ふふ、"ヒデじぃ"達の修行、見てる分には面白かったなぁ。
商店街を走ったり、みんなで筋トレしたり。
いざ始まったら、二人して竹刀でボッコボコにされてたね」
「言っとくが、こっちは欠片も楽しいなんて思ったことねぇからなっ?
しかも、やりたくもねぇのに、「男を上げろ」とか言われて無理くりやらされてたんだ。
のほほんと笑ってられるかってんだ・・・・」
「そんな事言ってるから、結局光弥くんにも一度も勝てないままだったんじゃん?」
「けっ、どーせ俺はヒデじぃさまの”一番弟子”みたいに、筋が良くねぇでございますよっ」
「・・・・まぁ、僕だってどっちかと言えば嫌々やらされてたことなんだけど、これでもそれなりに自信はあったんだ。
でも、少しは得意だと思ってることで負けるのって、やっぱりショックを受けるもんでさ」
――――憂鬱そうに呟くその心とは、言わずもがな。
昨夜の遭遇と戦闘・・・・そして、"スパーク・レディ"と"ブラック・テイル"、両名とのやりとりについてである。
(別に、今までだって自分の実力を買い被っていたんでも、自惚れていたつもりもなかった。
いつだってギリギリの戦いだったさ。
昨夜は・・・・その場に、分かりやすい見本がいて、尚更に分かりやすかったくらいだ・・・・)
"じゅそうじゅう"、とかいう、今までとは違う強大な怪物。
そして"イブキ"、あるいは"ヴァンガード"と名乗る存在達から、嫌と言うほど痛感させられた、"格"の違い。
浮き彫りにされた光弥の地金には、一度で2回分も土をつけられる羽目になってしまった。
と、一夜明けて気持ちにも少し余裕が出来たというので、こうして冗談ぽく括ってみる。
それでも、笑い飛ばせる気分には、1ミリもなれなかったが。
「ふーん・・・・"剣術"で、ってことだよね?
もしかして、全国大会優勝みたいな人にでも会ったの?」
「・・・・UFOにでも遭った気分だったよ」
「え、遭ったの!?」
「いや、例えだろ。
変なところ食いつくなよ」
さっきは”負け”と言ったが、彼らとは結果を競っている訳でもない。
まして、あれは命を懸けた殺し合いだ。
戦果の大小への拘りなど、差し挟む余地は無いとは分かっている。
だが、それでもあの黒衣の男の
超絶的に研ぎ澄まされた、速さと強さ。
そして、それらが形作る暴力の化身――――紅い龍の虚像。
アニメや映画でだって見たことのない、神がかった"力"の荒ぶる様。
張り合うことも許されない次元の違いを、光弥は見せられた。
"あれ"は、自分では絶対にかなわない存在だと、思い知らされてしまった。
「それは・・・・えと、残念だったね・・・・?
でも、負けたってまた次に頑張れば、良いんじゃない?
そんなにどよーんってなっちゃうなんてらしくないよ、光弥くん!!」
「そもそも、そんなに気になることかよ?
今度は真っ当に、"剣道日本一"でも狙ってる、ってんならまだしもよ」
事情なんて知らない正木達は、簡単にそう言ってのけてくれる。
・・・・と、身勝手にささくれている感情を認め、光弥は軽く頭を振った。
「ああ、その通りだ。
・・・・分かってるんだ。
所詮は、わがままなんだ。
自分がやりたいからやってる事で、やらなきゃいけない訳もありゃしない。
でも・・・・それでもって、なんか燻っちまってさ」
本当なら、こうしてうだうだと考えるまでも無いのだ。
結論は昨夜、もう出されている。
光弥がこの事態に首を突っ込む余地は無い。
あの2人にとってはただの余計なお世話でしかない。
むしろ、光弥とその周囲に
そんな、揺るがしようない結果を、もう飽きるほど己へ言い聞かせている。
なのに――――それでも、と納得できずに燻る気持ちもまた、同じように薄らいではいなかった。
「・・・・本当に、それで良いのかって思うんだ。
確かに僕は未熟で、力不足なんだろう。
だからって、それを言い訳みたいに目を背けて、諦めて・・・・本当に良いのかって」
「光弥、くん・・・・?」
夢心地のように、光弥はぼんやりと言い連ねた。
抱えているもやもやとした悩みが、勝手に口を衝いて漏れ出していた。
でも、それは結局、"当事者"になり得ないと断じられた、半端者の繰り言でしかないのだろう。
一方で、渦中の人である"彼ら"は、この街を襲う怪異を解決すると豪語する。
それを真実だと思わせる、凄まじい”力”をも示している。
光弥との差は、歴然としていた。
けれども。
それでも。
だけど。
納得しようと、現実を呑み下そうとする度、最後にその言葉が浮上する。
どうしてそんなにも譲ろうとしないのか、光弥は今更のように不思議に思えていた。
今や、光弥がわがままに足掻くよりも、上等な代替案はある。
そして、時が来るまで待て、と彼らは言った。
何も全て諦め、引っ込んでいろと言われた訳でもないのだ。
彼らのその対応は、極めて真摯で正しいものとも言える。
正しすぎて、いっそ憎らしいほど。
「――――いや・・・・きっと、全部ただの言い訳なんだ。
なんにも出来ない、自分。
・・・・そんな状況が不安で、不満なんだろうな」
”誰かの為に動かなければならない”。
危機感、あるいは飢餓感にも似た切迫した感情は、迫る夕闇のように黒く、止め処なく大きくなっていく。
そうして、ここに至ってもまだ意地だけで食い下がろうとしたがる己を、自覚する。
本当に、聞き分けのない子供のようだった。
そして、そんな自分を納得させられるような自己弁護をする事も、ついに出来ず終いだった。
(――――今まで、僕はあの
その為になら、勇気を振り絞れるし、正しいことなんだと思っていた・・・・)
だが、その為の最善手が提示された、今。
頭では分かっているのに、けれども心の奥底で凝り固まっている"意地"が、納得できないと跳ね返してくる。
ならば、きっとそれが、光弥を動かす理由の"正体"なのだろう。
元々、光弥は理屈に囚われない心、こだわりから生まれる活力を大事にする方ではある。
けれども、今回のそれは決して褒められるべきものではないと、素直に思えた。
確かに、光弥には”過去の罪への負い目”があった。
だが、そこに
自分なりに正義感だと思っていたものの、随分と卑しく、利己的な一面。
ひとたび垣間見てしまえば、それはもう”独善”という暴走でしかない。
その落胆こそが、光弥の憂慮の本質だったのだ。
「――――と、ごめん。
そんなに気にしないでよ、二人共。
別に悪い事があったわけでもないし、他には誰も困ってない。
こんなの、ただ僕が勝手に落ち込んでるだけなんだからさ」
悩みは深く、大きく、しかしその内の一割たりとも、他人に言えるようなものではなかった。
光弥は暗い顔を切り上げて、さも他愛も無い話であるかのように振る舞う。
だが、異様に消沈して見えた光弥に、幼馴染2人はかける言葉を見失っていた。
「あ、いいんちょー!!」
ややあって、そんな膠着状態を打ち破ったのは、外野からの一声。
同じクラスの女子生徒、伊坂 星奈には当然、漂う重い空気など知る由も無い。
彼女は香に用事があるらしく、つかつかと歩み寄ってきていた。
「あ、"赤丸コンビ"もいるんだ。
丁度良かった~」
「・・・・一緒くたにされたよ」
「否定はしねぇが、ムカつくもんはムカつくぞ」
この"赤丸"というのは、以前にも言った"浜松教諭の閻魔帳に記された生徒には、赤い丸で印が着けられている"という都市伝説からのあだ名である。
普段から一緒にいるうえ、なにかと目立つ光弥と正木は、コンビ扱いされる事がままあった。
もちろん親しみを込めてのものではあるが、しかし名誉な事などでは全く無い。
「あたし達、教室の掃除当番だからさ。
いいんちょ達も、自分達の当番の場所、行かないの?」
「あ、そっかっ。
今日も"慰霊広場"の掃除、あるんだった。
うー・・・・いつもより1日多い分、ちょっと損してる気分・・・・」
その当番とやらがあまり好きでないのか、眉を顰める香。
正木の方も同じ様な顔だったが、こいつの場合は掃除自体が面倒臭いと言うので、やや事情が異なっている。
「まぁ、それもあと一日の辛抱だって。
んじゃ行こう、二人共。
僕も、いい加減に切り替えないといけないしさ」
「お、おう・・・・?」
本当に何でもなさそうに、光弥は明朗に立ち上がってみせた。
(・・・・まぁ別に、何も落ち込む事ばっかりって訳でも、ないもんな)
というのも、色々と思うところこそあれど、昨夜の結果自体は、光弥の望み通りのもの。
それどころか、最上の結果と言っても良い収穫だったからだ。
この事態を正しく知る人がいて、しかもこの街の安全を守るために動いてくれている。
この危難に立ち向かう心強い味方が、2人もいる。
そんな安心感をもたらしてくれた出会いに感謝しているのも、確かな側面であったからだった。
――――To be Continued.――――
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