#5 狂暴の残火

6月7日 19時12分

上赤津馬 南部

赤津場自然公園 野外ステージ 建設現場




「はぁっ・・・・はぁっ・・・・っ」




――――"命"を斬り臥せ、終わらせる。


その確かな手応えに、気持ちが悪くて泣きたくなった。


重撃剣が与えた巨大な一文字は、怪物の肩口から正中線までを、斜に断ち切っていた。


例え、尋常ならざる生命力のあろうとも、それの宿る"器"の破壊はもはや、限界に達していた。


遂に、この不死と疑う怪物も、止め処無い出血と共に倒れ込もうとしていた。




<――――・・・・アアアアァァァァ・・・・――――>




長い、長い断末魔を経て、怪物は足元に広がる泥と血の沼に、重苦しく沈み込んだ。


掠れた苦悶の最中、傷口を掻き毟るかのように藻掻きながら、やがてぐったりと力を損なっていく。


程無くして、先刻までの凶暴さが嘘のように静かに、ゾッとするほど無惨に横たわる。




"死"、だった。


そして、それは光弥が与えた終わりでもあった。


眼は逸らさない。


光弥はじっと、その死に様を見詰めていた。


(・・・・眼を逸らしては、いけないんだ。

オレが、この手で斬ったんだから。

・・・・これが、"日神 光弥"としての選択、なんだから)




――――その事実を噛み締めて、思う。


命とは、尊い。


何であれ、どんな形であれ、確かな重みを持つ。


そこに如何なる理由があったとしても、他者がその命を害する事など、本当は決して許されない事なのかもしれない。


だとしても、光弥は自分の理屈を振り翳して、これを傷付け、苦しませて・・・・遂には今、命までも奪った。


それも、だった。


怒りに任せて剣刃を打ち込み、腕を斬り飛ばし、最後には真っ二つに両断した。


(・・・・それでも、護りたかった。

どうしたって、"彼女"の事だけは、譲れなかった。

その意地だけは、どうしても)


そしてまた、光弥はどんな理由があったとて、この化け物の仕業を許すつもりは無かった。


因果は巡り、これはただその応報なのだ。


それでも、割り切れない蟠りは残っていたけれど。


「お前を、憐れとは思わない。

謝りもしない。

・・・・ただ、恨む権利くらいはあるさ」




そして、その場は先程までの激しい戦いが嘘のような静けさが漂うのみとなった。


獣同士の喰らい合いが止めば、思い出したようにしとしととした雨音だけが、夜陰を満たす。


ところが、そんな中で不意に辺りの光量が増して、光弥は空を見上げた。


「・・・・月が――――」


その先に、白金色の丸い月が煌々と輝いていた。


細切れの黒雲の隙間からふと覗いた、その姿を遮るものは、もう無い。


「――――・・・・終わったんだな」




怪物は死んだ。


そして、月を侵食していた"眼"も、消えた。


現状に一つの区切りが訪れた、と言って良いだろう。


(・・・・それでも、起きてしまったことは、変えられない)


事の元凶を取り除かれても、それまでにもたらされた災難を無かった事には、できない。


奴らに壊されたもの、奪われたもの。


そして、光弥が今宵、越えてしまった"一線"。


この身と、この記憶に焼き付けられた、忌まわしい体験。


それらは、もう二度と元に戻らないものだ。


摩耗した心で、光弥はそれを僅かに哀しいと感じていた。


「・・・・・・・・・」


徐ろに、重剣を地面に突き立てた。


さっきよりもずいぶんと重くなったように感じて、持ち続けているのが億劫になったのだった。


刀身の上を、暗く赤茶けてドロリとしたものが流れ落ちていく。


それが何であるか、分かりきっていたとしても、考えないようにしていた。


ややあって、光弥は幽鬼のように力無く振り返る。


その先で、"彼女"は未だに横たわり、眠り続けている。


「・・・・このままじゃ、風邪引くよな」


この場で起こすか、このまま連れて行くか。


どちらにせよ、こんな場所で野晒しにしておくわけにはいかない。


(怪我だってしてるかも知れないしな。

まずは、病院に連れてこう・・・・。

理由は・・・・なんとかなるだろう。

それから――――)


ぼんやりと考えながら、横たわる傍へと近付いていく。


先刻と違い、今の"彼女"は健やかに呼吸して、表情も穏やかだった。


これでドレスでも着ていたのなら、まさに眠り姫といったところか。


とりとめもないことを考えながら、光弥は手を差し伸ばす。




「 っ !!??――――」



途端に、光弥は驚愕して固まっていた。


ドクンと、心臓が跳ね回る。


その所以ゆえんは、自分の腕だと思って動かしたが、まるで違うものに見えたからだった。




――――重剣を握り締めていた、右腕。


たった1時間も無い間に、掌のマメが潰れ、血みどろだった。


それどころか血糊は腕全体に降りかかり、自分の血なのか返り血なのか、まるで判断がつかないほどだ。


まるで、地獄の血の池から伸ばされた亡者の腕のようだった。


逃げるように目を逸らせば、今度は左腕が目に入る。


黒鋼の装甲は、今や同じように返り血でまだらに汚れて、そして拳には何か、粘着質で赤黒いボロくずがこびり付いている。


殴ったと同時にこそぎ落とした、肉片。


即ち、"怪物の一部"。


そう気付いた瞬間、嫌悪感が背筋を凍りつかせた。


信じたくない思いに、光弥は愕然として、言葉をも失っていた。


これが、自分なのか。


たった一時間もしない内に、こんなにも血肉に塗れたものが。


けれど、そうだ、と肯定する声がある。


誰あろう、光弥の胸の内で、声は確かに響いていた。


身体に燻る熱と痛み、死闘の記憶が、何よりも雄弁に告げていたのだ。


「・・・・っ」


今まで、目を逸らしていた事実を遂に突きつけられて、光弥はそれまでとは異なる"恐怖"を感じ始めていた。


果たして、この惨状を作り出したのは、光弥だ。


幽光する鎧を身に纏い、獣のような咆吼を上げ、巨大な怪物をもほうむる巨大な剣を振り回す。


狂乱めいた野蛮さを以て"敵"を惨殺し、その残骸に薄汚れた、この姿。


「・・・・どっちが化物だ・・・・」


狂気染みた意思と、人知を超えた力。


血に塗れながらそれらを振るう姿は、傍目にいったいどれ程の差があるのだろう?


光弥は気付いてしまった。


自分が、今まで歩んできた日常とは決して相容れない、血腥ちなまぐさい領域に到った事に。


そして、致命的なけがれを受けた光弥は、もう二度とその深淵から抜け出せないかもしれない。


そんな不安が、真に迫り、光弥を苛んだ。




例えば、正木と香。


真っ先に思い浮かぶ、光弥の掛け替えのない日常の象徴。


清廉な世界にいる彼らが今の自分を見たら、どう思うだろう?


(そんな事は、無い・・・・っ。

二人が、そんな風に人を・・・・"僕"を、見限る筈がないんだ。

そう・・・・否定、しろよ・・・・っ)


けれど、立ち込める濃厚な血臭は、そうやって都合よく目を逸らさせるのを許さなかった。


直面している現実は、光弥の古い傷跡を容赦なく抉り出した。


「・・・・"昔"とは・・・・違う・・・・。

僕は・・・・とうとう自分の意思で・・・・殺意を、持って・・・・っ」


光弥の絞り出す声は震え、戦いていた。


同じように震える両腕へ、まるで直視するのも憚られるかのように怯えた眼を投げかけ、立ち竦んでいた。




――――辺りが、月明かりとは違う光で、やにわに明るくなったのは、その時だった。


ほとんど同時に、光弥の両掌にも、ぽぅ、と蒼い光点が生まれる。


幾つも幾つも、それは瞬く間に腕中に、そして全身に広がる。




「――――!?」




蒼い炎が、光弥の体を覆い尽くしていた。


突然過ぎる異常事態に、光弥は硬直してしまう。


火達磨になっているというのに悠長すぎる反応だが、しかしそこには理由があった。


蒼い炎は、確かに猛火と言える勢いで爆ぜ、火の粉を振りまいてはいた。


だというのに、そこには


何の痛痒も感じられない、ただの"イルミネーション"だったが故に、光弥は反応しきれなかったのだ。


世にも奇妙な状態に困惑する光弥は、やがて周囲にも同じ現象が発生していることに気が付く。


あちこちの地面から蒼い炎が立ち上って、傍らに突き立てた重剣も松明よろしく燃え盛っていた。


そして、先程倒れ臥した怪物の骸に至っては、光弥以上の炎の塊となっていた。


巨大な篝火と化した蒼色の火炎が、呑み込んだ死骸を急速に炭化させてゆく。




――――やがて火勢が途絶えると、その焼け跡にはもはや燃えさしの1つたりとも残ってはいなかった。


風に拐われた訳でも、雨に融かされたわけでもなく、まさにも。


そして、同じ不可思議の火に巻かれた光弥からも同様に、血肉を浴びた痕跡全てが消え失せていた。


身につけていた武具達もまた、その刃や装甲に返り血の一滴すら残らず、降り注ぐ月光に冷たくも美しく、照り映えるばかりだった。




「・・・・なんだってんだよ」




状況に翻弄され、愚痴のような呟きが漏れる。


すると、それを言い終わるや否やという時に、視線の先にあった武具達が光に包まれ、解け出した。


重撃剣・嶄徹ざんてつと、黒い戦鎧・撃煌げっこう


強靭極まりない装備は、しかしまるで砂の城のように儚く、光る粒子となって虚空に還ってゆく。


あたかも、光弥の闘志が消え失せたのと呼応したかのように、そして瞬く間に、戦う”誓い”の証明は、この世から消え失せてしまったのだった。



光弥は、唖然としたまま、この数々の超常現象を見届けた。


果たして、この死闘の残滓として手元に残ったのは、右腕に巻き付いた形見の腕輪のみ、だった。




――――何故だか、直感する。


激動の夜がこの瞬間、終わりを迎えた、と。


そんな根も葉も無い確信を抱き、光弥は脱力していた。


何日も何週間も一気に過ぎたような、濃密な疲労感が襲う。


このまま、疲れきった心身を放棄して、こんな場所でも構わず眠ってしまいたかった。


だが、光弥にはまだやるべき事が残されていて、それは顔を上げた先で、未だ静かに横たわったままでいる。


「・・・・”眞澄 梓”・・・・」


眠り姫に触れようとするこの腕からは、今はもう血の穢れは失せている。


少なくとも、表面上は。


それでも、ここにはまだきっと、あの赤色の"重さ"が纏わり付いているのだろう。


は決して落ちないものだと、光弥は知っていた。


骨の髄まで染み込み、この身体の中を一緒に流れ、巡り続ける。


毒でもなければ薬でもない。


ただ重荷として、いつまでも、どこまでも。




(――――それでも、僕は"彼女"を、守る。

そうしなきゃ、ならない。

・・・・僕の・・・・義務。

そして、"贖罪"、だから・・・・)




――――抱えた想いは環のように途切れなく、車輪のように延々と空転する。




「ごめん」




その末に、ふと零れ出た謝罪。


何に対してのものなのか、光弥自身にもよく分からない。


きっと、心当りがありすぎるせいだった。


助ける為とはいえ、意識の無い"彼女"へ勝手に触れること。


もっと早く駆けつけて、恐ろしい出来事から守ってあげられなかったこと。


あの、”雨の夕べ”に、あんなにも追い詰め、涙させるまで、決めきれなかったこと。


それらの苦みの全部を呑み下して、光弥は温かな"彼女"の身体を優しく、壊れ物に触れるように、抱き上げた。




――――熱病が、潮が退くようにゆっくりと失せていく。


その夜が過ぎて行くのは、そんな感覚に似ていた。


生死の境を往く、緊張。


振りかざされた暴力へ怒る、闘志。


そんな、聞こえのよい動機に感じる、どこか浅ましい高揚感。


そして、自分の魂にまでベットリとこびりついた、血の烙印への嫌悪感。


獣の声の途絶えた夜が、どろどろした黒ずんだ感情を溶かしていく。


何もかも溶け落ちた後に残ったのは、ただ色のない疲労。


消耗しきって真っ白な思考の中は、苦しい時間がやっと終わったという安堵が全てだった。


心も体も、渇いて冷え切っていた。


くしゃりと潰れてしまいそうな身体に叱咤し、光弥は歩んでいく。


重たい身体を引き摺って、顔を上げて、進み続ける。


この腕に抱えた、この温もりの為に戦った。


そんな、自分の意地の原点は、見失いたくなかった。


黒く潤んだ雨雲の浮かぶ空は、まだ暗い。


眩く安らぐ黎明は、まだ見えない。




「――――まさか・・・・虎穴の奥には、本当に"虎子"がいたとは、ね」




そして、新たなる邂逅の時は、刻々と近づきつつあったのだった。




「あんな少年が、今この時に、これほどに蒼く、強い輝きの"ヴァンガード"として現れた・・・・。

3重・・・・いえ、4重のサプライズだわ」




まだ若さばかりの子供が、1人の少女を救う為に繰り広げた、死闘。


その戦場から百数mほど離れた高層マンションの屋上に、二つの影があった。


、といった感じで勝利せしめた少年を、規格外の感覚で見守るのは、雨露にしっとりと艶を帯びた長い髪を揺らす、美女。


「今回ばかりは、完全に出遅れたわね。

事態悪化を防ぐはずの情報統制も、結局裏目。

あの子達には悪いことをしたわ」


すらりとした長身と、官能的なまでの曲線美を有した美女は、しかしその声音に抑えきれない好奇心を滲ませつつ、ふとその眼を傍らのへ振り返らせた。


「それでも彼は、あたし達が届かなかったものへ、届いてみせた。

・・・・鋼の大剣に、蒼い炎。

どうやら正真正銘、"蒼き烈光"で、間違いないようだわ」


すると、その眼差しの先に立つ”白髪”の男は、無言の肯定のように少年の姿を見遣る。


だが、程なくしてを背け、その場から去ろうと歩を進め始めた。


「あら、会っていかないの?

彼があんなにぼろぼろなのだって、半分くらいはなのに」


「・・・・今はまだ、泳がせる。

優先すべきは他にある」


「そ。

・・・・ちょっと残念かしらね」


男はすぐさま、断固たる調子で返す。


美女はその判断を受けて、後ろで束ねた一つ結いを揺らして、粛々と追随した。


「後始末の手配は済んだか?」


「ええ。

直に、ここに諸々の団体が到着するはずよ。

それから、"6th"にも連絡はつけてあるわ。

この辺りで緊急外来があるのは件の病院だけだし、想定通りに彼達を確保できるはずよ」


「"8th"による監視と調査を徹底させろ。

・・・・あの少年の動向次第では、現状は一変するだろう」


「ええ、すぐにでも。

・・・・さて、の蒼き”エルピス”は、”パンドラ”を連れてどこへ行くのかしら、ね」


「往くぞ。

俺達に猶予は残されていない」


「了解よ、"隊長リーダー"」




――――男は、己の目的を見据え、淀み無く足を進める。


しかし、その最中に一度だけ、背後を振り返っていた。


消耗した心身を引き摺り歩む、名も知らぬ1人の少年。


だが、彼の振るった"力"とは、あると共に語り伝えられていた、畏怖されるべきものであったのだ。


(あの少年・・・・手負いの”雄”ならばいざ知らず、今や”雌”・・・・”メア・ガーゴイル”をも斃した。

加えて、不完全ながらも"晶滅"エグゼクトを行う、か――――)


それは、途絶えて久しく・・・・しかし、歴代の"威武騎"イブキ達をして、"最強"と言わしめていた、伝説の存在。


(――――"蒼き烈光"・・・・その勇名、確かにただの古い寓話などでは無かったようだな)




彼の存在が、此方にとって吉と出るか凶と出るかは、分からない。


しかし、あるいは。


この街に巣食う、狂気と悪意の渦が、窮まったとしたなら。




(・・・・その時は、あの者に示さねばならないだろう。

大いなる"力"の行末とは、熾烈な責務と共にある。

その、”相克の定め”を)




――――この世の裏に潜む、戦士の宿命。


それを光弥が知る日は、近い。――――



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