霧羽さんに聞いてもらう
麻比奈こごめ
客は終末を仮置きする
あるカフェーには、少々他と趣向の違った女給が一人いた。他と違い、あまり愛想が良くない。客に対して微笑みはするものの、客をおだてたり、褒めたりと、そういった事はしない。少々気難しい質なのか、単に女給を目当てにして来るような客の相手を、彼女はなんの感慨もなく、ただ刷り込まれた通りにするだけであった。しかし、彼女はその代わりに、ひどくぼんやりとした考えについて、明確にやる気を持って聴く。彼女の噂は、気難しい者たちの間で広まることになった。類は友を呼ぶというわけである。
その客も、そうしたわけで来店した男だった。自分の事を会社員と名乗ったが、そんな事は如何でも良い事だ、と自分から話を終わらせる。
「僕はね、気付いたんだよ」
彼は珈琲の湯気を嗅ぎながら、優雅にそう言った。
「“幸せだったのは、この時までだった”というモノローグは、どんな場面につけたとしても、それが本当になる可能性というのは絶対にある訳だ、ってね。何せ、未来は予測出来ないのだから」
彼が言うには、それがこのところの彼の一番気に入った遊びらしい。女給も一言それを聞いてそれを気に入った。
「なんともまぁ、後ろ向きな遊びですこと」
「逆だね、未来志向だ。悪い未来を予測して先手を打つ、それの何処が後ろ向きなのだろう。皆は悲観的観測を嫌い過ぎる」
得意気な様子だった。
「それでも、わざわざまだ起こってもいないような悪い未来を想像するのは、要するに前を恐れているということで、後ろを向いている様なものです」
痛い所を突くじゃないか、と彼は笑った。大きく、骨ばった手で包み込まれた珈琲のカップをくるくると傾けながら、彼はテーブルの角に視線を向けた。
「しかしね、霧羽さん。そうする事でやっと、気をつけて生きようという気が起こってくるんだよ。でなければ、自分の生活など、あまりにも実感が無い」
そうでもしなければ、自分の事など、如何でも良いじゃないか。
彼はにまと笑った。そしてまた、珈琲の香りを楽しんでいた。
「人間として生きるとは、大変な意識が要りますものね。自分が、人間である、という認識をする所から」
「あぁ、そうだ。僕は正直に言えば、珈琲の楽しみ方もよく分からない。でも、カフェに来れば珈琲か何かを頼むものだし、珈琲を飲むなら…香りを楽しむものであるらしい、という事は知っている」
ただ、良い香りか好ましくない香りかは、自分でもわかる、と彼は言った。本能とは不思議なものだ。
「人のふりをして生きている、と」
「見た所、君もそうなんじゃないかと思うが。僕には同類が分かる」
言われた女給は、にこりと微笑んでみせた。
注文:
アメリカン 一杯
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